3.
前世の名作コミックスがノベライズ化されていた。
完全にというよりは、うろ覚えの内容を著者の主観も踏まえて加筆修正されたような内容であったが、エイラが読めば元ネタが全てわかった。
(これ……紙の質感からして古そう……侯爵様が書いたものではなさそうだけど、これを読んで育ったならあの挙動も納得かも……)
今日もその小説を熱心に読んでいたエイラは、人が近づいてきたことに声をかけられるまでは気づかなかった。
「それを気に入ったのか、エイラ嬢」
驚いて振り返ると、包帯でぐるぐる巻きの男が立っていた。
「侯爵様……! はい、その……この本は……」
「変わった物語だろう。それは3代前の当主が自ら記したのだそうだ。
……私は、どの物語よりも、ひいお爺様の書いたそれらの物語が好きなのだ。
もしあなたがそれを気に入ったというのなら、私も嬉しい」
(めちゃくちゃ普通に喋ってる……)
ここの3代前のご当主様が転生者だったらしいということよりも、エイラはヴェリタスが厨二用語を使わず話していることの方に驚愕してしまった。
「……はい。私も、好きです。このお話」
「そうか……」
どこかホッとしたように、彼の口元が綻んだ。
「侯爵様。もし、よろしければなんですが……お伺いしてもよろしいですか? 呪いについて」
「!! 聞くのか……我が忌まわしき呪いを……くっ、左腕が疼く……」
急にまた始まってしまった。
「もちろん、話したくなければ無理に聞こうとは思いません。
ですが……これも何かのご縁なのかもしれないと思うのです」
前世の物語を読んで育ったヴェリタスと、前世で物語を読んで育ったエイラ。
何かの巡り合わせを感じずにはいられなかった。
エイラの真剣な様子に、ヴェリタスは戸惑った様子で視線を彷徨わせた。
そして何度か口を開いたり閉じたりした後、俯いた。
「……私は、魔法が使えない」
「え?」
魔法が使えないということはほぼあり得ない。
平民ならばあり得るが、貴族で使えないというのは聞いたことがなかった。
エイラだって使える。かなりしょぼいが。
「幼い頃、私の魔力暴走が原因で両親が死んだ。
……その時、私は自らを呪ったらしい。魔力は封じられ、一切使えなくなった」
「……それは……」
「この物語たちが、私の心の支えだった。私は彼らになることで、強くあろうとしたのだ。
……だが実際の私は、弱く、ちっぽけで……噂されている通りの臆病な腰抜けだ」
ヴェリタスは噂を知っているのだ。彼のせいではないと、弱くなどないと慰めることは簡単だ。
でもそれが彼にとってなんの慰めにもならないことが理解できた。
エイラの口から、小さくとあるセリフが紡がれた。
「……所詮この世は、弱肉強食……」
その言葉にヴェリタスが顔を上げてエイラをまじまじと見つめた。
「あなたのその包帯は、彼の強さを求めたからですか?」
読んでいた小説のページを開いてみせる。
有名な少年漫画の敵役のセリフである。このキャラクターもまた、全身包帯男なのだ。
「この物語では、ヒーローは弱さを否定していないのに。あえてそちらを選んだんですね」
「私は侯爵家の当主だ。弱いことなど許されない」
そう言いながらも彼は悔しそうに拳を振るわせている。
「……なら、なりましょう。強く。」
「え?」
エイラは彼をまっすぐに見据えた。
「できないことをさもできるように語るから痛々しいのです。
つまり、実現すればかっこいいとは思いませんか?」
「い、痛々しい?」
「はい。左腕が疼くというなら本当に疼かせてください」
「ぐっ……」
エイラはそっと彼の硬く握りしめられた拳を両手で包み込んだ。
「あなたのそれはきっと、呪いではなく無意識なんじゃないかと思うんです。
暴走するほど膨大な魔力を長年抑え込んできたのだとすれば、制御はすでにできているんじゃないでしょうか」
「は、あ、え、手、手が」
キョドる彼に構わず更にぎゅっと力を込めた。
「その左腕から炎殺黒○波を出しましょう」
「……!!」
ヴェリタスはエイラの言葉に衝撃を受けたように固まった。
そして、口元を押さえながら震える声で告げた。
「あなたのような人は、初めてだ……」
包帯から覗く耳が赤い。
エイラはその様子を見て、慌ててヴェリタスの手を離そうとした。
「すみません、いきなり。馴れ馴れしかったですね」
だが、その手をヴェリタスが逆に捕まえて引き寄せる。
「いや……あなたは、妻となる人だから」
包帯のせいでわかりにくいが、彼がかなりテンパっていることをエイラは気配で感じた。
「本当は、結婚する気なんてなかった。後継者は親族から養子を迎えればいいと思っていたんだ」
「え?」
「どうせ私のような男を受け入れてくれる女性などいるはずもないと思っていた。
祖父母がどうしてもというから婚約は了承したが、私の姿を見れば逃げ出すだろうと……
だが、あなたは違った。私を見て恐るどころか、理解してくれた。
二度とそんな女性は現れないだろう……
エイラ嬢」
まっすぐに見つめられて、エイラは背筋を伸ばした。
「は、はい」
「こ、この婚約を、あなたは、ど、どう思っておられるだろうか」
「え、ええと……」
「わ、私は……あ、ああああなたと! あなたさえ良ければ! このまま……け、け、け……
……す、少し待ってほしい……」
すーはーすーはーと深呼吸を繰り返すヴェリタス。
彼の緊張がエイラにまで伝染して、エイラ自身もカチコチに固まって顔が熱い。
ヴェリタスは不意に、包帯に包まれた右手を顔の前に持ってきた。
五指を不自然な形に折り曲げ、その隙間から左目だけでじっとエイラを見据える。
「深淵の闇より出し我と共にあれ。因果律を書き換え、“最終誓約“を捧げんことを」
「台無しだよ」
初めてのプロポーズにドキドキした気持ちのやり場がどこにもない。
でも、彼が心からエイラを必要としてくれていることが伝わってきて、嬉しかった。
だからこそ、確認しておかなければならないことがある。
「侯爵様。元々私自身は他に行くあてもなく、結婚していただく立場です。
ですが……侯爵様が釣書を送った相手は、本当は私ではなく、妹のセレナではないかと思うのです。」
「え?」
「お手紙に“光り輝く清き乙女“と……セレナは私と違い、明るく社交的で、さらに輝くような金髪の持ち主です。
社交界でも有名ですし……もし侯爵様の祖父母様がこの婚約を勧められたのでしたら、相手が私であることにお怒りになるかもしれません」
エイラの話を聞いてヴェリタスが考え込むように顎に手を当てた。
「なるほど……確かにその特徴を聞くと、祖父母の勧めた令嬢はあなたではなく妹君である可能性が高い。
だが……妹君がもし我が家にきても婚約が成立することはなかっただろう」
「え?」
フ……と自嘲めいた笑みで瞳を伏せるヴェリタス。
「正直……私は明るく社交的な人種と壊滅的に相性が悪い」
「ああ……」
エイラは遠い目をした。さもありなん。
「お祖父様とお祖母様は、私のこの状況を憂いておられるのだ。
社交的な嫁に私の非社交性を補って貰えば良いとおっしゃっていたが、それほど単純な問題ではない。
……当主たる私が変わらねばならないことは、ずっとわかっていた……」
ヴェリタスは悔やむようにぐっと拳を握り込み、ついでエイラを見つめた。
「祖父母のことは心配しなくていい。名前を明記しなかったのはこちらの不手際で、あなたに落ち度はない。
そして、私は……その、あ、あなたがきてくれた事を、その……よ、喜ばしく思っている、から……」
もじもじしながら耳をほんのり染めるヴェリタス。
エイラはどうにもこのウブな態度に弱いらしい。純粋と見せかけて計算高い妹に振り回されていたからかもしれない。
(守りたい、このピュアさ……)
「ありがとうございます……! 不肖このエイラ、あなたのお役に立てるよう頑張ります」
「つきましては」
エイラはかけていないエア眼鏡をクイっと指で持ち上げた。
「まずは呪いの正体を紐解きませんか?」




