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20 悪魔の取引

お待たせしました

「始めに言っておく、俺はどこの国にも付く気はない」



それは、自らの存在によって成り立つ利益を一切差し出す気はないという宣言


それは、世界が利益を求める代わりに保障する気でいた命を、自ら捨てる宣言


それは、『世界がどう動こうと知ったことか』という、宣戦布告に等しい宣言



その場にいた者達は、少なくともシンのこの言葉がこれらの意味を含んでいることを即座に理解した。……否、理解したつもりでいた。


続くシンの言葉に、世界の国々は選択を迫られることになる


「だが、それでは俺の事を殺すなり誘拐するなりしようとする輩が現れそうだからな。取引をしようじゃないか、世界各国の代表諸君」


『はぁ……え~、取引? 今の状況分かってます?』


「もちろんだとも、ケートス公務官。今の言葉で俺の命の価値は底辺近くにまで急落した。だからこその取引だ。…………世界各国の代表諸君、『莫大な利潤』と、膨大な命と時間を費やしても決して手の届かない、そんな『希少な知識』が、欲しくはないか?」


口の端を釣り上げたような笑みを見せ、まるで品定めをするような眼を世界中の代表に向けて、吸血鬼(バケモノ)は交渉を持ち掛ける


誰も口を開かない、開けない。


だが誰もが心の中で思っている。「欲しい!!」と。しかし同時にこうも思っている。「本当にそんなものがあるのだろうか?」と。


最初に口を開けば他国より一歩リードできる。だがあの吸血鬼と一対一で交渉すれば呑まれる(・・・・)嫌な予感がする。気付かぬうちに、気付かぬように、緻密な小細工(イカサマ)によって巧妙に自らの手札に破滅(ジョーカー)を滑り込まされるかのような、そんな嫌な予感がする。


だから誰も口を開けない。大国の王も、帝国の皇帝も、共和国の大統領も。

外交に携わって長い百戦錬磨の猛者たちが、自らの実績と経験とこれまでの努力に自信を持って踏み出すことができないほどに今のシンが纏う空気は異様なものであった。


静寂が支配する会場を見回し、シンがさらに口を開く


「言い忘れていたな。『取引』と言うからには当然こちらから提示する条件もある。先にそちらを提示しておこうか」


『来た!』


恐らくこの時、この場にいた全員が思った事だ。そしてこの条件次第で自国の状況や世界の情勢を含めたメリットとデメリットを素早く洗い出し、即断即決しなければならない。容易な判断は破滅を招くが、遅すぎる決断は自滅を招く。


もはや当初抱いていた吸血鬼は話が通じるのかなどという懸念は思考から弾き出されていた。

今必要なのは寝ても覚めても考えている自国を存続させる手段のみ。よりローリスクかつハイリターンな結果のみを求める事。


そしてシンが出した条件とは――――


「こちらからの条件は六つだ。一つ、俺とその身内はどこの国にも属さないことを確約し、証明すること。二つ、俺達の通行を国、及び組織が阻む事が無いようにすること。三つ、俺達の力を国家間の諍いに利用しないこと。四つ、俺達に手を出さないこと。五つ、滞在場所の自由を認めること。六つ、俺が求めた情報の開示。以上だ」


――――不干渉。


要するに国家や組織がシン達に干渉する事を禁止しろということだ。移動しかり、戦争しかり、束縛しかり、住居しかり。そして情報の開示を条件に入れたのは破られたときに報復する気があることの表れだ。

不干渉であればそれでいい。だがそれは、力と利益が欲しい各国にとってはあまりに酷な条件であった


「あまりに横暴が過ぎるな、吸血鬼。そんな我儘が通用するとでも思っているのか?」


エソド皇帝が平坦な声で問うも、シンはまだ話は終わっていないとばかりに話を続ける


「我儘ではない。『取引』だと言っただろう。横暴の対価にこちらはそちらに利潤と知識をくれてやる。乗るか乗らないかはそちら次第だ。さて、どうする?」


「利潤と知識の具体的な例を示せと言っている。今の貴様の言い分は世迷いごとと切り捨てられても文句は言えんぞ?」


自然な、あまりに自然な会話の流れでほとんどの者が気付いていない。

今、エソド皇帝とシンが一対一で交渉の席に着いていることに、その他大勢が、その席を遠目で眺めるだけの観客と化していることに。

この時点でエソド皇帝、つまりエイントラス帝国が一歩リードした


と、気付いたものは思っていた。エソド皇帝でさえも内心でそう思っていた。

だがシンの次の言葉でリードも意味のないものになる


「そうだな、分かりやすく簡潔に、具体例で示そうか。例えば――『世界地図』、とかな」


『なっ!?』


会場にいるほとんどの者が思わず声を漏らした。それほどにシンの言葉は衝撃的ということ。





世界地図。それは空を飛ぶことが可能になった現在でさえも作成することは不可能とされる人類の夢だ。

過去、多くの探検家や開拓者がその作成に人生をつぎ込んだ。

だが国の領内に存在する比較的(・・・)安全な海岸線でさえ、作成することは困難を極め、二百節前にとある国が世界地図の作成成功に莫大な賞金を懸け、多くの富豪や命知らずがこぞって調査や観測を試みたが、自然や魔物の猛威によって甚大な被害を出すだけで終わった。


この時の賞金はガダル換算で五百億Gになるともいわれているが、推定死者・行方不明者数三百万人超、負傷者八千人弱、損失資産推定二百億Gという被害の前では霞んでしまっている。

また、死者・行方不明者と負傷者の数が大きく違うことから、冒険者の間では『人類の生活圏外で負傷した奴は生きて帰れない』と言われるようになった。


このような歴史から今では世界地図作成は夢物語となっている。空船での航路を確立させるために各大陸の位置やおおよその形を記した大陸間地図は存在するが、地形や環境、海岸線を克明に記した地図は未だどの大陸のどこの国家も有していない。


『あり得ない』


そう言ってしまうのもいいだろう。だが自分たちの前に立つ吸血鬼の態度が、表情が、纏う空気が、その一言を口に出すことを許してくれない。

それだけならば己の精神的な問題だ。理性でねじ伏せることもできただろう。

だが吸血鬼が持つ異人という立場、未知の魔術を複数操るポテンシャル、強力な不死性が理性で否定することの邪魔をする。


まさか、いや、だが、そんなことが……


そんな言葉が自分の頭の中をグルグルと回っている事を感じながらも「不可能ではない」という言葉が心の隅に引っかかってしまう。


極めつけは吸血鬼の話の流れだ。あの吸血鬼は膨大な命と時間を費やしても決して手の届かない希少な知識と言った。世界地図はまさにそれに当てはまる。

そして吸血鬼からの無茶な要求。不干渉など、どこかの国で暮らしたいなどの要求の方がまだ遥かにマシな要求だ。利益が欲しい国が飲むわけがない。


だがそんな無茶な要求だからこそ世界地図の信憑性が増してしまうのだ。

吸血鬼の態度からして本気で無茶な要求を通そうとしている。その無茶を通すための世界地図。

確かに世界地図が手に入るのならば飲んでもいい、そう思えてしまうほどの究極の知識の塊。

しかも即座に利用可能な戦略兵器にもなりうる代物。

大国はもちろん、小国なら喉から手が出るほど欲しいだろう。


そしてそんな事を瞬時に思考した彼らに、シンは静かに王手をかける


手錠をかけられたまま手のひらを上にし、宝物殿から丸められた大きな紙を取り出す

それを見た者達は警戒をあらわにするが、次の言葉でそれも霧散する


「これが実物だ。確認してみるか?」


そう言って紙をゆっくりと広げ始めるシン

カサカサと紙が擦れる音が静かな会場にひどく響く。

とてもつもなく長く感じる数秒が過ぎ、シンが地図を広げ、掲げた


そこに描かれていたのは十一の大陸


中心にサンク海と書かれた海が存在し、その四方を四つの大陸が囲む。

北をアストレア大陸、東をガトナール大陸、南をミソロフィア大陸、西をエカルタス大陸。

エカルタス大陸の南西にはまるで花が咲いたような形の大陸、ブラトニア大陸が存在し、ガトナール大陸の更に東にはクリオネの頭と胴が分かれたような形の大陸が二つ。北の大陸にはグルタルス、南の大陸にはパラミリアと書かれている。そしてさらに東にはU字の大陸と、U字の大陸と細く地続きになっている大陸が一つ。その南にはほぼ円の形をした丸い大陸が一つ。

そして全ての大陸の南、ちょうど南極と同じような位置にある最も巨大な大陸、バブルミアン大陸が描かれていた。


それを見た者達の反応は大きく三つ


絶句している者、疑うような眼で見ている者、興味を失ったように頭を振るもの


だがこの三つの反応を見る者が見れば分かる。

シンが提示した世界地図は本物である――と。


何故なら絶句した者は皆大国の王や皇帝、大統領であり、疑うような眼で見ている者は小国の、興味を失った者は代表になって日が浅いものか、代表代理で出席しているものだからだ。


その差はつまり、持っている情報量の差である。


「さて、俺の出した条件を飲み、条約なり証明文書なりを作成するのならばこれを五百万G、大陸ごとにより詳細に描かれた地図は三百万Gで売ってやる。」


「…………一つ目、三つ目、四つ目は実現できる方法はある。だがそれ以外は難しいな」


「理由を聞こうか、ヴォルツ王」


ヴォルツ王がシンとの取引に乗る気であることに会場はまたもざわつきはじめる

なにせヴォルツ王が治めるエドナ王国はエカルタス大陸の約六分の一を占める大国である。水産資源、森林資源、地下資源に恵まれており、生活水準も世界トップクラス

そんな国の国王が偽物の可能性の高い(・・・・・・・・・)地図を大金で買う気なのだから無理もない


「まず通行の話だが、そなたの言い分では全ての関所、閉鎖区域、立ち入り禁止区域をスルーできるにしろということであろう? それを実現したとして、そなたが危険物の持ち込みや密貿易をしないという保証が無い。それともう一つ、世界にはアズ・ナレプセに加盟しておらぬ国もある。その国にはこちらの意向も通らぬであろう。次に滞在場所の件だが、滞在の前例を生むと面倒な場所が多くあるのを理解してもらいたい。法の下許される範囲内ならば可能な限りの協力をすることはできるであろう。問題は最後の貴公が望む情報の開示。これが最も難しいことなのはそなたも承知の上であろう? どの場合にどこまでの情報を開示すべきか、その線引きを行わねばならぬ。これには時間がかかることも承知してもらいたい」


「なるほどな。ではこちらからもう一つカードを出そう」


「もう一つ?」


ヴォルツ王の言葉の全てを許容も拒絶もせず、シンは新たなカードを切る


「限定的な状況に限り、俺の力をこの身に宿る武力に限り貸してやろう。こちらから提示するのは莫大な利潤を生む知識の塊、世界地図と俺自身の武力だ。さぁ、どうする? 取引に応じるか? それとも今ここで殺し合いでも始めるか? 単純な話だろう。富と知識と力はくれてやる、対価としてお前たちの人生で築き上げた権力、実績、名声、信頼。それら全てで保証できるだけの自由をよこせというだけだ。さぁどうする? チップは山積み、カードも出し切った。あとはコール(のる)ドロップ(おりる)かを宣言するだけ。保証する国家にのみあらゆる力をくれてやる。どちらを選ぶかはお前たちの自由だが、選択するチャンスは一度限りだ。よく考えて選べよ?」


一方的に始まった取引。応じれば莫大な富とかけがえのない知識、強大な武力が手に入る。対価として提示されたのは自らが築き上げてきたあらゆるもので新たな条約や文書を作ること。

不可能ではない。が、相手が信用できるのかは未知数。

努力など考慮しない。結果のみで示せという。

妥協案など認めない、応じるか否かの二択のみ。

まさに悪魔の取引。だがそれを考えても、得られるものは非常に魅力的であった




『いいでしょう、アズ・ナレプセはその取引に応じます』


初めにその言葉を聞いて即座に反応できたものは、果たして何人であっただろうか


「ほぅ? そっちは最後にどうするか選択するのだと思っていたのだがな?」


『そうなんですか? まぁ僕としてはぶっちゃけ上役が決めた方針に従って仕事をしているだけなんですけどね。あなたとの取引に応じるというのもたった今上層部が決定したことですし』


「いいだろう、それで? どんな形で俺の提示した条件を実現させるんだ?」


『それをご説明する前に一つだけ、今この場にいる代表者全員に向けての通達です。我々アズ・ナレプセは彼との取引に応じることと致しました。事後承諾ではありますが、状況を鑑みての判断ですのでどうかお許しを。また、先程この取引に乗り気ではなかった方々もいらっしゃるでしょう。その方たちが考えていることもおおよそ承知しております。彼の提示した世界地図、それが出鱈目の内容なのではないかと危惧しておられるのではないでしょうか?』


この言葉が図星だった者が少なくないことは冷や汗を流している者達を見れば一目瞭然であった


『それについてはご安心ください。彼の世界地図が手に入れば隠す必要もない、とのことなので公開いたしますが、空船が完成してから約百節もの間、我々は魔物の生息域をデータとしてまとめるため、非公式に世界各地の地形データを調査してきました。もちろん三十五節前に計画が中止されるまで少なくない犠牲を払ってきましたが、そのおかげでおおよその地形と大陸の位置関係、大きさ、形などを把握することに成功したのです。この計画で確認できた情報を元に大陸間地図が作られた、と言えばご理解頂けますか?』


恐らく犠牲を払ってまで行う価値のある計画であったのかと意見しようとしていたのだろう、取れる揚げ足を見つけてニタリとした笑みを微かに浮かべていた数人が仏教面へと変わった


『さて、ここまでは我々の情報部門にスパイでも送れば、一部の情報ならばその首とともに本国に送れる程度の情報です。ここからは限られた極僅かな者にしか知られていない極秘情報……だったものです。先程言ったようにこの計画は三十五節ほど前に打ち切られました。原因は多大な人的被害による情報秘匿の限界とそれによる調査員の人手不足です。五十人近くの地形調査のエキスパートが亡くなってしまったのですが、彼らが死亡する直前まで行っていた調査、いったいどこに派遣されたと思います?』


多くの者がその質問に疑問符を浮かべ、その答えが返ってくることはなかった


『……いいでしょう、では説明いたします。三十五節前、我々は今ある大陸間地図の()に、三つの新大陸を発見いたしました。皆様はこちらの本をご存知でしょうか?』


そう言ってケートス公務官はどこから取り出したのか、一冊の小さな本を取り出した

題名は『探検家タネカの冒険 Ⅵ』と書かれている


「その本なら有名だろう。探検家タネカといったら一昔前まではただの空想家だったのが、その本に書かれてたのと一致する場所が世界中で見つかったことで六十節ほど前から探検家になるために冒険者を目指す若者まで出始めてきた。もう一種の社会現象だ。もっとも、私もその本を読んだことはあるが」


『おや、ゼレファス王がこの本を読んでいるとは意外ですね。お好きなんですか? 冒険譚』


「昔の話だ。まだ世の中を嘗めていた若造の時に読んでいた。まぁ、今じゃ毎日が手続きと国の今後を考える探検とは程遠い生活を送っているがな。それはともかく一つ質問してもいいかな?」


『ゼレファス王がお聞きしたいことはよく分かっています。なぜここに六巻があるのか? ――でしょう?』


その言葉を聞いて意味が分からない、と思ったのは少数派だ。ここにいる者達は大体が同じ疑問を覚えている


『僕の言葉に疑問を呈した方々の為に改めてご説明しますと、実はこの冒険譚、売られていたのが二百節ほど前でして、今あるものはほとんどが写本だとされています。そして当時から現在まで、売られているのは五巻までなんです。ですが今ここに六巻がある。では何故この六巻は売られなかったと思います?』


「売れないものが市場から淘汰され、歴史から消えていくのは当然だと思うのですが。要するに当時の世間のニーズに合っていなかったから売れなかった、売れないと分かっているものを写してまで売ろうとする物好きはそうはいません。自然、市場に出回る数は減少し、本という保管することが前提のものであるが故に既製品が再び市場に出回ることもない。結果として世の中から忘れ去られたとしても、問題では無いと思いますよ?」


『流石はマネル大統領、経済大国の長は伊達ではありませんね。しかしその考えには根本的な問題があります。それは何故、二百節が経過した今でも知られている冒険譚が六巻だけ需要が無かったのか? 不思議ではないですか? 五巻までは売れていたのにも関わらず六巻目は全く売れない。その需要の差は、この六巻を読めば五分で理解できると思います。少し音読してみましょうか』


そう言ってケートス公務官は手に持った小さな本をパラリと開き、小さい咳払いの後に朗読し始めた









            探検家タネカの冒険 Ⅵ



私が今まで書いてきた本はこれで六冊目となるが、これが最後となるだろう。

ここに記すのは私が、私達が見てきた現実とも夢物語ともつかない探検の日々である。


私達は東の果て、パラミリア大陸最東端のセゾン岬で長い旅路を語り合い、その険しい道のりを思い出していた。その時にいつもは無口なバドルがふと思いついたかの様に言ったのだ。


「ここが東の果てならば、目の前にあるこの広大な海のその先には、一体何があるのだろうか」


衝撃を受けた。その時の私は西の果てから東の果てまで行くことしか考えておらず、道中の奇奇怪怪で困難な数々の出来事がそれを成したという実感を湧かせて止まなかったのだ。


当然嬉しかった。至福とまで呼べるほどの達成感と満足感に包まれ、奇跡とまで呼べるほどの幸運を神に感謝した。

だが一方で、その時の私は不安と寂しさも感じていたのだ。

がむしゃらに進み、それに己の全てを捧げ、その過程に己自身を見出してきた。だがそれが達成されたその時、心のどこかで喪失感が叫び声を上げていた。


そして思ったのだ。


私はこれから、何を目標にして生きていけばいいのだろうか、と。


もちろん家に帰るという選択肢もあった。だがその時の私はバドルの言葉に言い知れぬ魅力を感じたのだ。

こうして私達は探検を続けることにした。大陸の果てではなく、世界の果てまで。


私達はパラミリア大陸の東海岸から船を自作し、海に出た。

しかし私達は探検家であって航海士ではない。海に出てから四日後、ついに遭難したのだ。


空と海を繋ぐ水の柱が幾本も立ち、天の怒りが我々の行く道を遮る中、ウィリーが奇妙な形の雲を見たという。

何を当たり前の事をと私たちの誰もが思った。なにせその時は大時化(おおしけ)で、空は分厚い雲に覆われ、奇妙な形の雲など見つけようと思えば見つけられたのだ。

口を動かすよりも手を動かせとジェギーが怒声を上げたが、ウィリーは海の先から雲が吹き上がったと言う。

それを聞いた私達が取った行動は一つだ。

すぐにウィリーに詰め寄ってどの方角に雲が見えたか聞き出し、その方角に舵を切った。

普通の人ならばウィリーの正気をまずは疑っただろう。しかし私達は探検家、人類未踏の地をその身一つで踏破する大馬鹿者である。

今まで見たこともないものをこれまで命を預け、預かってきた仲間が見たといったらそれを信じるのが現場のルールなのだ。


そして十日後、食料が尽きかけたその時に、我々はついに発見した。新大陸を









『――――以上です。以降、この本には世界各地の危険地帯とは似ても似つかない……恐らくより危険であると言える環境、生物、自然現象について記されています。ここまで読めば皆様にはお分かりでしょう? 多くの探検家も愛読していたといわれるこのシリーズの第六巻のみが何故売れなかったのか』


「気が触れたか、もしくは空想の産物を書き記していると評価されたのであろうな」


ヴォルツ王が静かにそう言うとケートス公務官は静かに首肯する


『えぇ、恐らくその通りでしょう。まずこの場面には正確な方角や時間が記されていません。さらに船を自作し海を渡ったとありますが、海の魔物に襲われたという記述もない。さらにこの本を書いた探検家タネカの出身地で伝わっている話によりますと、タネカ氏は探検から帰ってきたとき、右足と両腕、右耳に右目を失い、口の左側は頬が大きく裂けて縫った跡があり、まるで生きた死人のようであったといいます。時折叫び声を上げ、意味の分からない言葉をブツブツと呟いてたとも言われ、気が触れていたというのもあながち間違いでは無いのでしょう。これらの本もタネカ氏の死後に写本として売られているのでタネカ氏本人が書いたのか不明です。この六巻のみ他人が書いた可能性もありますから』


要するに本人が書いたかどうかが分からない、本人が書いたとしてもその本人自身が錯乱、発狂していた可能性がある、正確性のある具体的な記述が見当たらず信憑性に欠ける、実際にやるとしたら起こりうるはずの魔物の襲撃について書かれていない。


これだけ揃えば現実的な問題が重なれば大半の人間は空想本だと確定付けるだろう。

ましてこの本に需要があったのは探検家なのだ。

探検家とはまだ見ぬ新天地を求め夢想する者が多いが、その分誰よりも現実主義である。リスクを理解し、そのための対策を立て、不測の事態にも冷静に対処しなければ死ぬかもしれない。

そんな状況下に自ら飛び込むのが探検家であるが故に誰よりも現実を直視する。


だからこそ多くの探検家にこの六巻は受け入れられなかった。誰しも自らの常識が壊れるのは嫌なのである。

ならば子供達には受けるのだろうかと言うとそれも難しい。

六巻にはそれまでの五冊を読まなければ理解できなかったり意味不明な記述も多く、その五巻までが子供には難しい言葉や記述で溢れている探検家向けの本であるため結局大人にしか売れなかったのである。


『要するにこの本は廃れるべくして廃れた本ということです。ですが空船が完成し、様々な魔法薬が生まれ、人類の力が大きく成長した百節前、完成した空船を前にして誰もが思いました。自分たちの住む世界の姿を見てみたい、と。しかし当然空に住む魔物が自らの縄張りに入ってくる餌を攻撃しない理由がありません。結果として大陸の位置と形の把握はしたものの、空船の航路は魔物たちの縄張りの間を縫うようにして設定され、操縦には高度な技術が求められるようになりました。空船の完成に人類が沸きましたが、それによってある問題が生まれました』


まるで用意された台本を読み上げていくかのように話は続く


『それが起こったのは空船の限界高度を調べるための実験でした。空船に取り付けられた貯像水晶で記録された映像によって到達高度を計測する実験で、公式記録は高度四千メートルとなっていますが、実はこの記録、嘘なんです。実際の到達高度は八千メートル。なぜこんな嘘を公開したかというと、高度六千メートルからの映像に、あるはずのない九つ目の大陸が映ってしまったからです。ブラトニア、エカルタス、アストレア、ミソロフィア、ガトナール、グルタルス、パラミリア、そしてバブルミアン。それまで人類が知り得た八つの大陸のどれでもない、新大陸が』


ここで一泊の間を置き、すべての者が話に追いついていることを確認したケートス公務官は傍に置いてあったコップに入れられた水を飲んで話を続ける


『……ふぅ、さて、その映像を我々は世に出すのは時期尚早と判断し、押収と口封じを実行。いつか起こるであろう新大陸の利権問題の際、戦争を起こさぬように我々が主導できるよう、独自に新大陸の調査を行いました。その調査によって発見されたのがこの本であり、本の内容を確認するため新大陸に調査隊を送ったのが三十五節前というわけです。そしてその前段階の調査、探索で判明したのは人類に知られていない大陸が合計三つに及ぶことでした。既存の八つの大陸と合わせてこの世界にある大陸は十一というわけです。新大陸と呼ぶにもどこを指しているのか分からないので、我々は既存の八つのうち氷に閉ざされたバブルミアン大陸以外の七つを人類領、バブルミアン大陸と新大陸三つを含む領域を未踏領域と呼ぶことにしたのです。三十五節前、様々なエキスパートを投入して行われ、多大な犠牲を払った任務がその未踏領域の調査です。そして今回の取引で吸血鬼である彼が交換材料とした世界地図に描かれていた大陸は十一。この地図が信頼性のあるものかどうか、そしてどれだけの価値を秘めているのか、皆様ならもうお分かりですね?』


静まり返る議会。知識のない者が描いた世界地図ならば大陸は人類領の七つのはず。知識のある者が描いた世界地図なら八つの大陸が描かれている。だが世界が秘匿した三つの大陸を位置、方角、数ともに秘匿された情報と大差ない地図を描ける者はほぼいない。


正真正銘本物の世界地図。国際機関が太鼓判を押したその地図に自然と視線が集まる


だがここで、その空気に水を差す者がいた


「ちょっと待てケートス公務官、それでは何か? アズ・ナレプセはその三つの大陸の存在を断りもなしに独自判断で秘匿して自分たちだけ調査してたという事か?」


『えぇ、その通りですバイジャン王。我々は新大陸の存在は世界のバランスそのものを崩しかねない危険因子と判断し、その存在を秘匿いたしました』


「それはフェアじゃない。そうだろう? 俺達はアズ・ナレプセに加盟し、その存在を支持する代わりにそちらが生んだ技術や手に入れた情報をシェアする。そういう契約だったはずだ」


『確かに我々はアズ・ナレプセに加盟された各国に対し技術提供や情報支援などを行うこともございますが、お忘れですか? 我々世界合同統合連盟、アズ・ナレプセが掲げる理念は世界平和(・・・・)です。新大陸の案件は、その存在が世界に知られた場合、利権闘争、資源戦争、大規模派兵、その他諸々の混乱を世界に起こさせる可能性がありました。故に秘匿させていただいた次第です』


「下らん。世界平和がなんだというのだ! 我々境界国からも搾り取ろうというのか!? 契約は契約だ、それが果たされないのであれば今後そちらを信用することはできんぞ!!」


激昂するバイジャン王。しかしケートス公務官はため息を吐き出し、冷ややかな目でバイジャン王を見た


『我々も魔物の生息圏に隣接する境界国の国営がいかに困難かつ不安定なものであるかを理解しているつもりです。しかしながらバイジャン王、世界に存在する境界国は貴国だけではありません。人類は有史以来その生活圏を魔物と奪い合い、果ては人類同士ですら争い合った。世界平和とは、人類の夢です。ですがその夢を実現させようとしているのが我々アズ・ナレプセであり、その実現には馬鹿げたほどの尽力と奇跡を積み上げねばならぬとご理解ください。不毛な戦争や争いで疲弊した人類など魔物の餌でしかありません。それでもなお、自ら進んで餌になりたいというのならばそれもいいでしょう。しかしそれはあなた一人で魔物の巣に飛び込んで終わりにしていただきたい。罪のない貴重な人命をいたずらに脅かすというのならば……我々とて手加減はしませんよ?』


ケートス公務官の言葉に込められた言い知れぬ威圧感にバイジャン王が気圧された様に唸る


「やめておけバイジャン王。これこそ不毛な争いだ」


エソド皇帝がバイジャン王に語りかける


「しかしなエソド皇帝よ、我々はアズ・ナレプセの維持に少なくない援助をしている。それでこちらには何も伝えず独自に調査をしたなど信用できる話ではない! どこで横領や個人の財布に入れられているのか分かったものではないわ!!」


「技術提供や支援を受けているのは事実。資源を抱えているかもしれん大陸にどこぞの国が抜け駆けする可能性があったのも事実。資源戦争、利権闘争が高確率で起こる可能性があったのも事実。むこうの言い分は正論だ。我々は良くも悪くも国という不安定な力を持っている。だがそれ故に節度というものを忘れやすい。生き急ぐな、目先の利にうつつを抜かせば足元を掬われるぞ。」


「だがこんなことではどのみち足元を掬われるかも分からんじゃないか! 秘密にも限度というものがある!」


「まぁそちらの言い分も分からないでもない。しかしなバイジャン王、もしあちらが本気で隠そうとしたのならばあのタイミングでそこの吸血鬼に応じることは無かっただろうよ。ヴォルツ王は取引に乗る気でいた。もちろん細かな調整は必要だが、最終的には飲むだろう。私も乗る気でいた。それが分からぬ程ケートス公務官は馬鹿でも愚かでもない。だからこそあのタイミングで宣言したのはむしろあちらの誠意以外の何物でもないだろう? 黙っていれば勝手に手に入ったものを秘匿していた情報をあえて公開したのだからな」


「む……確かにそれはその通りだが……しかし……」


「いい加減にせよバイジャン王。貴公とて秘め事の一つや二つはあろう。それはいかなる国だろうと組織だろうと同じこと。人が関わる物ならば自然とそうなるものなのだ。我から言わせてもらうのならば、秘密の無い組織や国ほど危険なものはない。まして我らは皆少なからず平和を望んでいる。そのために必要とあらば犠牲を敷くこともあるであろう。平和の実現とは言うほど容易くはないのだと肝に銘じねばならぬ」


「…………。」


ヴォルツ王の言葉に、ついにバイジャン王は沈黙した


『バイジャン王、どうしても気に入らないと言うのであればアズ・ナレプセから脱退するという選択肢もありますよ? しかし貴方は今、一個人ではなく数百万の民の命を背負う王としてここにいます。それを今一度よく考え――』


「分かった」


『――て……はい?』


「了解したと言っている。最早何も言うまい、万が一騙されたときはここにいる全ての王が騙されていたという事。ある意味平等だ、ならばこれ以上俺だけが騒ぎ立てたところで王としての矜持(きょうじ)(けが)れるというものだ」


「よく言ったバイジャン王。そうだな、もしこちらも騙されて国益を損なうようなことがあったら即刻アズ・ナレプセにはこの世から消え去ってもらうとしよう」


「そうさな。その時には我も加勢しようぞ」


『うわぁ……それは怖いですね。高いお酒を妻に内緒で買って殺されかけた思い出が蘇ります』


先程までの真面目な雰囲気はどこへやら。議会は笑い声に包まれ、それが鎮まるころには各国の王達の決意は固まっていた



こうして、たった一人のために世間には公表されない国際機関公認の裏条約が世界約百ヵ国で締結される。

細かい条件や項目は意外にもほぼシンが折れ、手早く決定された。


結果としてアズ・ナレプセは世界地図と特定条件下でのみその権限が認められるシンへの武力行使命令権を、シン達は国際的な不干渉条約を手に入れた。


今回の案件で誰が一番の功労者かと言えば……ケートス公務官? いえいえ、彼はただ上役の決定した形に持っていけるように喋っただけ。



一番の功労者は、十一もの大陸が存在できる(・・・・・)地球の四倍の大きさ、十六倍の表面積を持つこの世界の星の、世界中の地形データを測り(・・)、膨大な計算と描画をこなしたシンの中で眠る小さな少女であることは、疑いの余地すらないだろう。






一日は四十八時間、日照時間二十四時間、月が紅と蒼の二つに恒星(太陽)が二つ。

それでも十二時間ごとに(赤道付近は)昼夜が入れ替わるのは星の大きさが四倍で、昼の部分と夜の部分が上から見たら四等分されている状態だからです。

なので感覚的には異世界の半日=現実の一日という認識で問題ありません。ちなみに紅い月が出る日が赤日(せきじつ)、蒼い月が出る日は青日(せいじつ)と呼ばれています。


今回の話が分かり難かった人のための三行要約


世界地図と力はあげるから関わるな

その世界地図本物かよ? 今まで誰も作れなかったんだぞ?

色々お話し聞いて本物だって分かったから関わらないって約束したよ


というお話でした(´・ω・`)

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