十八章
伊武の話は聞こえていた。人造天使付き。驚いたが、頼もしいと思った。
確かに、色々な意味で恐ろしい存在だとは思う。だが、それがどうしたというのだ。
自分に味方してくれる伊武がどんな存在だろうと、拒否することはあり得ない。
それに、本物の悪魔とソロモンの娘がいるのだ。人造天使付きなど、いまさらだ。
伊武が稼いでくれた、わずかな時間。そのわずかな時間で直巳は魔力圧縮を完成させた。
幼いころから魔力に触れ続けていることも下地になっていたが、この危機的な状況が、直巳の一秒、一瞬を濃密なものにした。
そして、とうとう、直巳の魔力圧縮は新たな領域へとたどり着いた。
全身に満ちていた魔力の液体は、今やたった一つの小さな魔石になっている。
魔力の容量は、いくらでも空いているということだ。
さあ、決着の時だ。
加織、お前の魔力の全てをいただく。
「神秘呼吸――略奪」
これまでは、コントロールして魔力を吸い上げていた。
今は違う。全てを解放をして、相手の全てを容赦なく奪い尽くす。吸収ではなく略奪だ。
「う――ああ――」
加織は声にもならない声をあげて、ただただ魔力を奪われるしかなかった。
体から、魔力が失われていく。羽根が消え、二翼十字の紋様が消えた。
天の扉が一つ閉じ、二つ閉じた。
偽天使達は次々と消滅していく。
それでもまだ、直巳は略奪の手を緩めなかった。
相手の魔力を、底の底まで。魔力がなくなれば命まで奪い尽くすつもりだった。
「ゆ、許してくれ! もう抵抗しない! お前の勝ちだ!」
全てを奪われていく喪失感に、加織がたまらず悲鳴をあげる。
「仲間を殺そうとしたお前を――どうして許せる!」
直巳は手を緩めることなく、略奪を続けた。
加織の魔力は尽きかけ、偽天使達も数えるほどしか残っていない。
敗北を免れないと悟った加織の目が、再び邪悪なものに変わった。
「ならばせめて――一人でも道連れにしてやる――行け! 偽天使! あの小娘を殺せ!」
加織が、まだ残っていた数体の偽天使に命令する。
偽天使達は、一人でいるアイシャの元へと向かっていった。
「しまった! 逃げろアイシャ!」
直巳の声にもアイシャは動かず、向かってくる偽天使達を見据えていた。
そして、目前まで偽天使達が迫ってきた時、太ももに巻いてあるベルトから一本の杭を取り出した。
「生贄のソロモンが命じる。いざ現れよ、65が示すはアンドレアルフス」
アイシャが杭で自らの腕に傷をつけると、目の前に大きな魔方陣が現れた。
魔方陣から、悪魔アンドレアルフスが飛び出し、そのままの勢いで偽天使達の全てを咥えると、別の魔方陣へと飛び込んで消えていった。
一瞬の出来事。まるで、シャチが狩りをするような鮮やかさだった。
「ねえ、力神父。私が戦えないって、一言でも言ったかしら?」
アイシャは傷ついた腕に顔をしかめながら、杭を太もものベルトに戻した。
「加織ィィィ!」
直巳が怒りに任せて、加織への略奪を強める。
「ひっ……こ、これは……僕は……僕はただ……」
言い訳すら浮かばず、加織は目に涙を浮かべた。
そこには、力神父の威厳など欠片もなかった。
「神秘呼吸、略奪――全開!」
神秘呼吸の吸収は、体内の魔力蓄積量に合わせて調整している。その心配がなくなった今、神秘呼吸の吸収速度はリミッターは外れた。
そして、直巳が最後の魔力を奪い尽くす。
加織の魔力の、底の底まで。魔力に関するあらゆるものを奪い尽くした。
神秘呼吸の光が止み、直巳が手を放した。
空は夜の闇に包まれ、あたりに偽天使は一体もいない。
魔力の全てを失った加織が膝から崩れ落ちる。
もう、加織には何の手も残されていなかった。
加織を倒した。直巳がそう理解した瞬間、無意識に気が緩んだ。
「ぐ……ま、魔力が……溢れる……」
元々、許容量を大きく超えて魔力を吸い上げていたのを無理矢理圧縮していたのだ。気が緩み、魔力の圧縮が少しでも緩めば、暴走は避けられない。
「椿君! 私に魔力を分けて! アブエルが傷ついた分、受け取れるから!」
伊武が直巳の右手を握ると、直巳は反射的に魔力を注いだ。
バケツの水をコップにぶちまけるかのように、伊武に魔力が注がれた。
「ぐ……すごい……量……」
伊武もすさまじい量の魔力を受け取ったのだが、直巳からは、まだ魔力が溢れていた。天使遺骸二本よりも多い魔力なのだから、伊武一人では到底受けきれない。
「伊武……無理をするな!」
直巳は伊武の魔力量が限界に近いことを察し、手を放した。
「ごめん……次は……こっち……」
伊武は側に転がっていたAの体を持ち上げ、直巳の右手を握らせた。
Aの体は、渇いたスポンジのように魔力を吸い上げていった。存在自体が魔力の塊であるAの魔力蓄積量は、伊武とは比べものにならない。
「う……あ、ありがとうございます……」
かなりの量を注がれたAが意識を取り戻す。Aはまだまだ魔力を受け取れそうだったが、直巳から手を放し、離れた場所にいるBを指さした。
「あの子にも……魔力を……消えてしまいます……」
「わかった!」
直巳はすぐにBの元へ駆け寄り、魔力を注ぐ。
Bは、Aよりもさらに多くの魔力を欲していた。
体内の魔力を半分ほど注いだ所で、直巳の魔力暴走も落ち着いてきた。
同時にBも目を覚ましたので、直巳は魔力放出をやめる。
「お……おー?」
寝起きのように、ぼーっとしているBは、いつもどおりの駄目メイドだった。先ほどまでの魔王然とした姿は、微塵も無い。
「なお……勝った?」
手にはめた猫とヒキガエルの人形をピコピコ動かしながら聞いてくる。
「ああ、勝ったよ」
「……んふー」
直巳は抱きついてきたBを受け止めると、「ありがとう」と言って頭を撫でた。
「あの姿を見て、よく可愛がれますね」
Aが少しふらつきながらやってきて、Bを直巳から引きはがした。
「B、行きますよ。加織が逃げました。追いましょう」
「おー……いく……」
Bがふん、と鼻息を荒げた。
「では、直巳様。後はお任せください――格好よかったですよ」
Aはにこりと笑うと、Bを連れて加織の捜索に向かった。
「直巳」
離れた場所から、アイシャの声が聞こえた。
アイシャは腕を組んで直巳を見ているだけで、自分からは歩み寄って来なかった。
直巳は、アイシャらしいなと思いながら、彼女の元まで歩いていく。
「かがみなさい。あなたは大きいわ」
直巳が言われたとおりに屈んで膝立ちになると、アイシャは直巳を抱きしめた。
「よくやったわね」
直巳は何も言わず、アイシャの胸に顔を預けた。
アイシャの体温を感じていると、今ごろになって体が震えだした。
仲間が倒れていった。殺されるかと思った。勝てないと思った。
恐怖を乗り越えてなんかいない。ただ、恐怖を無視しただけだ。
呼吸が荒くなり、涙が出てきた。
アイシャは何も言わず、震えるよりも強い力で抱きしめ続けてくれた。




