十六章
「本物の……悪魔だと? あのアスタロトとバエルが……目の前にいるのか?」
加織とて神父なのだから、悪魔のことは知っている。それがアスタロトやバエルという、有名な悪魔なら、知らないわけがない。
その姿は伝え聞いていたものと少し違うが、特徴は確かにそのままだった。
一般的にアスタロトは竜にまたがった姿で現され、バエルは人と猫とヒキガエルの顔がついた大蜘蛛の姿で現される。
なるほど、言われてみれば人間の姿の時にも、その特徴はあった。アスタロトは眼帯で隠していたが、目の中に蛇を。バエルは猫とカエルの人形を手にはめていた。
「僕は――僕はなんてついているんだ!」
加織は喜びを抑えきれず、大声で笑い始めた。
「僕はアスタロトとバエルを葬り、悪魔達の復活を阻止した聖人として歴史に名が残るぞ! 天使は僕に栄光を授けようとしている!」
加織は二翼十字を天に掲げ、更に多くの偽天使を空から喚びだした。
「天使達! まずはあの醜い悪魔どもを裁いてやれ! 異端の娘も一緒にだ!」
加織が叫ぶと、偽天使達は一斉に襲いかかってきた。
「偽天使を呼び出すぐらいで、ずいぶんと調子に乗るじゃないですか、力神父とやら!」
アスタロトが槍を回すと、槍は蛇のようにしなり、偽天使達を串刺しにしていった。
槍の軌道など関係ない。ただ、その槍は振るえば命を奪っていった。
それでも数に任せて偽天使達は近寄ってきたが、それらは全て騎乗している竜が食った。
あっという間に百近い偽天使がアスタロトの餌食となる。
そして、戦えば戦う程、アスタロトの乗っている竜は大きく、長くなっていった。
竜は葬られた偽天使の死体を巻き込み、不気味なパズルのようになって巨大化を続ける。
偽天使だけではない。戦いに巻き込まれた虫や鳥など、あらゆる死骸を取り込み、竜は巨大化を続けていた。そして、大きさに比例して竜は強烈な死臭を放った。
巨大化した竜の口が、尾が。新たに現れた偽天使達を攻撃していく。
戦えば戦うほど、戦場に死体が増えるほどにアスタロトは力を強めていった。
その強さと醜悪さに、さすがの加織も息を呑んだ。
「これが……これが本物の悪魔か……」
加織が思わず漏らした言葉に、アスタロトが笑う。
「これが本気の力だとでも? 地獄から軍団も呼んでいないのに?」
アスタロトは地獄に40の軍団を。バエルは66の軍団を持っていると言われているが、直巳が補充した魔力の量では、軍団を呼ぶことまではできなかった。
加織は一瞬、悪魔達が本気であったらと考えて戦慄したが、すぐにそれを振り払った。
「本気でないなら好都合! それを悔いたまま敗北するが良い! バエルはどうした!」
加織が戦場を見回すが、バエルの姿が見当たらない。
「……どこにいった?」
バエルがどこにも見当たらない。それならば、天使達はアスタロトや伊武に集中しているだだろうと考えたのだが、それにしては天使の数が少ない。
よく見てみると、何の前触れもなく絶命している天使達がいた。
アスタロトの攻撃は目に見える。伊武は自分の身を守るので精一杯だ。
ならば、これはバエルの仕業だろう。バエルは間違いなく戦場にて、天使達を殺している。
「なんだ……なんだというのだ……」
見えない敵の恐怖に、加織の体から冷や汗が出る。
「落ち着け――相手はバエル――バエルだ――」
加織はバエルに関する知識を思い出そうとする。
(そんなに多くの記述はなかったはずだ……思い出せ……バエルのことだ……)
そして、加織は原因であろう記述について思い出した。
『バエルは召喚者を様々な姿に変身させたり、姿を透明にすることができる』
召喚者にかけられる魔術を、自分に使えないわけがあるだろうか。
加織は戦場を見回すと、不自然に誰もおらず、天使も無視している空間を見つけた。
「天使達! あの場所を攻撃しろ!」
天使が一斉に、加織の指示した空間に向かって襲いかかった。
天使達は何もない空間に剣を突き立て、そのまま動きが止まる。
「獲ったぞバエル!」
加織が勝利を吠えると、襲いかかった天使達は一斉に絶命した。
「な……何が起きた……?」
よく見ると、天使達は互いの体に剣を突き立て、自滅していた。
天使達が消滅した後から、透明になっていたバエルがゆっくりと姿を現わした。
「神父。発想はよかったが、こんな連中では私の呪いには逆らえぬぞ」
天使達はバエルの呪いで体を操作され、互いに殺し合って絶命していた。
バエルがまた、ゆっくりと姿を消そうとするのを見て、加織は声をあげた。
「バエル! 姿を消してこそこそ戦うなど、名のある魔王のすることとは思えんな! 所詮は猫やカエルの化身! 畜生でしかないということか!」
加織の挑発を聞くと、バエルの猫とヒキガエルがわめきはじめた。
「おのれ神父風情が! このバエルに言ってくれたものだな!」
簡単に挑発に乗ったバエルを見て、アスタロトが舌打ちする。
「バエル! 挑発に乗らないでください! 無理をすれば魔力が持たない!」
「うるさい! あの神父に身の程を教えてやるのだ!」
怒り狂ったバエルにアスタロトの声は届かなかった。猫とヒキガエルの怒りの雄叫びはさらに凶暴になっていった。
そして、鳴き声がピタリと止むと、バエルは加織を指さした。
「「「あの者たちを連れてゆけ!」」」
少女と猫とヒキガエルの声が三重になり呪いの言葉を発する。
次の瞬間、地面から何百という手が――天使達と同じ数の手が伸びて、全ての天使を捕らえた。戦っている天使も、飛んでいる天使も、降臨したばかりの天使も残さず全て。
そして、伸びた手は全ての天使達を地の底へと引きずり込んでいった。
戦場に静寂が訪れる。
バエルの一声で、偽天使は全滅したのだ。
加織は地面へと引きずり込まれていった天使達を見て、血の気が引いた。
もし、天使贄がなかったら、自分もああなっていたのだ。
魔王に呪われ、地面に引きずり込まれたら――どこへ行くというのか。
「見たか小僧! これがバエルの力だ!」
マントをはためかせて胸を張るバエル。
しかし、アイシャとアスタロトは苦い顔をしていた。
加織はそれを見逃さなかった。その一瞬で、ある考えにたどり着いた。
「来い! 天使達!」
また、空から無数の天使達が降臨する。
あっという間に、同じだけの数の天使が戦場を埋め尽くした。
「たいしたものだなバエル! 今の見世物! もう一度やってみせろ!」
加織が挑発すると、バエルは歯がみした。
「ぬう……まだ呼べるのか」
バエルは無数の天使達を見ても、先ほどの大呪殺を使おうとはしなかった。
(やはり、何度でも使えるわけではない!)
加織の読みは当たっていた。
アスタロトもバエルも、悪魔の姿で戦うには多くの魔力を消費する。それに加えて、あれだけの大呪殺を使えば、魔力の消費も激しい。
それに比べて、加織の能力、《楽園の到来》は魔力の消費量が非常に少ない。天から天使の力を引き出して戦っているので、自分の魔力消費は非常に少ない。
「フフ……どちらの魔力が尽きるのが先か……根比べといこうか、悪魔ども」
加織は悪魔への恐怖に打ち勝ち、戦意を取り戻した。
「強気ですね、力神父。しかし、そちらの魔力とて、無限ではないでしょう」
アスタロトが揺さぶると、加織は神父服を開いた。
加織は大きな宝石がいくつも付いたネックレスをしている。
直巳は、それに見覚えがあった。忘れるわけがない。あれを作ったのは自分なのだから。
「魔石……」
直巳が気づくと、加織はニヤリと笑った。
「その通りだ神秘呼吸。君が作った魔力の塊。天木から全て買わせてもらったよ」
まさか、自分の作ったもので追い詰められるとは。直巳は過去の自分を恨んだ。
「おかげで、僕はまだまだ戦えるよ。喚べる天使の数で言うと、そうだな――」
加織は首から下げた魔石を撫でて、笑みを浮かべた。
「1万体は、軽いかな」
アイシャが唇を噛んだ。
「このまま戦ってたら、負けるわ」
アイシャが側に来て、直巳に耳打ちをする。
離れた場所ではアスタロトとバエルが戦っており、伊武は直巳達を守っている。
「いくら強いと言っても、相手との相性が悪いわ。相手は数が多いし、長時間戦える。加織を直接攻撃しても無駄。勝つには――」
直巳は左手を微かに光らせてアイシャに見せる。
「相手の魔力を根こそぎ奪い去る。恐らく、天使贄で防げるのは肉体へのダメージだけだ」
「そのためには、加織の懐に飛び込まないといけない。できる?」
「さっき言っただろ。命を賭けるって」
直巳が震える左手をぎゅっと握りしめると、アイシャがそっとを手を乗せてきた。
「よかった。直巳が馬鹿でも臆病者でもなくて」
アイシャの手は小さくて冷たかった。しかし、震えは彼女に吸われるように消えていった。
「さあ。全てを犠牲にしてでも、あなたを加織の元に送り届けるわよ」
アイシャの提案はこうだった。
まず、バエルにもう一度、偽天使を一掃してもらう。その間に、機動力のあるアスタロトが直巳を守りつつ、加織の元まで送り届け、魔力の吸収を終えるまで護衛もさせる。
伊武はこのまま、自身とアイシャを守るために戦ってもらう。
バエルはもう一度、大呪殺を行なえば魔力は切れてしまうだろう。チャンスは一度だけだ。
「伊武! こっちへ来て!」
一番近くで戦っていた伊武にアイシャが声をかけると、伊武は周りの偽天使達を片付けてアイシャの元へとやってきた。
アイシャは、今の作戦を伊武に伝え、アスタロトとバエルへの伝令を頼んだ。
「タイミングを合わせて、一気に始める必要があるわ。あいつらにもそれを伝えて」
「私は……このまま戦っていれば……いいの?」
「そうよ。まずは自分を守って。私のことは気にしないでいい」
直巳もアイシャの言葉に頷くのを見ると、伊武は悪魔達への元へと走っていった。
偽天使達を振り切って走っていく伊武を見て、アイシャが言う。
「素直ね。このまま黙ってはいないでしょう。私の言うことを聞く子じゃないし」
「アイシャ……伊武に何かさせようとしているのか?」
「そんなつもりはないわよ。ただ、何かできるならするでしょうね、あの子は。自分のためじゃなくて、あなたのためにね――直巳、自分の命だけじゃなくて、全員の命をあなたが預かってることを、忘れないでね。もちろん、私の命も」
「……責任重大だな」
「これまで優しくしてもらった恩を返すのね、色男」
そして、伝令を終えた伊武が帰ってきた。
直巳はアイシャの頭にポンと手を置くと、伊武を護衛にして、アスタロトの元へ向かって走り始めた。
「椿君! 気をつけてね!」
伊武が直巳を放り投げて、アスタロトの竜に乗せる。
「A! 椿君を送り届けて、ちゃんと守って! あなたは死んでもいいから!」
「あなた、本当に怖いものないんですね。任せなさい! 直巳様! しっかり掴まって!」
直巳がアスタロトにしがみつくと、竜は偽天使達の群れに飛び込んでいった。多少のダメージは気にもせず、加織に向かって一直線に進んでいく。
気づいた加織は、偽天使達に号令をかける。
「仕掛けてくるか! 偽天使! アスタロトを狙え!」
偽天使達が塊となってアスタロトを包み込んでいく。さすがのアスタロトも全ての攻撃を捌くことができず、自身と竜が段々と傷を負い始める。
「バエル! まだなのですか!」
「もっとだ。もっと引きつけろアスタロト」
偽天使達の全てがアスタロトの元へ向かったのを見て、バエルがようやく呪いの鳴き声を上げ始めた。猫とヒキガエルは、聞いただけで発狂しそうな不快な声を出す。
大呪殺が来ることを察した加織は舌打ちをする。あれだけは、どう頑張ろうと抵抗することができない。全滅は免れないだろう。再び天使達の数が揃うまでに隙ができる。
(その間に、椿が飛び込んでくるというわけか!)
加織は作戦に気づいたが、そこまではどうすることもできない。
そして、バエルから三重の声で大呪殺の号令が発せられた。
「「「あの者達を連れてゆけ!」」」
無数の手がアスタロトの周りに取り付き、偽天使達の全てを地面に引きずりこんだ。
偽天使に囲まれていたアスタロトが、ここぞとばかりに加織へ突っ込んでいく。
「我はここまでだ。後は頼んだぞ、アスタロト」
バエルの魔力は尽きて、大蜘蛛も王冠もマントも杖も、黒い煙となって消えていった。
後には、元の姿に戻ったBが倒れているだけだった。
「くっ! 天使達! すぐに集まれ!」
何の守りもなくなった加織が、焦りながら天使達を喚ぶ。すぐに天使達は現れたが、アスタロトの勢いを止められるほどの数が集まるまでには、後少し足りなかった。
アスタロトは加織の目前まで接近すると、直巳は加織に向かって飛び降りた。
「さあ、直巳様! 出番ですよ! 終わるまでは私が守ります!」
「悪魔どもが! 背教者どもがぁぁ!」
加織が叫ぶが、直巳の左手は加織の腕を捕らえた。
「神秘呼吸、吸収――全開!」
直巳の左手が光輝き、加織から魔力を吸い取っていく。その量と速度は、直巳自身も経験したことがないほどだった。
「これが……これほどまでか神秘呼吸!」
加織はまるで、直巳に掴まれた箇所から、穴が開いたように魔力が抜けていくのを感じた。
加織自身の魔力はあっという間に枯渇し、身につけていた魔石も、魔力を失い、次々とただの石へと変化していった。
しかし、それでも魔石の量が多いため、加織の天使召喚は続いていた。
大量の偽天使達が直巳に襲いかかり、アスタロトがその全てを引き受けていた。
いくらアスタロトが強いとはいえ、数を相手にするのは分が悪い。元々の作戦どおり、これはアスタロトが倒れる前に、加織の魔力をゼロにしなくてはならないのだ。
もうすぐ、加織の身につけている魔石が全て石になる。つまり、魔力がゼロになる。
ただ、直巳の魔力蓄積量も限界を迎えようとしていた。
「ぐっ……まだ……まだだっ!」
天使遺骸から魔力を抜いた時のことを思い出す。
気体のような魔力が体に満ちる。
気体を液体に圧縮し、さらに多くの魔力を溜め込む。
それを繰り返して、その液体すらも体から溢れようとしていた。
直巳の体から、魔力の光が漏れ出していた。
「椿……もう限界じゃないのか? 暴走しかかっているぞ?」
「暴走しても……お前を倒さないといけないんだよ! それも、後少しだ!」
「ふふっ――そうか――あと少し、か――」
その時、加織の身につけていた最後の魔石が石に変わった。
加織の魔力が尽きた証拠だった。
「終わりだ! 加織!」
「――終わりはお前達だよ」
一体の偽天使が、加織の元へ飛んできて「何か」を渡した。
その「何か」からは大量の魔力が溢れている。
直巳は、それを何度も見たことがあった。
「天使遺骸――」
「そうだよ。先ほど、伊武希衣とアスタロトが狩った天使遺骸を奪っておいたんだ」
加織は手に持っていた二翼十字で、自らの胸に大きな十字の傷を付けた。
「天使遺骸を一番研究しているのは誰か? 一番上手く使えるのは誰か? お前達魔術師か? 悪魔か? 違うな――天使教会だ!」
加織は二本の天使遺骸を十字の傷の縦と横に一本ずつ押しつけると、そのまま体内に取り込んでしまった。
「天使の加護よ我に在れ!」
背中には羽根が生え、体の傷は輝く二翼十字の文様へと変化した。
「これが天使教会の禁忌――天使同化だ。僕は天使になったんだ!」
加織の体から、これまでに無いほどの魔力が溢れ出す。
「天の扉よさらに開け。楽園よ、地上に来たれ」
空に、もう一つの扉が開き、偽天使達があふれ出した。
その数は、純粋に倍。
アスタロトを囲む偽天使達の数が増えていき、やがてアスタロトが見えなくなった。
「ここまでか――真の姿を取り戻していれば――こんなことには――」
攻撃を受けすぎたアスタロトは、その姿を維持できずに人間の姿に戻った。
後には、串刺しになったAが横たわっていた。




