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第62話 住人たちの事情

黒猫が、部屋の隅を指差した。


そこには、誰かが描いたらしい絵が立てかけてあった。


水彩画。


猫の絵だが、妙に人間の表情が混じっている。


笑っているような、泣いているような、複雑な表情。


よく見ると隅に小さく「K」というサインが。


「これを描いたのは、元漫画家志望の青年」


「元...」


美久は、絵を見つめた。


上手い。


プロレベルの技術。


でも、どこか違和感がある。


人間の手で描いたにしては、線が独特。


猫の前足で描いたような...


「今は、あちらで昼寝をしているわ」


少女が窓の外を示す。


美久は、立ち上がって窓際へ。


2メートルの距離を保ちながら。


外を見ると、屋根の上で一匹の猫が気持ちよさそうに寝ていた。


トラ猫。


お腹を上に向けて、完全にリラックスしている。


春の陽だまりの中で、幸せそうな寝顔。


「彼は、締切に追われる日々に疲れ果てていた」


黒猫が続ける。


「編集者からの電話」


「売れない焦り」


「生活費の不安」


「そして、ある日限界が来た」


「気づいたら、この町にいた」


美久は、寝ている猫を見つめた。


確かに、ストレスフリーな表情をしている。


人間の時には、きっとなかった表情。


「でも今は、好きな時に寝て、好きな時に起きる」


「絵も、描きたい時だけ描く」


「誰に評価されなくても、いい」


「...幸せそう」


美久が呟いた。


本心から。


「ええ、とても」


少女の声には、確信があった。

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