↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
110/122

第110話 百十歳、戦士の声を真似ます

 試作体の刃が、再び神崎の首を狙った。


 神崎は上体を僅かに傾けるだけでそれをかわし、続けざまに胸元へ伸びてきたもう一本の刃も、半歩横へずれることで避ける。


 右から三本。


 左から二本。


 死角へ回り込むように、さらに一本。


 試作体の両腕は形を変えながら、休む間もなく神崎へ襲いかかってくる。


 だが、《孤王》が発動している今、その全てが見えていた。


「オオオオオッ!」


「いいぞ! もっとやれ!」


「首を飛ばせぇ!」


 観客たちはすっかり熱を取り戻している。


 狙い通りだった。


 自分が派手に立ち回れば立ち回るほど、この場所へ人の目が集まる。その分だけ、外で動いているマルタとカラリンは仕事がしやすくなる。


 しかし――。


(もう一押し欲しいのう)


 観客だけでは足りない。


 できることなら闘技場の全ての人員をこちらへ引きつけてしまいたい。


 もっと派手に。


 もっと騒がしく。


 何かないものか。


「…………あ」


 ふと、神崎の脳裏に一つの光景が蘇った。


 王都へ向かう途中。


 大量のスケルトンに囲まれた時、ガルドが見せたもの。


 あの巨体で大きく息を吸い込み、辺り一帯を震わせた咆哮。


 敵の動きを鈍らせ、味方を奮い立たせる、リザードマンの戦士の雄叫び。


 あの時、雷葬獣は『鼓舞』と呼んでいた。


(まあ、ワシがやったところで同じ力は出んじゃろうが)


 今は《孤王》がある。


 少なくとも、声量だけならそれなりのものになるだろう。


 神崎は口元を緩めた。


「ガルド」


 この場にはいない仲間へ向け、呟く。


「アレを使わせてもらうぞ」


 大きく息を吸い込んだ。


 肺いっぱいに空気を取り込み、腹へ力を込める。


 そして――。


「ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 戦吼。


 轟音が地下闘技場を駆け抜けた。


 空気そのものが震え、観客たちの髪や服が揺れる。最前列では杯の中の酒に細かな波紋が走り、何人かが思わず耳を塞いだ。


「うわっ!?」


「なんだ、あいつ!」


「すげえ声だ!」


 神崎自身も少し目を丸くする。


(……思ったより出たのう)


 本家とは違う。


 ガルドの戦吼を受けた時のように、胸の奥から力が湧いてくるような感覚はない。


 敵の戦意を削ぐ力も、おそらくない。


 ただ、《孤王》によって強化された肉体から放った大声だ。


 それでも。


 今の目的には十分――。


「…………?」


 そこで神崎は気づいた。


 試作体が動いていない。


 先ほどまで絶え間なく攻撃を繰り出していたというのに、両腕を垂らしたまま、こちらを見つめている。


「どうした?」


 返事はない。


 だが、その指先が僅かに震えていた。


「…………ォ」


「む?」


「……ォ……オ……」


 声だった。


 これまで一言も発さなかった試作体の喉から、確かに声が漏れている。


「ガ……ァ……」


 頭を抱えた。


 身体が激しく震え始める。


「おい! 何やってんだ!」


「戦え!」


「早く殺せー!」


 観客席から容赦のない野次が飛ぶ。


 だが、神崎はそちらを見なかった。


 目の前の試作体だけを見ていた。


「お主……」


 ゆっくりと近づく。


 試作体が顔を上げた。


 その目を見た瞬間、神崎は足を止める。


 先ほどまでとは違う。


 そこに。


 ほんの僅かではあるが。


 意思があった。


「……せん……し……」


「何?」


「お……れ……は……」


 声を絞り出す。


「……戦士……だ……」


「…………」


 神崎の表情から、笑みが消えた。


 試作体はゆっくりと自分の腕を見る。


 鞭にも。


 槍にも。


 刃にも。


 自在に形を変えていた腕。


 もはや生き物のものとは思えないそれを、まるで初めて見るもののように見つめている。


「俺……は……」


 苦しそうに喉を鳴らす。


「死んだ……はず……」


「…………」


「なのに……」


 刃と化した指先が震えた。


「まだ……戦わされて……」


 声に。


 怒りが滲む。


「俺は……戦士……」


 僅かに俯く。


「死して……なお……こんな……」


 そして。


 顔を上げた。


「我慢……ならん……」


 神崎は何も言えなかった。


 試作体の瞳が真っ直ぐに自分を見る。


「……殺して……くれ」


「…………」


 その言葉に。


 背後のセレナが息を呑んだ。


「頼む……」


 掠れた声だった。


「もう……一度……」


 途切れながらも。


 確かに。


 自分の意思で告げる。


「死なせて……くれ……」


 神崎は黙って、その目を見つめた。


 百十年。


 自分は生きた。


 長い人生を終え、一度死んだ。


 だからといって、この戦士の苦しみが全て分かるなどとは思わない。


 だが。


 死してなお身体を弄られ、望まぬ戦いを強いられることを、この男が耐え難い屈辱と感じていることだけは分かった。


「……分かった」


 静かに答える。


 ただ。


 その前に。


「一つだけ教えてくれ」


「…………」


「誰が、お主をこんな姿にした?」


 試作体の瞳が僅かに揺れた。


「死者を弄び、お主をこんなものに作り変えたのは誰じゃ」


「それ……は……」


 口が動く。


「天り――」


「――まずい!」


 叫んだのはバヌだった。


「む?」


 神崎が振り向く。


 バヌは顔色を変え、懐へ手を突っ込んでいた。


 取り出したのは、一枚のスクロール。


「待て!」


 神崎が地面を蹴る。


 だが。


 バヌはスクロールを引き裂いた。


「自壊しろ!!」


 瞬間。


 試作体の全身に黒い紋様が走った。


「なっ――」


 神崎は咄嗟に振り返る。


 試作体も、自分の身体に何が起きているのか理解したらしい。


 腕。


 胸。


 脚。


 黒い紋様が身体中を覆っていく。


「…………」


 試作体は。


 不思議なほど静かだった。


 神崎を見る。


 そして。


 ほんの僅かに。


 その表情が緩んだ。


「……これ……で……」


 ――バキン。


 乾いた音が響いた。


 身体の一部が崩れる。


「……やっと……」


 もう一度。


 その口が動いた。


「……死ねる……」


 次の瞬間。


 試作体の身体が、内側から一気に崩壊した。


「…………!」


 神崎が手を伸ばす。


 だが。


 届かない。


 腕が。


 脚が。


 胴が。


 次々と形を失い、黒い灰のような残滓となって地面へ落ちていく。


 最後に残った顔も。


 どこか安堵したような表情を浮かべたまま。


 静かに崩れた。


「…………」


 神崎の手が宙に残る。


 目の前には。


 もう。


 誰もいなかった。


「…………」


 ゆっくりと。


 拳を握る。


 そして。


 顔を上げた。


 その先にいるのは。


 バヌ。


「……貴様」


「っ……」


 バヌの頬が引き攣った。


「今、何をした」


「な、何って……」


「何をしたと聞いておる」


 声を荒らげたわけではない。


 それでもバヌは、一歩後ずさった。


 だが。


 答えるより先に。


「ふざけんなぁぁぁぁ!!」


 観客席から怒号が飛んだ。


「なんだ今の!」


「勝負の途中だろうが!」


「俺の金どうすんだ!」


「金返せ!」


「インチキじゃねえか!」


 一つの怒号をきっかけに、闘技場全体が一気に荒れ始めた。


 立ち上がる者。


 杯を投げつける者。


 柵を蹴る者。


 賭け札を握りしめて怒鳴り散らす者。


「お、おい! 待て!」


 バヌの額から汗が流れる。


「落ち着け! お前ら!」


「うるせえ!」


「チャンピオン出せ!」


「そうだ! バオクを出せ!」


「バオク!」


「バオク!」


「バオク!」


 いつしか。


 怒号は一つの名前へ変わっていた。


 何十。


 何百という声が。


 同じ名を叫ぶ。


「バオク!」


「バオク!」


「バオク!」


「…………」


 バヌが唇を噛んだ。


 明らかに予定外なのだろう。


 何度か周囲を見回し、それから神崎を見る。


 試作体は失った。


 観客は暴動寸前。


 このままでは収まらない。


「……分かったよ」


 小さく吐き捨てる。


 そして。


 次の瞬間には。


 いつもの軽薄な笑みを無理矢理、顔へ貼りつけていた。


「分かった分かったぁぁぁ!!」


 両腕を大きく広げる。


「そんなに見てえのか!?」


「オオオオオオ!!」


「本物の戦士が!!」


「オオオオオオオ!!」


「だったら見せてやるよ!!」


 バヌが闘技場の奥を指差した。


「出てこい!!」


 観客たちの視線が、一斉に巨大な鉄扉へ向けられる。


「我らが地下闘技場――」


 ――ゴンッ。


 扉の向こうから。


 何かがぶつかった。


 ――ゴンッ。


 二度目。


 分厚い鉄扉が、僅かに揺れる。


「不動のチャンピオン!!」


 ――ドォン!!


 鉄扉が開いた。


 いや。


 内側から、力任せに押し開けられた。


「…………」


 神崎は思わず見上げる。


 最初に見えたのは。


 太い脚だった。


 一歩。


 それが闘技場へ踏み出す。


 ――ズン。


 地面が震えた。


 続いて。


 巨大な身体が扉を潜る。


 緑がかった肌。


 下顎から突き出した牙。


 異様なほど分厚い胸板。


 神崎の胴ほどもありそうな腕。


 そして何より。


 大きい。


 三メートルはあるだろう。


 ガルドも相当な巨体だったが、目の前の男はそれ以上だった。


(……なんじゃ、こやつ)


 前世はもちろん。


 この世界へ来てからも。


 こんな種族を目にしたことはない。


「……でかい」


 背後でセレナが呟いた。


 巨体の男は観客席を見ようともしない。


 歓声など聞こえていないかのように、ゆっくりと闘技場の中央へ歩いてくる。


「オオオオオオオオ!!」


「バオク!」


「バオク!」


「バオク!」


 大歓声の中。


 バヌが再び声を張り上げた。


「紹介しよう!!」


 巨体を指差す。


「オークと巨人族の血を引く、我らが最強の戦士!!」


(オーク……)


 神崎は、その言葉を頭の中で繰り返した。


 名前だけなら聞いたことがある。


 だが。


 実際に見るのは初めてだった。


「そして! 地下闘技場、不動のチャンピオン!!」


 バヌが叫ぶ。


「バオクだぁぁぁぁぁ!!」


「ウオオオオオオオオ!!」


 歓声が爆発する。


 その中心で。


 バオクは神崎をじっと見ていた。


 やがて。


 太い首を傾ける。


「…………こいつ?」


 低い声だった。


 言葉を一つ口にするだけでも、少し時間がかかる。


 バヌが頷いた。


「ああ。そいつだ」


「…………」


 バオクはもう一度、神崎を見る。


「たおす?」


「ああ」


 また少し間が空いた。


「……ころす?」


「好きにしろ!」


「…………わかった」


 それだけ言うと。


 バオクは巨大な拳を握った。


 言葉は拙い。


 だが。


 そこに迷いはなかった。


「…………」


 神崎も静かに腰を落とす。


 その時。


「……あにき」


 バオクが呟いた。


「ん?」


 バヌが顔を向ける。


 バオクは神崎を指差した。


「こいつ……たおす」


「ああ! 頼んだぞ!」


 バヌが笑う。


「やっちまえ、バオク!」


「…………うん」


 巨大な拳が。


 胸の前で打ち合わされた。


 ――ドンッ!!


 空気が震える。


「おれ……」


 バオクは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「あにき……まもる」


「…………」


 神崎の眉が僅かに動いた。


(……兄貴?)


 目の前の巨体を見る。


 次に。


 バヌを見る。


 似ているとは。


 到底思えない。


「……お主ら」


 神崎は二人を交互に見た。


「兄弟なのか?」


「ああ」


 バヌは一瞬だけ驚いた後。


 口元を吊り上げた。


「腹違いだけどな」


 そして。


 どこか誇らしげに。


 巨体の男を指差した。


「俺の弟――バオクだ」


「…………」


 バオクが一歩。


 前へ出る。


 ――ズン。


 地面が揺れた。


 もう一歩。


 ――ズン。


 神崎との距離が縮まっていく。


「おれ……」


 拳を握りしめる。


「あにき……まもる」


 そして。


 ゆっくりと。


 拳を構えた。


「だから……」


 バオクの目が。


 神崎を捉える。


「おまえ……たおす」


 地下闘技場に。


 再び。


 歓声が爆発した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。