第71話 果たせぬ再会
フラナナガ・ナガーナ――かつて大狼樹林の隣町、エウィジスの冒険者ギルドで出会った人類最強の一人。
ミル、リイシャと共に樹林へ赴き、最強の魔物と名高い"残羊バブリビオスス・グラベラ・ドーラ"と一戦交え、周囲の冒険者を逃がすことに尽力した男である。
そして、ミルとリイシャを鍛えてくれた師であり、異世界出身のミルに狂癲と教団の恐ろしさを説いてくれた人物だ。
ミルは約二年半以上ぶりの再会に、仮面の下の瞳を丸くして瞬きの間だけ呆けてしまう。
「フラナ、さん……?」
小蝿の羽音のように小さいミルの呟きを、十数メートル離れたフラナはしっかりと聞き取り顎に手を当てて眉間に皺を寄せる。
「あれ? お前、俺のこと知ってんのか? お前みたいに不気味で、面付けてる奴に見覚えねぇんだがなぁ……」
独り記憶を辿るフラナを尻目に、ミルは傍で仰向けに倒れている灰鎧へと視線を落とす。
「てことは、鎧の人は……アルビウスさん……?」
フラナの問いに対して答えることのないミルを見据え、フラナは聞こえるように音を立てて一歩一歩とミルへ詰め寄る。
「おい、聞いてんのか? お前、誰だよ」
苛立ちは見受けられない、ただ純粋な疑問からくるフラナの言葉が鼓膜を刺激し、ミルはハッと意識をフラナへ向けると両腕を下ろし、掌を開いて戦闘の意思がないことをアピールする。
「久しぶりで驚いちゃいました。僕です。ミル……ミル・ノルベルです!」
「ミルだぁ?」
フラナは眉間に皺を寄せつつ、嘘を捲し立てる詐欺師を警戒するように訝し気に瞳を細める。
「俺の知ってるミルと比べると、少しガッチリしてんな。でも二年以上も経ってるし、そんなもんかぁ……」
フラナは自身の記憶の中にいるミルと目の前の人物を見比べて独り頷き、白仮面を顎でしゃくる。
「じゃあ、その面はなんだ? どっかで見た気もするが、ミルは着けてなかったぜ?」
「あっ、忘れてました、そうですよね」
フラナに指摘されるまでミルは白仮面を着けていることを忘却しており、忙しなく仮面に手をかけて素顔を曝した。
「これで信用してくれますか?」
フラナの目の前には黄色の瞳と藤紫色の髪を持つ青年、フラナの知るミル・ノルベルの姿があった。
薄暗い洞窟であるため光の当たり具合で瞳の色が、茶混じりの濁った琥珀にも見えなくもないが、間違いなくミル・ノルベル本人であると確信した。
フラナはガラッと表情を変え、カッカッと口を開けて笑いミルの肩を軽く叩いた。
「マジでミルじゃねぇか! 久しぶりだな!」
「はい! お久しぶりです!」
ミルはフラナに指導してもらった日々に思い起こし、優しく顔を綻ばせて微笑みを向けた。
フラナは独り腕を組み、満足気に頷いてミルを見据えた。
「にしてもすげぇ成長ぶりだなぁ。まさかアルビウスに勝っちまうとはよぉ……あっ――」
フラナは一度言葉を区切ると何かを思い出したかのように腰を下ろし、灰鎧の顔へと手を伸ばしてバイザーを開けて素顔を曝す。
「さっきボコボコにやられてたのがアルビウスな。ほれ久しぶりだろ」
バイザーから顔を出した男は灰色の髪に中性的な面持ちをした、ミルの記憶通りのアルビウスであった。
先ほど負かしてしまった手前少々気が重いながらも、ミルは微笑みを浮かべて謝罪を口にする。
「アルビウスさんもお久しぶりです。さっきは乱暴にしてしまって、すみませんでした」
「いい、え……僕が、はな、しを、聞かなか、たのが、悪いの、で」
アルビウスは先ほど受けた雷撃による感電が治っていないようで、呂律の回らない舌でどうにか謝罪を返した。
フラナは呂律の回らないアルビウスを尻目に、ミルへ疑問へと話を戻す。
「にしても気になることばっかでよぉ、いくつか質問していいか?」
「もちろん大丈夫ですよ。お二人に隠すようなことはありませんので」
ミルからの気の良い返事に、フラナは小さく息を零して目を丸くする。
「ほぉ、そんなに俺ら信用してもらってんのね」
「それはそうですよ。金欠から救っていただき命も助けていただいた上、忠告もしてもらいました。疑う余地がありません」
大狼樹林で起こった二人との出来事を思い起こしてミルが胸を張ると、フラナはカッカッと笑い大きく頷いてみせた。
「じゃ、遠慮なく質問させてもらうぞ。アルビウスとの戦いを見てたが、腕の骨折や体中の穴を治した超速再生は何だ? あれがミルの狂癲か?」
どうやらフラナはミルとアルビウスの戦いの一部始終を見ていたようで、アルビウス同様にミルの能力へ驚愕の色を示している。
そして"隠すことはない"と明言したミルは言葉通り、何食わぬ顔で知る限りの能力を口にする。
「はい、あれが僕の狂癲『命』です。僕自身、詳しいことは分かってませんが、とりあえず何があっても死なないってことだけは分かってます」
「何があっても死なない、ねぇ……」
その言葉を頭と口で反芻し、フラナはミルの瞳の奥底を覗き込むように力強い視線を送る。
ミルは想像もできないほど過酷な日々――"何があっても死なない"と断言できるだけの死と隣り合わせの日常を送って来たに違いない。
だからこそ短期間で力を身に着け、仮面を被っているとはいえ、フラナがミルだと気が付かないような不気味で黒い雰囲気を感じ取ってしまったのだ。
フラナは一度大きく頷くと狂癲については言及することなく、ミルの持つ仮面についての話の舵を切った。
「なるほどなぁ、それで経験を積んで強くなったっけわけか。で、結局、その面はなんなんだ?」
フラナがミルの持つ白仮面へ視線を落とすと、ミルは白仮面を胸の近くまで持ち上げ、想いを馳せるように瞳を優しく細めた。
「僕が尊敬する方から頂いた物です。これがあれば何でもできる。そんな気がするんです」
ミルの瞳は確かに優しく弧を描いていた。
しかし、言葉とは裏腹に身に纏うオーラは漆黒よりも黒く、深淵よりも底が見えないモノとなっており、ミル本人すら気が付かない中でフラナだけが違和感を抱いていた。
フラナは自身の勘が良く当たることは分かっている。
だが人の心の内を勘が理由と言うだけで踏み荒らす気にはなれなかった。
フラナは静かに唾を呑み込み、アルビウスへと視線を落として気さくを装って質問を投げかける。
「なぁアルビウス、俺、あの面に見覚えある気がするんだけどよぉ。なんか知らねぇ?」
アルビウスは徐々に感電の治まりつつある上体を起こし、壁に背を預けて小さく息を吐き脳みその中身を絞り込むように考え込む。
「そうですね……師匠が見た気がすると言ってから僕も考えていたのですが……多分、勇者叙事詩の第一節にある挿絵にあった気がします」
「あの気味悪ぃ面か!」
フラナは合点がいき、喉につっかえていた魚の骨が取れたと言わんばかりに喉を優しく指で摩り、「ほぇぇ」と感嘆を漏らした。
フラナの同意に対してアルビウスは自身の記憶が間違っていなかったのだと小さく頷き返す一方、ミルには勇者叙事詩なる物語を拝読した記憶がなく二人の話に付いていけなかった。
ただ、勇者であるブライヴとは知った仲であり彼のことを記した書物なのであろうと予測は立つが、叙事詩と聞けば過去の英雄譚のように感じられ、存命しているはずのブライヴと同一人物であるのか疑問が浮上していた。
眉間に皺を寄せたミルの様子を視界に捉え、アルビウスはミルが叙事詩を読んだことがないのだろうと察し、呂律の回復した口で勇者叙事詩の第一節を語り聞かせた。
「とある町で一人の少年が生まれた。少年は鍛錬に勤しみ、汗を流し血を滲ませる日々を送っていた。ある日、世界の終わりと見まがうほどに大きな振動が大地を伝って町を走った。不安に駆られる町民たちが何事かと耳を澄ませてみると、西方より数百を超える魔物の大群が押し寄せていた。逃げるには時すでに遅く、みなが絶望に打ちひしがれている中、一人の少年だけが走り出していた。少年は木剣を手に西門を抜け、魔物の大群と正面から対峙したのだ。戦ぶりはまさに鬼神の如く。たった一人で魔物の大群を討伐したのであった。みなが少年を称え祝福の音を奏でるも、最悪にして最凶の魔物が姿を現した。それは人の顔を模した白の仮面を被ったオーガである。オーガは仮面を被ることで人を騙し、魔物の大群を町へ誘導していたのだ。少年は疲労困憊でありながらも、オーガとの一騎打ちに挑んだ。しかし少年は防戦一方であり、劣勢が見て取れ、みなの脳裏に少年の敗北が過る。だが一人の少女が剣を携えてやってきた。少女の持つ剣は今亡き少年の師が持っていた剣であった。少年は師の想いを受け継ぎ見事オーガを打ち倒したのだ。その剣が後の星剣であり、少年が後の勇者となる」
「……」
「ふぅ……これが勇者叙事詩の第一節、勇者の誕生です」
アルビウスが呼吸を整える中、ミルはガオから聞いていた話との相違点に頭を悩ませていた。
ブライヴの生まれは町ではなく隣村であり、町に魔物は押し寄せていない。
加えて、ガオは人を騙して魔物を誘導などしていない。
ガオが事実を隠したがっていたからとも言えるが、内容は明らかに人間贔屓なモノとなっている。
いや、ブライヴはガオをダンジョンに匿い違っていたのだし、ブライヴが意図的に物語を捻じ曲げているのかもしれない。
ブライヴが偉業を成し、ガオが討伐されたことになっていることが二人の望みだったのだから。
加えてブライヴの師であるヴァラーも星剣の元保持者として敬意を払われているようにすら見受けられる。
この物語が史実と異なるとは口が裂けても口伝してはならないだろう。
ミルはフラナとアルビウスに隠し事はないと言った手前、心苦しい想いを抱くも白の仮面の代わりに嘘で塗り固めた仮面を被り、素知らぬ顔で話題を反らした。
「そんな話があったんですね。というよりも叙事詩って勇者は死んでるんですか? 生きてるものだと思ってましたが……」
ミルの疑問にフラナは首を横に振り、叙事詩の生まれた経緯を掻い摘んで口にした。
「いいや、ちゃんと生きてるぜ。叙事詩なんて大層なモン作ったのは勇者の生まれ故郷の作家らしい。金の成る木にはしゃぶりつく性分だったんだろうな。今じゃその故郷は無くなっちまって、叙事詩は途中までしか発行されてねぇがな」
"勇者の故郷がなくなった"フラナの発言はミルが当の町を血で染め上げた出来事を想起させ、僅かに肩を跳ねあがらせた。
当たり前ではあるが、勇者の偽故郷が滅んだことは周知の事実であるらしい。
ミルは人里離れた環境で生活をしていたため、改めて伝え聞いた自身の悪行に心の蛆が蠢きそうになるも、歯を食いしばり平静を装う。
その額にはじっとりと脂汗が滲み出ており、フラナだけがそれに気が付いていた。
しかしフラナは言及することはなく、周囲を軽く見回して気になっていた最後の質問を口にした。
「ところでよぉ。リイシャはどこにいるんだ? ミルがそんだけ強くなってたらリイシャもさぞ強くなってんだろ? アルビウスなんて目じゃねぇかもしんねぇなぁ」
場を和ませるためカッカッと口を開けて笑いリイシャの所在を問うたフラナ。
しかし、脂汗が消え一層に黒を淀ませたミルのオーラを目の当たりにし、まるで死神と相対してしまったかのように息を詰まらせる。
顔を強張らせたフラナとは反し、ミルはその淀みからは想像もできないほどに優し気な微笑みを作ってみせた。
「リイシャはもういません」
ただ一言、理由もなく起伏もない言葉だけがミルの口を離れた。
ミルの淀みに気圧されていたフラナはリイシャの訃報が鼓膜を刺激することで、心に小さな穴が開いたと錯覚してしまうほどに呆然とした。
「……」
刹那、ゆっくりと瞼を開閉し、先刻とは打って変わってミルの心に語り掛けるように素直な気持ちを吐露する。
「そうか、そいつは……寂しいな……」
アルビウスは一瞬、言葉の意味が理解できないでいるも、続くフラナの言動で意味を解する。
「お悔やみ申し上げます……」
フラナはミルとリイシャをダイヤの原石と鑑定し、二人の成長ぶりを期待していたため、ミルの成長を嬉しく思うと同時に、リイシャに会えない寂寥感に苛まれた。
「もう十分悲しみましたし、別れも済ませてます。気にしないでください」
二人の想いとは裏腹にミルは再び虚ろにも見える微笑みを貼り付けていた。
アルビウスがミルの意を汲み取り何も言うまいと口を噤む一方、フラナにはそれが人とはかけ離れた何かになってしまうのではないかと不安と焦燥に駆られた。
まるで昔の自分を見ているかのようで……
「そういえばお二人に会ってもらいたい人たちがいます。外で待ってもらっているので、一緒に来てください」
「お、おう、そうか、わかった。アルビウス立てるか?」
フラナが壁に背を預けたまま座っているアルビウスへ手を差し伸べると、アルビウスがその手を取りゆっくりと立ち上がった。
「すみません。もう大丈夫です」
「じゃあ、行くか……」
フラナは黒い淀を見て見ぬフリをして心に鍵をかけた。
その濁りが澄み渡ることはないと、訴えかけてくる言葉を聞き流し。
ミルなら大丈夫だ、きっと乗り越えられる。
そう言い聞かせた、
自身の勘を振り払って……




