第九話:まだ、好きでいて
『待ってるね』
そのメッセージを見た俺は、急いだ。
向かう途中、何人も学校のやつに会ったけれど。
挨拶もそこそこに、人波の間を進んでいく。
やがて――藤沢が見えた。
目が合った途端、その顔が思いきり綻ぶ。
そして、元気よく手を振ってきた。
(いや、その笑顔はやりすぎだって……)
やや焦りながらも、つられてにやけそうになる。
控えめに、手を上げて応えた。
目の前まで行くと、彼女は心底嬉しそうに俺を見上げてきた。
(浴衣姿……えぐい……)
尋常じゃない暑さだ。
急いだから、というだけではないのだろう。
◇
みんなが遊び終わったという射的を、やってみた。
トンッ。
「……よっしゃー」
久しぶりだったけど、狙っていたお菓子のセットを倒すことができた。
(見たか、俺の銃さばきを……)
振り返った先に、いたのは。
「おお! さすが〜」
あまり感情のこもっていない声で褒めてくれる、立花さんだった。
(……あれ)
藤沢も、さっきまでそこにいたはずなのに。
立花さんが、小声と目線で『あっち』と教えてくれた先にいたのは。
藤沢と——蓮沼?
「おめでとう!」
蓮沼の声がでかくて、それだけが薄っすらと聞こえた。
「ん? はっすーがひな子に、クマあげてるね」
立花さんが呟いたとおり。
差し出されたぬいぐるみを、藤沢が笑顔で受け取っている。
それから蓮沼が、気恥ずかしそうに何かを切り出そうとして。
藤沢は、それに顔を強張らせていた。
喧騒もあって、内容はまったく聞こえない。
(……なんなんだ)
「あれ。割り込まなくていいの?」
俺と藤沢の関係を知っている立花さんが、飄々とそんなことを言ってくる。
「…………」
何も返せないまま、屋台のおじさんから、当てたお菓子を受け取った。
誕生日プレゼントは、俺もTシャツを用意している。
彼女は『一緒に夏祭りに行けるだけでいいよ』と言っていたけれど、買ったのだ。
でも今は、持ってきていない。
みんなの前では渡せないと、思ったから。
◇
ぼーっとしながら歩いていると、隣の男子が「ぬおっ!?」と変な声をあげた。
「あの子、佐々木と付き合ってなかったっけ!?」
佐々木というのは、サッカー部の同期だ。
視線の先で、見覚えのある女子が、佐々木ではない男と仲睦まじく歩いている。
「ん? 佐々木とは別れたんだよ。知らねーの?」
別の男子が答えた。
「一年近く付き合ってたのに、あっけねーよな」
(…………)
ずしり、と、胸の奥に何かが乗っかる。
高校生の『好き』は、儚い。
現に、藤沢と新山も、三か月で別れている。
藤沢と俺に当てはまらないとは、言えない。
◇
一緒に来たメンバーのほとんどは、かき氷を買うと言って並び始めた。
かき氷が苦手な俺は、参道の中央で待つことにした。
すると。
藤沢が、いそいそと隣にやってきた。
「……食べないの?」
静かに尋ねる。
「うん。歯がキーンってなるの、苦手」
「俺も」
彼女は「えっ」と見上げてきた。
「一緒、嬉しい」
はにかんだその腕の中には、さっきのクマが抱かれている。
「みんな帰ってくるまで、喋ってても、いい……?」
こっそりと、問いかけられた。
「……うん」
俺の返事を聞くと、喜びを滲ませていた。
(…………)
藤沢が好きなのは『俺』?
それとも。
『俺を振り向かせること』?
『秘密の付き合い』?
もし、そうであっても。
彼女が、俺のほうを向いてくれるなら。
まだ、このままでいたい。
まだ、好きでいてほしい。
参道は人でひしめき合って、身動きが取れないくらいになってきた。
「めっちゃ混んできたね。あっち、行く?」
比較的空いている、屋台の裏のほうを指されたけれど。
「……いや……」
小さな手を、そっと握った。
「ここに、いよ」
彼女は驚いたように瞬きをして、俺を見る。
そのまま、みんなが戻ってくるまで。
人混みに紛れて、手を繋いだままでいた。
◇
「いやー、めっちゃ楽しかったな!」
祭りが終わって、女子たちと別れたあと。
男子だけでファストフードに寄り、足りない腹を満たしていた。
「てか。おまえ、藤沢さんにクマ渡してなかった?」
ひとりが、蓮沼に話を振る。
「え? ああ! 誕生日って言ってたからさ」
「まさか、狙ってんじゃねーよな?」
そのやり取りを無心で聞きながら、ポテトを口に運んだ。
「あ、違くて……」
蓮沼は、二個目のハンバーガーの包みを開ける手を止め、言った。
「……やっぱ、おまえらにも言っとく。俺、立花さんのこと好きなんだわ!」
唐突な告白に、一斉に「え!?」と声が漏れる。
「マジ?」
「うん。藤沢さんには、その話聞いてもらってただけ」
(…………紛らわしいことすんじゃねーよ!)
大口を開けてハンバーガーにかぶりつこうとした蓮沼が「ん? だれか今、足蹴った?」と不思議そうにする。
「わり。当たったわ」
喉に残るポテトを、コーラで流し込みながら答えた。
◇
一度家に帰って、それから向かった先は。
「慎っ!」
――藤沢の家だ。
中で待っててと言ったのに、彼女は門の前にいた。
浴衣はもう脱いで、ポロワンピースを着ている。
「急にどうしたのっ?」
嬉しそうに尋ねたあと、俺の手元の紙袋に気づいた。
そのまま、差し出す。
「これ……誕生日プレゼント」
彼女は、目を丸くした。
「えっ! 夏祭りも、行ってくれたのに?」
「まあ、それはプレゼントとはまた違うし……」
ごにょごにょ言っている俺の手から、そっと受け取ってくれる。
「開けても、いい?」
「うん」
中から取り出したTシャツを見て、目を輝かせた。
「かわいーっ!」
(……よかった)
安堵の息が漏れる。
ネイビーの生地に、明るい色のロゴが入っている。
ひとしきり喜んでくれたあと、彼女は言った。
「少しだけ、お喋りしたいっ。あそこ、行こ?」
そう言って、俺の腕を引いていった。
◇
着いたのは、すぐ近くにある、子ども向けのこじんまりとした公園。
「あれー。誰かいるー」
あいにく、先客がいた。
大学生くらいのカップルが、線香花火をしている。
藤沢はいったん紙袋に戻したTシャツを、大切そうに膝の上に置いて、ブランコを小さく揺らしている。
俺は、その前にある柵に腰掛けた。
「今日は、最高の一日だったなあ」
そう言って、浸っている。
「慎が、手、繋いでくれたし」
「……ごめん」
「えっ、ううん? 二人だけの秘密みたいで、楽しかった」
鼻歌で、盆踊りの曲を奏でている。
「…………」
ここに来るのは、二度目。
前回も、こんなふうにご機嫌だった。
「あのときのこと、思い出すね」
そう言って、はにかんだ。
彼女も、同じことを考えていたらしい。
◇
付き合って一か月の、ホワイトデーの夕暮れ。
俺があげた、小ぶりなクッキーの詰め合わせを、宝物みたいに抱いてくれていた。
それで。
彼女にねだられて、初めてのキスをした。
照れて視線を落としながら「わあ……」と呟き、にこにこしていた彼女。
一方で、柔らかい感触と、加減や長さはあれでよかったのかと焦りまくる俺。
(藤沢はきっと、初めてじゃないよな)
そう感じて、胸がひどく痛んだ。
そんな、甘くてほろ苦い思い出。
◇
熱い夜風に包まれながら、しばらく喋ったあと。
家まで送って、帰った。




