十五章
戦いは拮抗していた。
Bの呪殺は、偽天使達に有効だった。次々と葬り去るが、その都度、加織は倒された分だけの天使をすぐに召喚する。。
アイシャは不可侵の魔方陣を展開させ、自分と直巳の防御に徹している。
Bが呪殺した偽天使が、直巳の足下に転がってきた。直巳は左手で触れ、偽天使の魔力を吸収してみたが、あまりにも少なかった。
そのことをアイシャに伝えると、
「魔力効率がいいのね。腕の良い召喚士だわ」
と、舌打ちをした。
もう、どれくらいの天使を葬っただろう。
Bが、息切れしはじめた。
はぁはぁと荒い息を吐きながらも、健気に偽天使を殺し続ける。
しかし、Bの体力も魔力も限界が近づいているのは明白だった。
加織もそれに気がつき、勝ち誇った態度で話かけてきた。
「どうした? そろそろ終わりか? 椿が神秘呼吸を差し出すなら、後の二人は見逃してやってもいい。無駄な抵抗はやめて、椿を差し出せ」
Bが攻撃をし、アイシャが防御をしている。二人のどちらかが、直巳を差しだそうと考えれば、その瞬間に戦いが終わってしまうだろう。
本当はもう少し粘りたかったが、そうはいかないかもしれない。
(二人を犠牲にするぐらいなら――いや、裏切られるぐらいなら――)
直巳が、ふらふらと魔方陣から出ようとすると、アイシャに腕を掴まれた。
「もう少し我慢なさい」
「Bが持たないだろ」
見ると、Bは呪殺による迎撃が間に合わず、いくつか攻撃を受けている。あの幼い少女が苦しみ、傷ついているのは、見るにしのびなかった。
「何? 直巳、Bに同情してるの?」
「当たり前だろ! あんな小さな子が、傷つきながら必死に戦ってくれてるんだ!」
「ふうん……ま、大丈夫よ。そう簡単には死なないし――あいつらみたいに」
アイシャはにやりと笑い、背後を見た。
全身、ぼろぼろの血まみれになりながら、大きな剣をかついでいる女性の姿。
「伊武! 伊武!」
直巳は思わず駆け寄りたくなるが、魔方陣を出ないようアイシャに止められる。
伊武は直巳の声に反応し、いつものように、直巳専用の笑顔でにっこりと笑う。
直巳は嬉しさのあまり、涙を流しそうになった。
「遅くなって……ごめん……ね……あと……これ……」
伊武が、引きずっていた何かを直巳の足下にぽーんと放り投げた。
ドサッと、鈍い音を立てて転がったそれを、アイシャが足でひっくり返す。
アイシャはそのまま頭を踏みつけた。
「無断行動で奇襲されて、挙げ句に遅刻? あんた本当にむかつくわね、A」
Aは白目を剥いたまま、ピクリとも動かなかった。
Aも伊武に負けず、全身がぼろぼろで、顔には眼帯の代わりに妙な布が巻いてあった。
「お、おいアイシャ! A、大丈夫なのか!?」
直巳はAが死んでいるのではないかと思い焦ったが、アイシャは全く動じていなかった。
「体があるんだもの。せいぜい仮死状態よ。まれー、手間かけたわね」
「……役立たず」
伊武がAのこめかみを、つまさきでゴスッと蹴る。
その時に気がついたのだが、伊武は片方だけ素足だった。
「伊武……Aの顔に巻いてあるのって……」
「私の……靴下……眼帯がないって……うるさいから……巻いた……」
どうして、みんなはこう、Aにたいして扱いが雑なのだろうか。
直巳はAの靴下を外してやり、加織が返してきた眼帯をつけてやった。
すると、ようやくAが目を覚ました。
「う……な、直巳様?」
「気がついた? 大丈夫か?」
「ええ……大丈夫です。体力回復のために、ちょっと休んでました」
Aは何度かまばたきすると、自力で立ち上がった。
「アイシャ様、申し訳ありませんでした」
「後で聞くわ。今、忙しいの」
アイシャの態度は冷たかったが、口調は穏やかだった。
Aが戻ってきて安心しているのが、直巳にはわかった。
「――よし!」
直巳が伊武とAの復活を見て、気合いを入れ直す。
「うー……よし、じゃない」
いつの間にか、Bが直巳の足下にしがみついていた。
伊武達が戻ったのを喜んでいる間も戦っていたのに、無視されていたのが嫌なようだった。
直巳が慌ててBの頭を撫でてご機嫌を取る。
「B、ごめん! でも、そうしたら偽天使は……」
当然、偽天使達は直巳に襲いかかってくるのだが、伊武とAの敵ではなかった。
二人はばっさばっさと、偽天使達を切り倒す。
崩壊しかかった戦線が回復し、押し始めてすらいた。
「形成逆転ね」
アイシャがにやりと笑い、加織を見る。
加織は頬に手を当てたまま、こちらを。伊武とAを、じっと見ている。
その瞬間から、加織は偽天使の召還をやめた。
残りの偽天使もあっという間に狩られ、辺りは静寂に包まれた。
加織は直巳達にも聞こえるぐらい、大きなため息を吐いてから口を開いた。
「伊武希衣と執事。君達は何者だ。なぜ、あの状況で生きている」
「普通の人間じゃ……ない……から……」
「人間じゃありませんから」
伊武の服はボロボロで血にまみれている。超回復力があるとはいえ、まだ傷も癒えていないのだが、それだけだ。
Aも同じく満身創痍だが、きちんと生きているし、戦っている。
とにかく、Aと伊武希衣は剣で串刺しにされても死んでいなかった、ということだ。
「なるほど――人間じゃないなら、何だというのだろうね」
加織は首から下げた二翼十字を握りしめると、天を仰いだ。
「あら? お祈り? もう偽天使を喚ぶぐらいじゃ勝てないとわかったの?」
アイシャの挑発的な言葉を聞いても、加織は冷静だった。
「僕の能力の本質は、天使を喚ぶことではない」
加織は二翼十字を鎖から引きちぎると、それを天に向かって高々と掲げた。
「天使教会《力神父》加織が真の力を見せてやろう! 光栄に思え魔術師ども!」
加織の手にある二翼十字から一筋の光が空に伸びる。
光の届いた地点を中心に空が割れていく。
ついには宗教画のように、夜の闇と雲が消え去り、光が差し込んできた。
光の間から、幾百もの偽天使達が降臨する。
「これが力神父足る僕の力――《楽園の到来》(パラダイス・カム)だ」
これまでの数十という規模のものではない。
何百という偽天使達が降臨し、これらが全て加織に従って動くのだ。
空から天使の力を引き出し、偽天使として使う。これが加織の能力、《楽園の到来》だった。
加織は何体かの偽天使を自分の周りに侍らせると、余裕の表情で直巳達に語りかける。
「どうだい? これが僕の才能と、天使教会の秘儀が合わさって生まれた魔術だ。これだけの数がいれば、君達は何度でも死ねるよ。何度でも。人間じゃなくてもね」
偽天使達はまるで穴から這い出した虫のようだった。中途半端に美しいだけに、余計におぞましい光景。
相手は無尽蔵の数百体。こちらは人数が少ない上に、傷つき、疲れている。
直巳は左手の神秘呼吸、吸収を発動させた。
「アイシャ。みんなを連れて逃げてくれ。あいつの目的は俺のはずだ。俺が時間稼ぎをしている間に逃げてくれ」
「あら? 急にどうしたの?」
「勝てないなら、最後ぐらい良い格好させてくれ。俺は何も出来なかったからな」
「死ぬ覚悟が、出来ているってこと?」
「……出来てないけど、仕方ないだろ」
「なら、戦って死になさいよ」
「戦うって……どうやって!? 全滅も時間の問題だ! 加織の一番の目的は俺の神秘呼吸だろう!? なら、俺が囮になる! みんなは戦う力があるんだから、逃げられるだろう!」
アイシャが、震えている直巳の手を握った。
「奥の手が向こうにしかないと思っているの?」
「……まだ、何か方法があるのか?」
「直巳、壷に魔力は入れてあるのよね」
「ああ……入れてある。間違いなく」
「なら、少しはいけるでしょう。こんなに早く使うことになるとは思わなかったけど」
アイシャがスカートをまくると、そこには無数の木の杭が刺さったベルトが巻いてあった。
そこから二本の木の杭を取り出す。
「A、B。今からあなた達を呼ぶわ。全力でやりなさい」
アイシャに言われると、Aが冷たい笑みを浮かべた。
「恐らく、全力は出せません。持って数分です。それでも、やると?」
「黙って言われたことをやればいいのよ」
アイシャは手に持った杭を構えると、呪文を唱え始めた。
我は偉大なる王の名を持つ生贄の山羊
枝よりつたう血は、煙であり香である
血は盟約に注がれ、力は盟約に従う
我と汝は二匹の蛇がごとく互いを支配する
詠唱を終えると、アイシャは二本の杭を振り上げて叫んだ。
「生贄のソロモンが命じる! その姿を取り戻せ――悪魔アスタロト! 悪魔バエル!」
そして、二本の杭を自分の身体に突き立てた。
その瞬間、AとB――アスタロト(Astaroth)とバエル(Bael)が真の姿を取り戻しはじめた。
変化していく身体を見ながら、アスタロトは笑い声をあげた。
「ハハッ! 本当にやるとは! いいでしょうアイシャ! 私とバエルで、あの神父に悪魔の恐ろしさを教えてやりましょう!」
アスタロトの眼帯が外れ、目の中から羽根の生えた蛇が現れた。
蛇はあっという間に巨大化し、アスタロトをその背に乗せた。
アスタロトの背には大きな白い翼が生え、左手には蛇を模した大きな槍が握られている。
これが、Aの真の姿――ソロモンの悪魔である、アスタロトの姿だった。
「ああ、これで相手が全て人間ならばどれだけ楽しかったか。せめて、あの神父から心底の恐怖を奪い取ってみせましょう」
同じく、Bこと、バエルも真の姿を取り戻していた。
Bが手の人形を地面に投げると、それがヒキガエルと猫の顔を持つ、大蜘蛛に変わった。
地面からは無数の手が湧き、バエルに大きな王冠とマント、それから杖を身につけさせた。
マントを翻らせ、大蜘蛛に乗るバエル。
これが、Bの真の姿――ソロモンの悪魔である、バエルの姿だった。
興奮した様子でバエルが口を開く。その声は、少女と男性の声が二重になって聞こえた。
「おお、またもこの姿を取り戻せるとは! 我の前で楽園などとは笑止千万。我のいるところが地獄だと思い知らせてやろう!」
バエルの猫とヒキガエルとが、解放を喜ぶように一斉に吠えた。
それだけで、数十の天使が地面に落ちて消えていった。
アイシャは二体の復活を見ると、苦痛に耐えながら体に刺さった杭を抜いた。
直巳が、伊武が。唖然としてAとB――アスタロトとバエルを見る。
直巳もソロモンの悪魔ぐらい聞いたことはある。名のある、本物の悪魔だ。
その悪魔達が目の前にいるという。
「アイシャ……これは……本物の悪魔なのか? お前達は一体、何者なんだ?」
アイシャは傷口を押さえながら、自分の正体について語った。
「私は歴史に語られない、ソロモン王の娘の一人。封印された悪魔達が復活するための道具。72の悪魔、全てを復活させるまで死ぬこともできない、《生贄のソロモン》よ」
その昔、ソロモン王は72の悪魔達を自由に使役したという。
ソロモン王が死んだ後、悪魔達は真鍮の容器に封印された。
その後、誰かが容器を開けて悪魔達は散っていったとされているが、悪魔達は容器から出るだけの力もなかった。人間の世界に出ることも、地獄に帰ることもできなかった。
悪魔達は話し合った結果、全員が復活したら、同時に地獄へ帰ろうということになった。
そして、悪魔達は残された魔力でベリアルという悪魔を地上に残し、神託をさせた。
神託の中でベリアルは、ソロモンの血を引く少女を悪魔達に差し出せと言い、人々はそれに従って、何も知らないアイシャを生贄に出した。
アイシャはその日から、悪魔達を復活させるため、年を取ることもなく、世界中をさまようこととなる。
悪魔に差し出された生贄であり、自らを生贄として悪魔達を呼び出すソロモンの娘。
真鍮の容器こと、ソロモンの壺に、全ての悪魔を復活させるだけの魔力を集めるための道具。
《生贄のソロモン》こと、アイシャ=ソロモン(スレイマン)は、こうして誕生した。
少女の姿のまま、もう3000年近くは生きている。
何かある少女だとは思っていたが、72体の悪魔全てを復活させようとしているなど、直巳の予想を遙かに超えていた。
黙り込む直巳を見て、アイシャは一つだけ聞く。
「直巳、何も言わなくていい。これだけ答えて。今でも、直巳は私の味方なのよね?」
前にもされた質問。真実を知った今、ようやくその意味がわかった。
アイシャの味方。つまりは悪魔復活の手助けをするのかということ。
アイシャはこうやって、何人もの人々に逃げられ、怯えられてきたのだろう。
だから、直巳はアイシャの目を見て、心からの気持ちを伝えた。
「俺はアイシャの味方だ。今も、これからも」
直巳の答えを聞いたアイシャは、顔を見られないように直巳の胸に額をつけた。
「――ありがとう、直巳。私と悪魔達は、きっとあなたに尽くすわ」
伊武は、その様子を憮然とした表情で見ていたが、何も言わなかった。
ただ、アスタロトとバエルの横に並び、偽天使達に向かって剣を構えた。




