十四章
夜の天使教会は全ての灯りが消えており、物音一つしない。なんとも不気味だった。
直巳が息を整えていると、教会のドアがゆっくりと空いた。
「さあ、早く教会の中へ」
直巳は加織に言われるがまま、教会の中へ入っていった。加織は一つも電気をつけることなく、直巳の手を引いて教会の奥へと向かっていく。
「さあ、ここです」
到着したのは、神父の待機部屋だった。
ここは神父のプライベートルームとも言える場所で、以前は秋川から報酬を受け取ったり、密談をしたりするのに使っていた部屋で、教会の一番奥の方にある。
この部屋に窓はないので、本当に真っ暗だった。
「加織さん、電気を……」
「はい。今、見えるようにします――」
そういうと、加織は電灯ではなく、マッチを擦ってロウソクに火をつけた。
ボウっ、という音と共に、室内が明るくなり――天使の姿を浮かび上がらせた。
「う、うわっ――!」
直巳は明るくなった瞬間、目に入ったものに驚き腰を抜かした。
部屋の隅に、天使が立っていた。
マネキンように生気なく、ただ立っているだけ。
「て……天使?」
直巳が立ち上がりながらつぶやくと、背中から、加織に肩を掴まれた。
「そうですよ。天使様です」
「ど、どうして天使が?」
「あなたの願いを叶えてもらうために、私が喚んだのです。天使教会の秘儀を使って。さあ、天使様の側に言って、あなたの願いを伝えてください。そして、叶えてもらうのです。早くしないと天使様が帰られてしまいますよ――さあ――」
加織にそっと肩を押されるが、直巳は動かなかった。
動けなかったのではなく、抵抗して動かなかった。
「――どうしたのですか?」
「い、いや……天使じゃないですか」
「そうですよ」
「剣、持ってますよね」
「そういう天使様もいらっしゃいます。悪を打ち払う剣です」
「顔――ないですよね」
天使には、マネキンのような頭がついているだけで、顔はなかった。目も鼻も口も、それを感じさせる隆起さえない。
間違いないだろう。これが伊武の言っていた、顔の無い天使だ。
「顔が無いと――何か問題でも?」
「い、いえ……少し、怖いなと……」
「怖い――それはまたどうして」
固まっている直巳の耳元に、加織が囁く。
「殺されてしまうからですか? 伊武希衣と、あの執事のように――」
その瞬間、直巳は加織を突き飛ばして部屋の扉へ向かった。恐らく、加織は鍵をかけているだろうと思い、全力で扉に体当たりする。
肩に衝撃が走り、扉が壊れて開く。古い建物だったのが幸いした。
そのまま礼拝堂を駆け抜け、教会の扉を開ける。
(外に出れば!)
直巳が教会の扉を開け放つ。
そこには、5体の顔の無い天使がいた。
「そんなに逃げなくてもいいでしょう」
後ろから加織が近づいてきて、直巳に声をかける。
「それだって天使ですよ。殺すばかりで人を救ったことはありませんが」
「お前が……お前が顔の無い天使を喚んでいたのか!」
直巳の言葉に、加織が口元を押さえて笑う。
「顔の無い天使、ですか。なかなか面白い名前をつける。まるでホラー小説のようだ。質問に答えますよ。そうです。それは私が喚んでいる天使です。私の言うことを何でも聞きます。人殺し以外に使い道がないんですけどね」
敵の正体がわかった。
天使降臨に紛れ込ませて、顔の無い天使を送り込んでいたのは加織だ。
直巳が携帯電話をちらりと見ると、加織はそれを見逃さなかった。
「やめなさい。誰に助けを求めようと言うのですか? 警察ですか? 天使教会本部の力を甘く見ない方がいい。まともに取り合ってはくれないでしょう」
「取り合ってくれなくても……騒ぎになれば、あんたは困るはずだ……」
「たしかに、面倒臭いですね。なら、こうしましょう。ここで椿君が大人しく死ねば、つばめさんの命は助けてあげます」
「な……姉さんは……関係ないだろう!」
「人質になるから使うまでです。あなたが警察などに電話せず、ここでひっそりと死んでくれれば、つばめさんは生かしてあげます。わかったら携帯電話を捨てなさい」
「くっ……」
直巳は言われたとおりに携帯電話をそっと床に置いた。
「――話が早くて助かります。では、そのまま天使の元へと向かいなさい」
教会の入り口を見ると、天使達が何も言わず、ピクリとも動かずに立っている。
教会の前で月明かりに照らされたそれは、天使ではなく死神のようだった。
「どうして……お前が直接殺さない」
「私が殺すと、どうしても証拠が残りますしね。わざわざ路上で殺さないで、ここに連れてきたのも目撃者と証拠の隠滅が楽だからだ」
「なら、ここに連れ込んだ時点で、あんたが殺せばよかった」
「自分の手を汚したくないのですよ。私は天使教会の神父ですから、やはりね」
「――神秘呼吸が怖いか」
直巳の言葉に、加織が黙り込む。
(図星か)
加織は魔力を使って天使を喚んでいるのだろう。もし、直巳ともみ合った挙げ句、神秘呼吸で魔力を全て吸い取られたら、天使は全て消えてしまう。そうすれば自分で殺すしかないが、それでは普通の殺人になってしまう。成功率は下がって証拠が残り、自分の手を汚すことにもなる。もし、加織に直接殺す気があれば、先ほど神父の部屋で二人きりになった時、殺せばよかったのだ。
神秘呼吸が怖いという事情はわかった。とはいえ、直巳の危機が解消されたわけではない。
直巳が黙り込んでいると、加織がいらつきながら口を開いた。
「神秘呼吸が邪魔だったとして、だからどうした? 君が私の天使達に勝てるとでも思っているのか? それに、つばめの命もかかっていることを忘れるな」
直巳は冷静に考えを巡らせる。
今はとにかく、時間を稼ぐことだ。
まずは相手の言葉に乗り、安心させて話を引き延ばすのが良いだろう。
「……わかった……加織神父。あなたの言うことを聞こう」
「――結構」
加織の声に安堵が含まれていたのを直巳は聞き逃さなかった。
「ただ、最後に殺される理由ぐらいは教えてくれ。どうして俺なんだ?」
「君を殺す理由なんか一つだろう。神秘呼吸だよ」
「自分をおびやかす神秘呼吸が邪魔……ってことか?」
「違う。その力が欲しい。お前を殺して神秘呼吸を奪い、私が取り込むのだ」
「神秘呼吸を取り込む……? なぜ、そんなことをする? お前は天使を召喚するという、立派な能力を持っているじゃないか」
直巳の言葉を聞くと、加織が突然、激昂した。
「こんな人を殺すだけの能力! どこが立派だ! たしかに、この力のおかげで私は天使教会の本部に入ることができた! だがそこまでだ! いつまでたっても裏の汚れ仕事ばかりで、表に立つことも、これ以上の出世もできん! 挙げ句の果てには、こいつらを偽天使呼ばわりする連中が、異端査問会を開く始末だ! 都合が良い時は天使! 邪魔になれば異端の悪魔使いだ! 私は派閥争いに利用された挙げ句……異端者として殺されるんだよ!」
「神秘呼吸があれば、人を救う力も手に入れられる。それでお前の立場も良くなる、と」
「そうだ。殺す力と救う力の両方があれば、表にも出られるし出世もできる。異端査問会だって中止せざるを得ないだろう――それに、天使狩りの異端者どもの首も土産にできる!」
加織が胸に下げた二翼十字に口づけをする。
自分に陶酔しきった、醜悪な光景だった。
その時、教会の入り口から一体の顔の無い天使が飛んで入ってきた。
直巳は殺されるのかと思って身を屈めるが、顔の無い天使は直巳を無視した。
そのまま加織の元まで飛んでいき、彼に何かを渡す。
顔の無い天使から渡されたものを見ると、加織は大声で笑いをあげた。
「ハハッ! これは良いタイミングで届いたものだ! 見ろ、椿!」
そういって加織が見せてきたのは、ちぎれた眼帯と、衣服の切れ端だった。
直巳はそれが何か、すぐにわかる。Aの眼帯と、伊武の衣服の切れ端だ。
これは二人が身につけているもの。それが奪われている、ということは。
「伊武希衣と、あの執事は死んだよ!」
「死んだ……どういうことだ……?」
「これを使ったんだよ」
加織がポケットからガラス瓶を取り出した。知らないものが見れば、ただの小瓶。
「嘆きの涙……?」
「そうですよ。これで天使を喚んだら、上手い具合に、あいつら二人だけが食いついてきましたからね。やつらの殺害と、君の呼び出しを実行したというわけです」
どうして加織が、「嘆きの涙」を持っているのかも気になったが、今、重要なのはそこではない。加織は、ずっと直巳達を監視していて、天使を召喚して直巳達を分断したのだ。
「どうした? まだ時間稼ぎを続けるか? もう、いくら待っても誰も助けに来ないぞ!」
時間稼ぎをしていたのは加織にばれていた。
加織はそれを知っていて、直巳の好きにさせたのだ。
いくら時間稼ぎをしても、伊武とAが来ないことがわかっていたから。すでに、その二人を殺すために行動していたから。
直巳は膝をついた。目の前に携帯電話がある。
「伊武とAが……死んだ? 顔の無い天使に襲われて……? 嘘だ……嘘だろ!?」
おかしくなってしまったかのように、独り言を叫ぶ。
加織はその様子が楽しくてたまらなかった。天使教会の裏切り者であり、天使狩りの重罪人であり、自分が羨む神秘呼吸の持ち主である椿直巳が、絶望に膝を屈しているのだ。
「ハッハッハ! どうだ椿直巳! 所詮、魔術師風情が天使教会の神父に勝てるわけがないんだ! 異端者は全員、この私に処刑される運命なのだ! ほら、これはお前にやるよ!」
加織が直巳の元に、眼帯と衣服の切れ端を放り投げた。
直巳はその二つをぎゅっと抱きしめる。
それから、携帯電話を拾い上げると、ふらふらと教会の入り口へと歩いていった。
教会の入り口。顔の無い天使達が待っている死刑場。
その姿を見て、加織はさらに笑い声をあげた。
「これはこれは……そうだな。断頭台へは自分の足で向かわないとな。せめて、苦しまないように殺してやる。さようなら、椿直巳――死ね!」
加織が勝ち誇った声をあげた瞬間、直巳の携帯電話から声が聞こえた。
「ん? 何の音だ?」
加織がそれに気づいた瞬間、直巳は教会の入り口へ向かって走り出す。
「死なないさ!」
直巳は叫ぶと、顔の無い天使の群れに突っ込む。
加織は直巳の突然の行動を冷ややかな眼差しで見つめている。
「気でも触れたか? 何をいまさら――」
直巳が顔の無い天使達の元へとたどり着く。
顔の無い天使達が、直巳を狙い武器を振りかぶって――そこで止まった。
「な……」
加織が何か言う前に天使達は全て消滅し、直巳は教会の外へと逃げた。
「な……どうしてだ!? 何が起こったっ!?」
加織が直巳を追って教会の外に飛び出すと、そこには直巳と二人の少女がいた。
「こんばんは、天使教会の神父様」
黒いドレスを着た少女が、スカートの裾をつまんで一礼する。
「私、高宮=アイシャ=スレイと申します」
「高宮……B……げろげろにゃー……」
Bは手にはめた猫とカエルの人形をぱくぱくさせた。
入り口にいた顔の無い天使達は、Bが残らず呪殺した。
「お前らっ……椿の家にいる! いつの間に!」
「これだよ」
直巳は携帯電話を取りだした。通話中となっており、通話時間は一時間を越えている。
「ずっと、アイシャと通話中だったんだ。状況はリアルタイムで伝わってる。二人が追いつくのを待ってたんだよ」
「……何時だ? いつの間に、電話など……そんな余裕は……」
「何時って、最初からだよ。俺が家を出て、転んだ時からずっと」
椿家の前で加織と出会い、そのまま天使教会へと走らされた。そのことを誰にも伝えられないまま。
だから、直巳はわざと転び、携帯を落とした。拾う際のどさくさで、アイシャに電話をかけて、ずっと通話中にしておいた。
「履歴からリダイヤルするぐらい、一瞬見ればできる」
直巳は携帯の電源を切って、ポケットにしまう。
「そうか……どうりでおかしな独り言を……最初から、私を疑っていたのか……?」
直巳はアイシャの肩に、ポンと手を置く。
「お前とアイシャなら、ギリギリ、アイシャの方が信用できるんだよ! いてえ!」
アイシャが肩に置かれた直巳の手をつねる。
余裕を取り戻した直巳を見て、加織は唇を噛みしめた。
「ふざけたことを……しかし、まだ戦えるのが残っていたとは……誤算だったな」
見た目はどちらも幼い少女だが、天使狩りは伊達ではないということか。
3対1。形成は逆転した。魔術師もいれば神秘呼吸もいる。
アイシャが一歩前に出て、加織に語りかけた。
「さて、どうするの召喚士? 偽天使なんか何匹だって呪殺できるわよ?」
「召喚士だの偽天使だの、好き勝手言ってくれるじゃないか、高宮アイシャ」
余裕を崩さない加織に、アイシャの眉がピクリと動く。
「いいから選びなさい。呪殺されるか、投降して魔力を全部吸われるか」
「伊武希衣と男女の執事のように、君達も無様に死ぬ、というのはどうだ?」
にやつきながら言う加織。それで、アイシャの我慢が切れた。
「B、殺していいわよ」
Bが両手を加織に向けると、加織は「おっと」とふざけながら後ずさった。
「神父を呪い殺そうとは、大胆なお嬢さんだ――来い、天使達」
加織が片手を天にかざすと、加織の周りに10体の顔の無い天使達が降臨した。
「何体呼ぼうと、あなたが死ねば終わりでしょう? B、やりなさい」
加織は黙ってみているだけだった。
Bが加織に向かって、呪殺を飛ばす。
加織は微動だにせず、周りにいた顔の無い天使の一体が消滅した。
「お……?」
Bはわけがわからないという顔をして、もう一度、加織に呪殺を飛ばした。
しかし、やはり周りの天使が一体消滅するだけで、加織は無傷だった。
「どうした? 終わりか?」
加織がこともなげに、天使を新たに5体呼び出す。身振りすらしなかった。
Bが再度、呪殺しようとしたのをアイシャが止めた。
「無駄よ」
Bが、むーっとうなりながら引き下がる。
何が起きているのかは、素人の直巳ですらわかった。
「偽天使達が、お前のダメージを肩代わりしているのか」
直巳が言うと、加織は「偽はやめろ」と、前置きしてから答えた。
「天使贄、と言ってね。天使付きが編み出した魔術だ。天使を喚びだしている限り、私は一切傷つかない。それが銃弾だろうと、即死の呪殺だろうとね。まあ、ちょっと強すぎるのが問題でね。恐れた連中が異端査問会を開こうとする始末さ」
加織はまた、新たに天使を喚びだした。次々と降臨させ、その数は20を超えた。
「僕は何度殺されても死なないんだが――君達は、何度死ねるんだ?」
偽天使達が襲いかかってきた。




