第115話 百十歳、戦士を迎えに行きます
ガルドは薄暗い牢の中で俯いていた。
両手には手錠、足首には鉄の枷が嵌められ、太い鎖で壁へと繋がれている。
「…………」
自分の軽率さが招いた結果だった。
交易都市リルートで裏社会の情報を集めていたガルドは、地下闘技場で亜人の骨を使った装飾品が賞品として扱われているという噂を耳にした。
スカルインテリア。
それが誰の骨なのかは分からない。自分の同胞かもしれないし、まったく縁のない亜人のものかもしれない。
いずれにせよ、死者の骨を見世物にするなど許せなかった。
ガルドはマルタの使い魔であるピィに、地下闘技場へ向かう旨を書いた手紙を持たせた。そして、返事を待たずに乗り込んだ。
それが仇となった。
賞品を得るため、闘技場のルールに従ってワーウルフと戦った。相手は強靭な肉体を持っていたが、ガルドは武器を持たず、両手を拘束された状態で勝利した。
だが、そこで終わりではなかった。
『トドメを刺せ』
司会者はそう言った。
観客たちも口々に殺せと叫び始めた。
「…………」
ガルドは目を閉じた。
彼の部族には、古くから伝わる教えがあった。
倒れた相手に追い討ちをかけることは、戦士の恥である。
敗れた者は己の弱さを知り、鍛錬を重ねて再び立ち上がる。以前よりも強くなった相手に負けぬよう、勝者もまた己を鍛える。
そうして互いに高め合い、武術の高みを目指す。
ガルドはその教えを誇りに思い、ずっと守ってきた。
もちろん、命を奪わなければならない戦いもある。だが、既に戦意を失った相手を殺すことに何の意味があるのか。
だからこそ、ガルドはトドメを刺すことを拒絶した。
しかし――。
「……俺は」
ガルドは拘束された両手を見下ろした。
あの時、観客席から投げ込まれた手斧。
自分は確かに、あの斧へ手を伸ばした。
何をするつもりだったのか。
今となっては、自分でも分からない。
異常な熱気に呑まれかけていたのか。それとも、どうしても賞品を取り戻したいという思いが、信念を上回りかけていたのか。
あの時、セレナが割って入ってくれなければ。
自分は、どうしていただろう。
「……情けない」
ガルドは奥歯を噛み締めた。
故郷を失ってから、色々なことを知り、考え、そして身体を鍛えてきた。
だが、どれほど身体を鍛えようとも、己の信念すら守れないのなら。
「……何が戦士だ」
しかも、自分を助けようとしたセレナまで捕らえられてしまった。
あの小さなエルフは、いつもそうだ。
自分の危険も顧みず、誰かのために動いてしまう。
「……セレナ」
ガルドは牢の扉を見つめた。
悔やんでも悔やみきれない。
だが、いつまでも俯いているわけにはいかなかった。
まずはここから出て、セレナを助けなければならない。
そう考えた時だった。
『――ガルドォォォ!!』
「…………?」
遠くから男の声が聞こえた。
『どこじゃあああ!! 一緒に帰るぞおおお!!』
聞き覚えのない声だった。
ガルドが首を傾げていると、今度は奇妙な音が近づいてきた。
カサカサカサカサ。
何かが石の床を走っている。
◇ ◇ ◇
「ララカオ!」
アウラニの背中で、セレナが声を上げた。
「ガルドっていう、大きなリザードマンを知らない!?」
「へえ! ガルド様なら、あっちですだ!」
ララカオが通路の奥を指差す。
「よし! アウラニ、頼む!」
『承知いたしました』
アウラニはララカオの案内に従い、地下通路を駆け抜けた。
やがて、鉄格子の並ぶ牢獄へたどり着く。
「ガルド!!」
「……セレナ!?」
牢の中で、ガルドが目を見開いた。
「無事だったのか!」
「それはこっちの台詞よ!」
セレナが身を乗り出す。
「まったく、心配させて!」
「ガルド!! 何をしておる! 帰るぞ!」
神崎も声を張り上げた。
「…………?」
ガルドは見知らぬ男を見つめた。
若い男だ。
しかし、どこか見覚えがある。
特に、その目。
「……お前は?」
「ワシは神崎……いや、レオンじゃ!」
「…………は?」
ガルドは固まった。
レオン。
あの赤ん坊の名前だ。
「……何を言っている?」
「説明は後じゃ! 今は時間がない!」
「…………」
到底信じられる話ではない。
だが、改めて男の顔を見ると、妙に納得できるものがあった。
あの赤ん坊と同じ目をしている。
「ガルド!」
セレナが話を遮った。
「あんたの装備、重たすぎて私たちじゃ持てないのよ! 早く取りに行くわよ!」
「……装備?」
「そう! ララカオが場所を教えてくれたの!」
「へ、へえ! 初めまして、ガルド様!」
ララカオが頭を下げる。
ガルドは改めて一行を見た。
レオンを名乗る見知らぬ男。
元気そうなセレナ。
小柄なドワーフ。
そして、彼らを乗せている金色の巨大蟻。
『初めまして。アウラニと申します』
「…………」
巨大蟻まで喋った。
「……は」
ガルドの口元が緩んだ。
「はは……」
「……ガルド?」
セレナが首を傾げる。
(……面白い)
どうして、こいつらはこんなにも自分の予想を超えてくるのだろう。
自分の問題は自分で解決する。
ずっとそう考えてきた。
だが、こいつらはそんなことなどお構いなしに、助けに来てしまう。
勝手に心配して、勝手に怒って、勝手に手を差し伸べてくる。
「…………」
ガルドは拘束された両手を見下ろした。
自分の軽率さも、揺らいだ信念も、セレナを危険に巻き込んだことも、忘れたわけではない。
悔やむべきことはいくらでもある。
だが、今は。
まず、この者たちに謝らなければならない。
いや。
その前に。
「帰るわよ! ガルド!」
セレナが手を伸ばした。
「……ああ!」
ガルドは両腕に力を込めた。
――バキンッ!!
手錠の鎖が引きちぎられる。
「ひゃっ!?」
ララカオが飛び上がった。
続けてガルドは足枷の鎖を掴み、力任せに引き千切った。
――ガヂンッ!!
「そ、そんな!?」
ララカオが目を丸くする。
「その鎖、普通の人には絶対に壊せないものですで!?」
「普通の人ではないからのう」
神崎が平然と答えた。
「そ、そういう問題だすか!?」
ガルドは鉄格子へ向き直ると、両手で掴んだ。
「……ふん!」
――ギギギギッ!!
鉄格子が外側へ曲がっていく。
十分な隙間ができたところで、ガルドは牢の外へ出た。
「……最初からそれ、できたんじゃないの?」
セレナが呆れたように言った。
「……ああ」
「じゃあ、なんで逃げなかったのよ!?」
「……人間の決まりだからだ」
「…………は?」
セレナが目を丸くする。
「俺はここの決まりに従って勝負をした。そして、拘束された。ならば、勝手に逃げ出すわけにはいかん」
「…………」
「人間の社会にいる以上、その決まりは尊重すべきだと思っている」
セレナは額に手を当てた。
「……あんたねえ」
「……何だ?」
「ここ、まともな場所じゃないのよ!?」
「……それは理解している」
「理解してないでしょ!!」
セレナの声が牢獄に響いた。
「そもそも、あいつらがまともに約束を守ったと思う!? 勝ったら賞品を渡すって言ってたんでしょ!?」
「……ああ」
「それなのに、殺せだの何だのって、勝手に条件を変えたじゃない!」
「…………」
「向こうが約束を破ってるのに、なんであんただけ律儀に守ってるのよ!」
ガルドはしばらく考え込んだ。
「……確かに」
「今気づいたの!?」
「はっはっはっは!!」
神崎が堪えきれずに笑い出した。
「いやはや! ガルド、お主は本当に真面目な男じゃのう!」
「ゲン! 笑ってる場合じゃないでしょ!」
「いや、すまんすまん! じゃが、ワシはそういう男、嫌いではないぞ!」
「…………」
ガルドは少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……俺も、考えが足りなかったようだ」
「まったく、もう!」
セレナは大きくため息をついた。
だが、すぐに表情を緩める。
「まあ、そういうところがガルドらしいんだけどね」
「…………」
「でも、次からはもうちょっと融通を利かせなさいよ?」
「……善処する」
「絶対よ!」
神崎は二人のやり取りを眺めながら、愉快そうに笑っていた。
「……すまん」
ガルドは改めて一行へ向き直り、深く頭を下げた。
「俺の軽率な行動で、お前たちを危険に巻き込んだ。本当にすまなかった」
セレナはしばらくガルドを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まったく。そういうのは帰ってからにしてよ」
そして、手を差し出した。
「ほら! 帰るわよ、ガルド!」
ガルドはその手を見つめ、力強く頷いた。
「ああ! すまん! 帰ろう!」
『では、皆様。装備の回収へ向かいましょう』
アウラニが身体を低くした。
「ガルド! 早く乗るのじゃ!」
「……待て」
ガルドは巨大蟻を見下ろした。
「俺が乗っても大丈夫なのか?」
『…………』
アウラニはガルドの巨体を見上げた。
『申し訳ございません。少々、重量が……』
「……そうか。ならば、俺は走ろう」
「大丈夫なのか?」
「ああ。問題ない」
ガルドは軽く屈伸すると、ララカオへ目を向けた。
「装備の場所は分かるのか?」
「へえ! 私が案内しますだ!」
「よし! では行くぞ!」
『承知いたしました』
アウラニが走り出す。その隣を、ガルドも駆け出した。
「……速いのう」
神崎が感心したように呟く。
身長二メートルを超える巨体が、巨大蟻に遅れることなく地下通路を駆け抜けていく。
こうして一行は、装備の保管場所へと向かった。




