十七章
「これで、お前を守るものはいなくなったわけだ」
偽天使達が一斉に直巳を見る。
加織が号令をかければ、直巳は無残な針山となってしまうだろう。
足下に横たわっているAのように。
しかし、直巳に逃げるという考えはなかった。
逃げられないということを抜きにしても、ここで引くわけにはいかない。
AとBは直巳に全てを賭けて力を使い果たした。
あいつらが命を賭けてくれたのなら、自分だってそれに応えるだけだ。
「――神秘呼吸、吸収!」
直巳は左手からの吸収を続行した。魔力の圧縮は行なっているが、それでもすぐに溢れてしまいそうだった。
「お前の体にどこまで魔力が入るか、見てみたい気はするな」
加織は大量の魔力を吸われながらも、余裕の表情を崩さなかった。天使遺骸二本分の魔力があるのだ。いくら奪われても、まったく減った気がしない。
「くっ――かはっ」
限界に近づいた直巳の口から血が漏れて、それが加織の顔にかかる。
加織は目を細めて、顔についた血をぬぐった。
「――天使である僕に血をかけるとは、失礼じゃないか?」
「はっ……何が天使だよ……また偽物だろ」
「訂正しろ」
「喚ぶだけじゃ飽き足らず、自分が偽物の天使になるとはな。お似合いだよ偽天使!」
加織は、「仕方ないな、この少年は」と、神父然とした表情で静かにため息をつく。
「君の魔力蓄積量には興味があるので、自滅するまで見ていようかと思っていましたが――」
その直後に何も隠そうとはしない、激怒の表情に変わった。
「――気が変わった! 今すぐ死ねよ背教者ぁ!」
偽天使達が剣を振り上げ、一斉に直巳に向かって振りかざした。
(――終わりか)
最早、守ってくれるアスタロトもいない。直巳は死を覚悟した。
「――駄目」
何者かが直巳の体に覆い被さり、代わりに剣を突き立てられた。
「……大丈夫?」
「い、伊武……」
直巳をかばったのは伊武だった。天使達の群れを無理矢理突っ切って、直巳の元までやってきたのだ。余程無理をしたのか、たどり着いた時には、すでに体中に傷を負っていた。
背中に何本もの剣を突き立てながら、伊武は直巳に優しく語りかけた。
「椿君……逃げて……あなただけでも、どこかで生きていてくれれば……それでいい……」
「できるか! そんなこと! 俺は最後まで戦う! 伊武こそアイシャを連れて逃げろ!」
「私とアイシャの命より……椿君の方が大事だから……早く――ぐっ!」
加織が、偽天使の剣で伊武の背中を突き刺した。
突き刺した後も、ぐりぐりと押しつけている。
「伊武希衣。なんだお前は? 先ほど、車を襲わせた時もそうだが、なぜここまでされて生きている? お前も悪魔なのか?」
「私は……悪魔じゃ……ない……」
伊武の背中の傷が、徐々に閉じていった。
「超回復? 魔術強化された人間か? だとしても、ここまで頑丈か?」
加織がさらに剣を深く突き立てると、さすがの伊武も痛みに声をあげた。
「やめろ! 加織! お前の目的は俺だろう!」
直巳が叫ぶと、加織はにやりと笑って偽天使から別の剣を受け取った。
「禁忌まで使ったからな。持ち帰る敵の首は――多い方がいいッ!」
加織の振り下ろした剣が、伊武の背中に突き立った。
位置からして、心臓のあたり。
伊武は低くうめいた後、何も言わなくなった。
「死んだか?」
「うわあああ!!」
直巳が怒りに任せて、加織から魔力を吸収する。
今までよりも早く、多くの魔力を奪い続けた。
直巳の体は限界を超え、魔力暴走の兆候が出始めている。
それでも、直巳はその手を緩めなかった。
「自棄になったか! 椿!」
「うるさい! 俺の体がどうなっても、お前だけは許さない!」
直巳は魔力吸収を続けるが、どんなに気力があっても体は悲鳴をあげていた。
もう、次の瞬間にでも体が魔力暴走を起こしてもおかしくはない。
それでも、加織の魔力はまだまだ残っていた。
「さすがに限界か? 魔石はともかく、天使遺骸を吸いきるのは難しかったようだなあ!」
(――魔石?)
直巳は加織が身につけている魔石を見た。
魔石から魔力が抜けきっており、宝石でもないただの石となっている。
魔石、魔力の塊、石――直巳に閃きがあった。
魔力のイメージは気体を圧縮して液体になった――ならば次は――
(液体から固体へ――)
直巳は体内に溢れる魔力に集中した。
液体となった魔力を圧縮して、小さな塊にしていく。
魔力の石。いや、ただの石よりは宝石の方がいいかもしれない。
そう、魔力の宝石だ。体内の魔力を凝縮して凝縮して、一つの宝石にするのだ。
(落ち着け――怒りを鎮めろ――集中して圧縮しろ――)
この一瞬だけは、は加織のことも伊武のことも頭から消して、魔力の圧縮に集注する。
頭の先から首へ。首から胸へ。胸から腹へ。
つま先から膝へ。膝から腰へ。腰から腹へ。
体の上下から、中心に魔力を集める。
体から魔力暴走の兆候が引いてきた。
後少し――後少しで魔力が圧縮できる――イメージの魔石が作れる――
「――椿、何をしている」
加織が、それを見逃すはずはなかった。
直巳の魔力吸収は続いているのに、魔力暴走は発生していない。
加織は自分の勝利の予感に、毛ほどの傷がついたのを感じた。
「何だ――お前は何をしている――なぜ、まだ魔力を吸収できる――」
加織の声も、集中した直巳の耳には届かない。
ただ、自分の中に満ちる魔力と向き合い続ける。
魔力の吸収は続いている。今、集中が途切れてしまえば、限界を超えた魔力が一気に直巳の体内に拡散し、魔力暴走してしまうだろう。
後少し。数秒だけでいい。加織が黙っていてくれれば――。
加織は偽天使の剣から受け取ると、直巳の首に向かって剣を振り上げた。
「何かしようとしているな――ここまでだ――」
剣のきっさきが、直巳の首に向かって落ちる。
直巳には加織の声も聞こえていたし、剣の気配もわかっていた。
しかし、魔力の圧縮をやめようとはしなかった。
もう、そうすることしか出来なかったから。
「死ね! 椿!」
加織の剣は、大きな手を突き刺しただけで、直巳には届かなかった。
「――だから、駄目」
またも、伊武が直巳をかばった。心臓を剣で貫かれたままで。
「なぜ……心臓を突かれて……それでも生きている……伊武希衣……」
伊武にいくら超回復能力があるとは言え、死体が甦るわけがない。
「あなたと同じよ……もう……隠せないから……見せてあげる……」
伊武が背中からフリアエを抜くと、大声で「それ」を呼び始めた。
「出ろ! ――天使アブエル!」
伊武の背後に巨大な人影が現れ、実体化していった。
その体と羽根は、つぎはぎだらけだった。
羽根には楔が打ち込んであり、羽ばたくことすらできないだろう。
目隠しをつけており、目の下には涙の筋のような文様が走っている。
いびつで醜い怪物。だがそれは、間違いなく天使だった。
アブエルは声にもならない叫び声を一つあげると、伊武に手を伸ばした。
伊武は伸びてきた手に、容赦なくフリアエを突き立てて追い払う。
それで、アブエルはまた声をあげた。
アブエルの体には、伊武と同じ箇所に剣が突き刺さっていた。
加織が呆然としながら、伊武のアブエルを見つめ、言った。
「天使贄――」
「そう……天使贄……本当に危ないダメージだけは……アブエルに渡してた……」
伊武が車ごと串刺しにされても、心臓を突かれても死ななかった理由は、加織と同じ、天使贄だった。
「ダメージが大きくなりすぎたから……実体化して力を解放させないと……間に合わなくなったの……」
「て、天使贄が使えるということは……お前は……天使付き……なのか?」
「そうよ……人造天使付き……だけど……」
「じ、人造天使付きだと? なんだそれは! 天使教会にもそんな情報は無いぞ!」
「隠しているし……成功例がなかったんだもの……知らなくて当たり前……」
アブエルは反天使同盟が天使遺骸をかき集め、寄せ集めて作った人造天使だった。
それを無理矢理、伊武に「付けた」のだ。他の天使付きと同じように。
アブエルが付くことにより、伊武のあらゆる能力は引き上げられ、超回復能力もついた。
そして、アブエルには、伊武の強化以外に、もう一つ大きな役割があった。
「お前に天使の奇跡が効かないのは、その人造天使のせいか!」
「そう……天使には、天使の奇跡が効かない……全部、アブエルが弾く……」
天使狩りの時には、いつだって大きな天使が伊武の盾になっていた。
だが、アブエルはそれら全てを自ら望んでいるわけではなかった。
その証拠に、実体化したアブエルは伊武に再び手を伸ばして首に触れようとする。
「チッ……痛みがあるから……暴れるわね……」
伊武は舌打ちをすると、アブエルの額にフリアエを突き立てて大人しくさせた。
「な、なぜだ! なぜ、自分の天使を攻撃する!」
「実体化させると……この子は苦しみと憎しみで……私を殺そうとする……そのためにフリアエで大人しくさせる……下手すると、どちらかが死ぬから……やりたくなかった……」
フリアエは天使と戦うこともできるが、元々はアブエルに対する鞭だった。
アブエルを制御するための、天使を攻撃できる武器。それがフリアエだった。
そこまで言うと、加織は直巳を見た。直巳はただ、神秘呼吸にのみ集中している。
直巳にも、この会話は聞こえた。驚きもした。だが、それだけだ。
だって、もう仲間に悪魔が二人と、何千年も生きている少女がいたのだ。伊武に天使が付いていようと、直巳にとっては今さらだった。
伊武は、そんな直巳を見て、フッと笑う。
「椿君を守るためだから……これが私の……奥の手……」
伊武が淡々と語る人造天使に、天使教会の神父である加織は戦慄した。
「人の手で作り上げた天使を……無理矢理、使役しているというのか……」
「……そうだけど……それが?」
「おぞましい……なんという、おぞましさだ!」
嫌悪を隠さない加織を見て伊武が笑う。
「もう一つ教えてあげる……アブエルの魔力補給は……「餌」は……天使遺骸……」
アブエルの能力を使えば魔力が失われる。魔力を失えば、アブエルは暴れ始めるので、魔力補給をしてやらないといけない。
伊武にできる一番簡単な魔力補給方法は、天使遺骸を食わせることだった。
それを聞いた加織は嫌悪を超えて、表情を失った。
「天使を無理矢理作り上げ、さらに天使を食わせて飼うなど――人のすることか――」
「あなたも……似たようなもの……人が天使になろうとするのは……人のすることなの?」
「いずれ……いずれ天罰がくだるぞ!」
その言葉を聞いて、伊武がクスッと笑った。
「いずれ……ね……だとしても……私たちを裁くのは……あなたじゃ……ない……」
そう言われて、加織は自分の勝利の確信が揺らいでいることに気がついた。
なぜ、自分が裁くと言わなかった? より大きな存在に裁かれることを祈った?
言えなかったのか。裁きを願うというのは、自分ではかなわない相手にすることだ。
お互いが天使贄で守られてる以上、命の奪い合いですぐに決着は付けられない。
あり得ない話だが、もしも直巳に魔力を全て吸われてしまったら――
「クッ! 腕を放せ――」
「させない……かな……」
加織が直巳から手を振りほどこうとするが、伊武に止められた。
加織の腕を握り潰さんばかりに固定している。
そして、直巳がぼそりと呟いた。
「――できた」




