第七話:おねだりを諦めない彼女
「ねえ、慎! お願いっ!」
「いや、それは、ちょっと……」
夏休みを目前に控えた、日曜の昼下がり。
俺の部屋で、二人きりで。
藤沢から、『あること』を前のめりに懇願されている。
「でもその日、誕生日だよっ!?」
「……ってか、まずちょっと離れろって!?」
もはや押し倒す勢いで、迫ってきている。
体重を支える腕が、震えてきた。
至近距離にあるのは、わざとらしく、うるうるとさせた瞳。
(うっ……)
思わず揺らぎそうになるのを、こらえながら。
「…………無理」
そう、絞り出した。
俺の回答を聞いた彼女は、子どもみたいに唇を尖らせて「ちぇー」と言いながら、隣に座り直した。
その表情に。
強張っていた肩の力が、ほんの少しだけ緩んだ。
唇を尖らせて、『ちぇー』。
これは大丈夫なやつ、のはずだ。
球技祭の朝は、笑っていた。
『好きな子できたら、ちゃんと教えてね? 私たち、別れなきゃいけないしー』
冷たい微笑みを見せながら、そう言った。
彼女は、本気で怒っているとき、ああいう顔をするのだと知った。
お願いされたのは、夏休みに学校の近くの神社で開催される、お祭りのこと。
去年行って、大層気に入ったらしい。
そして今年は、彼女の誕生日当日と被っていて。
『慎と行きたい!』などと言い出したけれど。
確実に、学校のやつらがたくさんいる。
そんなところでいきなりお披露目なんて、ハードルが高すぎる。
「じゃあ、友達誘おうっと……」
しょんぼりした様子で、ちらり、と視線を向けてくる。
(ううっ……)
それから立ち上がって本棚に向かい、バレー漫画の続きを手に取って戻ってきた。
そして。
『その代わりに、これは許してよね?』
と言わんばかりの顔で——あぐらをかいていた俺の上に座って、読み始めた。
髪がさらりと、顔をかすめてくる。
隙間から、白いうなじが見えた。
(…………くそ……)
好きとも言わない、誕生日の願いも聞いてやらない。
そんな腑抜けが、ちゃっかり手だけは出すなんて、許されないことだ。
頭の中でお経のようなものを唱え、必死に煩悩を追い払う。
「ねえ、慎」
「……ん」
「『キヨシ』って、いつ出てくるの」
不意に、尋ねられる。
「十七巻」
「えー。まだ、結構先だね」
彼女は今、九巻だ。
独り言のように「絶対、夏休み中にそこまでいってやる……」などと、ぶつぶつ言っている。
(俺の好きなもの、知ろうとしてくれてんだよな)
それなのに、俺は。
少しでも長く、追いかけてもらいたいから、なんてずるい理由で。
恥ずかしいから、なんて格好悪い理由で。
彼女の願いに、全然応えられていない。
嫌気が、ささないだろうか。
「……プレゼント。何かほしいものとか、ある?」
静かに、問いかけた。
「えっ! くれるの?」
顔だけ、こちらに振り向く。
(近っ!)
しばらく「うーん、うーん」と悩んだあと、彼女は言った。
「部活で使えるTシャツがいい」
「Tシャツ?」
「そのTシャツ着て、慎の前ウロウロしたい!」
にやにやしながら反応をうかがってくる姿が、もう目に浮かぶ。
「…………却下」
「やだ! 決まり!」
笑いながら、前を向き直った。
しばらくそのまま、漫画を読んでいたけれど。
「ねえ、慎」
ページをめくりながら、また声をかけられる。
「……なに?」
「ぎゅっとして?」
「…………」
そっと腕をまわし、応えると。
彼女は「えへへ。しあわせ〜」と漏らした。
自分からは、到底できないから。
ねだられるたび、内心で歓喜してしまうのだ。
◇
終業式。
古びた冷房はあまり効いていないようで、体育館の中はじっとりと暑い。
夏への期待に染まった高校生たちは、誰ひとり、先生の長い話を聞いているように見えなかった。
俺も、前を向いてぼうっとしているふりをして。
ずっと、彼女の姿を捉えていた。
『——節度を保って、健全な夏休みを過ごすように……』
マイク越しの言葉が、自分に向けられたもののように感じ、慌てて我に返った。
◇
男子と適当な話をしながら、教室に戻ると。
「おーい、慎之介!」
そう呼ばれ、奥に目をやる。
蓮沼だ。
他にも、数人の男子がいる。
そして、その横には。
——藤沢ひな子。
蓮沼に手招きされ、ゆっくりと机のあいだを歩いていく。
「……なに」
輪の前まで来た。
「今週土曜の夕方、空いてる?」
(土曜、って……まさか)
「今、藤沢さんと話してたんだけどさあ。クラスの何人かで行こうぜ、あの神社の祭り!」
彼女のほうを、ちらっと見る。
「南くんも、よかったら、行こ?」
あくまでクラスメイト向けの笑顔で、そう言われた。
「……あ、うん」
(諦めてなかったんかい)
口元が緩みそうになり、軽く咳払いをした。




