第二話:なんで俺?
ぬかるんでいたグラウンドが、ようやく乾いた。
放課後。
部活の何人かと階段を下り、外へ向かっていると。
「ダンス部、かわいー」
誰かが呟いた。
そいつの視線の先では、女子たちが廊下で音楽を流しながら、基礎練習を始めている。
その中にいる、ひとりを。
俺は、すぐに見つけた。
イエローのTシャツに、ネイビーのジャージ。
身体を固定したまま、首だけを前後左右に動かしている。
集中しているのか、こちらには気づいていない。
「やっぱ一番は、藤沢さんじゃね?」
その発言に、何にも感じていない顔を装うものの。
「慎之介も、そう思わん? 二年連続同じクラスじゃん」
話を振られてしまった。
「……さあ」
「出た出た。女子に興味ないふり」
「…………」
今、やっているあの練習は『アイソレーション』というらしい。
この前、教えてもらったのだ。
『藤沢ひな子』から。
俺の、部屋で。
彼女と俺は――付き合っている。
なぜか。
男どもに知られたら、確実に大騒ぎされるだろう。
『なんでお前!?』
とか言って。
でもそれは、俺の台詞でもあるのだ。
◇
彼女から告白されたのは、四か月前のバレンタインデー。
チョコレートをもらっているやつもいたけれど、俺は例年通りゼロのまま帰路についた。
部活の疲れで、電車で寝落ちして。
目が覚めたら、ちょうど最寄り駅を過ぎるところだった。
(あー。最悪)
次の駅で降り、反対側のホームでぼんやりとしていたら。
「南くんっ!?」
向かいのホームから、声が飛んできて。
反射的に肩が跳ねる。
「……わっ。ビックリしたー」
目を丸くしてこちらを見ていたのは、同じクラスの藤沢さんだった。
そういえば、ここが最寄りだと聞いた気がする。
「なんでここにいるの!?」
「一駅、寝過ごしたー」
そう返したら「えー!」と笑われた。
そして。
「……そこで待ってて!」
彼女はくるりと背を向け、ホーム脇の階段を駆け下りていった。
(なんだ?)
よくわからないまま、待っていると。
今度はこちら側の階段から、急ぐ足音が近づいてきた。
そのまま目の前まで走ってきて、息を整えながらスクールバッグを開ける。
ガサゴソ、と中を探ったかと思うと、両手であるものを差し出してきた。
(え?)
それは、淡いピンクオレンジの、小さな箱だった。
いかにも、バレンタイン――という感じの。
「あの……っ」
彼女は、ぎゅっと唇を結んだあと、はっきりと言った。
「……好きです!」
(ん?)
「もしも今日、二人きりになれたら……これ渡して、言おうと思ってたの」
(俺……今、何を言われてる?)
状況を理解できないまま、心拍のほうは急激にスピードを上げていく。
もう一度息を吸った彼女は、力強く言った。
「付き合ってほしいです!」
「…………」
「…………」
「……は? 俺?」
思ったことが、そのまま口からこぼれた。
藤沢さんは、こくりと頷き、俯く。
(……マジかよ?)
正直、まったく予想していなかった。
最近、よく話しかけてくるな、とか。
よく笑うな、とか。
笑った顔、可愛いな――とか。
そんなふうに思ったことは、ある。
でも。
「好きな子とか、いる……?」
不安そうに、ちらりと見上げられる。
「え? あ、いない、けど……」
「私、ダメ、かな……」
「いや、ダメとかじゃ、ないんだけど……」
(何言ってんだ、俺)
「南くんにとって、私って……ナシ?」
「あー……うーん……」
頭が全然追いつかない。
女子から告白されたことなんて、ない。
どう返せばいいのかも分からないまま、出てきたのは、たぶん、一番言わなくていい言葉だった。
「タイプとは……違うね」
言った瞬間、やばいと思った。
藤沢さんを見る。
『ガーン』
そんな音が聞こえてきそうな顔をしていた。
「いや! えーっと……」
慌てて言い直そうとする。
すると彼女は、ぱちぱちと瞬きをして。
俺を、じっと見始めた。
「…………」
「な、なに」
たぶん今、俺は――相当赤い。
顔中が熱いから。
視線に耐えきれず、手のひらで覆った。
「……ていうか、急すぎる! そもそも俺、そんなん言われるの初めてで……ええっと……」
情けないけれど、しどろもどろになりながら言うと、彼女の顔つきが少し変わった。
落ち込んでいたはずなのに。
何かを見つけたみたいに、目が輝く。
そして一歩、ぐいっと距離をつめて。
「じゃあ…………
好きな子ができるまででいいから、付き合ってください!」
「……はあ!?」
ぶっ飛んだことを、言ってきた。
「なんでそうなるんだよ!」
「今は、いないんでしょ?」
「……いないけど」
「じゃあ、いいじゃん!」
「よくねーだろ!」
「お願い!」
「いやいやいや」
「好きになってもらえるように、頑張るから!」
「そういう問題!?」
ホームに、俺が乗るはずの電車の到着を知らせるアナウンスが流れるけれど。
彼女はまったく、帰る気配を見せない。
「…………」
「…………」
しばらく、互いに視線を彷徨わせながら、沈黙していた。
そもそも、彼女のことが嫌なわけじゃない。全然。
むしろ――。
それに、もし、断ったら。
彼女はもう、笑いかけてくれないかもしれない。
慎重に、口を開いた。
「……じゃあ……ハイ」
そして、そっと小箱を受け取った。
彼女は弾かれたように「えっ!?」と顔を上げる。
「付き合ってくれるの!?」
「まあ……うん」
「ありがとう……っ! やったあ!」
思いきり綻んだ顔を向けられた。
「……っ」
心臓に、悪い。
静かに狼狽えていると、彼女は「あ……ちょっとごめんね」と、スカートのポケットに手を伸ばした。
取り出したスマートフォンが、震え続けている。
メッセージではなく、電話らしい。
「隣のクラスの、立花あずさ。ダンス部で、仲いいんだ」
画面を見て、教えてくれる。
その名前は、聞いたことはあった。
「私、『南くんに告白したい』って話してたから……結局どうなったの?って、確認かも。あとで、言ってもいい?」
照れたように、聞かれるけれど。
待てよ、と。
今になって焦り始める。
クラスや部活の男どもが、俺たちが付き合ったことを知ったら。
どういう反応をされるだろう――。
終始いじられまくる図が思い浮かんで、身震いした。
ちょっと耐えられそうに、ない。
「……あのさ」
「うん?」
「学校では、内緒にしても……いいかな」
こんなことを頼むなんて、感じが悪いかもしれない。
そう、心配になったけれど。
「……わかった! いいよっ」
笑顔であっさりと了承してくれた。
「えっと。じゃあ、あずさにもうまいこと言っておかなきゃ」
でも、少しだけ、無理をしているように見えた。
だから。
「……その『立花さん』には、言ってもいいよ」
「えっ……いいの?」
「仲、いいんでしょ」
俺の言葉を聞いた彼女は、ものすごく嬉しそうにする。
「……ありがとうっ。やさしい!」
そして遠慮なく、手をぎゅっと握ってきた。
「!?」
柔らかい。
肩に変な力が入る。
「へへ。これから、よろしくね」
「あ……うん。よろしく……」
こうして、わけもわからないまま、初めての恋人ができたのだった。
◇
部活を終え、汗だくのユニフォームからシャツに着替えるあいだ。
そんなことを思い出していた。
そして、部活もクラスも同じである蓮沼と校門へ向かう。
「おっ! あれ、ダンス部じゃね」
五人ほどの女子グループで。
そこには――『彼女』も、いた。
蓮沼が、浮かれたトーンで「おつかれー」と声をかける。
「はっすー、南くん。おつかれー」
立花さんが、ラフに返す。
藤沢も、俺たちに向かってにっこりと微笑んだ。
「マジあっちーな」
「グラウンド、やばそうだね。廊下も暑いけど」
蓮沼と立花さんが、前で話し始める。
俺は黙ったまま、他の女子と喋っている藤沢の気配を、横に感じていた。
「てか。ダンス部がいつもやってる、あの首動かすやつって、どういう練習?」
蓮沼が尋ねる。
「アイソレーションだよ。身体の部分ごとに動かせないといけないから、必要なの」
「へーっ! あれ、すごいよな」
藤沢が、ちらりと視線を向けてきた。
まるで――。
『慎は、知ってるもんね?
この前、教えたし。
慎の部屋で、くっつきながら』
――とでも言いたげな瞳で。
そのときの距離感を思い出し、一気に顔が熱くなる。
(こいつ……また面白がってんな……)
そっぽを向いて、少し歩くスピードを速めた。
藤沢の横から、蓮沼の斜め後ろへ。
すると。
「南くん」
軽やかな声で、呼び止められる。
「……何?」
(別に、動揺とかしてませんけど?)
精一杯そんなふうに装って、振り向くと。
すっ、と差し出された。
「はいっ。落ちたよ?」
それは――俺のタオルだった。
「……あー。ありがと」
受け取るとき、わざと指先をかすめられ、タオルと共に慌てて引っ込める。
彼女は、笑っていた。
面白がられている、完全に。
この楽しげな顔は――いつまで俺に向くのだろうか。




