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歪─ふせい─   作者: 椿 冬華
本編
12/30

第六世界 【賭博の世界】 前

第六世界 【賭博の世界】


「カジノ──ですよね?」

「ああ。それも世界最大のカジノ、ユートピアだ」


 目前に聳え立つのは、金糸雀色の満月が霞むほどに爛々と輝く巨大な建造物。サジェースタによれば世界最大のカジノと称される“ユートピア・カジノリゾート”であるらしい。上空から見れば三日月形をしているリゾートビルで、中には数百を超える世界に名立たるブランドショップが並ぶショッピングエリアや遊泳、球技などが楽しめるスポーツエリアなどがあるという。隣にはオペラを鑑賞することのできる大ホールも併設されていて、カジノの正当なる客であればそれらを全て利用できるらしい。


「カジノ王ゴルドル・ユートピアがオーナーを務めている」

「ゴルドル・ユートピア──“財力の世界”の代表者!」


 ふたりきりでの旅が長く続いたためにすっかり存在感が薄れてしまっていたが、この世界に選られたのはふたりだけではないのだ。あとふたり──ゴルドル・ユートピアとニコラウス・デスピアがいるはずなのである。


「行ったことはないがな……国内のカジノならば視察で赴いたことはあるが、そもそもギャンブルはあまり嗜まん……」

「わたしはそもそもギャンブル嫌いですね~……と、いいますか……ゴルドル・ユートピアがここにいるっていうことですかね?」

「……その可能性はある」


 歪みを正す旅に選られた四人。

 歪みの旅に出た二人と、行方の知れぬ二人。


「ここにいるとして、ここで何をしているのかは知らんがな……」

「浄化……されているとも思えませんしね」


 ユートピアカジノリゾートは元々アメリカ合衆国フロリダ州マイアミに位置していて、裕福層の住まう高級住宅街と貧民層の住まうスラム街とがせめぎ合うように存在している場所であった。それをそっくりそのまま写し取ったかのようにユートピアカジノリゾートから離れるにつれて町並みが汚れていき、住まう人々の質も低下していっていた。

 サジェースタや符正が青い壁を乗り越えてこの世界に来た時、最初に歩いたのはスラム街であった。貧民がゴミを漁り、犯罪を犯し、明日の生死さえ定かではない暮らしをしているスラム街を進んでいけば次第に中流家庭の住まう住宅街に切り替わっていき、それが高級住宅街へと昇華され──そしてユートピアカジノリゾートに辿り着いたというわけである。


「ゴルドル・ユートピアに会ったことはあるのですか?」

「ない」

「当然ですがわたしもないです。とんでもない金持ちとしか知らないですし……」

「あまりいい噂は聞かんな」


 サジェースタによればゴルドル・ユートピアは金以外信用しないことで知られているのだという。金のためならば何でもするし、金で犯罪を揉み隠して好き放題しているとも言われているようだ。お約束のような悪代官だなあ、と符正は思いながらユートピアカジノリゾートを見上げる。


「アメリカ政府さえも金で掌握下に置いているとも言われている。まあ噂でしかないがな……」

「気が進みませんけど……行ってみるしかないですね、やっぱり」


 その言葉にサジェースタは頷き、符正の手を引いてユートピアカジノリゾートへと赴いた。敷地内に入るにあたってセキュリティゲートを潜り抜けなければならない箇所があったが、ふたりは難なくそれを通過してガードマンたちの無言の視線を浴びながら表玄関へと向かう。


 道中、ユートピアカジノリゾートの美しい景観を反射して水面に輝きをもたらしている噴水広場を通ったが──綺麗だという感想はあまり抱けなかった。


「豪華すぎて胃が痛くなってきました」

「私もだ」

「王様のくせに」

「小国の王なぞお前とさして変わらん生活じゃ。──宮殿もこんなに豪奢ではないしなあ」

「おお、エリモルディア宮殿ですね? 王都エリモルディアの象徴、王が住まう宮殿!」

「よく知ってるな」

「行ってみたいと思ってましたしね。あ~、サラルティア様がご健在でいらっしゃる時に無理にでもエリモス王国に行けばよかったなあ~」


 自分たちにはあまりにも似つかわしくない、不釣り合いに豪奢すぎるユートピアカジノリゾートの放つ威圧感に圧されているのをふたりは取り留めもない会話で誤魔化していた。

 けれどいくら誤魔化していてもいざユートピアカジノリゾートの表玄関に足を踏み入れれば、否が応でも格差に圧倒されざるを得なくなる。

 黄金を基本色にしているのか、床から壁、天井に装飾物とありとあらゆるものが黄金で彩られていた。エントランスホールの天井から吊り下がっている巨大なシャンデリアはホール中の黄金の輝きを反射して眩く煌めいていてとてもじゃないが直視できない。


「うあ……」

「…………」


 言葉を失っているふたりにひとりの、紅蓮のマーメイドドレスを身に纏った艶やかな女性が近付く。


 ──ヨウコソオイデクダサイマシタ


 とろりと零れ落ちるような、けれどすぐ融けて記憶の中から消えてしまいそうな──美しいけれどとても不安定な声で女性は礼を取る。

 同時に、頭上からスピーカーを通した人の声が響いた。

 それは、この世界に来てからサジェースタと符正以外で初めて聞く──生きている声だった。


『ようこそ、我がユートピアカジノへ』

「!」

「……!」


 サジェースタ以外の。

 符正以外の。

 この世界において“生きている”声を聞いたことにふたりは衝撃を受け、目を見開く。けれどそんなふたりには構わず声の主は言葉を続けた。


『初めまして、私はゴルドル・ユートピア──このカジノのオーナーをしている。君たちの来訪、心より歓迎しよう──キング・サジェースタ・サン・ジャスティト。レディー・日向符正』

「……! ゴルドル・ユートピア……」


 歪みを正す旅に選られた四人の代表者のひとり、“財力の世界”の代表者──ゴルドル・ユートピア。やはりこの世界にいたようだ。


『歓迎と親交の証としてパーティーに招待したいところなのだが、その前にひと汗流しては如何かな? 失礼ではあるが──このカジノのドレスコードは厳しくてね。本来ならばセキュリティゲートで止めるところだが、今回は特別にささやかなくつろぎのひと時と君たちに似合う服をプレゼントしよう』

「…………ごはんは?」

「おい、符正」

『もちろん食事も用意しよう──ゆっくりしたらまたここに来るといい。素晴らしいパーティーへ招待しよう』


 とても素晴らしいパーティーにね、という言葉と共に含むような笑い声がして──スピーカーの音声が切れる。

 同時に紅蓮のドレスを着た女性がご案内いたします、とふたりを促して奥へと誘ってくれた。ふたりは特に逆らうこともせず、様子見も含んで流れに身を任せることにする。──いや、符正はごはんに釣られているかもしれない。


 ──サジェースタサマハアチラヘ

 ──フセイサマハコチラヘ


 女性に促されるまま、ふたりは別々の部屋へと入っていく。おそらくはカジノリゾート利用客用の休憩室といったところであろう。サジェースタが入って行った部屋の中には男性の使用人が数人待ち構えていて、浴室へと案内してくれた。符正をひとりにして大丈夫かという不安を抱きつつもサジェースタは身綺麗にすべく使用人たちにひとりで入ると断ってから浴室へと入る。


 ◆◇◆


 一時間ほどが経過した頃だろうか。


「サジェ様~」


 ユートピアカジノリゾートのエントランスホールで符正を待っていたサジェースタに呑気な声が掛かってくる。

 やっと来たか、と視線をそちらに向けたサジェースタはぱちくりと目を丸くした。


「符正──……随分と印象が変わったな」


 髪を丁寧に纏め上げてワックスで固め、漆黒のタキシードに身を包んでナイスミドルと化したサジェースタは戻ってきた符正に優雅な足取りで歩み寄り、その腰を抱き寄せた。


「サーモンマリネおいしかったです」

「……色気より食い気か。分かってたが」


 サジェースタはため息を吐きつつ、濡羽色の髪と同じハイネックノースリーブのくるぶしまであるフレアドレスを身に付けている符正を見下ろす。まっすぐ切り揃えられている前髪はそのままに、ひと房ふた房だけ残して全ての髪をサイドで纏め上げられている符正のすっきりとしたうなじが見えて、ほんの少しだけ触れたい気分に駆られる。──いや、ほんの少しどころじゃないかもしれないが。


「さて、行くとしようか。上のカジノエリアに行けばいいそうだ」


 符正の腰を抱いたまま歩き出したサジェースタに従い、エントランスホールの奥からエスカレーターに乗り込んだ。スパイラルエスカレーターと呼ぶそれは螺旋状に壁を走っていて、エントランスホールの景観を楽しみながら上階へ上がれる仕組みとなっていた。


 そうして終わりがやってきてエスカレーターから降りれば、先程案内してくれた紅蓮のドレスを着た女性が美しいお辞儀と共に迎えてくれる。その女性について赤くふわふわとした絨毯の上を歩いて行けばやがてユートピアカジノリゾートの中心地であるカジノエリアへ通じる扉に辿り着いた。宝石を無防備に、かつ贅沢に装飾に使っている扉からは何人たりとも不届きな真似をさせはしないという絶対的な自信が窺える。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

「何が出てきてもぶっ飛ばします!」

「その戦闘脳どうにかしろ」

「だめな時はサジェ様止めてくれますでしょ?」

「……まあな」


 その返事に符正はにっこりと笑い、サジェースタは呆れたように鼻を鳴らす。

 扉の脇に控えていたドアマンが扉を開いてくれるのを待ち、そうしてふたりはユートピアカジノリゾートの中枢へと足を踏み入れた。

 まず耳に入ってきたのはアップテンポの音楽に混じって軽快に鳴るさいころの音であった。じゃらじゃらと小気味よく振られたさいころがテーブルに転がり、ライトがそこに集中する。その隣のテーブルではカードゲームが行われているのか、ディーラーがカードを魔術師のように捌いているのが見える。スロットエリアもあるようでコインがぶつかり合う音も音楽に乗って響いてきた。カウンターバーではバーテンダーがカクテルを作っていて、奥に見える舞台ではピアニストによる演奏が行われている。

 誰もがテンション高くゲームを楽しんでいて、煌びやかな笑顔を浮かべていた。だがサジェースタと符正のふたりはそのテンションについていけず入り口で茫然としてしまう。

 ──その瞬間、カジノエリアのライトが全て消えた。同時にそれまで流れていた音楽が止み、代わりにドラムやギター、ベースなどの軽快にリズムを刻む音がじゃかじゃかとエリア中に響き始める。そして──


「Money is mightier than the swoed !!」


 その高らかな声と同時に、舞台がライトアップされた。


「ようこそ、ユートピアカジノへ!!」


 そこに立っていたのは他の人間たちとは明らかに違う、サジェースタや符正と同じ──生きている人間。死んでいるが、生きている人間。

 百九十を超えているであろう長身におそらくは何百万もするのであろう漆黒のスーツを纏い、緋色のストールを首から垂らしているその男性は渋くもとても整った顔をしていて、そしてとても底冷えする笑顔を浮かべていた。後ろでひと纏めにされているプラチナブロンドの長髪やほのかに赤みのかかった白い肌によく映える夕焼けのような赤橙色の虹彩がその男性の美しさを引き立てていて、同じ男でも思わず見惚れてしまうほどだとサジェースタは思った。──隣の符正は相変わらずの何を考えているのかよく分からない表情であったが。──ちなみに、符正は男の両手指全てに黄金に輝く指輪が嵌められていることに対し、邪魔そうだなどとどうでもいいことを考えていた。


「ゴルドル・ユートピア──だな?」

「イエス。改めて初めまして、ゴルドル・ユートピアと言う──歓迎しよう。キング、レディー」

「あなたぶっ飛ばせばここの“歪み”解決?」


 べしんっ、と小気味よい音がその場に響く。


「ハハハ! 私を倒せばか──どうだろうな? 試してみるかい?」

「いいの?」

「いいとも。ただし──“ゲーム”に勝てたら、の話だ」


 男性──ゴルドルはにいぃ、と口を吊り上げて挑発するように笑った。


「ゲーム?」

「そう。ここユートピアカジノリゾートでは私、ゴルドル・ユートピアへの挑戦権を得るためのゲームが存在する。ちなみに生前は“ゴルドル・ユートピアにポーカーで勝利すれば一億カジノドルを無条件付与”という勝負への挑戦権だったが──今回は“ゴルドル・ユートピアを倒す権利”にしようか」


 ゴルドルはそう言うとぱちんと指を鳴らし、舞台に巨大なスクリーンを下ろさせてそこに映像を映し出させた。スクリーンに映し出されたのはユートピアカジノリゾートの中枢、カジノエリアから上の層の簡易な地図であった。


「このゲームは本来、誰でも参加できるわけではない──数ヶ月に一回程度しか行われない超スリリングなゲームでね、客にも人気なのさ」

「……それで、あなたを倒す権利を得るためにわたしたちは何をすればいいの?」

「簡単さ。カジノエリアの奥にある階段から最上階の私の部屋まで辿り着けばいい──それだけの話だ」


 その言葉と同時にスクリーンの地図が動き、カジノエリアから最上階までのルートが赤い線で表示される。ここカジノエリアはユートピアカジノリゾートの十階に位置しており、最上階である五十階まで階段を使用して行く必要があるようだ。ユートピアカジノリゾートは一階から五階までがショッピングエリアとなっていて、六階から九階まではエステや映画、スポーツなどが楽しめるサービスエリア。十階から十三階の三階層は全てカジノエリアとなっていて、十四階から上はスイートルームが連なる宿泊用の階層となっている。そして四十階から上となれば王族や政治家などのVIPしか使えぬエリアとなるという。

 しかしカジノエリアから最上階までの独立した直通ルートをゲーム用に作っているらしく、サジェースタと符正はその独立したエリアに入って最上階を目指すことになるようだ。


「体力勝負……というわけじゃなさそうね」

「フフフ……それはゲームに参加してみてのお楽しみさ。さて、どうする? このゲームに参加するか? 否か?」


 ゴルドルの挑戦的な嘲笑にサジェースタと符正は顔を見合わせる。そして互いに頷き合い、まっすぐゴルドルを見据えた。


「ぶっ飛ばしに行くから待っていなさい」

「話し合いでどうにかなりそうとも思えんしな」

「アメージング!! さあみんな、勇気あるふたりの挑戦者に拍手を!!」


 両手を広げて称賛の声を上げたゴルドルに合わせてカジノエリア中の客から盛大な拍手が上がり、そんな拍手に圧されるようにふたりはカジノエリアの奥へと進んでいく。


「私は一足先に最上階で待っているよ──そこの奥の扉を開けた瞬間からゲームは始まる。最上階に辿り着くか、ギブアップするか──そのどちらかしかゲームを抜け出す手段はない。ちなみに言っていなかったが……ギブアップとはそれ即ち」


 “堕落”だ──

 そう嘲るように、見下すように嗤ってゴルドルは照明の光と共に舞台から消えた。サジェースタと符正は神妙な面持ちでゴルドルの消えた舞台を見つめ、けれど立ち止まるわけでもなくカジノエリアの最奥に悠然と構えられている鋼鉄製の武骨な扉に向かう。


「行くか」

「ハイ」


 たった半年。

 されど半年。

 ありとあらゆる世界でありとあらゆる“歪み”と対峙し、真摯に向き合ってきたふたりに迷いはなかった。この世界がどういう“歪み”を含有しているにせよ、ゴルドル・ユートピアが何を企んでいるにせよ──ふたりに今更退く心算などない。

 ふたりは手を取り合い、共に鋼鉄製の扉に手を掛け──ゴルドル・ユートピアの企みの中へと足を踏み入れるのであった。


 ◆◇◆


「大丈夫ですか? サジェ様」

「ああ。いや参った……助けてくれてありがとう」


 階段を上がりながら疲れたようにため息を吐くサジェースタに符正はくすりと笑う。


「サジェ様お優しいですからね~。わたしなんて遠慮なく蹴っ飛ばしたのに」

「女性に手荒にできるわけなかろう……いや、お前のは容赦なさすぎだ」


 ゴルドル・ユートピアの持ちかけてきた“ゲーム”──ただ最上階に辿り着くだけのゲームだとゴルドルは言ったが、ただ階段を上るだけで済むわけもなく──階層ごとに“試練”が設定されていた。脱出ゲームのようだと符正が称した謎解きに重きを置いたエリアもあればSAS◯KEかよと符正が突っ込んだ体力勝負のアスレチックエリアもあった。ふたりは半年間で培ってきたコンビネーションを駆使してそれらを突破し、つい先程も艶やかな服装に身を纏った美しい女性たちと引き締まった体躯のハンサムな男性たちに囲まれもてはやされていたのを突破してきたところである。

 ──符正が男性たちを躊躇なくぶっ飛ばし、女性たちに埋もれて悲鳴を上げているサジェースタを引き上げてやってという些か情けない突破だったが。


「なんなんでしょうねこれ。ゴルドル・ユートピアのあの陰険そうな顔からして陰険な内容だろうなーと思ってたんですけど……まるっきりおもしろゲームですね」

「まあ……意外ではある。だが気を抜くなよ。まだ上はあるのだ」

「ハーイ」


 そんな会話を交わしながら階段を上り切ったふたりはそこで二手に分かれるよう指示を受け、それぞれ別の扉を潜ることとなった。符正と別れて扉を潜ったサジェースタは人気のない廊下をひとりでしばらく進むこととなる。符正と離れ離れになることはこれまでにも何度もあったが、やはり慣れないとサジェースタは拭えぬ不安を抱きながら廊下の先にあった扉をまた潜り抜けた。


「……ん?」

「あ、サジェ様!」


 潜り抜けた先にあった小部屋には符正がおり、その隣にはサジェースタの知らぬ男性が立っていた。日本人だろうか──整ってはいるが凹凸が薄く、若い印象を受ける利発そうな男性だ。


「聞いてくださいサジェ様! なんと彼もこの世界に来ていたみたいで!」


 符正は嬉しそうに頬を赤く染めながら、きらきらとその濡羽色の目に光を宿して愛おしそうに隣の男性に抱き着く。それに応じて男性も愛おしそうに符正を見下ろして微笑む。


「…………」


 ──くだらん。

 そんな感想しか抱けなかった。サジェースタはつまらなさそうに息を吐いて符正の元へ歩み寄り、ぐいっとその胸倉を掴み上げた。


「消え失せろ。符正はそんな()をしていない」


 死んだ人間のような、光を一切映し出さない目。

 濡羽色だけれど濡れた羽のような輝きはない目。

 見ているだけでひどく不安になる不可思議な目。

 それが符正の目だ──そう言い放ってサジェースタは乱暴に符正の──いや、符正を騙っている人間の体を突き放す。

 その瞬間、どろりと符正を騙っていた人間の顔が溶け出して床に泥溜まりが広がった。隣の男性も同じように泥となって消えてしまい、サジェースタは冷めた目でそれらを見やってから小部屋の奥にある扉を潜り抜ける。

 扉の先には上階への階段があり、これでこの階層の試験はクリアしたということを察してサジェースタは本物の符正の行方を探って視線を巡らした。サジェースタが通ってきた扉以外にもうひとつ扉があり、おそらくその中に符正がいるのだろうということが窺えてサジェースタはしばらく迷い──決意したようにその扉に手を掛けた。

 鍵は掛かっていないようでするりと開いた扉の先にはサジェースタの想定した通り、符正の姿があった。──サジェースタの亡き妻、サラルティアの手を握って感動に打ち震えている符正の姿が。


「……………………」

「感激です! お会いできて光栄です……! 死んでよかった! サラルティア様にお会いできるこの栄誉のためならば死んでよかったと思わざるを得ません!」

「……………………」


 視線を符正とサラルティアから外してみれば床にサジェースタが、サジェースタを騙っていたのであろう人間が間抜けな格好で転がっているのが見えた。おそらく符正にぶっ飛ばされたのだろうと容易に想像できてサジェースタはため息を吐く。


「符正」

「ああサラルティア様……あれ? サジェースタ様……あれ? 確かさっき……」


 そこにいたような、と符正が床に転がっているサジェースタの偽物を見やり──あれぇ、と頭にハテナマークを浮かべた。どうやらサジェースタを騙っていると見抜いていなかったようだ。その事実に若干虚しくなりつつもサジェースタは符正の元へ歩み寄っていき、その頭を軽くはたく。


「偽者だバカもん。サラルティアもこの程度じゃないに決まっているだろう……」


 サジェースタはそう言いながらサラルティアに視線を向け、記憶の中の妻に比べて幾分か見劣りするその姿に鼻を鳴らす。


「サラルティアはもっと光り輝くような髪をしている。笑顔も、こんな作り物めいたものじゃあない」

「おお……さすが夫。ってことはさっきわたしがつい突き飛ばしちゃったサジェ様も偽者なんですね」

「突き飛ばしちゃったって……お前なあ」

「だってサラルティア様ですよ? その隣にいたおっさんなんか邪魔に決まっているじゃないですか」

「怒るぞおい」


 むにー、と符正の両頬をつまんで伸ばしているとサラルティアと床に転がっていたサジェースタの体がどろりと溶けて泥となり、こうして符正もどうにか試練を突破できたのであった。

 サジェースタのお小言を受けつつ次の階層に向かった符正はそこでひとりの老人がパンツ一枚というみすぼらしい恰好で蹲っていることに気付き、駆け寄る。


「大丈夫?」


 ──カエシテクレ

 ──カゾクヲカエシテクレ

 ──オカネヲカエシテクレ


 符正の声掛けに対して老人は涙を流しながら嗚咽混じりの掠れた声でそう言った。その老人の顔を見てサジェースタは少し驚いたように目を見開く。


「彼は……イタリアの政治家じゃあないか」

「政治家さん?」

「元……だがな。何年前だったか……家業がうまくいかなくなって、家財を全て売り払い政治家を辞めた後……そのまま行方知れずになっていた」

『彼は欲に目がくらんで投資する必要のない事業に投資した。そして失敗──倒れかけた家業を立て直すためにこのゲームに参加したのさ』


 サジェースタの言葉に応じるようにスピーカーからゴルドルの声が流れ、サジェースタと符正は驚いたように上を仰ぐ。


『担保に家族を入れた彼はこのゲームに挑み、そして敗けた。だから彼は全てを失った──』

「…………」

『かつて政治家としても、事業家としても、そして一家の主としても栄華を誇っていた彼は哀れ──その全てを一時の欲によって失い、スラム行きさ!』


 何処からかガードマンが数人現れ、老人を羽交い絞めにして苦しみ喘ぐのも構わず無理矢理引き摺って去っていった。


『最高だろう? 人間──欲望には決して勝てやしない! 金という欲望! 地位という欲望! 色欲という欲望! 誰も勝てやしない──キング、レディー。さあ、次の試練へ進むがいい。最高のショーを見せてくれたまえ!』


 ハハハハハハ、と哄笑を上げてスピーカーを切ったゴルドルにサジェースタと符正は思案するように沈黙する。


「──……“虚栄”」

「ん?」

「そんな感じですね。あの男」

「ああ……“虚栄”か。なるほど」


 華やかで鮮やかで、栄華を極めている“勝者”──けれど、その姿はひどく虚ろに見えた。輝かしい勝利という泥で塗り固められただけの泥人形。そんなイメージだと符正は語る。


「欲望に人間は勝てない、か。まあ確かにそうだろうなとは思う」

「おいしいごはんを餌にされると勝てませんしね」

「それはお前だけだ。──遊園地の世界の“強欲”の時も言ったが、欲というのは進化を促進する要因のひとつにもなる。だから決して悪とは言えん」


 だからあの男が言っていることは正しい。

 そして、間違っている。

 ──そう言ったサジェースタに符正は首をこてんと傾げる。サジェースタはそんな素直な表情に微笑み、符正の背に手を置いて次の試練へと挑むべく歩を進め始めた。


「……次の試練のようだ」

「お?」


 しばらく何もない廊下を歩いていたふたりはやがて見えてきた扉を通り抜け、その先にまたもやふたつの扉が鎮座しているのを目にして足を止める。


『さっきと同じようにひとりずつ別々の扉を通ってくれたまえ』

「!」

「……じゃあわたしはこっち行きますね、サジェ様」


 突拍子もなく何処からか流れてきたゴルドルの声を意に介するでもなく符正は右側の扉を選び、それに倣ってサジェースタも左側の扉に手を掛ける。

 そうして押し開いた先は鋼鉄製の武骨な黒い檻の中であった。咄嗟に右を見てみれば檻越しに符正がいて、少し安堵する。符正側も黒い檻の中に出たようだ。檻の外は黒闇が広がるばかりで何も見えないが、向かい側に見える鉄格子扉の向こうも似たような檻が続いているのだけは微かに視認できた。


「また脱出ゲーム形式ですかね……」


 符正は向かい側の扉に躊躇なく向かい、ドアノブに手を掛けるががちゃがちゃと音を立てるばかりで開く気配はない。改めて檻の中を見回してみれば床にボタンがあることに気付き、床にしゃがみ込む。


「こっちにもボタンあります」

『君たちのうちどちらかひとり、そのボタンを押せば扉は開く。ただしボタンを押した人間は』


 カチッ、という音がゴルドルの言葉を遮った。直後に符正の体を高圧電流が迸り、符正の小さな体躯が仰け反る。ばぢばぢばぢ、という爆ぜる音に混じって焦げ付く音が鼓膜を引っ掻いてきて、その音に乗するように符正の肌が焼け焦げていく。それを目にしたサジェースタが悲鳴を上げ、鉄格子に縋って手を伸ばした。


「符正!!」

『──……人の話は、最後まで聞きたまえ』


 ゴルドルの呆れたような声と一緒に符正に流れていた高圧電流が消え、ぶすぶすと煙を上げながら符正の体が床に倒れる。サジェースタは必死に手を伸ばすが、鉄格子に邪魔されて届かない。


「符正!!」

『やれやれ、せっかちなレディーだ──死んではいないようだが、動けるかね?』

「──最後まであなたの話を聞いていたらサジェ様が押しちゃうんで」


 脂が焦げる嫌な臭いを振り払うように自分の肌を擦りながら符正が覚束ないながらも立ち上がり、ちりちりとうねってしまった自分の髪に触れてため息を吐いた。


「で? ボタン押したから次に進めるよね?」

『──……オーケイ。次に進みたまえ』

「符正!! この馬鹿が!!」


 かちりと鉄格子扉が開く音がしたが、それに構うことなくサジェースタが符正に向かって大声で怒鳴った。それは想定内だったのか、符正は両手を挙げて降参のポーズを取る。


「サジェ様サジェ様。後でお説教でもお仕置きでも何でも受けますんで、とにかく進みましょう。早くあいつぶっ飛ばしたいです」

「──()()()、と……言ったな?」

「えっ」

「覚えてろよ」


 額に青筋を浮かべ、けれど口元には壮絶な笑みを浮かべてくつくつと喉を鳴らしながら鉄格子扉を潜り抜けて行ったサジェースタに符正は何か間違えたような気になり、焼け焦げて黒くなった顔を青くさせた。


「さて、次は何だ」


 鉄格子扉を潜ればライトが移動し、中が照らされる。先程までいた場所と同じく檻の中であるそこには黒い箱が置かれている。サジェースタほどもある大きさの、取っ手も蓋も何もない箱だ。符正の方も同じような箱があり、符正はしげしげと箱を眺めてぺたぺたと無警戒に触れた。


『──次も至ってシンプル。その足元にボタンがあるだろう? 押せば相手の箱が開く』


 ゴルドルにそう言われ、足元を見て見れば確かにボタンがあった。今度は符正が先走ることなく、符正も警戒の色を浮かべてゴルドルの言葉を待っている。


『どちらかひとり──箱の中のモノを()()()この部屋はクリアだ』


 その言葉を聞いてサジェースタは安心したように微笑む。これならば迷う必要はないと、足元のボタンを躊躇なく押した。

 ボタンが押し込まれる軽快な音と同時に符正側の箱がバラけるように開き、中から一匹の巨大なグリズリーが現れ吠えた。薬物でも投与されているのだろうか──だらだらと涎を流し、虚ろな目でひくひくと符正の体から立ち昇る焼け焦げた皮膚の匂いを嗅いでいる。だが二メートル近いグリズリーを前に符正はとても落ち着いた、凪いだ表情を浮かべている。むしろ──狼狽したのは、ゴルドルの方であった。


『は……ハハハ! レディーに押し付けるとはとんだ無様だ……!』

「否定はせんよ。情けないと自分でも思うさ。……だが、符正は強い」


 ドゴッ、と符正の拳がグリズリーのみぞおちにめり込む。

 それで雌雄は決した。ゴルドルの驚愕に満ちた声が聞こえてきてサジェースタは思わず口元を吊り上げてしまう。


「サジェ様弱いですもんね」

「熊を一撃とか、お前人間やめているだろう」

「目指せ睨むだけで気絶」


 覇王色出せそうな気がする、とわけのわからぬことを言っている符正を横目で見つつサジェースタはゴルドルに向けて声を上げた。


「倒したぞ。扉を開けろ」

『…………君たちの信頼関係はそこそこあるらしいね。オーケイ、称賛しよう……だが、信頼ほど脆いものはない』


 信頼とは裏切り。信用とは損切り。

 友情とは豚切り。愛情とは見切り。

 利用するからこそ仲間。使用するからこそ友達。

 活用するからこそ恋人。運用するからこそ家族。

 利用価値がなければ捨てる。使用権限がなければ終わる。

 活用場所がなければ変える。運用資金がなければ崩れる。

 此の世の全ては、利害関係から成っている。


 ──そう、唄うように語ったゴルドルは嘲笑い、次の部屋へと繋がる鉄格子扉を開けた。サジェースタと符正はゴルドルの唄った文句に反論するでもなく無言で次の部屋へ入っていく。


「信頼とは裏切り! ──さあ、最高のショーを始めよう!!」


 機械を通さないゴルドルの声が響いたかと思えば暗闇に覆われていた檻の外が一気に照らされ、大歓声と共にゴルドルの姿が現れた。

 そこは扇形の巨大なホールとなっていて、舞台の上に設置された檻にサジェースタと符正は入れられていたようだ。ホールの観客席は裕福層であろう観客たちが埋め尽くしていて、みな一様にサジェースタと符正を眺めて笑っている。その中に混じってゴルドル・ユートピアの姿もあり特別席であろう黄金で彩られた豪華な椅子からふたりを眺めて嘲っていた。


「これが最後のゲームだ。これを突破すればあとは階段を上るだけ──簡単だろう?」

「……で、その最後のゲームというのは?」

「至ってシンプルさ。上を見たまえ」


 ゴルドルの指示にふたりが上を仰いでみれば無数の鋭利な針が並ぶ天井が見えた。檻の天井に重厚そうな鋼鉄の板が取り付けられていて、そこに針が大量に生えているのだ。その針天井が落ちてくれば──間違いなく即死であろう。


「今回も君たちの足元にボタンがある。それを押せば相手の天井が落ちてくる仕組みさ……だが、()()()()()()()()()()()()()()()

「……?」

「そのまま檻を出て、君たちから見て右側の扉から出て行けばあとは階段を上るだけでクリアさ」


 ただし、とゴルドルは心底侮蔑しきったように、人間という存在を完全に見下し切ったように嗤ってぱちりと指を鳴らした。

 直後、ゴルドルの頭上に巨大なモニターが降りてくる。そこには──三人の少女の姿が映し出されていた。


「符和! 符可!」

「サハーシャ!!」


 そのモニターを目にした符正とサジェースタが顔色を変えて叫び、その様子にゴルドルは気分を良くしたように嗤う。

 モニターに映っている三人の少女は拘束されていて、不安そうに周囲を見回している。二人は符正を生き写しにしたような少女で、けれど符正と違って目に光の輝きがあった。おそらく符正の妹、符可と符和の双子であろう。そしてもうひとりはサラルティアに似て美しいサジェースタの娘、サハーシャである。

 それぞれお姉ちゃん、お父様、と不安そうに声を上げていて符正とサジェースタは焦燥したように顔を強張らせる。


「彼女たちの部屋にも君たちの上にあるのと同じ針天井があってね──君たちがボタンを押さなければ彼女たちのところの針天井が落ちる仕組みさ」

「……!」

「つまり、君たちは選ばなければならないのさ。相手を殺して家族を救うか、家族を殺して先に進むか──そのどちらかをね」


 娘か、符正か。

 妹か、サジェースタか。

 そのどちらかを選ばなければならない。その選択肢を前に符正とサジェースタは唇を噛み締める。


「彼女たちを偽者だと断じて見捨てるのも君たちの自由さ。この世界に彼女たちまで連れてこられているだなんて信じられないだろうしね──好きにすればいい。彼女たちを殺して先に進めばそれでクリアさ」


 モニター越しであるが故に本物なのかどうかを断じきれないサジェースタたちの心境を見抜いてかそんなことを悠然と抜かしてきたゴルドルに符正は不快そうな顔をした。

 けれど、それだけであった。

 ふたりが迷ったのは──それだけであった。


「さあ、どちらを選ぶ?」


 針天井に圧し潰されれば先に進めなくなる。本物であるとは到底思えない妹や娘のためにそうしていいのかという、迷いをほんの一瞬抱いただけであった。


「妹」

「娘」


 ふたりは何ら迷いのない手つきで、何ら悔いのない笑顔で──ボタンを押した。

 轟音と共に全身を襲う激痛。肉が、骨が、内臓が、意識が貫かれ潰されゆく。言葉に形容しがたい激痛の中──サジェースタと符正は、ゴルドルの驚いたような──茫然としたような、何処か泣きそうな──ひどく壊れそうな顔を見届けて意識を失った。



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