25 等価の対価
クロ―ディアと黒い狼の距離が、フォローも回避も迎撃も間に合わない範囲に入ってしまった瞬間、素早く動いたのはシンとメレクであった。
「メレク」
「万物の等価交換」
隣に立つメレクの名を呼び、呼ばれたメレクが力を使ったのはほぼ同時。
クロ―ディアが死を覚悟した瞬間、メレクの力が発動する
その場からクロ―ディアが消え、メレクの方に倒れ込む。
一方、一瞬前までクロ―ディアがいた場所にはシンが立ち、左腕を狼の口に向かって振る勢いを利用して体を横にずらした。
当然左腕に噛み付かれて骨が見えるほど肉が抉られるが、シンはお構いなしに狼の鼻の上を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。
狼の歯によって左腕が完全に切断されるがお構いなしに今度は右足で鼻を押さえつける。
長年の戦いによって鍛え抜かれた筋肉と、外れたリミッターによって出すことのできる筋繊維が悲鳴を上げるほどの力で狼の口を地面に縫い付けるシン。
既に完全に再生した腕を、取り出した剣で肩の辺りからもう一度切り落とし再生させる。
狼の方はと言えば、足をがむしゃらに動かし、口の間から唸り声とともにこぼれる唾液が糸を引く。
切り落とされた腕から滴る血を見て充血した目がさらに理性を失ったように見開かれていた。
「おいおい、なんだよそいつ。完全にイっちゃってるじゃん。あの突撃からして理性残ってないんじゃない?」
メレクが呆れたようにそう言う
「あぁ、確かにな。だがこの理性の失い方からして、俺にはこいつの正体が何だか分かった気がするぞ」
「正体? 飢えすぎて理性を失った狼じゃなくて?」
「まずはこいつを大人しくさせるか」
シンはそう言うとナイフを取り出して狼の鼻に突き刺した。
痛みで多少理性が戻ったのか、充血した目は細められ、敵意はさらに増したようにも見える。
それを見たシンは薄く笑いながら一本目と同じ形のナイフを取り出し、今度は黒い魔力を纏わせて狼の眉間に軽く触れさせた。
眉間から薄口が流れ、狼が唸り声を潜め、抵抗するようにあがいていた足も止める。
「怖いか? お前は今、自分の死を見たはずだ。怖かったよな? そうなりたくなければ言ってみろ。お前は何がしたかった? 何のために生きている?」
おおよそ狼にすることではない問いかけ。だがシンはその紅い瞳をそらすことなく狼の充血した赤い瞳を見た。
シンがゆっくりと鼻の上から足を降ろす。もちろんナイフは眉間に突き付けたままで。
「…………キュウケツ……キ……コロス……イナ……ク……ナルマ……デ……」
「はい!? 狼が喋った!?」
「魔物がしゃべる? そんなことって……」
「お前は望んでそうなったのだろう? 違うか?」
「キサマ……ラ…………ミガッテナ……アクマ……」
「ほぅ、お前は強制されたのか。ならば吸血鬼を殺したくなる気持ちもよく分かる」
「ソコ……オンナ…………コロス……キュウ……ケツ……キ…………」
「やはり吸血鬼かどうか分かるのか。少し詳しく聞いておきたいが……俺達は急いでいる。お前に構っている暇はないのでな。死んでくれ」
そう言うと同時、狼の影がシンの体に無数の針となって突き刺さる。
それと同時に狼の頭蓋にナイフが刺さり、一瞬後に頭が吹き飛んだ。
「おいおい……大丈夫か~? なんかめっちゃ刺さってるけど……」
「いくつか致命傷だが……即死するような場所には刺さっていないから問題ない」
「無茶すんなー……で? あっさり殺しちゃったけどそこの狼は結局何だったの?」
「お前たちは覚えてないのか? いただろう、狼に変わり果てて恐れられた奴が」
「ん~? ……えっ、あれって創作された奴じゃなかったの?」
「私は覚えておりますよ。あの男は実に誇り高かったですね」
「メレクが知らないのは~、ただ単に覚えてないだけ~」
「俺は忘れたな。こんな奴は知らん」
「私もちょっと覚えてないわね~。こんなに強烈なら覚えててもいいと思うのだけれど……」
「まぁいい。とりあえずこの狼の肉は食べる気が失せた。ここらで適当に夕食でも作るぞ」
「え~、お肉無しー?」
「お姉ちゃん、喋る狼の肉は私も気味悪くて食べたくないよ……」
「流石に抵抗がありますね……」
「肉なら塩漬けと燻製された肉をたんまり買ってあるから安心しなさい! きっと相棒がおいしく調理してくれる!」
「たまには自分でも作れ。そもそもお前たちは食べなくても生きられるだろう」
「生きられるのと飢えないのとは違うだろ~。そんなこと言ったら相棒だって食べる必要ないじゃんか~」
「俺は自分で食べる分は自力で調達も調理もしている」
「メレクさんって料理できるんですか?」
「食べてみたい!」
「ちょっと気になるかも……」
「リクエストが入ったぞ。今日の調理はお前だな」
「マジかー、まぁいいけどさ~」
馬車に載せた荷物から肉や野菜を取り出して火起こしの魔道具で光源と暖を確保。
出来た料理をみんなで囲んで食べ始めたあたりで話題に出るのは馬車を挟んで放置してある狼の死体の事だ。
ロフォカレの力で血の匂いが漏れないようにしてあるが、あれを処理するのは中々に手間である。
それに狼が喋る理由も分からないまま。それについて知っているであろうシンが質問され、答えるのも当然の流れであった。
「あの狼が何なのか……か。そうだな、あれは言うなれば狼であってそうでない。そんな中途半端な存在だ」
「その言い方からするに、やっぱマジでアレなわけ?」
「お前が抱いていそうなイメージは容易に想像がつくが、そのイメージを壊すことを承知の上で言ってやる。そうだ、あれは人狼だ」
「うっそだろぉぉぉ……もっとカッコいいのかと思ってた……マジで狼じゃん……二足歩行してないじゃん……てか今日満月じゃないのになんで人狼が狼になってんのさ!?」
「あの……なんですか? その、人狼って?」
「狼男、ウルフマン、ワーウルフ、ウェアウルフ、ヴァラヴォルフ、ルー・ガルー、ライカンスロープ、リカントロープ……様々な呼び名はあるが、満月の夜に狼へと変身し、人を襲うという伝説の怪物だ」
「あの、兄さん……なんで兄さんが伝説の怪物なんて知ってるんですか? さっきの口ぶりだと初めて見たというわけじゃないんですよね?」
「あぁ。何せ実際に殺し合いをしたことも、一方的に殺したこともあるからな。始まりはとある馬鹿を始末するために追っていたんだが…………まぁこの話は今はいいだろう。当然人が突然人狼に変身するようになるなんて馬鹿みたいな話は存在しない。人狼になる奴等は元はそうじゃなかった。何だったか分かるか?」
「やっぱり獣人とのハーフだった……とか?」
「でも人を襲うってことは理性が無かったんじゃないの? ハーフでそんなことになる人なんて聞いたことないよ……」
「分からないですね……そんな病気も知らないですし……」
「まぁ、そうだろうな。人狼はな、元は吸血鬼だった奴の成れの果てだ」
その言葉にクローディアが身を震わせる
「クローディア、お前ももちろん例外じゃないからよく聞け。吸血鬼というのはな、他人の命で生き長らえる事を許された者だ。他人の血を啜り、魂という名の命を取り込むことで自分の命を伸ばしている。だが自分の魂一つに対して、取り込んだ魂が増えすぎると器である本人に影響が出始める。人格、精神、思考、果ては体格から体毛、内臓に至るまでな。恐ろしいのはじわじわと変化するのではなく、ある日突然変異するという事だ。変異から数日、あるいは数カ月……こっちではそれよりも短いか。その程度の期間は自我を保っていられると言われている。それが過ぎると影響を与えた魂の本能に呑まれ、理性が消失する」
クローディアはそれを聞いて浮かんだ疑問を口にする
「でも、兄さんはすごい数の命を持ててますよね? それはどうしてなんですか?」
「それはリガウロスの力が関係してるな。リガウロスはゴブレット……要するにコップの悪魔だ。器としての力が俺の魂が許容できる限界を広げているというイメージで良い」
「ま~、主様の場合は~、元から入る量は多かったけどね~」
「それは相棒が真祖って事も関係してんじゃないの? 初回特典的な」
「さぁな。それは俺にもよく分からん。とにかく、人狼はその魂の許容量をオーバーした狼の魂を取り込んだ者の末路というわけだ」
「なんで狼の血を飲もうと思ったんでしょう……」
「さぁな。向こうで死んだ奴は生き長らえるためにここの森にいた狼の血を吸ったのかもしれんが、俺が初めて会った人狼はどうして狼の血を飲んだのか……まぁ、知ろうとする気も起きないが。あの人狼が吸血鬼を殺そうとしたのはどこかの吸血鬼に強制的に吸血鬼にされ、挙句に人狼になったからだろうとは思うがな」
「そう言えばお兄ちゃん、あの人狼にとどめを刺した攻撃って何だったの? ナイフが刺さった瞬間に頭が爆発したように見えたんだけど……」
人狼の頭が吹き飛び、血しぶきが舞う光景を思い出したのか燻製肉と野菜で作られたスープを食べるスプーンが鈍くなるがディアーチェは知識欲の方が勝るようで興味津々な様子でシンに問いかけた
「あれか? あれはナイフに仕込んであるギミックだ。俺がどうこうしたわけじゃない」
そう言ってシンが宝物殿から取り出したのは持ち手の部分が太く、円柱状になったナイフだ。
正直握りやすいようには思えず、戦闘用のナイフには見えない。
「この柄の部分には……圧縮された空気のようなものが入っている。相手に刺してから親指の部分にあるスイッチを押すと刃の先から一気に噴き出す仕組みだ。相手の体内で解放されれば体の中から弾け飛ぶ」
そのあまりに恐ろしい仕掛けに三人娘は絶句。
余談だが、見た目だけではそこまで凶悪な武器に見えないこのナイフ、WASPナイフと呼ばれる水中でサメと戦うために開発されたダイバーナイフで、刺した後高圧ガスをサメの体内に注入することでサメの体を浮かせ、水面近くになると水圧の影響でさらにガスが膨張して破裂。その時にばら撒かれるサメの血で他のサメを誘導し、ダイバーの身の安全を守るというよく考えられたナイフなのである。
「明日も早いからな。奴に同情するのはやめておけ。獣になったのは奴自身の経験不足と知識不足が原因だ。吸血鬼されたのは同情に値しなくもないが、人の命を奪ってまで生きる覚悟が無いのならそれは単なる甘えに過ぎん。他を犠牲にできない命に、生きていく価値など無いのだからな」
「それでも私は……まだ他の人の命を奪って自分が生き長らえる事を選べるほど強くはなれないです……」
クローディアの消え入るような声。
吸血姫となった彼女が生きるためには血を飲まなければならない。ただ生きていくだけなら少量の血をもらえばいい。だが命をもらうためには、命が消えるほどの血を取り込まなければならない。
それは彼女自身分かっている。本能が、そうすればいいと教えてくるから。
しかしクローディアには、まだその覚悟が持てていない。
「それならそれで構わん。そういう生き方もいいだろう。俺にはできなかった生き方だ」
「兄さん…………」
どことなく重くなった空気を変えようとしたのか、ただ単に思い出しただけなのかは分からないが、メレクが荷物をごそごそとあさり、二つの瓶を取り出した
「そういえばさ、バルガドの店で見つけたんだよ! これ! 魔法薬!」
ジャーンと口で言いながらメレクが出した瓶はいわゆるポーションである。いかにもゲームにありそうな赤色と青色をしたポーションだ。
一言で言えば体に悪そうな色をした得体のしれぬ液体である。
「赤が体力回復ポーションで、青が魔力回復ポーション! マジでゲームみたいでビックリしたよ。こんなのが本当にあるんだもんな~」
「ゲーム? ゲームにポーションが出てくるんですか?」
「あたしはそんなゲーム知らないなぁー」
「私も~」
「えっ? クロ―ディア達はゲーム知ってるの?」
「はい、と言っても私は簡単なボードゲームしか知りませんけど……」
「大人が賭け事でやるカードゲームなら知ってるよー」
「私もルールだけなら知ってる……」
「なるほど~そっちのゲームか~。今度いろいろ教えて~。まぁそれはともかく、この魔法薬って本当に効くの?」
「効きますよ。ただ、薬なので服用する量には限度がありますけどね。それと、吸血鬼も含めて幽鬼系の魔物は体力回復ポーションは飲んじゃダメなんですよ。下手したら死んじゃいますからね」
「おぉう、マジか……ポーション中毒と回復系のアイテムでダメージ与える設定か? マジでゲームの中みたいだな……」
「体力回復ポーションは疲労回復の効果が、魔力回復ポーションは魔臓の働きを促進する効果があるそうですけど、安全面と品質管理の関係上製造はアズ・ナレプセに加入してる医療機関しか許可されていないので詳しい材料は秘密なんだとか」
「まぁ命賭けて戦ってる時に効果ない偽物の薬渡されても困るもんなぁ……でもポーションの価格釣り上げられたりとかしないの?」
「そんなことしたら加盟国が減っちゃいますよ。アズ・ナレプセは加盟国に対してある程度の発言権を持っていますけど、加盟国がいなくなれば空中分解してしまう組織でもあるので無茶な要求は通らないようになってるんです」
「へー、そういうもんなのかぁ」
「それにしても、高い再生能力を持ってる吸血鬼が体力を回復させるポーションが使えなくて、再生能力を持ってない人たちが体力を回復させることができるポーションを使うことができるなんて不思議ね。天は二物を与えずとはこのことかしらね? それよりクロ―ディア、魔臓って何かしら?」
「へ? 魔臓は魔臓ですよ。内臓の一つですけど……」
「それ、どこにある内臓?」
「肺と肋骨の間にある内臓ですよ?」
「…………メレク、あなた魔臓なんて聞いたことある?」
「いんや、俺は知らないな~」
「……呼吸する際に空気中に漂う魔力を取り込み、自らの属性の魔力だけ精製する内臓。……だそうだ」
「カロメウェ、あなたそういうこと知ってるならもっと早く言いなさいよ……」
「俺も今調べて知ったんだ。無茶を言うな」
「検索しないと知ることができないなんて……ホントに役に立つのか立たないのか微妙な力ね……」
「魔臓は空気中に存在する魔量を肺から取り込んで精製するけど、どうやって精製してるのかは原理も仕組みも解明されてないって本で読んだことある」
「ブラックボックスかぁ……何か難しい話になってきそうだから俺は寝るね。おやすみ~」
「火も消えてきたし、私達も寝ましょうか。リロ、あなたも座ったまま寝ないで。馬車に戻るわよ」
「む~…………」
「俺も戻るとしよう」
女性陣は馬車の中。男共は簡易テントの中。
多数決とは時として理不尽な結果を出すものである。
大きめの簡易テントの中にメレクが入ると既にシンが毛布を掛けて寝そべっていた。
「お? 相棒はもう寝てんのか」
「起きてるさ。今回の被害報告を受け取りたいからな」
「今回は全然さ~。効果が小さかったし範囲も狭かったからね~。それに同じ吸血鬼同士だったし」
「その程度で等価と見なされるような緩い能力なら積極的に使っているのだがな。今までから想像するに、爪でもやられたか?」
「おっとぉ、クイズでも出そうとしたのに先に正解言われちゃったよ、参ったね」
「どこの爪だ?」
「右手の薬指と左足の親指。二枚だけだよ」
「あまり使わせたくはなかったが、うまくいかないな」
「普通の狼なら間に合ってた。今回は相手が悪かっただけだろ」
「そうかもな。だがいつか相手が悪かっただけでは済まない時が来るかもしれない。それがいつ来るのかが分からない。……随分と久しぶりだ、身内に対する死が近い感覚というのは」
「純粋な力押しという意味では久しぶりに本気出してたもんな。全力ではなかったけどさ」
「五割も出せば十分だと思ってたんだがな。俺もなまったものだ」
「あんだけブランク抱えた後にあの力が出せれば十分すぎるだろ~。相手も怪物だったけど相棒もマジもんの怪物だって」
「そりゃどうも」
そう言ってシンがメレクに投げたのは手のひらに収まるほどの小さな瓶だった
「なにこれ?」
「蒸留酒だ。少しは痛みが引く」
「俺、酒は強くないんだけどな……」
「四十五度の酒だ。鼻をつまんで飲めばいい」
「そうかよ。今夜はいい夢見れそうだな、まったく……」
「さっさと飲んで寝るんだな。朝になればすぐ出発する」
「へいへい……んっぐ、んぐっ、んぐっ…………うあ゛ー、これはヤバい。喉が超熱い。なんだこれ、ヤバいぞ、これ」
「酒臭いぞ、何があった?」
「メレクが強い酒を飲んだだけだ」
「ヒック…………おぉぅ、かろうぇむもどうよ~? しゃむ~い夜にはぴったりらぞ~」
「馬鹿が馬鹿をしただけか。主よ、俺も寝るぞ」
「そうしておけ。ロフォカレの魔力が切れない限りは見張りもいらないだろう」
「肝心のロフォカレは既に寝ているがな」
「それでも魔力は維持するのだから大したものだ。俺にはできんな」
「俺にはそうは思えないが……」
「お前は俺を過大評価しすぎだぞ。俺は化け物の中ではそんなに強い部類ではないからな」
「強さにもいろいろある。俺の中では誰よりも生き残ったあなたが最も強いと思っている」
「生き残るだけなら最強である必要はない。言っただろう、俺はただ臆病だっただけだと」
「なら、臆病のままでいることも強さの一つだ。誰が何と言おうと俺の主はあなたしかいない」
「大した忠義だな。飼い犬にも負けないんじゃないか?」
「主にそう言われると悪い気はしないな」
「……もう寝ろ。俺も寝る」
「了解した。我が主よ」
消えかけの焚き火の煙が空へ上って行き、夜は一層更けていく――――




