第112話 歩く武器庫
ウィーンは腰へ手を伸ばした。
鞘から武器を引き抜く。
そして――。
「…………そう」
低い声で呟いた。
「やっぱり、来てよかったよ」
次の瞬間、迷いなく手にしていた武器を投げつけた。
「――!」
一直線にミレボスの顔面へ飛ぶ。
だが、ミレボスは椅子から立ち上がることすらしなかった。
パイプを持っていない方の手を上げる。
伸びた爪が――。
――キィン!
飛来した武器を弾いた。
「あら」
ミレボスは自分の指先を見る。
爪の端が、僅かに欠けていた。
「いったぁい……」
そこでようやく椅子から腰を上げる。
「普通、証拠もないのにいきなり襲いかかる?」
「違法闘技場の主ってだけで十分でしょう?」
「それもそうね」
軽口を交わした直後、ミレボスの目が細くなった。
「……?」
ウィーンの手に、いつの間にか別の武器が握られていた。
メイス。
分厚い金属塊を先端に備えたそれを、ウィーンはすでに頭上まで振り上げている。
「チッ……!」
ミレボスが床を蹴った。
「ふっ!」
ウィーンがメイスを振り下ろす。
――ドゴォン!!
豪奢な椅子が粉砕された。
木片と装飾品が弾け飛び、床に亀裂が走る。
後方へ飛び退いたミレボスが着地する。
「乱暴ねぇ」
その指先がウィーンへ向けられた。
「《ライトニングボルト》」
紫白の光が走った。
雷が一本の矢となり、一直線にウィーンへ襲いかかる。
だが、ウィーンは避けなかった。
またも迷いなく、手にしていたメイスを投げつける。
「――なっ」
雷の矢とメイスが空中で衝突した。
――バヂィッ!!
閃光が室内を染める。
雷撃をまともに受けたメイスは空中で砕け散り、焼けた金属片が辺りへ飛び散った。
「…………」
ミレボスの眉が僅かに動く。
そして、閃光が消えた時には。
ウィーンの手には、もう別の武器が握られていた。
片手で扱える手斧。
「はぁっ!」
ウィーンが踏み込む。
「ちょっ――」
――ドン!!
二人の間にあった机が真っ二つになった。
そのまま手斧を返す。
横薙ぎ。
ミレボスの腹部を両断する軌道。
だが、空を切った。
「……!」
さらに一撃。
首を狙う。
避けられる。
肩。
これも届かない。
続けざまに胴へ放った一撃も、ミレボスは身体を僅かに反らすだけでかわしてみせた。
「へえ……」
後退しながらも、ミレボスは楽しげにウィーンの手元を観察している。
「驚いた」
手斧が頬のすぐ横を通過し、銀髪が数本、宙を舞った。
それでも余裕は消えない。
「武器を次々と取り出す魔法?」
ウィーンが斧を振り抜く。
「転送魔法かしら?」
かわす。
「それとも――」
身体を反らす。
「具現化魔法?」
「知ってどうする?!」
ウィーンが踏み込んだ。
横薙ぎから斜めへ切り返し、その勢いのまま上段から振り下ろす。
相手を真っ二つにするつもりの斬撃を、間断なく叩き込んでいく。
だが。
当たらない。
ミレボスは大きく逃げているわけではなかった。
紙一重。
ほんの僅かに身体をずらすだけで、全てをかわしている。
右へ。
左へ。
時にはウィーンの懐へ入り込み、次の瞬間にはもう間合いの外。
(なんだ、こいつ……!)
速い。
それだけではない。
動きが掴めない。
確かに目の前にいるはずなのに、斧を振る頃にはそこにいない。
まるで――。
(霧を相手にしてるみたいだ……!)
ウィーンの手斧が再び空を切った。
「ふふっ」
耳元で、ミレボスの笑い声がした。
「――!」
振り向く。
だが、そこにもすでにミレボスはいなかった。
「…………」
ウィーンは追わなかった。
手斧を構えたまま呼吸を整え、視線だけを動かす。
右。
左。
背後。
そして正面。
「どうしたの?」
いつの間にか、数歩離れた場所にミレボスが立っていた。
「もう終わり?」
「…………」
ウィーンはしばらく相手を見つめたあと。
「――なるほど」
小さく呟いた。
手斧を納める。
「あら、降参?」
「いや?」
――じゃら。
金属の擦れ合う音がした。
ウィーンの右手から、長い鎖が垂れ下がっている。
その先端には、拳ほどの大きさをした黒銀色の錘。
「あら?」
ミレボスが目を細める。
「今度は私を縛る気?」
カラカラと笑う。
「こわいわぁ」
「…………」
「でも、捕まえられないのにどうやって縛るつもりかしら?」
ウィーンは答えなかった。
鎖をゆっくりと回し始める。
――フォン。
錘が宙を走る。
――フォン。
もう一周。
――フォン、フォン――。
回転が速くなるにつれ、風切り音が室内を満たしていく。
ウィーンの表情から、怒りが消えていた。
いや。
消えたのではない。
押し込めた。
呼吸を整え、意識を研ぎ澄ませ、目の前の女だけに集中する。
「……お喋りしてくれないの?」
ミレボスがつまらなそうに唇を尖らせる。
「つまんないの」
右手を上げた。
指先がウィーンへ向く。
「《ライトニングボ――》」
――ヒンッ!
「え?」
甲高い音が鳴った。
次の瞬間。
ミレボスの視界が黒く染まる。
――ゴシャア!!
「アアアアアアアアアアッ!!」
肉の潰れる鈍い音。
頭部を殴り飛ばされ、ミレボスの身体が横へ吹き飛んだ。
床を転がり、壁際で止まる。
「な……」
頭を押さえながら顔を上げる。
何が起きたのか分からない。
剣も。
メイスも。
斧も。
全て見えていた。
なのに。
(視認……できなかった……?)
その疑問に答える暇すらなかった。
――ドスッ!!
「ギィアアアアアアッ!!」
二撃目。
今度は脇腹。
肉が潰れ、骨が軋む。
「痛いだろ?」
低く冷たい声が落ちる。
ウィーンは鎖を回し続けていた。
「その錘にはね」
――フォン。
「教会で清めてもらったミスリル銀を混ぜてある」
「…………!」
ミレボスの表情が変わった。
「不死者のお前には効くだろうね」
「ゴアアアアッ!!」
ミレボスが牙を剥き出しにして吠えた。
「なぜソレヲ!!」
「裏の世界じゃ、あんたは有名人だよ」
ウィーンは淡々と答える。
「若い奴隷を買い漁って、しばらくするとそいつらは消える。残るのは骨だけ」
鎖を引き戻し、再び錘を旋回させる。
「吸血鬼みたいな奴だって、もっぱらの噂だった」
「噂だけで……!」
「ああ。噂だけじゃ確信はなかったさ」
ウィーンの視線が、ミレボスの口元から覗く牙へ向いた。
「でも、今戦ってみてはっきり分かった」
人間離れした速度。
異様な生命力。
そして、ミスリル銀を混ぜた錘を受けた時の反応。
「あんたは吸血鬼――」
鎖を引く。
「またはそれに属する何かだ」
――ゴッ!!
「ギッ――!!」
背中へ錘が叩き込まれた。
背骨を正確に打ち抜かれ、ミレボスが床へ倒れ込む。
「この……!」
それでも闇雲に指先を突き出す。
「《ライ――》」
――ゴキッ!
「ギィアアアアアア!!」
伸ばした指が、横から飛んできた錘によって叩き折られた。
魔法を撃とうとすれば、その前に潰す。
逃げようとすれば、逃げた先へ錘を走らせる。
狭い室内。
壁。
床。
天井。
砕けた机と椅子。
散乱した武器の破片。
ウィーンはそれら全てを把握したうえで、長い鎖を自在に操っていた。
決して自分へ絡ませず。
決して障害物へ引っ掛けず。
そして、正確にミレボスだけを打ち抜く。
武器を次々と取り出せることが、彼女の強さなのではない。
どんな武器であろうと、その特性を理解し、自分の手足のように扱う。
かつて彼女が《歩く武器庫》と呼ばれた所以は、そこにあった。
「ぐ……ぅ……!」
ミレボスが床を這うように後退する。
ウィーンは追いすがらない。
ただ鎖を回す。
――フォン。
――フォン。
――フォン。
一定の風切り音が響く中、ウィーンの目に初めて僅かな揺らぎが生まれた。
「この日を……」
声が掠れる。
「どれほど待ちわびたか……」
あの日から。
ウィーンは各地を旅した。
武器を集め。
技を磨き。
情報を買い。
必要になるかもしれない道具を、一つずつ揃えてきた。
ミレボスが吸血鬼かもしれないという噂を聞けば、それに効く武器まで用意した。
全ては。
いつか。
この場所へ戻ってくるために。
「ワケット……」
脳裏に浮かぶ。
曲刀を握る男。
そして。
その傍らで笑っていた、小さな子ども。
「ダン……」
鎖を握る手に力が入った。
錘の回転がさらに速くなる。
「今――」
ウィーンが一歩踏み込んだ。
「仇を討つわ」
鎖を振り下ろす。
十分な遠心力を乗せた錘が、ミレボスの頭部目掛けて落下する。
「――ッ!!」
初めて。
ミレボスの顔から、完全に余裕が消えた。
避けられない。
これを受ければ――。
咄嗟に。
ミレボスは自分の掌を胸へ押し当てた。
「《ライトニングボルト》!!」
「なっ――」
狙ったのはウィーンではなかった。
自分自身。
己の体内へ。
雷撃を放った。
――バチャアッ!!!!
まるで水の中で無理矢理、何かを爆発させたような異様な音。
同時に、ミレボスの身体から紫白の雷光が弾けた。
「――っ!」
予想もしなかった音。
至近距離で炸裂した光。
極限まで高めていたウィーンの集中が、ほんの僅かに乱れた。
(しまった――!)
錘の軌道がずれる。
――ドゴォン!!
床が砕けた。
ミレボスの頭。
そのすぐ横。
「…………!」
外した。
ウィーンが鎖を引き戻そうとした、その瞬間。
ミレボスの身体が崩れた。
「なっ……」
違う。
霧だ。
青白い肌も。
銀色の髪も。
細い手足も。
全てが白い霧へと変わっていく。
「待て!!」
ウィーンが鎖を振るう。
だが。
錘は霧の中を通過しただけだった。
霧となったミレボスは天井付近へ舞い上がり、そのまま壁に設けられた換気口へと流れ込んでいく。
「待て!! ミレボス!!」
ウィーンが駆け寄る。
しかし。
換気口は小さい。
腕を差し込むことすら難しいほどの穴で、人間が追えるはずもなかった。
「クソッ!」
拳を壁へ叩きつける。
「ミレボス!!」
その時。
換気口の奥から声が響いた。
『覚えていろ!!』
「…………!」
ウィーンが顔を上げる。
それは。
先ほどまでの妖艶で余裕に満ちた声ではなかった。
『ワケットの女ァァァァ!!』
獣のように濁った、醜い声。
『必ず……!!』
少しずつ遠ざかっていく。
『必ず貴様に復讐してやる!!』
「待て!!」
ウィーンが換気口へ拳を叩きつける。
「ミレボス!!」
返事はない。
もう。
何も聞こえなかった。
「…………」
静寂が戻る。
粉々になった椅子。
真っ二つになった机。
焼け焦げたメイスの破片。
床に刻まれた無数の傷。
そして。
――じゃら。
ウィーンの手から鎖が落ちた。
「…………」
しばらく。
換気口を見上げたまま動かなかった。
あと少しだった。
あと、ほんの少し。
何年も。
何年も。
この日のために準備してきた。
ワケットのために。
ダンのために。
ようやく。
終わらせられると思ったのに。
「…………っ」
膝から力が抜けた。
ウィーンは壁を背にして、その場へ座り込む。
握り締めた拳を。
――ドン。
壁へ打ちつけた。
「……クソ」
もう一度。
――ドンッ!
「クソ……ッ!」
拳から血が滲む。
それでも。
ウィーンは泣かなかった。
ただ。
ミレボスが消えていった換気口を睨みながら。
荒くなった呼吸を、ゆっくりと整えていった。




