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第55話 祢古屋旅館
「祢古屋」という看板は、老舗の風格を漂わせていた。
立派な木造建築。
黒い瓦屋根が、夕日を反射している。
三階建ての堂々とした造り。
でも、やはり時が止まったような佇まい。
壁の漆喰は所々剥がれ、木材は色褪せている。
それでも、崩れかけの他の建物とは違う。
誰かが、大切に管理している。
手入れが行き届いている。
「ここが...」
美久の声は、もう期待を含んでいなかった。
ただの確認。
「ああ。覚悟はいいか?」
黒猫の問いに、美久は弱々しく頷いた。
もう、覚悟も何もない。
ただ、流されるだけ。
波に揉まれる木の葉のように。
旅館の玄関は、重厚な造りだった。
格子戸の向こうに、薄明かりが見える。
黒猫が前足で戸を叩く。
コンコン。
人間のようなノックの仕方。
「どうぞ」
中から、若い女性の声。
戸が内側から開く。




