14.妖怪のいる日常の断片
■前回のあらすじ
・猫又のクロを見て恭介と幼馴染の琴美が喧嘩を始めるてしまうも、クロ自ら仲裁に入る。
三往復ほど舐め回し、ペロリと唇を濡らしたクロがこちらをジッと見つめてくる。
その目は少し不満気であった。
「そうだな、喧嘩はダメだよな。ごめんな、うるさくして」
「にゃ!」
そうだ、分かったかと言わんばかりの鳴き声を上げたクロは、満足したのかそのまま座布団の上で丸くなる。
琴美への興味も無くなってしまったようだ。
「……ロちゃ……の?」
「ん?」
固まっていた琴美が何か言ったが聞き取れなかった。
琴美の視線はクロで固まっており、口が震えていた。
「本当に? 本当にクロちゃんなの?」
「あ、あぁ、直ぐには信じられないと思うがあのクロなんだ」
「あんたがこの子にクロちゃんの癖を教えて、クロちゃんになりきるように言っているわけじゃないのね?」
「クロがいなくなって寂しいからと言って流石にそんな事しないよ……」
クロの代わりなんて頼むより、クロを求めてその辺を彷徨っていた方が気が休まりそうだ。
そもそもクロが平均寿命を超え、体が思うように動かなくなってしまっていった辺りから俺は覚悟を決めていた。
後悔の無いように元気なうちに色んな所に行ってみたり、目一杯愛情を注いできたのだ。
クロの代わりなど烏滸がましい。
そんな事させてたまるか。
「あーん、クロちゃんおかえりー!」
「んにゃっ!?」
飛びつく琴美に飛びつかれるクロ。
嬉しそうにクロに頬ずりする琴美にそれを嫌そうにするクロは想像に難くないだろう。
「クロの耳とか尾をちゃんと確かめる前にクロだと断言するのか?」
「姿なんてどうでも良いの」
「良いのか?」
流石に猫の面影が全く無い姿になっていたら、俺は困惑していた事だろう。
……大丈夫だろうか? 琴美、変な詐欺師とか騙されたりしないだろうか?
「喧嘩の最中にあんな事するのはクロちゃんに決まってるじゃない。クロちゃんがいなかったら喧嘩ばっかりの私達がこんな風に会ってるわけないでしょ?」
「いや、まぁそうだとは思うが……」
いつも真っ先に手を上げてきて喧嘩の原因を作る琴美が言うのはどうかと思う。
「やーん、クロちゃん熱ーい」
「ふにゃっ!!」
「抱き着くのは良いけど、あんまり耳は弄ってやるなよ。引っ掻かれるぞ」
クロに抱き着き、クロの耳をクニクニと弄ってる琴美を見て思い出す。
まだクロと出会って間もない子供の頃、同じように嫌がってるクロの耳を触り続けた事があった。
触るたびにふにゃふにゃ言うから、面白かったんだ。
最終的には腕に見事な三本線が出来上がり、亡き母に泣きついたのは忘れられぬ思い出だ。
……そういえば母に泣きついた時、母の足元にクロも居たような気がする。
……そうだ、母に撫でられるクロを指さしながらクロに引っ掻かれたと母に言ったのだ。
そうか……クロも母に泣きついたのだな。
ふふ、まるで兄妹みたいではないか。
「ん゛に゛ぇ゛ー!!」
そんな妹は琴美の腕の中で凄い声を出していた。
引っ掻かないだけ偉い。
「ほら、嫌がってるからその辺にしてくれ」
「ごめんごめん、嬉しくて」
琴美の執拗な抱擁から解放され、クロがブルブルと身震いしていた。
身震いを終えると、丸くはならずに俺の腕にしがみ付き琴美を恨めしそうに見ている。
琴美は手の早さの通り、考えるよりもまず手が出る。
クロの事を考えず、自分が触りたいように触ってしまうのだ。
故にいつも触りすぎてしまい、クロに怒られてしまう。
クロにとっては少々面倒な相手なのだろう。
「そういえば、今何時……」
「もう夕方よ?」
壁に掛けられた時計は既に十七時を回り、長い針は真下を指そうとしている。
どうやら十二時間以上も寝てしまっていたようだ。
「あ、そうだ、また母さんが持って行ってやれって言うから持ってきたの」
そう言って琴美が後ろから差し出してきたのは、深皿に盛りつけられラップが被された煮物だった。
色とりどりの野菜が美味しそうに色づいている。
一人暮らしの栄養バランスを考えたかのように、見事に緑黄野菜ばかりだ。
「そうか、いつも助かっていると伝えてくれ」
「良いわよ、別に。母さんも好きでやってるのだし」
琴美の母親にはたまにこうして夕食の一品をお裾分けして貰ってる。
琴美の母親曰く、上手に出来たから食べて、らしい。
何とも近所のおばちゃんらしい発言だ。
作物などを栽培しているわけでも無いうちとしては、貰うたびに返すほどの物が無いため、定期的にネット通販で買った紅茶やら友人お勧めの酒などを返している。
琴美が私も何か欲しいとか言いやがるが、琴美自身から何も貰っていないのだから買ってやる筋合いは無い。
誕生日プレゼントは毎年欠かさず買ってやるのだから勘弁して頂きたいものだ。
「そろそろ夕食作らんといかんな」
「にゃうー!」
夕食と聞き、クロが何とも嬉しそうな声を上げる。
先ほどから琴美から受け取った煮物の匂いを嗅ぎ、視線が煮物に固定していたのだ。
よほどお腹を空かしているのだろう。
クロが家にやって来て早々に米三合を食い尽くしたのだが、さて今回は三合で足りるだろうか……。
そんな夕食の心配をしていると、体のベタ付きを感じある事を思い出す。
「そうだ、琴美、クロに風呂の入り方を教えてやってくれないか? 流石に俺と一緒に入るわけにもいかんし」
「えぇ、そんな事私が許さないわ。クロちゃんが元猫だとは言えそれだけは許さないわ。クロちゃんが許しても私は絶対許さない」
「しないからその拳を収めろ。無香料シャンプーあるけど、匂いを嫌がるようであれば猫用シャンプー使ってくれ」
「はいはい、それじゃクロちゃんいこっか」
「…………にゃ」
さっきまでご飯だと喜んでいたクロは、俺の腕に抱き着きながら琴美の差し出した手から視線を外し、小さく拒否の声を漏らした。
やはり人の形になっても風呂は嫌いらしい。
「ほらクロ行っておいで。その間にご飯作っとくから」
「にゃぁーにゃっ!」
先ほどの小さな拒否とは異なり、クロはブンブンと髪を乱し力強く拒否した。
腕に抱き着く力も強くなり、入りたくないという意思が強く伝わってくる。
やれやれ、これでは大きな子供ではないか。
「ほら、クロちゃんおいでー」
「にゃぁーにゃっ!!」
「参ったなこりゃ……」
抱き着く相手が琴美ならそのまま風呂場に行けば良いのだが……どうにか説得するしかなさそうだ。
でなければ、俺の腕がもげそうだ。
「お風呂に入らないとご飯にならないぞー?」
「にゃぁーにゃっ!」
「お風呂に入れば美味しいお肉が出るんだけどなー?」
「にゃぁーにゃっ!」
「お風呂に入れば大好きなおやつもあげちゃうんだけどなー?」
「にゃぁーにゃっ!」
「お風呂に入れば後で遊んであげるんだけどなー?」
「にゃぁーにゃっ!」
「もう! お風呂に入らない汚い子とは一緒に寝てあげないぞ!」
「ん?」
「ん?」
クロに手を差し伸べていた琴美がグリンとこちらを見た。
差し伸ばしていた手は既に拳へと変形し、力強く上へと掲げている。
あぁ……どうやらこれもお風呂と一緒で禁止ワードだったらしい……。
その後、琴美を宥めるという作業とクロをお風呂に入れるという重労働が待っていたのは言うまでもない。
そんな間も俺の視界は時折何かが蠢いている物を見ていた。
寝る前は幻視と思っていたが、どうもそうでは無いらしい。
妖怪との接触で俺の体に何かしらの変化が発生してしまったのだろうか。
日常生活に支障は無いが気になるので、シロ辺りに頬っぺた引っ張りながら聞いてみよう、と妖怪のいる慌ただしい日常を過ごしながら思うのであった。




