27 理性の限界・野性の本質
――いつでも好きなタイミングで。
そんな事を言われてから数分が経っただろうか。三人はじりじりと左右に展開しているものの、未だにメレクに対して攻撃ができずにいる。
「さて、あいつらはどうするか……どうなると思う? サビロス」
「どうなるかと言われてもねぇ……まず敗けると思うのだけど、私もまだあの子達がどんな魔術を持っているのか知らないのよ。ディアの精霊魔法っていうのは見たけれど、あれは戦力把握が難しすぎるし……。この環境だとあの子たちの器用さは見れても、限界が見えないからどうなるかなんてメレク次第でしょう?」
「やはりそうなるか……となると……」
「メレクが……いえ、我らがどれだけ衰えたかが見ものですな」
「我ら、か……まぁ確かに俺も年をとったな」
「年をとりながらも死ぬ気は無いのでしょう?」
「無論だ」
「ならば好きなだけ生きるべきですぞ」
「あぁ、そうさせてもらうさ。……と言いたいが、あいつらが自立できるまで好き勝手に生きることはできないかもな」
「ハァッ!」
三人がメレクを囲むような配置になった直後、飛び出すように攻撃を仕掛けたのはフェニーチェ。
メレクの少し手前で跳び、右手に持った木剣を脳天目がけて叩きつけるように振り下ろす。が、メレクは横に一歩ずれて軽く躱した。
木剣の勢いは止まらず床に叩きつけられるが、既にフェニーチェの手は木剣の柄を持ってはいない。
メレクが木剣が床に叩きつけられる音で数瞬の間気を取られた隙を見逃さずに中腰の体勢から顎を狙って回し蹴りを放つ。
が、これもメレクは後ろに三歩ほど下がって躱す。
「惜しいなぁ~。俺の意識を逸らしたのはいい考えだけど、回し蹴りを選ぶべきじゃなかったぞ。それに――」
「隙あり!」
「――誘導するにも方向があからさまならすぐバレるだろ~?」
ディアーチェの背後からの一撃をメレクはノールックのまま後ろ手に持った木剣を斜めに傾けて受ける。
ディアーチェの一撃は吸い込まれるように木剣の鍔付近に当たり、流れるように刀身を滑って床に向かって受け流された。
必然、受け流された本人は体勢が崩れるが流石は獣人というべきか、すぐに体勢を立て直す。
だがその時にはメレクはすでに三人の包囲を抜けて再び三人と一人が向き合う形に戻ってしまっていた。
「奇襲するのに『隙あり!』とか声出したら意味ないじゃん。足音も消せてない。それとフェニーチェ、機転は良かったけど作戦が上手くいきそうになった途端に動きが粗くなったり気を緩めちゃダメ~。戦いに慣れた相手だと確実に『何かある』ってバレるぞ~」
「足音消す方法なんて知らないよ……」
「うまくいったと思ったんだけどなぁ……」
「んで、クロ―ディアはどうした~? さっきから固まって」
「なんだか……魔法がうまく扱えなくて……」
「ん~? どれどれ……」
「あっ、きゃっ!」
メレクが近づき始めた次の瞬間、かなりの量の魔力がクロ―ディアの手に集まり、直後に人がすっぽりと包まれるほどの巨大な水の塊が勢いよくメレクに撃ち出された。
「おいおい…………」
若干呆れたような声色になりながらもメレクは魔力を全方位に広げ、水塊が魔力の中に入ったのを見ると魔術を発動した。
「法則の等価交換」
メレクの魔術が発動した瞬間、水塊の一部がボシュッというタイヤや風船から一気に空気が抜けたような音と共に消失し、水の塊だったものは氷の塊へと姿を変える。
それと同時に氷は動きを止め、代わりにメレクが持っていた木剣が弾かれたように氷が進行していた方向に飛ばされた。
水の塊だった時から相当な大きさで床とほとんど離れていなかったことが幸いしたか、氷の塊は動きを止めてもほとんど音を立てることなく床に落ちた。
「お~い……殺す気――」
この時、メレクは完全にやらかしていた。いわゆる『油断』というやつである。
クローディアの話を聞くために近づこうとして自ら距離を詰め、突然の魔術に対応するため熱エネルギーと運動エネルギーの等価交換を連続行使し、目の前に巨大な氷という遮蔽物があり、自らの魔術で木剣を手放してしまったにもかかわらず、一段落してしまったのである。
その隙を獣人である二人が見逃すはずもなく、氷の死角から跳び出した二人は左右からほぼ同時に攻撃を繰り出した
「――なのはこの二人の方だったか?」
だが不意打ち空しく、二人の攻撃はメレクに届くことはない。
メレクの魔力の範囲内で跳び出てしまったのが運の尽き。二人が攻撃を繰り出す前に二人の体は落下が止まり、渾身の振り下ろし攻撃はそれぞれ二本の指で軽く止められていた。
「えっ……あれ? うそ、アタシ浮いてる!?」
「何? これ……」
もはや理解の及ばない現象に半ばパニックになっている二人を木剣ごと床に下ろすとメレクは魔力を霧散させた。
「あ~、久しぶりにやると結構キッツイな~やっぱ。三人分の重力は筋肉痛になるわ……あのタイミングで無慈悲に攻撃仕掛けてくるあたり、二人とも中々鬼畜だな。とりあえず一旦剣術だか体術だか分からなくなってきたけど、これ終了しよっか。クローディアのさっきの暴発は演技じゃなさそうだし」
「ほぅ、こっちの生き物ではもしやと思っていたんだが……同じだったか」
「兄さん……これはどういう……」
「魔力の変質だな。吸血鬼ではよくあることだ」
「魔力の変質……」
「吸血鬼になる過程で遺伝子の……体の作りが変質することは説明しただろう? ならば、魔臓が吸血鬼になる前のものと変わっていようとそれは当然だ。違うか?」
「それは……確かにそうですけど……どうして突然こんな……」
「突然? そんなわけがないだろう。クロ―ディア、お前最後に魔術を使ったのはいつだ?」
「…………あっ」
「突然変わったんじゃない。変わったことにお前が気付かなかっただけだ」
「そうだったんですね……もう前の魔術は使えなくなるんでしょうか?」
「知らん。お前の使う精霊魔法は俺の知らない魔術体系だ。どう発動するのかも、どんな魔力が適しているのかも、今お前の魔力がどう変質しているのかも把握していない以上、お前が自分で確かめろ」
「そうですか…………」
『確かめろ』と言われても解決策を知らないクロ―ディアは俯くばかり。
それを見たシンはため息を一つ吐いてクロ―ディアの肩に手を置いて強制的に座らせた
「お前は魔術主体の戦い方なのだろう? なら魔力が変質しようと戦えるだけの制御は見つけておけ」
「制御と言われても……どうしていいのか分からないです……」
「……自分の体を流れる魔力を感じ取る事は?」
「そんなのどうするのかも想像がつかないんですけど……」
ある意味で当然の返答だ。こんなものは『自分の体に流れる血液の流れを感じ取れるか?』と聞かれているようなものである。
普通はそんなもの意識すらしない。感じようとそうでなかろうと、不自由な事などないのだから。
「魔力を見ることは?」
「可視化するほど高密度のものならまだしも、普通の魔力そのものを見るなんて普通できませんよ……」
「……ハァ、お前にはまず血界から仕込んだ方が早そうだな。メレク、二人の相手は任せたぞ。クロ―ディアはまず基本からだ」
「あいよ~」
「……さて、お前の場合は慣れるより習った方がコツを掴むのが早いだろう。まずは血界についての基本的な知識からだな。そもそも、血界とは何だと思う?」
「血界が何か……ですか……吸血鬼特有の魔術、魔導の類じゃないんですか?」
「近いな。吸血鬼特有というのは間違ってはいないが、魔術の類ではない。そもそも血界を使うのに魔力は必要ないからな」
「えっ、あの状態は魔力を使っていないんですか?」
「そうだ。俺も血界を使い始めて大分経ってから気付いたことだがな。血界は間違いなく魔術の類ではない。クローディア、お前は血界を使った時の見え方は覚えているか?」
「えっと……確か全体的に赤色の景色になって、時間が過ぎるのがとても遅くなった感じで……」
「そうだな。これは俺の仮説にすぎないが、血界は恐らく『ただ集中しただけの状態』だ」
「……へ?」
「逆に言えば、『極限まで集中力を高めた状態』とも言える。あるだろう? 走馬燈だとか、達人同士の戦いで時間間隔が長くなるだとか」
「聞いたことはありますけど……あれ、本当にあるんですか?」
「ある。血界はそれを突き詰めたものだ。ヒトの脳では物理的に不可能な速度で情報を処理する事が前提条件だがな」
「血界が何なのかは分かりましたけど、じゃあ血界を使うには集中すればいいってことですか?」
「そうだ。だがただ集中するだけでできるなら苦労はしない。あれはある意味で理性を押さえつけたような感覚……とでも言おうか。余計なことを一切考えず、目の前の問題を解決する事だけを考え続けなければならんからな」
「それって具体的にどうすれば……」
「……一つ、簡単な方法を教えてやる。俺が合図をしたら目を瞑り、三秒したら目を開けろ」
「それだけですか?」
「それだけだ。では始めろ」
そう言われたクロ―ディアは目を瞑って三秒待ち始める。
「一、」
一方のシンはカウントを始めると長いアイスピックを取り出した
「二、」
僅かな魔力を込め、狙いを定める
「三」
三秒のカウントが終わると同時、彼はクロ―ディアの眼球めがけて手に持った極太の針を溢れんばかりの殺意とともに突き出した
カウントに合わせて目を開けたクロ―ディアが見たものは、視界の半分を覆う鋼色の円と、何がそこまでのそれを出させるのか。少なくとも彼女には……否、常人には到底理解できないであろうほどの殺意に塗り潰された紅い瞳であった。
その瞳を見た時、クロ―ディアの理性の枷が外れる
目の前に迫る鋼色の物体が瞼を閉じたとしても眼球を串刺しにし、眼窩を貫通してなお止まらずに脳に突き立つ事を想像したわけでも、想定できたわけでもない。
ただ純粋に「自分が殺されようとしている」と、理性ではなく本能が判断を下したというだけだ。
「キレた」、という状態とは似通ってはいるが少し違う。
あれは怒りの感情から来るものであり、感情から来るということはつまり意志があり、理性が残っている事の証左である。
理性が消え失せ、野性が限界まで引き出された時、生物は余計な思考や感情を捨て去ってしまう。
感覚器官以外からも情報を収集し、本来であれば見えず、聞こえず、感じないものまでも感知し、脳がそれらを可視化、可聴化する。
生まれつき盲目の者が脳に特定の電流を直接流すことで任意の色や形を認識することができるように、生き物が見ているものや聞いている音は全て脳内で作り出された電気信号にすぎない。
では、その脳が普段見えない物や聞こえない音まで『見えている』、あるいは『聞こえている』と強引に定義し、生物の感覚に反映させたのならどうなってしまうのか?
クローディアにはそれが見えている。紅い光彩から入る余計な色彩情報は極力カットし、空気の流れる音や衣擦れの音から相手の姿勢、サイズを弾き出し、物理的に変更不可能な範囲で無意識に計算された数瞬後の相手の動きを予見し、わずかな魔力だろうと決して見逃したりはしない。
一連の情報処理はヒトよりもさらに発達した吸血鬼の脳内で異次元というに相応しい速度で行われるため体感時間は桁違いに長い。
その長さ故に、ほぼ100%脳の処理能力を引き出している状態にも関わらず理性が残り、感情が入り込む余地があるのが良いのか悪いのかは状況次第だが。
ともあれ、脳を使い切る状態に慣れていないクロ―ディアが感情を挟み込む余裕があるはずもなく。
迫る鋼杭の先と殺意溢れる眼を認識したクロ―ディアの本能が選択した行動は間に合うはずのない回避でも、意味のない反射でもなく、眼球からの魔術行使であった。
――ガリッ
およそ眼球にアイスピックを突き立てたとは思えない感触。シンが見たのは夢か現か、少しの驚きと多大な好奇によって血界中に余計な思考をしてしまった。
それをクロ―ディアの野性が見逃すはずもなく、自らの生存本能を満たすため、自らに殺意を向けた敵を排除すべく普段の彼女ではあり得ない反応速度で反撃の一撃を繰り出す。
手加減容赦一切なし。
シンの眼球めがけて放たれた手刀による突きは、自身の肩と肘の関節を破壊しながらも驚くべき正確性で見事に彼の瞳を刺し貫いた。
通常であれば致死の一撃だが、彼女の中にある吸血鬼としての本能はそう判断しなかったのか。
シンの眼球内で更に魔力を操作し、彼の顔面を眼球内部から弾き飛ばした。
響く炸裂音、飛び散る血飛沫、舞う血煙。
一人分の頭部が吹き飛んだ際の血液の量などたかが知れるが、それでも「どこのB級映画だ」と言われてもおかしくない凄惨な現場が出来上がった。
「おぉ……これまた派手にやったな~……。どこのB級ホラーの演出だよ、こんな血しぶきブシャーしとけば怖がるだろみたいな血の量は。そんで? 相棒は生きてんのかー?」
「生きてるが?」
「さっすが再生だけは速いな~。んで、これ何? どういう状況?」
「クロ―ディアに血界を使わせただけだ」
「『使わせた』って……使わせただけで反撃まで喰らったのか?」
「あぁ。どんなものかと受けてみたが、中々の威力だったな。使い勝手も良さそうだ」
「ふ~ん。……能力は高そうか?」
「そこそこだな。適応も早い」
「おやおや……これはこれは、中々に凶悪な魔術を持たれましたな。私が分かりますかな?」
「ロフォカレさん……私、今……」
「ふむ……右目の視力はありますかな?」
無言のまま小さく頷くクロ―ディアを見たロフォカレは満足そうに頷くと彼女を立たせる
「よろしい。では何が起きたのか皆で整理してみますかな」
床に魔力を這わせて血を消すとシン達の話に加わる
「ん~と、それで? クロ―ディアの魔術はどんな感じのだった? その膜みたいなの作るのが全部ってわけじゃないんだろ?」
メレクがクロ―ディアの右目に指を差しながら問う
「視界が歪んでて見えにくいし目も閉じられないんですけど……これ、どうなってるんですか?」
「どう……って言われてもな~。めっちゃ固い透明な膜みたいなのが右目を覆ってるとしか表せないんだけど……」
自らの魔力で生み出したそれを不思議そうに触るクロ―ディア。破裂音と惨状に驚いて固まっていた獣人姉妹も合流してペタペタと触る
「まぁそれは後だ。話を戻すとして、自らの意志で……とは言えないが血界を意識して発動した感覚はどうだ?」
「最初は怖いって思ったんですけど、背中に鳥肌が立ったような感覚がして、それが頭まで来たらなんだかすごく冴えたような感覚になったんです。余計な思考が消えたというか、喜怒哀楽が沸きあがらなくなったような……今思うとちょっと怖いですけど……。あとなんだかィッ!? 」
言葉を続けようとしたが急に左腕を抑えてうずくまった
「……ふむ、約一分半か。中々の集中力だな。ロフォカレ、関節を付けてやれ」
「了解しました。どれどれ……腱も靱帯も切れてませんな。では少しの辛抱を……」
そう言いながら左腕を魔力で覆うと音もなく関節に骨が嵌っていく。音は無いが、骨が動いていると見て分かる様は慣れていなければ中々にくるものがある。
「これでよろしいでしょう。痛みはありませんかな?」
「はい、ありがとうございました……あれ?」
「おぉ、右目の膜が取れたな~。よっ……と、なにこれ想像以上に固いじゃん! どこからこんなモン創ったんだ……?」
「……血操術か。間違いなくこれだな。名の通り、血液を操る魔術だろう」
札の影響で今は見えないステータスを思い出しながらシンはメレクから透明な膜を取り上げた
「ほう……軽いな。ガラスや水晶に見えなくもないが……原料は涙だろう」
「涙? 血じゃないじゃん」
「涙と血は成分がほぼ同じだからな。広義的に見れば『血』となるんだろう。爪が伸びたのには驚いたがな」
「爪……お、ホントだ。血が出てる」
「ディア、少し顔色が悪いわね。大丈夫?」
「……えっ、あぁ、はい平気です。ただ少しだるい様な気がして……」
「精神的なものだな。集中しすぎている状態が一分以上続いたんだ、体は平気だが精神はそうではない。爪を見せてみろ。……ほぅ、治っているな……なら休め。ただし魔術を使った感覚は忘れるなよ」
「はい……客室に戻ってますね……」
「ロフォカレ、一応ついていけ」
「了解しました」
「さーて、気になるのはこいつの正体ですなぁ」
メレクがシンから膜を取り返して眺める
「正体って……それの?」
「涙って結論出たじゃん」
獣人姉妹が疑問を口にする
「まぁそりゃそうなんだけどさ……どう考えてもあり得ない硬さだから。これ。涙が原料なら塩の結晶か氷くらいしか個体として成り立たないはずなんだよね~。でもこの大きさの塩の結晶作れる塩分持って行ったら多分死ぬ。でも冷たくはないし、相棒が結構力入れて突き出したアイスピックで砕けないから氷じゃない。じゃあこれ、な~んだ?」
「そう言えば確かに……」
「ケッショウ…………??」
「分析の時間というわけだ、起きろロワリュアレ」
「はいは~い! リアちゃんだよ! おはよ!」
「挨拶は後だ。解析しろ」
「つれないな~。紙とペンちょーだい」
シンから紙とペンを受け取ったロワリュアレは早速六桁ほどの数字をスラスラと書いていき、丸と棒線を組み合わせたような図を描いていく
「うわ~、なにこれ~おもしろ~い。物理学者に喧嘩売ってるね~」
そう言いながらも二分ほどで描き終わった図をシンに渡した
「あぁ……なるほどな。これは確かに魔術だ。あちらのものとは大違いだったな」
「すごいよね~? なにこの分子配列。ダイヤモンドの結晶構造みたい。水だと絶対無理な形に魔力で無理やり結合されてるんだもん。電荷も結合法則も完全に無視してるよ~、これ」
「集中が切れて魔力の供給が止まった事で眼球に触れていた部分が元の涙に戻ったわけか」
「多分そう。魔力で無理やり結合してるから魔力が切れると元に戻るんだろうね~。これもすぐ液体に戻ると思うよ」
「俺の魔術とは別のベクトルだな~」
「お前の魔術は不便極まりないからな」
「そういう意味の別じゃねぇよ! 俺のだって使い方さえ間違わなければ超便利魔術だろうが!」
「条件がシビアすぎてチマチマとしか使えてないだろう。お前の能力はこの世で最も使いづらいものの一つだ、諦めろ」
「くっそ~……もうちょっと条件にゆとりがあれば…………」
「そういえばお兄ちゃんは大丈夫なの?」
「何がだ?」
「えっと……血界? っていうの使うと精神的に疲れるって言ってたから……」
「そういうことか、無用な心配だな。その気になれば一生使い続けても疲労など来ないように対策してある」
「対策なんてできるんだ…………」
「いやいや、言っとくけどまともな方法じゃないからな~? まず精神がおかしくなること請け合いだからやめといた方がいいぞ。そうそうできるもんでもないけど。いや、訂正。聞くだけでも頭こんがらがったり気分悪くなるからやめとけ」
「どんなこと?」
「訊くなって……」
「そうだな、では考え方だけ教えてやる。血界を使う上で問題となるのは集中力に個人差がある事と使った後に倦怠感が襲う事。集中力については吸血鬼だろうとどれだけ鍛えても一時間がいいところだ。倦怠感については精神的なものだと分かっている。さて、解決するにはどうすればいい? 答えは簡単だ。問題の根幹は精神が一つしかないという思い込みに起因する」
「精神が一つしかない……思い込み?」
「思い込みじゃないでしょ? アタシはアタシだもん」
「普通はそうだ。だが世の中には複数の人格を一つの体に内包する者もいる。俺の場合はその応用、同一の人格のまま複数の精神性を作り、連続で切り替えていくことで集中力を持続させている」
「……よく分からない」
「……何言ってんの?」
「要するに木のようなものだ。人格や根の部分は同じだが幹という統合精神から枝分かれし、個々の精神性を管理している。人格障害一歩手前といったところだな」
「自分の中に自分と同じ精神がいくつもあるって事?」
「そういうことだ」
「なにそれ……想像しただけでおかしくなりそうなんだけど……」
「日陰で長く生きてる腕利きは大抵身に着けてるものだが……そのうち嫌でも分かるようになる。そういう世界に踏み込めば、の話だが」
「だから訊くなって言ったじゃんか……まぁ、実際あると便利だけどな~」
「え、メレクお兄ちゃんもそういうのあるの?」
「メレクの場合は二つだけで見分け方も楽だがな」
「早速ネタバレするのやめろよ!? しかも見分けやすいってなに!?」
「ほぅ、自覚なしか。丁度いい、切り替えて自己紹介してみろ」
「はぁ? …………うし、オイラがメレクだよ~……ってこれでいいのか?」
「あっ」
「ホントだ」
「えっ? 何?」
「言うなよ。自覚したら見分けが面倒になる」
「「はーい」」
「何!? なんだよ!? 気になるだろ!?」
「フッ……クククク……ダメ……お腹痛いわ……アンタ本当に気付いてないのね…………」
「笑うなサビロス! オイラがそんなに変な事したか!?」
『本日も空船をご利用いただきありがとうございます。お客様にご案内いたします。これより当機は霊峰、サドディオリを迂回しサンク海洋上へ到達いたします。激しく揺れる恐れがありますので座席にお戻りください。……本日も空船をご利用ありがとうございます。お客様に……』
複数言語で同じ内容を繰り返すアナウンスが流れ、盛り上がりをみせた場の空気に静けさが戻った
「座席に戻れとさ。どうすんだ?」
「特に反発する理由も無いだろう? 戻るぞ」
「サンク海……サドディオリ……どこかで聞いたような……」
「窓際の座席なら壮大な景色が見れるだろうな」
「何? カロメウェ、なんか知ってんの?」
「いや、自分の眼で確かめるといい」
「んじゃ戻るか~。体はあんま動かせなかったな~」
「あの腹黒そうな公務官の事だ。どうせ面倒な案件を押し付けられることは目に見えている。嫌でも動かすことになるだろうな」
「それはそれでめんどくさいな……」
目的地 アデルニクスまではまだ遠い――




