第56話 旅館の内部
玄関は意外にも綺麗に保たれていた。
石畳は磨かれ、下駄箱は整頓されている。
正面には、生け花。
季節の花が、美しく活けられている。
桜と菜の花。
春の訪れを告げる花々。
誰かが、大切に管理している証拠。
「祢古屋」のロビーで、美久は宿帳を見つけた。
「わぁ、ちゃんと宿帳がある!」
嬉しそうにページをめくる。古い記録が並んでいる。昭和の時代の、達筆な文字たち。
「じゃあ、私も書いておこう」
最新のページに、持っていた蛍光ペンで丁寧に記入する。
『2024年3月23日 相沢美久 猫カフェ巡りで訪問♪ 素敵な町です!みんな優しい(=^・^=)』
猫の顔文字まで描いて、満足そうに筆を置く。
「これで私も、この町の歴史の一部だね」
子猫が、宿帳を覗き込む。『お姉ちゃん、字がきれい』
「えへへ、ありがとう」
ただ、前のページに目をやると、少し気になる記述があった。インクがまだ新しいような...
『旅人』としか書かれていない。備考欄に、震える字で何か書きかけて、途中で止まっている。
「旅人さん...どうしたのかな」
でも、深く考えずにページを閉じた。きっと、ペンのインクが切れたんだろう。
記帳を終えて美久は廊下を歩く。
長い廊下。
両側に部屋が並んでいる。
ギシギシと床板が軋む。
古い建物特有の音。
でも、不快ではない。
むしろ、温かみのある音。
すれ違う存在たち。
完全な猫。
半分猫の人間。
ほぼ人間の姿。
みんな、美久を見て驚いた顔をする。
目を見開き、耳を立て、髭をピクピクさせる。
でも、誰も近づかない。
相変わらずの2メートル。
生きた廊下。
美久が通ると、みんなが壁際に避ける。
まるで、疫病神が通るかのように。




