第105話 外を知らないドワーフ
宿所。
そう聞かされていた。
「…………」
けれど、実際に案内された場所を見たセレナは、宿所というより牢屋と呼んだ方が正しいと思った。
石造りの狭い部屋。
窓はなく、出入口は鉄格子。
天井近くの壁に、小さな明かりが一つだけ灯されている。
弓も。
矢筒も。
鞭も。
リーナから借りたスローイングナイフも。
装備は全て没収されていた。
「…………」
それでもセレナは騒がなかった。
鉄格子を掴んで叫ぶこともなければ、脱出できそうな場所を探して歩き回ることもしない。
壁に背中を預け、床に座り込む。
そして、静かに目を閉じた。
――余計な体力は使わない。
明日。
自分は戦わなければならない。
相手が誰なのかも分からない。
どれほど強いのかも分からない。
ならば今やるべきことは、少しでも身体を休めておくことだ。
精神も同じ。
考えたところで答えの出ないことを延々と考えて、不安で心を削る必要はない。
そう。
分かっている。
分かっているのだけれど。
「…………」
目を閉じると。
色々な顔が浮かんできた。
――マルタ、怒っているだろうな。
間違いなく怒っている。
戻ったら説教されるだろう。
下手をすれば杖で殴られるかもしれない。
――カラリン。
ちゃんとレオンの面倒、見ていてくれるかな。
少し心配になる。
けれど、マルタも一緒にいる。
二人が無事に闘技場から出られているのなら、レオンについては大丈夫だろう。
――ガルドは。
近くにいるのだろうか。
ここへ連れてこられる途中、姿は見えなかった。
別の部屋に入れられているのか。
それとも――。
「…………」
嫌な想像が浮かびそうになって、セレナはやめた。
今考えても仕方がない。
明日勝つ。
約束通りガルドを自由にさせる。
そして、あの骨も連れて帰る。
それでいい。
――孤児院のみんなは、ちゃんとやっているかな。
ミナ。
リリ。
ロイ。
みんなの顔が次々に浮かぶ。
けれど、これについては不思議と心配にならなかった。
リーナがいる。
ライカもいる。
だから、きっと大丈夫。
「…………」
セレナは胸元へ手を伸ばしかける。
けれど。
そこにあるはずのものはない。
弓と一緒に、森守りも没収されていた。
「……ちゃんと返してもらわないと」
子どもたちから貰ったものだ。
絶対に置いていくつもりはない。
それから。
もう一つ。
リーナから借りたナイフも。
『貸すんだから、絶対に返してね』
「……うん」
誰もいない牢の中で、小さく返事をする。
「ちゃんと返す」
帰る。
そのために。
明日は勝つ。
「…………」
もう一度、目を閉じる。
最後に浮かんできたのは。
やっぱり。
一番小さな顔だった。
――レオン。
「…………」
セレナの表情が少しだけ曇る。
まただ。
また、あの子と離れてしまった。
守ると決めたのに。
傍にいると決めたのに。
自分から飛び出して。
レオンを置いてきてしまった。
「……ごめんね」
声に出してから。
セレナは少しだけ俯いた。
「また、離れ離れになっちゃった」
返事はない。
当然だ。
ここにレオンはいない。
それでも。
明日、勝てばいい。
勝って。
ガルドを連れて。
レオンのところへ帰る。
それだけだった。
「……失礼しますだ」
「…………?」
不意に聞こえた声に、セレナは僅かに眉を動かした。
聞いたことのない声だった。
それ以上に気になったのは、その話し方だ。
妙に訛っている。
「世話係のララカオと申しますだ。お掃除が済んでから、食事を持ってきますだ」
「…………」
足音が近づいてくる。
それと一緒に。
匂いがした。
土の匂い。
セレナは目を閉じたまま、眉間に皺を寄せる。
臭いというわけではない。
森で長く暮らしてきたセレナにとって、土そのものは馴染み深い匂いのはずだった。
なのに。
なんだろう。
この感じ。
苦手。
理由を説明しろと言われても困る。
なんというか。
もっと根本的なところで。
――嫌。
「…………」
セレナは薄く目を開けた。
そこにいたのは、小柄な亜人だった。
こぢんまりとした身体。
太い腕。
太い脚。
肥満なのか。
筋肉質なのか。
よく分からない。
いや。
やっぱり、少し肥満寄りな気がする。
髪は短く刈り取られていた。
髭はない。
女性なのだろう。
「あなた、もしかして……」
「へえ。私ですか?」
セレナは恐る恐る尋ねた。
「ドワー……」
一度、言葉が止まる。
「……フ?」
「へえ」
亜人は何でもないことのように頷いた。
「私はドワーフですよ」
「うっ……!」
反射的に身体が後ろへ動いた。
しかし、既に背中は壁についている。
これ以上、下がれる場所などない。
「…………?」
ララカオが不思議そうに首を傾げた。
「あなた様、もしかしてエルフの方ですか?」
「そ、そ、そうだけど」
「へえ」
ララカオの顔がぱっと明るくなる。
「通りでお綺麗なわけです」
「…………」
セレナは瞬きをした。
「え?」
「?」
「…………」
おかしい。
私たちは確かにドワーフが苦手だ。
理由は分からない。
物心ついた頃には、そういうものだった。
そして。
向こうも同じだったはずだ。
「あなた」
「へえ」
「エルフが苦手なんじゃないの?」
「…………?」
ララカオは目を丸くした。
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
セレナも困った。
「エルフとドワーフって、仲が悪いでしょう?」
「へえ……?」
本当に知らないらしい。
ララカオは少し考えてから、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。私、ここから出たことがありませんで」
「……え?」
「あなた様以外のエルフ様を、知り得ませんでして」
「…………」
「なので、苦手かどうかも分かりませんです。すみません」
「いや、謝ることじゃ……」
そこまで言って。
セレナは口を閉じた。
――ここから出たことがない。
その言葉が引っ掛かった。
「ここって」
「へえ?」
「この街?」
「…………」
ララカオが首を傾げる。
「街……?」
「…………え?」
「ここは、ここですだ」
「…………」
どうにも話が噛み合わない。
「リルートよ」
「へえ」
「知ってる?」
「名前だけなら」
ララカオは答えた。
「ここがそうなんですよね?」
「……そうだけど」
セレナは少しずつ身体を壁から離した。
ドワーフへの警戒心より。
別の疑問の方が大きくなってきた。
「じゃあ、外には?」
「出たことありませんだ」
「一度も?」
「へえ」
「…………」
セレナはララカオを見る。
自分よりずっと年下なのか。
それとも、ドワーフの年齢は見た目では分かりにくいのか。
「ずっとここにいるの?」
「へえ」
「いつから?」
「さあ」
ララカオは困ったように笑った。
「物心ついた時には、ここにいましただ」
「…………」
「昔のことは、あんまり覚えておりません」
それだけ言うと。
ララカオは、牢の隅に置かれていた掃除道具を手に取った。
「では、お掃除をさせていただきますだ」
「…………」
「失礼いたします」
ぺこり。
また頭を下げる。
そして、腰を屈めて床を掃き始めた。
「…………」
セレナはその姿を眺めていた。
物心ついた時から、ここにいる。
外へ出たことがない。
エルフを見たことすらない。
「ねえ」
「へえ?」
「空は?」
ララカオの手が止まった。
「空、ですか?」
「うん」
「知ってますだ」
「見たことある?」
「…………」
ララカオは少し考えた。
「本に描いてあるやつですよね?」
「…………」
セレナは答えなかった。
ララカオは掃除を再開する。
「青くて、大きいんですよね」
「……うん」
「雲という白いものが浮かんでて」
「うん」
「夜になると、黒くなって。星が出る」
「…………うん」
「綺麗なんでしょうねえ」
何でもないことのように言った。
羨ましそうでもない。
悲しそうでもない。
ただ。
本の中の知らない場所について話しているだけ。
「見たいと思わないの?」
「へえ?」
「空」
「…………」
ララカオは困ったように笑った。
「私がですか?」
「うん」
「…………」
少し考えて。
「考えたこともありませんでしただ」
「…………」
「私の仕事は、ここを掃除して、ご飯を運んで、皆様のお世話をすることですから」
「でも」
「へえ?」
「…………」
セレナは口を閉じた。
何を言おうとしたのだろう。
外へ出ればいい。
そう言いかけた。
でも。
ララカオにとっては。
その「外」が存在していないのだ。
知識として知っているだけ。
自分がそこへ行ける場所だとは思っていない。
「お掃除、終わりましただ」
ララカオが立ち上がる。
「後ほど、お食事をお持ちします」
「……うん」
「では、失礼いたしますだ」
ぺこり。
最後まで腰の低いドワーフだった。
掃除道具を抱え、鉄格子の向こうへ歩いていく。
「…………」
セレナは、その小さな背中を見つめた。
ドワーフ。
苦手なはずだ。
近くにいるだけで、何となく落ち着かない。
土のような匂いも。
ずんぐりした身体も。
やっぱり苦手だ。
だけど。
「…………」
似合わないわ。
セレナは静かに思った。
掃除をしている姿が、ではない。
小さな身体に、でもない。
この場所が。
窓もない。
空もない。
薄暗い地下の世界が。
あの妙に腰の低いドワーフには。
なぜだか。
ひどく似合わない気がした。




