第六世界 【賭博の世界】 後
ばしゃりと、符正の足が汚泥を蹴り上げる音が響く。
「無事生き返ったのはよかったんですが……ここ、どこでしょうね」
「ゴミ捨て場……といったところか?」
全身を血で染め上げたサジェースタが同じく全身血塗れの符正を見やりながら自分の顔の血を拭う。ゴルドルとのゲームの中で針天井に圧し潰されたふたりだったが──遊園地の世界で首を切り落とされても死ななかった符正の例の通り、ふたりは死なずに済んだようだ。受けた傷が大きすぎたのがいけなかったのか意識は失ってしまったようだが。
「草原の世界みたいですね~。臭い……」
ふたりは大量のゴミに囲まれた状況で意識を取り戻していた。右を見ても左を見ても下を見てもゴミしかなく、上は見えない。天井が高すぎるのか、闇しか見えない。壁があることから室内であることは間違いないようだが、出口らしきものは見当たらない。
「死体をここに捨てたのだろうな。あの男はもしかしたら死なないということを知らぬのかもしれん」
「まあ、好き好んで死んでみようだなんて思わないでしょうしね……」
符正はそう言いながら出口を探すべく歩き出した。それを追ってサジェースタも歩き出す。死んだ反動か、体に疲労感とは違う、何かが足りないような──空腹感のような空虚感とだるさがあったがそれを押し殺して符正を追った。符正はさすがに慣れているのか、同じような空虚感を感じているだろうに顔色一つ変えていない。
「相当広いですね。地下かな……」
「だめだな。完全にるつぼ状になっている。ただゴミを上から落として貯めておく場所のようだな……」
食べ残しや使い切った消耗品、壊れた機械に必要のなくなった家具──ありとあらゆるゴミが分別されることなく無造作に溜められているここはサジェースタの言った通りるつぼ状になっていて、ゴミ捨て場であると同時にゴミ処理場にもなっている。耐熱壁には複数の穴があり、そこから千℃を超える高温の炎が射出され、燃焼される仕組みになっているのだが──当然、サジェースタたちがそれを知る由もない。
「下に穴があって、ぱかっと空いてゴミと一緒に流れ出るとかないですかねえ」
そう言いながらざっくざっくとゴミを掘り始めた符正にサジェースタは肩を竦める。
「ユートピアカジノリゾートの構造を見るに──さらに下がある可能性は薄そうだ。ゴミ処理に特化した建造物は見られなかったからな……完全に地下なのだろうと思う」
「ゴミをぽいぽい上から捨てておしまい、みたいな。よろしくないところですねぇ」
掘るのをあっさりと諦めた符正は腰に手を当てて上を仰ぎ、うぅんと唸った。
「よし、登りましょう」
「は?」
素っ頓狂な声を上げるサジェースタに構わず符正はゴミを見回しておそらくは富豪が捨てたのであろう服の山からベルトやストールといった紐状のものを掻き集める。
「登るって──上、見えんぞ」
「見えませんねぇ。でも出口って上にしかなさそうですし。あ、サジェ様はわたしが背負っていきますんで」
「──……自分で登れると言えないのが情けないところだ」
「知ってますよ」
けらけらと楽しそうに笑う符正にサジェースタは本気であることを気取り、諦めたようにため息を吐いた。
それから符正がサジェースタをおぶり、その体をストールやベルトで離れぬようしっかり固定する。自分よりも小さな女性におぶさるという男としては些かプライドに傷がつく格好にサジェースタは頭を抱えたくなったが、こんなことはこの半年間で何回もあったため──開き直ることにした。
「符正と比べるのが間違いなのだ。ああ、間違いだとも──私は人間なのだからな」
「何か失礼なこと言われている気がするんですけど」
「気のせいだ」
無理するな、と符正の頭を撫ぜてからその肩にしっかりと体重を掛け、符正がバランスを取りやすいようにする。百八十を超える大の男を背負っているというのに重そうに腰を折り曲げる仕草さえしない符正の堂々たる姿にはもはや人外であることを疑うべきなのかもしれない。
「では行きますよ」
「私とて少しならぶら下がれるくらいの力はある。お前に従うから、私に掴まってほしい箇所があれば言え」
「分かりました!」
その元気のいい声を合図に、符正はゴミ捨て場の壁に手を掛けて登り始めた。炎を射出するための穴や耐熱壁の継ぎ目に器用に指を掛けてするすると登っていくその様はどこぞの映画に出てくる蜘蛛の力を持った男のようだ。
「! 上から何か──」
登り始めて十分ほどしたころ、闇しか見えぬ上から何かが降ってくることに気付いてサジェースタは視線を巡らす。それは食べ残しであろうゴミであった。
「やはり上から捨てられているようだ」
「きったないですねー。くっさいですし……早く出たいですね」
符正はそう言いながら手を次のポイントに掛け、継ぎ目に引っ掛けた足に力を込めて体を持ち上げる。フー、と符正の唇から疲れを帯びた息が漏れるがそれ以上の弱音を吐こうとはしなかった。サジェースタは大丈夫かと声を掛けたがったが、掛けたとして自分に何かができるわけでもないためぐっと堪える。
──それからさらに三十分ほどが過ぎ、ゴミの山がかなり下方に見えるようになってきた頃のことであった。何回目か分からぬゴミの落下にサジェースタが視線を向けたその時、微かにごうごうと機械が稼働するような音が聞こえてくる。符正も壁に振動を感じ、顔色を変えてサジェースタにしっかり掴まるよう叫んでそれまでの丁寧なクライミングとはおよそかけ離れた乱雑な手つきで壁を駆け登った。
壁に空いていた穴は十分ほど前に壁から消え、継ぎ目しかなくなっていたために登りにくくなっていたが──それでも符正はそれまで温存していた腕の力を振るい、腕だけでただただ乱暴に登る。符正の指先に滲んだ血のせいで滑りそうなのを呪いつつ、符正は必死に登った。
──その、刹那であった。
「──、うお、ぉっ!!」
ゴオッとゴミ捨て場の中に空気の渦が生まれ、符正とサジェースタの体に風が横凪ぎに吹きつけてきたのと同時に、空気を焼き尽くす灼熱の炎がるつぼの底を覆った。
地獄の業火とも見紛うほどの紅蓮にゴミ捨て場が照らされ、灼熱の地獄を具現化したような熱気にゴミ捨て場が満たされる。直接火炎放射を浴びていないというのに服が焼け焦げ、皮膚が焼け爛れ、肺どころか内臓の全てを焼き尽くさんと灼熱が容赦なく襲い掛かってくる。
「──アアアアァアアァ!!」
じゅうう、と符正の指が焼ける。
下方で行われた焼却処理によって壁が熱されてしまったのだ。サジェースタが即座にその口を塞ぎ、灼熱の空気を吸い込まぬようにする。口を開けば内臓を焼かれてしまう。サジェースタは一か八か、と符正が手を掛けている継ぎ目に手を掛けて焼かれるのも構わずしっかりと掴み、符正の体を壁から引き剥がした。
「ウぐっ……!」
ずしりと腕に自分と符正の体重が掛かり、みしみしと悲鳴を上げる。けれどそれでもサジェースタは離すことなく必死に耐え、焼却処理が終わるのを待った。
──焼却処理は時間にすればおそらく数分程度であっただろう。けれどサジェースタには数時間にも思えるほど、長かった。
「──サジェ様。もう終わったようです」
「──そうか」
余熱が未だ壁にも空気にもこびり付いているものの、焼却時に比べると随分とマシになったそこで符正はサジェースタと交代するべく手を壁に伸ばし、それを見届けてからもう限界であったらしいサジェースタはくたりと符正の肩口に体重を預ける。
「すまん……!」
「いいえ。助かりました」
サジェースタが一時的に代わってくれたおかげで少し余裕を取り戻したらしい符正は指先の痛みに構うことなく再び登り始める。焼却はおそらくゴミが溜まり切るまでは行われないだろうと推測されるためしばらくは安全である。
──それからさらに一時間と少しが経過し、下方がすっかり闇に包まれて見えなくなってしまった時、変化のなかった上方に変化が見えた。
「あれは……紙?」
壁の継ぎ目に紙らしきものが引っ掛かっており、静かに靡いていたのだ。ただのゴミかと思いつつも符正はなんとなしにその紙を手に取ってみる。
そして、符正の顔が驚きに染まった。
「これは──……サジェ様」
「ん?」
符正から紙を差し出されたサジェースタは何気ない調子でそれを見やり、固まった。
それは、手紙であった。
宛名には──“ゴルドルお兄ちゃんへ”。
質の悪い紙に質の悪いインクで書いたのか、文字は掠れていてところどころ──滲んでいた。サジェースタは無言で手紙を開き、再び登り始めた符正の耳元で静かにそれを読み上げる。
「──……ゴルドルお兄ちゃんへ。元気ですか? お兄ちゃんが体を壊していないか、わたしもお母さんも心配です。お兄ちゃんはすぐ無理をするから。お兄ちゃん、わたしとお母さんを買い戻すために頑張っているんでしょ? お店の人がね、言っていたの。ありがとうお兄ちゃん。お兄ちゃんはやっぱり、わたしを助けようとしてくれるって信じてた。世界一のお兄ちゃんだもん。わたしの大好きな、お兄ちゃん。でもごめんなさい。わたし、もうだめみたい。お母さんはおととい、遠いところに行っちゃった。わたしももう、行くと思う。ごめんなさいお兄ちゃん。お兄ちゃんは助けようとしてくれているのに──」
そこで言葉を切り、サジェースタは沈黙する。
それまで静かに聞いていた符正は続きを催促することなくサジェースタに問うた。
「……差出人は?」
「ルディ・ユートピア」
その一言で、充分であった。
それからふたりは言葉を交わすことなく無言で壁登りに勤しみ──やがて終わりに辿り着いた。
壁から人間が通れるほどの大きさのあるパイプがいくつもせり出している。上で捨てたゴミがここから流れ落ちてくるのだろう。
「あそこを通れば上に戻れるはずだ」
「よし、ひと踏ん張りですね! ──しっかり掴まっていてください」
ゴールが見えてきたことで符正の口元に笑みが浮かび、登る速度に拍車がかかった。
そうしてパイプに辿り着いたふたりは体を固定していたベルトを解き、壁に体を突っ張ってゴミの流れ込んでくるパイプの中を登っていく。先行して登っていたサジェースタがゴミをもろに浴びて落ちかけては下にいた符正が受け止めつつ、ようやく──光の下へ這いずり出ることができたのであった。
「っっぷはぁあ~~~~!!」
「ゲホッ……うぇっほ……ああ、空気がうまい……」
厨房と思しき場所に這い出たふたりはまず、空気を大きく吸い込んで肺の中を入れ替える。厨房にいたコックたちの視線が突き刺さるのも構わずふたりは久々の美味しい空気に耽る。
「よし、ぶっ飛ばしに行きましょう」
「ああ」
休憩を挟みたいはずだろうにふたりは互いに分かっているかのようにそれを許すことなく、己を奮い立たせて歩き出した。コックや使用人たちの戸惑ったような視線は全て無視して厨房を出てゴルドル・ユートピアのいるであろう最上階を目指す。
汚物塗れのふたりに客が悲鳴を上げて逃げ惑い、ガードマンがふたりを取り押さえようとやってくるが符正がそれらを薙ぎ払っていく。銃を取り出された際にはさすがにまた死んで捨てられては敵わないと逃げたが。
そしてエントランスホールに戻ってきたふたりはそこにいた紅蓮のドレスを着た女性にゴルドル・ユートピアのところまで連れて行くよう迫る。当然の如く拒絶されたが、符正は据わった目で女性の首に手を掛けた。
「黙れ。わたしはあれを否定する」
邪魔はさせない。
そう言い切る符正に女性は怯えたような顔をする。いつもならば乱暴な符正を止めるサジェースタだが、この時ばかりは止めず見守っていた。
──ゴアンナイイタシマス
主人への忠誠心よりも恐怖の方が勝ったのか、女性は消え入るような声でそう言った。符正に解放された女性は恐怖に体を強張らせながらもサジェースタと符正をエレベーターホールへ案内し、最上階まで直通のエレベーターに乗せる。
◆◇◆
ゴルドル・ユートピアは憂鬱であった。
どんなに酒に呑まれようと、どんなに女に囲まれようと、どんなに金に溺れようと──頭から離れることがなかった。
躊躇いのない、まっすぐな目で──後悔のない、ひたむきな笑顔で──“妹”と、“娘”と言い切り互いを殺したあのふたりの姿が。
ただ自分のパートナーよりも家族の方が大切であったと、そういう単純な事実から起きたのではない。あのふたりは確固たる意志でもつて、悠然たる信念でもつて──共に死ぬことを選んだのだ。互いがパートナーよりも家族を選ぶことを確信した上で、共に死ぬ選択をした。ただそれだけなのだ。
信頼とは裏切り。信用とは損切り。友情とは豚切り。愛情とは見切り。
利用するからこそ仲間。使用するからこそ友達。活用するからこそ恋人。運用するからこそ家族。
利用価値がなければ捨てる。使用権限がなければ終わる。活用場所がなければ変える。運用資金がなければ崩れる。
此の世の全ては、利害関係から成っている。
それが──ゴルドルの信条であった。誰も信じることなどできるはずがない。この世の全ては欲望の上に成り立った、虚栄でしかない。誰もが欲望のためならば容易く裏切る。
それはあのふたりも同じであったはずなのだ。あのふたりは家族を助けたいという欲からパートナーを裏切った。そのはずなのに──ふたりは、互いを信じ切っている表情をして死んだ。相手が家族よりも自分を殺す選択肢をしたことに恨みも怒りも悲しみも、驚きさえも抱くことなく──笑って死んでいったのだ。
ゴルドルは顔を覆って歯を食い縛る。
あのふたりの笑顔が、頭から離れない。
「歯ァ食い縛れ!!」
「は?」
何の前触れもなく突然耳に入ってきた怒声にゴルドルが驚く暇もなく──ゴルドルの頬に、拳がめり込んだ。
ゴッと痛々しい音が響き、ゴルドルの体がきりきり舞いしながら宙を飛んで壁にまたもや痛々しい音を立てながら激突する。脳が揺さぶられて一瞬意識を失いかけ、けれど失うまいと踏ん張ってゴルドルは血を吐く。唇どころか口内をずたずたにされたようだ。
「ああ、すっきり」
「──……まあ、手加減はしてたようだしよしとしよう」
「手加減なしだったら首吹っ飛んでますよ」
「お前はもう人間を名乗るな」
もう聞くことのないはずの声にゴルドルは驚き、視線を上げる。黄金で彩られた自室──その中央にサジェースタ・サン・ジャスティトと日向符正が立っていた。──汚物塗れで。
「なっ……何故ここにいる!? 貴様らは死んだはずじゃ……!」
「ああ、やはり知らなかったのだな。私たちはこの世界では死なない体なのだ。傷付きはするし意識を失いもするが、傷は再生する」
「な……」
「よっくもゴミ捨て場に捨ててくれちゃって。お陰で登るの大変だったんだから」
「登っ……!?」
驚くばかりで何も考えることのできないゴルドルに符正は冷めた視線を向ける。
「信頼とは裏切り。信用とは損切り。友情とは豚切り。愛情とは見切り。利用するからこそ仲間。使用するからこそ友達。活用するからこそ恋人。運用するからこそ家族。利用価値がなければ捨てる。使用権限がなければ終わる。活用場所がなければ変える。運用資金がなければ崩れる。此の世の全ては、利害関係から成っている──だったけ?」
「……!」
「それは否定しない。でも、お前を否定する」
ゴルドルの信条は否定しない。
けれどゴルドル自身は否定する。
そう口にした符正にゴルドルは表情を変え、あの冷徹で人を見下し切った顔に戻る。口元の血を拭いながらゆっくりと立ち上がったゴルドルは侮蔑するように符正を見下ろした。
「ここまで辿り着いたことは褒めよう、キング──レディー。まさか生きていて、かつあそこを登ってくるとは恐れ入ったよ」
だが、とゴルドルは嘲る。
「死なないという事実を知っていたからこそ──あの選択ができたのだな。通りで迷いがないわけだ」
自分が目の当たりにしたふたりの信頼関係、それが結局は空虚なものであることに安心したかのようにゴルドルは嗤う。
「選択? ──妹を選んだこと? そりゃ、こんなおっさんよりも妹選ぶでしょフツー」
「世界一可愛いうちの娘を人外ゴリラと天秤にかけてたまるか」
「ぶっ飛ばしますよ」
「お前こそおっさん言うな」
敵の前だというのにいつものようにコントを繰り広げるふたりにゴルドルは馬鹿にしたような、冷めきった表情を浮かべる。
「茶番だな。所詮、お前たちも互いを利用し合っているに過ぎない」
「それはそうだろう。どんな人間関係にも利害関係は生ずるさ。こいつは単純馬鹿で猪突猛進の単純馬鹿だが怪力と体力は人外じみているからそこは利用させてもらっている」
「単純馬鹿って二回言った」
「戦闘脳な上に単細胞だからこいつのせいで危険に曝されることも一度や二度ではなかった。だがそれを踏まえても単純馬鹿なこいつと一緒にいる価値はある」
「三回目」
「逆にこいつは弱い私を守らざるを得ないデメリットを背負うことになるわけだが、単純馬鹿だから頭脳労働役、“歪み”を正す方法を考える役として私を傍に置いているわけだ。単純馬鹿だから」
「いい加減ぶっ飛ばしますよ」
「だが、それでいいのだ」
私たちはそれでいいのだ。
そう言って微笑むサジェースタにゴルドルは理解し難いという顔をした。
「利害関係から成り立っている関係で、そもそも信頼は存在しない──そういうことかな?」
「知るか、それはお前が決めろ」
サジェースタはそう言って──符正の肩を抱き、その顔に頬を擦りつけた。それは符正のことを心の底から大切に想っているという意思表示にも見えてゴルドルは不快そうに眉を顰める。
「私は符正を利用しているし、信じている。そして符正も私を利用しているし、信じている──私たちは自分たちを勝手にそう考えているが、お前がどう考えるかはお前の勝手だ」
他人にどうこう言われようと私たちは変わらない。
「人の想いを定義付けることなぞ──できはしない」
「……!」
人に手を差し伸べることを親切と称する人間もいれば偽善と捉える人間もいる。
大切な存在に尽くすことを愛情と定める人間もいれば依存と決める人間もいる。
所詮、人の想いなぞ虚栄でしかないのだ。形として見えぬ、定まった色にもならぬ虚ろなモノ。だからこそ定義付けることなどできないのだ。人の想いが何であるのか、それを決めるのは──自分自身だ。
「お前とて、別に誰も信じないというわけではなかったのだろう?」
サジェースタはそう言って懐からあの手紙を取り出し、ゴルドルに向けて投げた。それはひらりひらりと舞い、ゴルドルの足元に落ちる。何かと視線を落としたゴルドルの目が驚愕に染まるのにそう時間はかからなかった。
「何故これを──」
「ゴミ捨て場にあった」
「ばかな……この世界にあるはずが」
茫然としたようなその声は震えていて、顔色も目に見えて蒼白になっていた。もう二度と見たくないものを目の当たりにしているような、思い出したくもない恐怖に襲われているような──そんな怯えようである。
「妹がいたのだな」
「う……あ……」
「その妹は──お前にとって、利害関係の上から成り立つ存在だったのか?」
「──……!!」
ぎゅ、とゴルドルの目が強く瞑られる。何かを恐れるように。何かに怯えるように。何かから目を逸らすように。何かから逃げ回るように──目を瞑って両手で顔を覆い蹲り、呻き出したゴルドルに符正はつかつかと歩み寄っていく。
「逃げんな馬鹿!」
べしんっと、ゴルドルの頭がはたかれる。
「何があったのかは知らないけど──妹の言葉から目を逸らすな! 同じく妹がいる姉として言わせてもらう! 妹の言葉、それ即ち神託なり!」
「何言っとるんだお前は」
「あんたが生きていた時この手紙をどうしていたのか知らないけど──妹が心を込めて書いた手紙がゴミ捨て場に行っちゃうような無様な死に様晒すな!」
その言葉にゴルドルは泣きそうな、痛みを押し殺すような顔になった。
父と、母と、妹。
かつて──ゴルドル・ユートピアは何処にでもいる平凡な家庭の息子であった。優しい両親に可愛い妹。不満などあるはずがなかった。それが変わったのはいつのことだったか。
女に溺れて不倫に走り、金欲しさに借金を作り、父が荒れるようになったのはいつの頃からだっただろうか。金を作るために母と妹を売り払ってしまった父を殴ったのは──いつだったろうか。
どんなに好きでも。
どんなに幸せでも。
そこにひとしずくの欲望が落ちれば人間は容易く歪んでしまう。それまで大切にしていたものをあっさりと手放してしまう。人間とは、虚栄で塗り固められた存在でしかないと絶望したのは、いつの日だっただろうか。
「う、あ」
ぼろりと、涙が零れ落ちる。
それまで直面してこなかった現実が──ようやく、目の前に圧し掛かってきた。
妹の死という、現実が。
「……ちゃんと読みなよ、それ。わたしとサジェ様はあんたんとこのお風呂借りるからさぁ~」
もうその手紙がゴミ捨て場に行くようなことにはならないでよ。
そう言ってゴルドルに背を向けた符正にサジェースタは微笑み、符正の手を取ってゴルドルの自室に備え付けられている浴室へと消えて行った。
ゴルドルは──ただただ、涙を流す。
ゴルドルお兄ちゃんへ。
元気ですか?
お兄ちゃんが体を壊していないか、わたしもお母さんも心配です。お兄ちゃんはすぐ無理をするから。
お兄ちゃん、わたしとお母さんを買い戻すために頑張っているんでしょ?
お店の人がね、言っていたの。ありがとうお兄ちゃん。お兄ちゃんはやっぱり、わたしを助けようとしてくれるって信じてた。世界一のお兄ちゃんだもん。わたしの大好きな、お兄ちゃん。
でもごめんなさい。わたし、もうだめみたい。お母さんはおととい、遠いところに行っちゃった。わたしももう、行くと思う。ごめんなさいお兄ちゃん。お兄ちゃんは助けようとしてくれているのに、ちゃんと助けてもらうことができなくてごめんなさい。
お兄ちゃんのみんなを楽しませるスーパースターになるっていう夢、お兄ちゃんならきっと叶えることができると思う。だってわたしのお兄ちゃんだもの。わたしはお兄ちゃんと一緒にいるだけですごく楽しくて、すごく幸せだった。だからお兄ちゃんならきっときっと、みんなを楽しませて幸せにできるスーパースターになれると思うの! お兄ちゃん、いっぱいいっぱいきらきら輝いて、お星さまになるわたしよりももっともっときらきら光って、わたしがまぶしくてびっくりしちゃうくらいきんきらりんになってみんなを幸せにしてね。
大好き。幸せだったよ。ありがとう。大好き。
どうか、泣かないで。
ルディ・ユートピアより。
【虚栄】




