第107話 百十歳、全てを話します
神崎は、全てを話した。
前の世界で、百十歳まで生きたこと。
長い人生を終えた後、神を名乗る者と出会い、もう一度人生をやってみないかと持ちかけられたこと。
そして、この世界にレオンという赤ん坊として生まれ変わったこと。
転生する際に与えられた能力は二つ。
《ダイヤング》。
《孤王》。
さらに後になって、《クローゼット》と《ライティング》という二つの能力も与えられた。
もちろん、神崎自身にも分からないことは多い。
なぜ自分がこの世界へ転生したのか。
なぜ《虚喰らい》は神崎源一郎という名前を知っていたのか。
雷葬獣や黒雷石との繋がりにも、未だ答えの出ていないことがある。
分からないことは、分からない。
その上で。
話せることは全て話した。
「……にわかには信じられん話だが」
長い沈黙の後、マルタがようやく口を開いた。
椅子に座ったまま、目の前に立つ神崎を改めて見上げる。
「目の前で実際に赤ん坊が大きくなったらねぇ」
「ワシとしても、信じてもらえるか不安じゃった」
「信じるしかないって言ってるんだよ」
マルタは呆れたように息を吐いた。
ウィーンはまだ驚きが抜けないのか、煙草を持ったまま何度も瞬きをしている。
そんな二人とは対照的に。
「レ~オ~ン~、か~っ~こ~い~い~」
カラリンは先ほどから神崎の脚に抱きついていた。
「……お主は随分とすんなり受け入れたのう」
「だ~って~、レ~オ~ン~で~しょ~?」
「……そうじゃな」
あまりに当たり前のように返され、神崎は小さく笑った。
その様子を見ていたマルタだったが、不意に眉を寄せる。
「待ちな」
「なんじゃ?」
「さっき言ってた《ダイヤング》」
その名が出た途端、神崎の表情から笑みが消えた。
「寿命一年と引き換えに、全盛期の肉体を一時間だけ取り戻す。そう言ったね?」
「うむ」
「なら……」
マルタは神崎の身体を見る。
「今、その姿になってるってことは」
「一年使った」
神崎は静かに答えた。
「…………」
ウィーンの表情も変わった。
カラリンが神崎を見上げ、抱きつく腕に少しだけ力を込める。
「レ~オ~ン~……」
「そんな顔をするでない」
神崎はカラリンの大きな帽子の上から、そっと頭を撫でた。
「ワシが自分で決めたことじゃ」
「でもねぇ、あんた」
マルタの声が低くなる。
「自分の寿命なんだよ」
「分かっておる」
分かっている。
誰よりも。
神崎は百十年を生きた。
だから、一年という時間が決して短くないことも知っている。
春を迎え、夏を過ごし、秋を見て、冬を越す。
その間に人と出会い、別れ、何かを始めることもできる。
一年あれば。
人生は変わる。
それほどの時間を。
自分は今、使った。
それでも。
「ワシの寿命、セレナたちのためと思えば惜しくともなんともない」
迷いはなかった。
「マルタ」
「……なんだい」
「ワシの力、是非とも作戦に盛り込んでくれ」
マルタは答えず、しばらく神崎を見つめた。
今まで自分たちが守ってきた赤ん坊。
歩くこともできず、誰かに抱かれなければ移動することさえできなかった。
けれど、その中にはずっと。
百十年を生きた一人の男がいた。
そして今、その男は仲間を助けるために、自らの命を一年差し出してここに立っている。
「……分かった」
やがてマルタが頷いた。
「その力、使わせてもらうよ」
「うむ」
「それで?」
マルタはすぐに表情を引き締める。
「そうして居られるのは一時間だったね?」
「…………」
マルタの眉間に深い皺が刻まれた。
「だったら、もう時間を無駄にはできないね」
マルタが立ち上がろうとした。
その時だった。
「ちょっと待って」
ウィーンが呼び止めた。
「その作戦、当然私も加えてくれるんだろうね?」
「ウィーン」
マルタは首を横に振る。
「あんたを巻き込みたくない」
「もう巻き込まれてるものよ」
「だけど――」
「それに」
ウィーンの声が、僅かに低くなった。
「私にも、戦う理由はある」
「…………」
一瞬。
ウィーンの目が遠くを見た。
この店でも。
今この瞬間でもない。
遥か遠い過去に置いてきた何かを、ほんの一瞬だけ見つめているような目だった。
けれど。
その理由をウィーンは語らなかった。
「それに、戦力が欲しいんでしょう?」
「……あんた、戦えるのかい?」
「失礼ね」
ウィーンは壁際へ歩き、立て掛けてあった槍を一本手に取った。
次の瞬間。
ヒュン――。
長い槍が、その身体の周囲を滑るように回った。
狭い店内。
壁にも、棚にも、並べられた武器にも触れない。
右手から左手へ。
身体の背後を抜け。
再び右手へ。
最後に石突きが床を叩いた。
乾いた音が響く。
「……ほう」
神崎が思わず声を漏らした。
マルタも目を細めている。
「昔は冒険者だったって言ったでしょう?」
「それは聞いたけどね」
「その頃の私には、ちょっとした呼び名があったのよ」
ウィーンは周囲に並んだ武器を見渡した。
槍。
斧。
剣。
弓。
そして、不敵に笑う。
「《歩く武器庫》のウィーン」
「…………」
「槍でも斧でも、剣でも弓でも、大抵のものなら使える」
槍を肩へ担ぐ。
「あんたらの力になるはずよ」
マルタはしばらくウィーンを見つめていた。
やがて。
その口元にも、小さな笑みが浮かんだ。
「……分かった」
立ち上がる。
「ウィーン、世話になるよ」
「任せな」
「わ~た~し~も~い~る~よ~」
「ああ。分かってるよ」
マルタはすぐに表情を引き締めた。
「さて」
テーブルへ向かう。
「レオンの残り時間を無駄にはできない。急いで作戦を組むよ」
「うむ」
カラリンも神崎の脚から離れ、テーブルへ向かった。
神崎も続く。
一時間。
正確には、もう一時間も残っていない。
寿命一年と引き換えに手に入れた時間は、今この瞬間にも減り続けている。
セレナとガルドを。
必ず連れて帰る。
そのために四人は、すぐさま作戦を組み始めた。
◇ ◇ ◇
夜が明けた――らしい。
「セレナ様。セレナ様」
「……ん」
ララカオの呼びかけで、セレナは目を覚ました。
見上げても、そこにあるのは昨日と変わらない石造りの天井。
窓の一つもない地下では、朝になったと言われても実感などない。
身体を起こす。
肩を回し、手を握って開く。
足にも力を入れてみる。
昨日の疲労は残っているものの、動くのに問題はなさそうだった。
「セレナ様」
「ん?」
牢の外に立つララカオが、胸の前で両手を握っていた。
「がんばってくだせえ」
「…………」
セレナは少しだけ笑った。
「うん」
それだけ答えた。
「おい」
奥から男の声がした。
見るからに風体の悪い男が、牢の鍵を開ける。
「こっちだ」
セレナは素直に従った。
薄暗い石造りの通路を歩いていく。
進むにつれ。
少しずつ。
光が強くなっていった。
同時に。
人の話し声も聞こえてくる。
笑い声。
怒鳴り声。
何かを囃し立てる声。
闘技場へ近づいているのだろう。
「ほら」
男が足を止めた。
「こいつを使え」
放り投げられたものを、セレナは受け取る。
「……なにこれ」
曲刀だった。
随分と使い古されている。
刃はところどころ欠け、細かな傷が走っていた。
柄も、手垢や乾いた血が染み込んでいるのか、黒く変色している。
とてもまともな武器とは思えない。
「これだけ?」
「ああ」
男は軽薄な笑みを浮かべた。
「せいぜい頑張んな」
「…………」
セレナは曲刀を握ったまま。
光の中へ足を踏み出した。
その瞬間。
「出てきたぜ――!!」
「待ってたぞー!」
「せいぜい俺らを楽しませてくれよ――!」
「ギャハハハハ!」
耳障りな歓声が、一斉に浴びせられた。
「…………」
セレナは息を吐く。
気にしない。
昨日。
目の前で一匹のワーウルフが殺された。
その翌日だというのに。
こいつらは。
何事もなかったかのように笑っている。
相手にするだけ無駄だ。
セレナは向かい側の扉へ目を向けた。
閉ざされた大扉。
今日。
自分が戦う相手は。
あの向こうにいる。
「さて……」
鬼が出るか。
蛇が出るか。
フォン――。
一度。
曲刀を振るってみる。
見た目ほど悪くない。
重心は多少癖があるものの、扱えないほどではなかった。
問題は。
刃の方だ。
「……これで大丈夫なのかしら」
こんなボロ切れでどうにかなる相手が来てくれるのなら。
ありがたいのだが。
『さあさあ! 皆さん! ご機嫌いかがかな――!!』
「…………」
昨日も聞いた声が響いた。
『今日もどうしようもないお前らに、ハッピーをお届けする司会のバヌだ――!!』
「ウオオオオオオ!!」
汚い大声が。
地下闘技場を揺らした。
『さっそく本日のメーンイベントに出てくれる戦士を紹介しよう!』
バヌの声が一段と大きくなる。
『まずは昨日! 試合を盛大に妨害してくれた――セレナ嬢だ――!!』
「イエエエエエ!!」
「楽しませてくれよ――!」
「昨日みたいなの頼むぜ!」
セレナは何も答えない。
『そして対するは――!』
観客たちが沸き立つ。
『我が闘技場のチャンピオン!』
「オオオオオオ!!」
『――と、言いたいところだが!』
「……?」
『あいにく今日は予定が合わなくてなぁ!』
「ふざけんなー!」
「チャンピオン出せー!」
「そうだそうだー!」
『まあまあ! そう怒るなって!』
バヌは楽しそうに笑った。
『代わりに今日は、とびきり面白いもんを用意してみた!』
セレナの目が細くなる。
『さあ来い!』
向かい側の大扉が。
ゆっくりと開き始めた。
『――リザードマン・ホムンクルス!!』
「…………え?」
暗闇から。
何かが歩いてくる。
一歩。
また一歩。
姿が光の下へ現れた瞬間。
セレナは驚きを隠せなかった。
最初に頭へ浮かんだのは。
ガルドだった。
ガルド程ではないが、大きな体。
太い腕。
長い尾。
全体の形は、確かにリザードマンを模している。
だが。
「……なに、あれ」
違う。
ガルドではない。
普通のリザードマンですらない。
表皮はむしろ、ライカの肌を思わせる。
人の皮膚に近い質感。
それなのに。
リザードマンの身体を無理矢理ホムンクルスの形代に押し込めたような、そんな体。
人でもない。
リザードマンでもない。
何かが。
リザードマンという生き物を真似して作ったような。
そんな。
《何か》。
観客たちもざわついていた。
「なんだありゃ?」
「バカヤロー! チャンピオンを出せー!」
「そうだそうだー!」
『まあまあ、まずはこいつを見てくれよ!』
バヌが指を鳴らした。
直後。
闘技場の中央へ何かが投げ込まれた。
ガシャンッ!
「…………」
鎧だった。
『こいつは昨日、不幸なことに死んじまったワーウルフが持ってた鎧でな!』
「……!」
『持ち主が死んじまったんで、有効利用させてもらうことにした!』
セレナの眉が寄る。
「……最低」
『やれ! 試作体!』
ホムンクルスが反応した。
右腕を振るう。
それだけ。
だが。
途中で。
腕の形が変わった。
「……!」
肘から先が伸びる。
細く。
鋭く。
まるで一本の鞭のようにしなった。
次の瞬間。
キン――!
甲高い音が鳴った。
それだけだった。
だが。
一拍遅れて。
鎧が斜めにずれた。
上半分が滑り落ちる。
硬い金属の鎧が。
袈裟斬りに真っ二つになっていた。
「…………」
観客席から小さなどよめきが起こる。
『どうだい!!』
バヌの声が響き渡る。
『目にも止まらぬ速さの斬撃! こいつはリザードマンの上級戦士を模して造られたホムンクルスだ!!』
「オオオオオ!!」
「いいぞー!」
「やれー!!」
先ほどまで文句を言っていた観客たちが、一斉に沸き始めた。
『オーケー、オーケー! 気に入ってくれたようで何よりだ!』
バヌが笑う。
『さあ、セレナお嬢さん!』
「…………」
『俺たちに良いところを見せてくれよ!』
セレナは。
曲刀を構えた。
目の前の試作体は。
何も言わない。
感情らしいものも見えない。
『――試合開始!!』
「ワアアアアアアア!!」
歓声が爆発した。
同時に。
試作体の姿がぶれた。
「っ!」
速い。
セレナは咄嗟に曲刀を立てた。
試作体の右腕が伸びる。
鞭のようにしなったそれが。
一瞬でセレナへ到達した。
ガキンッ!!
「くっ……!」
衝撃が両腕を突き抜けた。
身体が押され。
靴底が地面を削る。
なんとか耐えた。
だが。
「…………!」
曲刀を見る。
刃に。
大きな亀裂が走っていた。
「嘘でしょ……」
たった一発。
次にまともに受ければ。
折れるかもしれない。
セレナの頬を。
一筋の冷や汗が伝った。
試作体が。
再び右腕を持ち上げる。
「…………」
セレナは、ひび割れた曲刀を握り直した。
――なんとかしないと。




