第69話 信仰の果て
ガスケットの体から伸びる無数の黒い帯が、音を置き去りにして白面鬼へ襲いかかる。
帯は岩肌を削り、地面を抉り掘削機のように耳を劈く不快音を奏でる。
洞窟の中では音が反響し、鼓膜を激しく振動させられた者から集中力を奪う。
加えて薄暗い洞窟では黒に染まった帯による攻撃を目視することは困難であった。
白面鬼は帯を迎撃する思考を捨て、回避に注力し『オーバードライブ』で再度後方へ飛び退く。
刹那、ガスケットはくぐもった声に怒りを乗せる。
「舐めてんのか?」
黒帯は白面鬼を捉えることなく過ぎ去り、後方出口に帯を敷き詰めて光が入らないように塞いだ。
無論、人はもちろん、埃の一つすら通り抜けることができない漆黒の壁が白面鬼の行く道を閉ざす。
白面鬼は槍を地面に突き刺して『オーバードライブ』の速度を殺し、漆黒の壁に触れる直前に停止した。
ガスケットは白面鬼の逃げ道を塞ぐと、殺意の籠った眼光をギラつかせて一歩一歩と前進する。
「それはさっき見たもんだ。てめぇ、俺に同じ手が二度も通用すると思ってんのか? もう逃がさねぇよ」
白面鬼は地面から槍を引き抜き中段に構えると、臨戦態勢に移った。
「生憎とレパートリーがないもので。ただ安心してください。逃げようだとか思ってませんよ。貴方を殺せないようじゃ、神様を殺すなんて雲を掴むようなモノですからね」
「て、てめぇ、また主に対する不敬を口にするとは……全霊を持って刑を執行すっ――」
ガスケットが口を閉ざすより早く、白面鬼は槍を投擲した。
ガキンッ!
しかしガスケットの口を覆っていた黒のマスクが口元を離れ、帯となり槍を弾く。
「主への誓い立てにすら邪魔を――」
口元の露出したガスケットが殺意を迸らせ無数の黒帯を白面鬼へ走らせる直前――
白面鬼が多量の魔力を籠めた掌を向け、暗がりを破るほどに輝く雷撃をガスケット目掛けて一直線に奔らせた。
ガスケットは黒帯で覆っていた両腕を眼前でクロスにし、雷撃を正面から受け止める。
「うっ、おおおお!!」
雷撃は黒帯に触れることで徐々に雷を散らせ、ガスケットは歯が割れんばかりに食いしばると、両腕を勢い良く開いて勢いの弱まった雷撃を弾く。
「だあ!!」
ガスケットが頬に一筋の冷や汗を流すも、両腕には一切の傷も焦げ跡すらも付いていなかった。
オーガを一撃で屠る雷撃はガスケット相手に有効打とならなかった。
以前の白面鬼ならガスケットの防御力の高さに度肝を抜かれていただろうが、幾千の死を乗り越えた日々では防がれることなど日常茶飯事であったため、今の白面鬼に困惑はない。
白面鬼は雷撃が消える瞬間に大地を蹴り上げ、一息でガスケットの胸元まで接近した。
その手には既にガスケットから弾かれた槍を携えており、下から突き上げる要領でガスケットの顎下へ槍を走らせる。
ガスケットの両腕は雷撃を弾いた衝撃で未だ空にあり、両足は踏ん張りを利かせるために地を掴んでいた。
ガスケットの防御はもちろん、回避も間に合わない。
「さようなら」
抑揚のない別れが告げられると同時、槍の穂先がガスケットの顎下を突いた。
ガスケットは顎下から赤い滴を落とし……
白い歯を見せてニヤリと笑みを零す。
槍の穂先はガスケットの顎下を僅かに刺して血を滴らせるだけに留まり、黒帯に捉えられていたのだ。
無数の黒帯が白面鬼の両腕と両足を縛り上げて槍を落とす。
カラン
「はっはっはっはっは!! 残念だったな! 後一瞬、てめぇが速ければ俺を殺せてただろうによ!」
洞窟に響く声量で笑い声を上げるガスケットの言葉通り、白面鬼はガスケットの命を奪うに際して瞬きする間の時間が足りなかったのである。
白面鬼は黒帯を振り解くため、腕でフックを放つように、足でサッカーボールを蹴り上げるように力を入れるが黒帯はビクともしない。
力で解けないのであればと、白面鬼が手に魔力を籠めると黒帯が手の全体を覆い、手に籠めていた魔力が徐々に霧散していく。
白面鬼が脱出を試みる中、ガスケットは一息つくように肩の力を抜く。
「無駄だ。俺の帯は魔力を通さない」
ガスケットの言葉に白面鬼は先ほどの戦闘を振り返る。
雷撃が黒帯を貫けなかったこと、そして今しがた籠めた魔力が霧散したこと。
この二つを考慮すればガスケットの言葉に嘘は見受けられない。
白面鬼は訝しむような声音で確認するように口を開く。
「これがあなたの狂癲ですか……」
「そうだ」
ガスケットは白面鬼を縛り上げたまま、両手を祈るように組む。
「俺が主から授かった『帯』の能力は、鋼鉄を越える強度でありがながら柳のように撓やかで、音を置き去りにする速度を持ち、魔術を無力化する。攻守ともに万能であり、応用の利くこの力は、まさに主からの寵愛そのものだ!」
恍惚とした表情で自身の能力の仔細を開示するガスケットに対し、白面鬼は独り納得をして盗賊団との戦闘を振り返る。
「なるほど、あなたと戦うまでは、みな弱すぎて、なぜ魔王軍――エルフを攫えたのか疑問でしたけど。その狂癲があれば話は変わってきますね」
「ああ、エルフどもを捕まえるのは簡単だったぜ。あいつらは魔術を軸に戦うからな」
ガスケットは空を漂う黒帯を、愛犬でも愛でるかのように優しい手つきで撫でて続けた。
「俺が入団するまでは世界中でちんたら活動してたみてぇだが、エルフという最高の人材に特攻を持った俺のおかげで、俺たちの計画は飛躍的に進歩した」
「最高の人材とは、どういうことですか?」
白面鬼の素朴な疑問に、ガスケットは口を半開きにして呆けてしまう。
「……は? てめぇ、何も知らずに俺たちを潰し回ってたのか?」
「以前、目の前で攫われているエルフの子を助けて、その成り行きですかね」
白面鬼は先日、北の大地――罹災大陸から単身で海を渡りディザム大陸に足を踏み入れた際、丁度人攫いの現場に遭遇し、その場にいた盗賊を皆殺しにしていた。
その時助けたエルフの少女は恐怖で顔をぐしゃぐしゃにし、白面鬼から逃げるように走り去ってしまったことがある。
ガスケットは呆けた表情を崩すことなく、再度質問を口にする。
「てーとなんだ? 誰かに依頼された訳でもなく、ただの慈善活動ってか?」
「そうなりますね」
淡々と質問を肯定する白面鬼に対し、ガスケットは目尻に一滴の涙を溜め、腹の中にあった空気を吹き出してしまう。
「あっはっはっはっは! てめぇ、まさかこっちの世界でも、前の世界と同じ価値観で生きてんのか? バカじゃねぇか。よく今まで生きてこれたもんだ。いや、それこそ主の寵愛に助けてもらったからなんだろうな」
腹を抱えて一頻り笑ったガスケットは袖で涙を拭い、瞳を細めて呆れ果てたような笑みを浮かべる。
「てめぇが主への敬意が足りてない理由がわかったぜ。今まで甘々な生活を送ってきたから主の偉大さが、ありがたみが分かってねぇんだ。俺が一から主の尊大さを説いてやる。そうすればてめぇの考えも変わるだろ」
ガスケットは白面鬼の拘束を解くことなく、瞳を輝かせて思いを馳せるかのように口を開く。
「主は世界の均衡を維持するために日々励まれていらっしゃる。しかし主はお忙しい身であらせられるため、人の手に負えぬ魔物や、悪辣で自身の肥やしのためならば他者を蹴落とすゴミ共を生み出してしまうこともある。俺たちは元々こいつらの排除を目的としていたが、それでは現状に蓋をしているだけであることに気が付いちまった。根本的な原因を排除しなくちゃならねぇ。じゃあ根本的な原因は何か……それは、均衡の維持に波があることだ。維持が正しく行われていればクズ共がこの世に生まれ落ちることもねぇ。てーなれば、俺たちが主へお力添えして世界の維持を行い、主への負担を少しでも減らす。これこそが俺たちの真なる天命である! だが所詮人間如きにできることなど、たかが知れてる……」
ガスケットは一度目を伏せて自身の胸を力強く掴むと、開いた手で固く握りこぶしを作り熱弁を続ける。
「そこで目を付けたのがエルフだ。エルフは常人より多くの魔力を有している。奴らから吸い上げた莫大な魔力があれば、主への一助になることは間違いない! 俺たちは世界のために主へ忠誠を誓ったのだ。分かるだろ? これは仕方のないことなんだ。てーわけで、もう一回チャンスをやる」
ガスケットは白面鬼の拘束を片手だけ解除すると、目尻から一滴の涙を流して再度白面鬼へ手を差し伸べる。
「共に主へ仕えよう」
白面鬼は自由になった手に視線を落とすと、物思いに耽る調子で口を開いた。
「言いましたよね、罪のない人は犠牲にできない。僕は目の前のことに必死で、その手を取れそうにありません」
「そうか……」
ガスケットは白面鬼の返答に対して、久しぶりに再会した幼馴染が犯罪に手を染めていたときのように酷く落ち込み、白面鬼の手を再度黒帯で拘束した。
見るからに落胆したガスケットに向けて、白面鬼は調子の良い声音で一つの提案を口にする。
「お詫びと言っちゃなんですが、最後に僕の狂癲を見せてあげますね」
「てめぇ!!」
白面鬼が何を考えているか分からないながらも、ガスケットは悪寒を感じて自身の全身に黒帯を巻き付けて防御態勢に入った。
ガスケットは白面鬼に対して、手足を黒帯で縛っていれば何も出来やしないと高を括っていた。
実際、黒帯から逃れた者は皆無であり、ガスケットはこの世界に転移してから誰かに負けたことなどなかった。
それは慢心ではない。
ガスケットは九極癲第四位である魔王 ブリュヴェルナ・ディアルヴと相対すれば素の実力では惨敗となる。
しかし相性差を考慮すると、ガスケットにも十分すぎるほどの勝機があった。
それだけの経験と実力に加え能力の万能性もある。
だからこそガスケットは、あくまで経験則に基づいて行動しているに過ぎなかった。
この場でガスケットに足りなかったモノはただ一つ、不死身の相手との戦闘経験だけである。
ガスケットが吠えた直後――
ドガンッ!!
白面鬼の全身から瞬きの間だけ閃光が迸ったと脳が視覚情報を処理する間もなく、白面鬼の体は大爆発を起こし、ガスケットを数十メートル先まで吹き飛ばした。
洞窟の一部は瓦解しゴトゴトと鈍い音を立てて岩が地に落ち、砂埃と爆発による黒煙が辺り一帯を覆う。
視界を塞ぐほどの煙の中では血肉の焦げた悪臭が漂うだけでなく、酸素濃度が低下しており呼吸するだけでも一苦労となる。
また閉鎖的な空間は急激に上昇した温度によって高温のサウナ状態になっていた。
到底、人が生きていられない惨状の中、コツンコツンと一人の男の足音だけが響き渡っていた。
男は地面に落ちていた白の仮面を手に取ると再び歩を進め、地面に横たわるもう一人の男の前で歩を止めた。
「今のは体内の魔力子を無理矢理暴発させたモノで、魔術やスキル、ましてや狂癲でもない、ただの荒業です。だけど多分僕以外にできる人はいないんじゃないでしょうかね。体内の魔力子を操れる技量で威力は変わってくるんですが、それ以上に暴発させる知識と経験が必要不可欠なんですよ。普通の人なら成功させることすら不可能だと思います。まぁ成功しても死んじゃうんですけどね。ちなみに僕は二、三百回ぐらい死んで出来るようになりました」
白の仮面を手に持つ男――ミルは目の前で倒れているガスケットに視線を落とし、つらつらと聞いてもいない解説を始めていた。
しかしガスケットは全身を守っていた黒帯を力なく地に落としており、体のいたるところに強打した跡と思しき青い痣を付け、低温火傷によって皮膚を赤黒い色で薄く染め上げていた。
また鼻腔と口腔から大量の血を垂れ流しており、瞳も朧気となっている。
それでもミルはガスケットの容態を尻目に解説を続けた。
「それにしても結構博打だったので、上手くいって良かったです。僕の雷を帯で防ぐとき、直ぐに雷が消えるんじゃなくて徐々に消えてた、何より衝撃は伝わってたみたいだったので、自爆特攻なら効果ありそうだなって思ったんですよ」
「てぇ……め……ぇ……」
ガスケットの掠れた搾りかすのような出すだけで精一杯の声に、ミルは淡々と表情を変えることなく言葉を続けた。
「で、話を戻すんですけど、僕の狂癲は『命』。詳細はよく分かってませんが、取り合えず死なない能力だと思っててください。あなたの言う寵愛が本当なら、熱心な信徒であるあなたより、僕の方が神様に愛されてるってことになっちゃいますね。まぁ、しつこい男は嫌われるって奴ですよ」
「はぁ……はぁ……」
肺を動かすだけでも苦悶の表情を浮かべるガスケットの様子から察するに、体の表皮に出ている症状よりも、内臓の方がより深刻な損傷を受けているのだろう。
そのことが窺えたとしても、ミルはガスケット自身に対して興味を持っていない様子で、死後の世界に想いを馳せる。
「にしても、天命を全うできずに死ぬような大罪人がどんな罰を受けるのか、少し羨ましいです。なんせ僕は、罰せられることがないでしょうから……」
「し……に……た、く……な……」
ガスケットの縋るような懇願がミルの鼓膜を優しく撫でるが、返すモノは眉尻を下げた困惑の表情と槍の鋭利な穂先であった。
「僕にはわかりかねますね、何度死にたいと思ったことか……」
ガスケットは弱弱しく歯を食いしばり、ボロボロの体で抵抗を見せようとするも、暗闇に薄く煌めく槍を捉えた恐怖に怯える瞳だけしか動かすことはできなかった。
「それじゃあ、神様によろしくお願いします」
敬虔なる信徒を自称した大罪人は信仰の果てに、恐怖で顔を染め上げて崇拝する主への施しを享受することとなった。
ミルは死体の首に刺さった槍を抜き取り軽く血振りを済ませると白の仮面を被り、囚われたエルフたちを助けるべく洞窟の奥へと足を速めた。
白面鬼が爆発による粉塵と黒煙を抜け、視界がある程度確保できるようになったのも束の間。
灰色の拳が横腹を襲う。
間一髪のところ、槍を盾にして直撃を防ぐも力強く壁に激突する。
「ガハッ」
肺から空気が漏れだすも、すぐさま槍を構え眼前の敵へ注意を向けるとそこには――
白面鬼と同程度の背丈に、爪先から頭のてっぺんまで全身を灰色の軽装甲で包んだ人物が立っていた。
「不思議な仮面ですが、あなたも盗賊団の一員ですよね? 息の根止めさせてもらいます」
相対する白面鬼と灰鎧、戦いの火蓋が切って落とされる。




