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■前回のあらすじ
・猫の時のクロは死んでいるという事を知った恭介は、正確に猫又となったクロと共に歩める時間の尊さを知る。
・大量に用意した食べ物を猫又と妖狐に捧げ、クロと恭介は帰路に就くのであった。
宴が開かれた猫又の間から人間世界へと帰れる転移門までは、昨日のような犬神が攻めてくるなどと言うトラブルも無く無事に到着する事が出来た。
人間の空間へと通じる鳥居を潜れば、早くも懐かしく感じてしまう密度の無い空気が全身に纏わり付いていたねっとりとした空気を洗い流してくれる。
掻いていた汗を冷やし、その汗が引いていくのが心地よい。
その心地よさに浸ると共に、周囲に誰もいない事を俺の視覚とクロの聴覚で確認する。
鳥居がある周辺は日頃から誰も近づかないとは言え、日が出始めているため遠くから見られてしまう危険性があったためだ。
周囲に誰もいない事を確認し、速やかに歩みを進める。
今回は大丈夫だったようだが、今度からはクロの耳と尾を隠せるような服装にさせ、見つかった時の言い訳も考えておいた方が良さそうだ。
……鳥居の境から急に現れた場面を見られたらどうしようか……今度妖怪の世界に行った際に聞いてみよう。
さて、昨日はそのまま寝てしまったが、流石に今日もこのまま寝てしまうとゲーム制作の進捗に響きかねない。
スケジュールを確認するまでも無く、予定と遅れているので帰ったら早々に作業に入ろう。
この後の予定を頭に考えながら、いつも通り鍵をポストの隅から取り出し、玄関の扉を開けた。
「ただいまーっと」
やっと我が家に帰ってこれたという実感から、いつもは言わない「ただいま」と言う言葉が無意識に口から出ていた。
「…………ぇ……さぃ」
その言葉に返事をするかのように家の中で何か音がした。
思わず固まり、視線を巡らす。
何か動物が入り込んだのかと楽観的にも考えていたが、視界に入ってきた物はそんな有機物では無かった。
そいつは階段の横にいた。
暗闇にぼんやりと見えるそいつは小さな子供の姿をしており、膝までしかない桃色の着物を着ている。
よく見るとそいつの後ろが透けて見えている事に気付く。
「にゃー?」
ドアを開けた状態で動けなってしまい数秒間、幽霊少女と見つめ合う形で硬直しているとクロがドアと俺の間をするりと通って家の中に入って行ってしまった。
「にゃ! にゃにゃー!」
そのクロが幽霊少女に向かってまるで挨拶をするかのように鳴く。
そして、あろうことかその鳴き声に幽霊少女は小さな手を上げ答えていた。
幽霊少女のその行動に唖然するのも束の間、幽霊少女はクロに答える際にクロへ一瞥したが直ぐにこちらに視線を戻す。
その視線がジッとこちらを見据える。
サキやたまとは迫力が異なるが、こちらの内面を視ようとする似たような目だった。
「んにゃー?」
正体不明の幽霊少女から視線を外せずにいた俺をクロが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
クロに警戒の色は見えない。
「ク、クロの知り合いか?」
「にゃ? にゃにゃ、にゃぁーにゃ?」
これほど猫の言葉を知りたいと思った事はない。
クロの言っている言葉の意味を考えてみるが、やっぱり意味など分からずクロがいつも通りという事しか分からなかった。
「あの子はクロのお友達かい?」
「にゃ!」
「帰ってくれるように言ってくれないかい?」
「にゃー? にゃんみゃぁ、んにゃぁお~?」
まいった、全く分からない。
「………………君の名前は?」
「にゃ? にゃー!」
「あの子の名前は?」
「にゃにゃ!」
「俺の名前は?」
「にゃぁにゃ!」
可愛い。
いや違う、そうじゃない。
「……や……? ……し…………の?」
クロの言葉を理解しようと簡単な質問をいくつかしている時、またあの音が聞こえた。
幽霊少女が出した声であろうそれは上手く聞き取れなかった。
声が小さくて聞こえないのとは少し違う。
ノイズがかかったのとも違う。
耳を澄ますとか、近づけば聞こえるといった音量の問題ではない。
聞き取れた部分は後から聞き取れた事に気付き、聞こえなかった部分は後から聞き取れなかった事に気付く。
耳に入ってきた音をそのままでは理解出来ず、脳が補正をかけてようやく理解する。
そんな英語の聞き取りにくい音ばかりを発するような声だった。
その声を発した幽霊少女がこちらに近寄ってくる。
変な動きで近寄ってくるのでもなく、普通に足で歩いて近寄って来た。
近寄って来た事により、その少女の髪型がおかっぱである事に気付く。
着物と言い、髪型と言い、昔の人のような姿をした幽霊少女だった。
「うぐっ」
幽霊少女は俺の目の前に立つとそのまま俺に触れた。
触れられたからと言って感触も熱も何を感じるわけでは無かったが、触れられたという事に変な声が漏れてしまう。
「…………ぃ……き………?」
俺に触れ、何かを言っている幽霊少女であるがやはりその内容は聞き取れない。
「…………ぇ……の?」
やはり聞き取れなかったが、幽霊少女が首を傾げる仕草とこちらを覗きこむような仕草で何かを問いているのだと理解は出来た。
クロの態度から害のある存在では無いようだし、とりあえず何か聞いてみよう。
「その……すまない。君の言っている事は上手く聞き取れないんだ。こちらの言っている事が分かるのであれば、いくつか質問したい」
「……し…………ふ」
俺の言葉に幽霊少女はあからさまに落ち込み、その後何故かニヤけたように微笑んだ。
その笑みを見て思わず背筋が凍る。
別に敵意のあるような笑みでは無い。
気味の悪い笑みでも無い。
ただ、それはどこかで見た事のある少し嫌らしい笑みで、決して良い思い出では無い事だけは確かだった。
「ひ、一先ず、ここでは聞くのもなんだ。居間で聞くとしよう」
俺のその提案に幽霊少女はコクリと頷き、居間への方へと歩いて行く。
壁など無視し、全てを貫通して突き進んで行ってしまった。
その様子に改めて本当に幽霊なのだと思い知らされるのと同時に、居間の場所を知っている事に少し恐怖を覚える。
クロを連れ、俺が居間に着いた時には既に幽霊少女はテーブルの奥の座布団の上でちょこんと座っていた。
透けていなければ本当に普通の少女のようだ。
「さて、申し訳ないが君の言葉は上手く聞き取れないので、こちらの質問に首で答えてくれると助かる」
テーブルを挟んで正面の位置に座りながら投げる要望に、幽霊少女は首だけで肯定と答えた。
「…………まず、君はクロの友達で良いのか?」
肯定。
「そうか、今日はクロと遊びにでも来たのか?」
否定。
遊びでは無いとなると、何故家の中にいたのかわからない…………いや、待てよ。
「…………この家に憑いてる、のか?」
その言葉に幽霊少女はやや俯き、考えているような仕草をしていた。
その数秒後、顔を上げた幽霊少女は、首を縦に振った。
この地に憑いているとなると、この少女は地縛霊だ。
だが、即答しなかったには何か理由がありそうだ。
「うにゃうー」
幽霊少女に続けて質問しようとした時、クロが腕をつついて来た。
顏、耳、尾を見る限り、どうやらお遊びをご所望のようだ。
「クロ、ちょっと待って、話が終わったら遊んであげるから」
「んにゃぁーお」
もの凄く不満気な表情をしている。
早々に終わらせた方が良さそうだ。
「この家にはいつからいたんだ? 最近か?」
否定。
「一年前?」
否定。
「三年?」
否定。
「五年?」
否定。
「……十年以上も前なのか?」
その質問に幽霊少女は再度考えるような仕草をし、まぁそれくらい、とでも言いたそうな表情で肯定した。
その反応から十年以上では無くその前後なのだろう。
この家で十年前後で亡くなった少女などいない。
時期だけで言えば、両親がそうだがまさか幼い姿をした母って事もあるまい。
そうなると地縛霊ではありつつも、どういった経緯か分からないが誰かが招き入れてしまったのだろう。
しかし、一つ気がかりな事がある。
確かに俺を含め兄弟の中で霊感があるような者はいなかった。
それでも十年以上も幽霊と同居して気付かないほどに俺達は鈍感だったのだろうか……。
「んにゃぁーおー!」
「待って待って、もうちょっと待ってて」
ベシベシと腕を叩くクロを宥めつつ、記憶を辿る。
……するとどうであろうか、思い返せば不思議に思った事はあったような気がしてくるではないか。
階段で温かい空気の塊にぶつかった気がしたり、テーブルのコップがいつの間にか少し違う所にあったような気がしたり、隣の部屋から物音がしたような気がしたり、猫のクロが何も居ない方へうにゃうにゃといてもいた気がする……なるほど、紛れもなく俺は鈍感であった。
「……十年以上も俺達は君に見られてたのか?」
続けて聞いたその質問に、幽霊少女は質問の意味を考えるように首を傾げる。
そしてその質問の本当の意味を理解してしまったのか、口元に手をやり何とも下品に目を細めた。
もう首など振らなくとも分かる。
全て見られてしまっている。
ここ十年間前後と今後のプライバシーなどこの幽霊少女には通用しないのだ。
そして、その笑みを見て気付く。
この笑みは小さい頃に琴美が俺をからかう際にしていた笑顔に似ていると。
最初に見せた笑みもそうだ。
あれは小学生の頃にいた悪戯っ子の笑みだ。
いけない、この子は悪戯っ子だ。
クロみたいに物を壊したり、物を散らかすような悪戯では無い。
俺を標的に、幽霊であることを活かし心臓に悪い悪戯をする悪戯っ子だ。
このままでは落ち着けるはずの我が家がお化け屋敷になってしまう。
それはいけない、どうにかこの悪戯っ子を我が家から追い出せないだろうか……。
「……うーむ」
「にゃ、にゃにゃ……」
しかし、現段階で迷惑を受けているわけでも無いし……十年住んできた者を追い出すのは流石に少し気が退ける。
クロの友達とも言っていた……いやしかし常に見られるというのは……。
何か、何か決定的な何かがあれば――
「……ん゛にゃぁ゛ー!!!」
「ク、クロっ!? ちょ、畳で爪とぎしちゃダメー!!!」
俺が幽霊少女の処遇をどうするか物思いにふけてしまっていると、ついに我慢の限界が来てしまったのかクロが叫声を上げながら畳で爪とぎを始めてしまった。
「おいおい、嘘だろ……」
直ぐに止めたにも関わらず、畳は鋭い刃物で斬り裂けれたようにズタボロになってしまっている。
「……ふ……」
あの聞き取れない音がしたので幽霊少女の方を向けば、クスクスと笑ってやがる。
全くもって笑い事ではない。
我が家の畳はクロの事を思い、ダニが発生しにくい和紙の畳を使用している。
イグサの畳よりも少々値が張るが、その分耐久性も高く引っ掻き傷にも強いはずだったのだが……こんな、見るも無残な姿になってしまって……。
「クロっ! 今日のお昼ご飯は抜きだっ!!」
「うに゛ゃあ゛っ!?」
その日、その年の最高気温を更新した日、一匹の猫の悲痛な鳴き声が村中に響いた。
悲痛な声であったにも関わらず、庇護欲をくすぐるようなその鳴き声は、聞いた者を少しだけ優しい気持ちにさせた。
父母は子を、祖父母は遠い地にいる息子達を想う。
そんな鳴き声は、父が娘に根負けするまで続いたと言う。
■登場人物紹介
【幽霊少女?】
・恭介の家に十年以上住み着いている者。
・恭介が時折家の中で見ていた“蠢くもの”の正体。




