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第108話 百十歳、恩を返しに来ました

「さっさと殺せー!」


「逃げてばっかじゃつまんねえぞ!」


「昨日の威勢はどうしたー!」


「ギャハハハハ!」


 汚い野次が、四方から降り注ぐ。


「…………っ!」


 セレナに、それを気にしている余裕はなかった。


 ヒュン――!


 空気を切り裂く音。


 反射的に身体を捻る。


 直後。


 つい先ほどまで首があった場所を、鋭い刃と化した腕が通り過ぎた。


「くっ……!」


 避ける。


 また、避ける。


 それしかできない。


 試作体の攻撃は速い。


 しかも厄介なことに、腕の形が一定ではなかった。


 鞭のようにしなることもあれば、槍のように尖ることもある。


 どこから。


 どんな攻撃が飛んでくるのか。


 直前まで分からない。


 セレナは地面を蹴った。


 直後、足元が抉られる。


 着地。


 さらに跳ぶ。


 頬を掠めた。


「っ……!」


 一筋。


 血が流れる。


 致命傷だけは避ける。


 それだけで。


 精一杯だった。


「はぁ……はぁ……!」


 呼吸が荒い。


 対する試作体には、疲労の色が見えない。


 このままでは。


 いずれ。


 こちらが先に力尽きる。


「…………」


 なら。


 その前に。


 セレナは大きく後ろへ跳んだ。


 一気に間合いを広げる。


「来なさい……!」


 試作体が反応する。


 右腕が大きく伸びた。


 先ほど鎧を真っ二つにした。


 あの斬撃。


 腕が鞭のようにしなり。


 勢いを増して迫ってくる。


 避けるなら。


 今。


 だが。


 セレナは動かなかった。


 ――ここ。


 両手で曲刀を握る。


 刃を敵へ向けるのではない。


 刀身の腹を。


 自らの肩へ押し当てた。


 次の瞬間。


 ガキィンッ!!


「ぐっ……!」


 全身を突き抜ける衝撃。


 曲刀が大きくしなる。


 真正面から受け止めない。


 肩。


 刀身。


 身体。


 その全てを使って。


 受け流す。


「――っ!」


 曲刀が悲鳴を上げた。


 亀裂が広がる。


 それでも。


 折れていない。


 試作体の腕が。


 セレナの横を抜けた。


「今っ!」


 地面を蹴る。


 一気に懐へ。


 試作体も反応した。


 残った左腕。


 その先端が鋭く尖る。


 真っ直ぐ。


 セレナの胸を狙った。


「――!」


 避けられない。


 普通なら。


 だが。


 セレナは地面を蹴った。


 身体を後方へ反らす。


 突き出された腕の上を。


 宙返りするように。


 飛び越える。


 視界が反転した。


 地面。


 観客席。


 天井。


 そして。


 試作体の首。


「――そこっ!!」


 身体を捻る。


 遠心力。


 落下の勢い。


 残った力。


 その全てを。


 一本の曲刀へ。


 叩き込む。


 狙うのは。


 首筋。


 刃が。


 届く。


 誰もが。


 そう思った。


 その瞬間。


「――え?」


 試作体の首筋が。


 蠢いた。


 肉が裂ける。


 そこから。


 鋭い刃が飛び出した。


「――っ!?」


 避けられない。


 セレナは咄嗟に曲刀を割り込ませた。


 直後。


 凄まじい衝撃が襲った。


「がっ――!」


 身体が。


 宙へ投げ出された。


 上下が分からなくなる。


 そして。


 背中から地面へ叩きつけられた。


「――っ……!」


 息が。


 出ない。


 肺の中身を全て吐き出したような感覚。


 吸おうとしても。


 空気が入ってこない。


「……っ、か……」


 声すら出ない。


 観客席から何か聞こえる。


 笑い声。


 歓声。


 罵声。


 けれど。


 遠い。


 セレナは地面に手をついた。


「まだ……」


 立たなければ。


 曲刀を探す。


 すぐそばに落ちていた。


 柄を掴む。


「まだ……!」


 立て。


 そう命じる。


 だが。


 身体が言うことを聞かない。


 肩が上がらない。


 脚にも力が入らない。


 今の一撃に。


 全てを賭けた。


 それを。


 完全に迎撃された。


 身体だけではない。


 心まで。


 折られそうになる。


「…………」


 試作体が近づいてくる。


 一歩。


 一歩。


 ゆっくりと。


 セレナには。


 それを待つことしかできない。


 ――動いて。


 指先に力を込める。


 ――立って。


 脚へ命令する。


 それでも。


 身体は動かない。


 試作体が。


 目の前で止まった。


 その腕が。


 ゆっくりと持ち上がる。


 先端が変形する。


 鋭い。


 刃へ。


 ――避けなければ。


 分かっている。


 これを受けたら。


 死ぬ。


 まだ。


 死ねない。


 孤児院へ帰らなければ。


 リーナに。


 ナイフを返さなければ。


 子どもたちに。


 帰ってきたと伝えなければ。


 そして。


 みんなに。


 心配をかけて。


 ごめんと。


 謝らなければ。


「…………」


 試作体が腕を振り上げた。


 その刃を見上げながら。


 なぜだろう。


 最後に。


 脳裏を掠めたのは。


「……レオン」


 森で。


 自分が拾い上げた。


 小さな赤ん坊。


 不思議な子だった。


 赤ん坊らしくない。


 時々。


 こちらの言葉を全て理解しているのではないかと思うような目で、自分を見ていた。


 自分が。


 名前をつけた。


 レオン。


 ――ごめん。


 試作体の腕が。


 振り下ろされる。


 その時だった。


「困るのう」


「…………え?」


 聞き覚えのある声。


「そんなことをされたら」


 セレナは目を見開いた。


 試作体の刃が。


 止まっていた。


 違う。


 止められている。


 一人の男が。


 振り下ろされた刃を。


 片足で。


 地面へ踏みつけていた。


「まだ」


 深い緑色のジャケット。


 灰色の革ズボン。


 後ろへ撫でつけた髪。


 その声を。


 セレナは知っている。


「恩を返せていないのだから」


「…………」


 闘技場が。


 静まり返っていた。


 昨日に引き続き。


 また。


 乱入者。


 誰もが状況を理解できずにいる。


 だが。


 試作体だけは違った。


 感情などない。


 目の前に現れた新たな敵へ。


 即座に攻撃を切り替えた。


 空いている腕が変形する。


 鋭い刃。


 それが。


 男の首を目掛けて放たれる。


 速い。


「――!」


 セレナが息を呑む。


 だが。


 届かない。


 試作体の刃が男へ届くより。


 先に。


 男の拳が。


 試作体の腹へ触れた。


 ドン――。


 一瞬。


 何が起きたのか。


 分からなかった。


 次の瞬間。


 試作体の巨体が。


 弾け飛んだ。


「――――!?」


 一直線に。


 闘技場を横切る。


 そして。


 反対側の壁へ。


 轟音と共に叩きつけられた。


 石壁が砕ける。


 土煙が舞い上がる。


「…………」


 誰も。


 声を出さない。


 先ほどまで下品な野次を飛ばしていた観客たちすら。


 口を開けたまま。


 動かなかった。


「…………」


 セレナも。


 目の前に立つ男を見上げていた。


 知らない。


 はずなのに。


 知っている。


 声も。


 話し方も。


 そして何より。


 その目を。


 自分は。


 毎日のように見てきた。


「……ゲン?」


 男が振り返った。


「話は後じゃ」


 そして。


 神崎源一郎は。


 穏やかな笑みを浮かべた。


「お主は休んでおれ」


 セレナは。


 その言葉を聞きながら。


 ただ呆然とその男を見上げていた。

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