第6話 読めてしまった…①
王城での生活が始まり、最初の授業の日。
用意された部屋は広すぎず、かといって狭くもない、ちょうどいい空間だった。
壁際には本棚が並び、中央には机と椅子が整えられている。
いかにも「勉強する場所」という感じだ。
……まあ、嫌いじゃない。
「では――本日から授業を始めましょう」
ネラージュが、いつになく真面目な表情でそう言った。
……さっきまでの様子を見るに、これでもだいぶ抑えている方なんだろう。
「まずは基礎からです。文字は読めますか?」
「いや、まだだな。あと“様”はやめてくれ」
そう言うと、ネラージュは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、やたら力強く首を振った。
「いえ、それはできません!」
即答だった。
「私の直感が告げているのです。貴方様は将来、間違いなく歴史に名を残す存在になります」
……スケールがでかいな。
「ですので今から敬意を払うのは当然のこと!」
「いや別にそこまでしなくても――」
「当然のことです!」
押し切られた。
……まあいいか。
「じゃあ授業進めてくれ」
「はい!」
ネラージュは満足げに頷くと、どこからともなく一枚の大きな紙を取り出した。
机の上に広げられるそれには、びっしりと文字が並んでいる。
……収納魔法か。
いいな、あれ。
俺も使えるけど、最初は結構苦戦したんだよな。
(苦戦で済んでいる時点で基準がおかしいんですよね。)
さて。
見てるだけでも仕方ない。
俺も準備するか。
そう思い、軽く意識を集中させる。
体の内側を巡る魔力を動かし、目的の位置へ。
すっと、手元に紙とペンが現れる。
何度やっても便利だな、これ。
……と。
顔を上げると。
ネラージュが固まっていた。
じっとこちらを見ている。
「……なるほど」
ぽつりと呟く。
「詠唱なし、魔法陣なし……それでこの発動速度」
また何か考え始めた。
「構造が全く分からない……いや、だからこそ――」
ぶつぶつ言っているが、普通に全部聞こえている。
「研究のしがいが……」
やっぱりそれか。
まあいいや。
「ネラージュ」
「はっ……はい!」
一瞬で戻った。
忙しい人だな。
「ではまず、この文字からです」
指差されたのは、表の左上。
「“あ”と読みます」
ふむ。
形は単純だが、線の流れに規則がある。
俺はそれをそのまま紙に書き写す。
さらさらと、迷いなく。
「……おや?」
ネラージュが小さく反応する。
「どこかで習いましたか?」
「いや、初めてだな」
「……そうですか」
明らかに納得していない顔だった。
まあ気にしない。
表をもう一度見る。
この配置――規則性があるな。
母音ごとに並んでる感じか。
なら。
「これが“い”で、その次が“う”だな」
口に出しながら書いていく。
ネラージュの視線が、さらに鋭くなった。
「……配置まで理解している?」
いや、普通に見れば分かるだろ。
俺はそのまま手を止めず、次々と書いていく。
――数分後。
紙の上には、ほぼすべての文字が並んでいた。
「……これは」
ネラージュがそれを手に取る。
じっと見つめる。
「美しい……線の流れ、バランス、全てが整っている……しかもこの短時間で」
そんなにすごいか?
「普通は一文字ずつ覚えるものなのですが……」
「まあ、まとめて覚えた方が早いしな」
「まとめて……」
小さく繰り返して、そして顔を上げる。
目が輝いていた。
……嫌な予感がする。
「では、次に進みましょう!」
やっぱり。
「この本を読んでみてください!」
机の上に置かれたのは、やたら分厚い本だった。
……でかい。
普通にでかい。
「いや、早くないか?」
「問題ありません!」
自信満々だな。
「ルーク様ならできます!」
その根拠、どこから来てるんだ。
まあいい。
俺は本を開いた。
そして――
「あ、読めるな」
普通に読めた。
「……はい?」
ネラージュの動きが止まる。
「今、なんと?」
「いや、普通に読めるって」
文字は分かるし、文もそこまで複雑じゃない。
少し目を通せば、意味も繋がる。
「……内容も、理解できているのですか?」
「まあな」
ページをめくりながら答える。
「これは王国の成立について書いてあるな。最初の王が――」
「お待ちください」
ネラージュが手を出して止める。
「……本当に理解しているようですね」
なんでそんな疑うんだ。
「この本、初学者用ではありません」
そうなのか。
「むしろ専門寄りです。少し可能性を感じたので渡したのですが、
まさかここまでとは…」
……へぇ。
まあ読めるし問題ない。
しばらく沈黙が続いたあと、ネラージュは深く息を吐いた。
「……本日の授業は、ここまでにしましょう」
「早くないか?」
「今日は教えることがありません」
即答だった。
「完璧です」
いやいや。
「国王様に報告してまいります」
なんでだよ。
「これは明らかに“例外”ですので」
そう言い残し、ネラージュは部屋を出ていった。
……静かになったな。
さて。
続きを読むか。
――数分後。
読み終わった。
思ったより内容が濃かったな。
あと――
この国、“ヴァルディア”っていうのか。
今さら知った。
まあ覚えておこう。
本を閉じ、軽く伸びをする。
……もう一冊くらい読むか。
そう思って立ち上がり、部屋の奥へと歩く。
そのとき。
視界の端に、ひとつの扉が入った。
やけに重厚な造り。
装飾も他とは少し違う。
……気になるな。
近づいて、手をかける。
ほんの少し力を込めると――
ギィ、と音を立てて開いた。
その瞬間。
ほんのわずかに、体の中の魔力が削られた感覚。
……ん?
一瞬だけ違和感が走る。
だが、それもすぐに消えた。
まあいいか。
中へ足を踏み入れる。
そこに広がっていたのは――
無数の本棚。
整然と並べられた書物。
だが、どれもどこか“普通ではない”気配をまとっている。
空気が違う。
澄んでいるのに、重い。
静かなのに、圧がある。
(普通はここで引き返すんですけどね。)
……むしろ落ち着くな。
不思議と居心地がいい。
奥には椅子が置かれていた。
俺はそこに腰を下ろし、近くの本を一冊手に取る。
表紙を開く。
――面白そうだ。
ページをめくる。
気づけば、周囲のことなど意識から消えていた。
ただ、文字を追い。
内容に没頭する。
深く。
静かに。
――そこが。
王城でもごく一部の者しか立ち入ることを許されない、
禁書の保管庫であることも知らずに。




