殺.
2/殺.
このアパートは、一人暮らしのためのところらしい。玄関から続く廊下の先に、扉を挟んで六畳間がひとつあるだけだ。廊下の壁にはキッチンやコンロが設けられている。反対側の壁には引き戸がある。たぶんトイレかお風呂だろう。
六畳間の真ん中に、円い机が居座っている。壁には白い箪笥が立てられて、その横にはくずかごが置かれている。それだけだ。整理した直後のような綺麗さがある。
男に促されて、なにも敷かれていない床に座る。
「お茶でも淹れましょうか」
僕の返事を確かめることなく、男はそう言って廊下へ向かった。いちいち間の扉を閉める。なんだか、変わった人だ。
なにもなくて、目の遣りどころに迷う。
数分経つと、廊下の扉が開いて、湯呑みを握った男が入ってきた。自分のと、僕の。片手にひとつずつ、お盆に載せることなく運んでくる。
男は僕の向かいに座って、湯呑みを差し出した。僕は浅く礼をする。
軽い沈黙が六畳間に溜まる。僕は目の遣りどころを失って、湯気の出るお茶を、控えめに見つめていた。
スカートが少し濡れていた。雪がついていたからだ。正座がなんだかもどかしい。お茶に映る僕の顔には、かすかに陰がかかっていた。湯呑みを持って、少し口に流し込む。口の中を、熱いものが広がった。かじかんだ体がほぐれていく。
湯呑みをそっと机に置く。ふと顔を上げたら、男と目が合った。ぼさぼさの髪から目が覗いている。
なにか会話をしないと。沈黙がだんだん重たくなっていく。
「あの……各務さん、ですよね」
どうにか声を絞り出した。ほぐれた喉が、また強張っていくのを感じる。
「え?」
うまく聞き取れなかったのだろうか。男は頓狂な声を上げた。暗い顔持ちと相反して、軽い声色だ。案外、話しやすい人なのかもしれない。
「各務さん、ですよね」
「え、あ……ああ各務。はい、各務です」
なぜか慌てた様子だった。目を泳がせている。僕と同じで、人とあまり接触しない人なのかな。そう思ってしまう。
少しだけ、親近感が湧いた気がした。
「表札にそう書いてあったので」
僕はそう付け加える。
湯呑みから湯気が立つ。
「そういえば、どこかに出かけるんじゃなかったんですか?」
そう尋ねてみる。会話の間は、顔を上げていられそうだからだ。
「え?」
また各務さんは聞き返した。ほんと、普段話さない人なんだろうな。心の中で微笑みながら、僕は言う。
「いえあの、コートを着ていらしたので」
「ああ確かに。出かけようと思っていましたが、あの吹雪じゃあね」
お互い、微妙な言葉遣い。敬語なのかなんなのか。
顔を下ろして、湯呑みを持った。ゆっくりと口に運ぶ。
「ちょっと外の様子を見てきますね」
そう言って各務さんは、また廊下の扉を開けて、六畳間を出ていった。各務さんはいちいち扉を閉める。
六畳間を見渡す。机と箪笥とくずかごしかない。時計は見当たらなかった。携帯電話かなにかで確認できるだろうから、必要ないのかもしれない。
立ち上がって、箪笥に近づいてみた。白い箪笥は、僕のへそくらいまでの高さだ。これだけで足りるなんて、一人暮らしってすごいなぁと思ってしまう。
そういえばここには鞄がない。各務さんが会社員なのか大学生なのかは知らないけど、普通は鞄があるはずなんじゃないのかと、高校生の頭で考えてみる。もしかしたら、鞄などの、衣服以外のものも箪笥に納めているのかもしれない。そう思うと、一人暮らしってやっぱりすごい。そう思ってしまう。
背後で扉が開く音がした。それに次いで、「あ!」と短い声が届く。
僕が振り向くときには、顔を青ざめた各務さんが既に、僕の肩を強引に掴んでいた。僕は体勢を崩す。足場がもたついて、くずかごを倒してしまった。
くずかごから、大量の錠剤が零れ散った。




