第八話:思わぬ人と、思わぬ秘密
「おばあちゃーん!」
玄関に入ると、お煎餅とお線香が混ざったような、いつもの安心する香りがした。
奥の和室から「はあい」と応える声がして、そちらへ向かう。
「あらっ。いい色じゃない」
祖母が、私が脇に大切に抱えている浴衣へ目を向け、言った。
「でしょっ? 一目惚れして買ったんだ」
白い生地に、薄紫と黄の牡丹が描かれているものだ。
「じゃあ、この部屋でやりましょ」
「うん! お願いしまーすっ」
そう言って、浴衣を広げ始める。
今日は、待ちに待った夏祭りの日。
着付けてもらうため、近所にある祖母の家へ来たのだ。
祖父は数年前に亡くなっていて、祖母がひとりで住んでいる。
「ひなちゃんも、今日で十七歳ね。おめでとう」
慣れた手つきで着付けを進める祖母が、感慨深そうに言う。
「ありがとう!」
「お祭り、誰と行くの?」
「んー?」
「まさか、好きな子?」
微笑ましそうに、尋ねられた。
「うふふふ……」
嬉しさのあまり否定できないまま、こぼれる笑みに手を添える。
「あらやだ。こんな素敵な浴衣姿見せたら、向こうも絶対好きになっちゃうわよ」
「そうなるように、可愛く着付けてっ」
祖母は「はいはい」と笑った。
昔から、おばあちゃんっ子の私。
両親には言えないことも、ここでは自然と話している。
◇
今日の夏祭りに、クラスの十人ほどで行くことになったのは。
隣の席で、蓮沼くんと男子の会話が聞こえたことが、きっかけだった。
「男だけで行っても、つまんなくね?」
そのぼやきを耳にした瞬間、ひらめいた。
複数人でなら、慎之介と行けるではないか――と。
「あのー……」
蓮沼くんとは、そんなにたくさん話したことがあるわけではなく、遠慮がちに声をかけた。
けれど、彼は即、快諾してくれた。
そして願いどおり、慎之介も来てくれることになっている。
◇
かなり時間に余裕を持って、髪型と、ほんの少しだけのメイクを終えた。
祖母の家を出て駅に向かい、学校方面への電車に乗った。
集合時間より二十分も早く、最寄駅に着いてしまった。
当然、まだ誰もいない。
『もう着いちゃった!』
そう慎之介にメッセージを送ったけれど、返信は来ない。
やがて、他のみんなも順に集まってくる。
「ひな子、かわいーっ」
「あずさも!」
彼女の浴衣は、えんじの生地に紺の朝顔が描かれているもので、とてもよく似合っていた。
女の子同士で、盛り上がりながらも。
男の子の輪のほうへ、ちらちらと目を向けてしまう私。
でも、私が待ちわびている彼は、なかなか現れない。
集合時間の直前になって、蓮沼くんが近づいてきた。
「あと、慎之介だけ来てないんだけど。なんか遅れるらしいから、先行こっか!」
(…………なんだって!?)
◇
慎之介がいないまま、神社に着いた。
あずさから「南くんはっ?」と耳打ちされる。
「うーん……わかんない」
浴衣とお揃いの柄の巾着からスマホを取り出し、もう一通だけ送ってみた。
『なにか、あった?』
気になりつつも、鳥居をくぐる。
「今年もいいかんじだねーっ!」
あずさが声を上げた。
去年は、あずさとダンス部のみんなで来た。
細長い参道の脇に、いろんな種類の屋台がずらっと並んでいて、可愛らしい赤提灯が等間隔でぶら下がっている。
レトロな盆踊りの音楽が流れていて、非日常感たっぷりなのだ。
腹ごしらえに、みんなでお好み鯛焼きを買って食べていると、何人も学校の子たちに会った。
食べ終わって奥のほうに歩き出したところで、巾着の中から震えを感じて、すぐに取り出す。
確認するため、いったん人波を離れた。
慎之介からの返信だった。
『遅れてごめん。出かける直前にじーちゃんばーちゃん来て、めっちゃ話し込まれてた。今、向かってる』
慌てている彼が、目に浮かぶ。
ほっ、としながら打った。
『待ってるね』
◇
目に留まるもの、すべて食べたくなってしまうものの。
慎之介が来てから、この楽しい気持ちを一緒に味わいたくて、取っておくことにした。
みんなで、射的を始めた。
男子は結構うまい。
私は一発も当たらなくて、笑えた。
あずさが夢中になっているのを見ていると、再びスマホが震える。
『着いた。今、どこらへん?』
すぐに返信した。
『射的のところだよ!』
人波の向こうを、じっ、と見ていたら。
やっと、彼が現れた。
白いシャツを着ている。
(似合う……好き)
目が合い、思わず『クラスメイト以上』の笑顔で手を振ってしまう。
彼も、小さく振り返してくれた。
「おー、慎之介来た!」
男子たちも気づく。
「こんな人混みの中、よく俺らのこと見つけられたな?」
蓮沼くんに目を丸くされ、彼は静かに答えた。
「……勘」
思わず、ふふ、と笑ったら、横目で見られた。
◇
慎之介が射的をやっている姿を、うっとりと観賞していたら。
「藤沢さんっ」
後ろから、肩をぽんっと叩かれた。
蓮沼くんだ。
「うん?」
「ちょっと、こっち来てくれない?」
(なんだろう)
言われるがまま、屋台から少し離れる。
みんなの声が聞こえなくなるくらいの位置まで来たところで、あるものを差し出された。
「はいっ。これあげる」
それは、ふわふわのクマのぬいぐるみ。
蓮沼くんがさっき、射的で当てたものだ。
「えっ、いいの?」
「藤沢さん、誕生日って聞いて。おめでとう!」
「えー、ありがとう」
ぬいぐるみは好きなので、そのまま素直に受け取る。
そして、彼を見た。
(……ん?)
何か、続きを言いたいけれど、言い淀んでいるような顔をしている。
(あれ? 告白……とかじゃ、ないよね?)
妙な雰囲気に、焦り始めた。
蓮沼くんは、慎之介と仲がいい。
私の懸念が当たっていたら、かなりややこしいことになる。
暑さのせいではない汗が、出てきそうになったとき。
「あのさ……俺……」
ためらいがちに口を開いた、彼は――。
「立花さんのこと、好きなんだよね。もしよかったらなんだけど……たまに相談とか、乗ってもらえたらなー、なんて……」
――そう言って、気恥ずかしそうに前髪を触る。
「……え? そうなの!?」
安堵と驚きで、声が大きくなった。
「あっ、これ秘密ね! 友達にも言ってないから」
思わず「ごめんっ」と、口元を押さえる。
「いやいや、俺のほうこそごめん。こんな女々しいお願いで」
あずさは、可愛いし、いい子だ。
でも高校に入ってから、そういう話は一度もなかったから、びっくりしてしまった。
そして、何より。
「自分でちょっとアピールとか頑張ってるんだけどさ。立花さん、涌井しか見えてねーじゃん……」
そうなのだ。
親しい子以外にも把握されているくらい、あずさは涌井に黄色い声を上げている。
「あずさの気持ちもあるから、協力とかはできるかわからないけど……話聞くくらいなら、いいよ」
「マジで!? 藤沢さん、いい人!」
蓮沼くんの目が、きらきらと輝く。
こうして、思わぬ人と、思わぬ秘密ができてしまった。




