第四話:刺さるひとこと
慎之介の部屋で、期末テストの勉強をしている。
テストそのものは憂鬱だけれど、部活が休みで二人きりで過ごせるのは、幸せでしかない。
お兄さんが昔使っていたという、ちょっとガタつく折り畳みのローテーブル。
その上で、私が解いた古文の問題集を、慎之介が丸つけしていく。
丸が増えるたび、赤ペンの動きが遅くなっていく。
それを隣で、にこにこしながら見つめていた。
「……全問正解」
息を吐くように、小さく告げられる。
「やったあー!」
バンザイして、すぐに近寄った。
「じゃあ、『ご褒美』っ!」
そう言って、目を閉じるものの。
薄く開いて、見ていた。
「…………」
やや不服そうにしながらも、約束を果たそうと近づいた慎之介は。
一瞬重ねるだけのキスを、くれた。
ゆっくりと瞼を上げる。
「えー。もう終わり?」
「……終わり」
「もっと、大人のやつは?」
「……種類の指定は、なかった」
「うーん。たしかに」
物足りなさを感じつつも「えへへ」とにやけながら、肩にもたれかかる。
「……なに」
「慎からしてもらうのレアだから、浮かれちゃう」
「…………」
「勉強しといて、よかったー!」
慎之介は、他の科目の教科書を開きながら、軽く咳払いをした。
咳払いは、彼が照れを誤魔化すときの癖みたいだ。
「期末終わったらすぐ、球技祭だね」
くっついたまま、世間話を始める。
「慎のサッカー、楽しみ」
「俺も、シュート狙えるの久々で嬉しい」
部活ではボランチという守備的なポジションだけれど、球技祭ではフォワードなのだそうだ。
「いっぱい応援するね?」
「どうも」
「間違えて『慎ー♡』って言っちゃったら、どうしよう」
「……気、引き締めといて」
ケラケラと笑った。
「私も、バレー頑張ろ。あっ、漫画にヒント載ってるかなあ?」
本棚へ目を向ける。
私が読み進めている最中の、慎之介の大好きなあの漫画は、高校バレー部の物語なのだ。
立ち上がろうとしたら、「勉強の途中で漫画は危険だろ」とツッコまれて、「たしかに」と座り直した。
◇
テストが無事に終わり、昼休みに女子バレーのチームで集まった。
本番まであと数日だけれど、今日が初めての練習だ。
夏の体育館は、湿気が籠もっていて、すぐに汗が滲む。
「ひな子!」
掛け声とともに、ボールが勢いよく飛んでくる。
「はあい!」
スカッ。
「あれっ」
「はは! ドンマーイ! もうちょっと下、腕でお皿つくる感じ!」
数メートル先から明るい声をかけてくれるのは、同じクラスでバレー部の若ちゃん。
チームに二人いる経験者のうちの一人で、みんなを頼もしく引っ張ってくれている。
私は、球技が苦手だ。
どれだけボールに集中していても、綺麗に空振る。
バレー部やバスケ部の子は、ボールと友達みたいだ。
というか、ボールのほうから近づいてきてくれているようにさえ見える。
足を引っ張ったらどうしよう、とは思うけれど。
言われたとおりにやってみて、たまにうまくいくと嬉しい。
◇
頬が上気したまま、教室へ戻る途中。
グラウンドの手前に、クラスの男子サッカーチームが見えた。
慎之介が、ボールの奪い合いみたいな練習をして、笑っている。
とても、楽しそうだ。
(かんわいい……)
無邪気に笑うと、子犬みたいで。
今すぐ撫でまわしたくなる。
周囲に内緒で付き合っているものだから、普段の部活や試合を覗くことはできない。
球技祭は、彼がサッカーしている姿を堂々と見られる、貴重な機会なのだ。
楽しみで、仕方がない。
◇
そうしてあっという間に、球技祭一日目を迎えた。
体育館に向かいながら、隣であずさがぶつぶつ言っている。
「応援、するからね」
「…………」
背中をポンと叩いたら、恨めしげに見られた。
あずさはジャンケンに負けて、ひとりで女子卓球に出るのだ。
「いーよね、ひな子は。仲間がいて……」
泣き真似までされる。
「たしかに、ひとりは心細いけどさ。チームプレーはチームプレーで、迷惑かけるかもとか、別の心配があるよ」
「じゃあ交換して!?」
「私、一回もサーブ入れられないかもしれない。ムリ」
「うわーん! 私もだよおっ!」
やいのやいの言っていたら、角から救世主が現れた。
「あーっ、先生。いいところに! ナーバスなあずさを励ましてやってください」
「!!! 涌井せんせ〜!」
擦り寄っていったあずさを、片手でさっと制するのは。
私たちの担任で、あずさの『推し』、涌井だ。
「先生のジャージ姿、貴重っ!」
いつも気怠げで、髪も無造作なのに、グレーのスーツだけは皺ひとつなくぴたりと着こなしている人。
真夏でも毎日着ているから、同じものを何着も持っているんじゃないかと噂されている。
「立花さんは、卓球でしたっけ」
褒め言葉をさらりと流し、尋ねている。
「はいい、ジャンケン負けたんですう……」
「ラケットの面を、なるべく動かさないことですね」
「へーっ。先生、卓球得意なんですか?」
「学生時代、ずっと卓球部だったので」
「ええっ!? 初耳!! 先生、私、頑張りますっ!」
あずさの瞳は、さっきまでとは打って変わって、燃えていた。
(ゲンキンなやつめ)
◇
あずさの応援も、慎之介の応援も、大いに楽しんだ。
けれど、どちらもいきなり三年生の強い相手に当たってしまい、一回戦で敗退した。
その意志を受け継ぐ気持ちで挑んだ、女子バレーの一回戦。
暇になったサッカーの男子たちも観に来てくれていて、その中に慎之介もいる。
「ひな子っ!」
「ハイっ!」
(『お皿』!)
ポーン。
のろのろと弧を描いたボールは、運よく相手のコート内に落ちてくれた。
「ひな子、ナイスーっ!」
若ちゃんが、運動部らしい爽やかなハイタッチをしてくれる。
慎之介と仲の良い蓮沼くんも「藤沢さん、いいぞーっ!」と、よく通る声で励ましてくれた。
そのすぐ横にいる慎之介は、静かに手を叩いているだけだったけれど。
やがて、ホイッスルが鳴る。
相手は同じ二年生だったけれど、私たちは勝って、二回戦に進めることになった。
◇
トイレに行くというあずさより先に戻る。
(慎、いるかな)
今日は、球技祭のノリで少しくらいは話したい。
そう期待しながら、教室に入った。
自分の種目に出ていたり応援に行っていたりで、人はぽつりぽつりとしかいない。
隅に、慎之介の姿をすぐに見つけたものの。
その隣には、若ちゃんがいた。
(……めずらしい)
普段、女の子とはほとんど話さない彼。
なのに、やけに盛り上がっている。
(接点あったっけ? あのふたり)
固まってしまっている私に、慎之介は気づきもしない。
目を開いたり、手ぶりをつけたりしながら話していた。
(なんだろ)
◇
バレーは、二回戦も勝てた。
だけど私は、家に着いてからもモヤモヤしていた。
お風呂に入って、ベッドに寝転びながら、スマートフォンを手に取る。
メッセージを送った。
『今日はおつかれさま。慎のサッカー、めっちゃカッコよかった! 点も、決めてたね』
返事は、すぐにきた。
『どうも』
あっさりした一言。
これは、いつも通り。
少しのあいだ迷ったあと、えいっ、と送る。
『そういえば、教室で若ちゃんと盛り上がってなかった?』
また、すぐに返ってきた。
開いて、ちょっと驚く。
『ああ。若月さん、例のバレー漫画めっちゃ好きで、あれきっかけでバレー始めたんだって。推しもキヨシっていう途中からリベロにつくキャラで、俺と一緒だった。若月さんもリベロでさ』
文字が多い。
(ていうか、『キヨシ』って誰よ)
私が読んでる六巻には、まだ出てきていないキャラだ。
(知らないし……)
『ふうん。仲良くなれて、よかったね』
拗ねた気持ちで、そう送ってしまった。
すると、返ってきたのは。
『束縛かよ』
(…………)
わかってる。
たぶん、軽い冗談なんだけれど。
なんか、刺さってしまって。
何も返せないまま、タオルケットを被って、寝た。




