第一話:大好きでたまらない
五時間目が終わったばかりの休み時間。
先生が冷房はまだつけてくれなくて、湿気で髪が首筋に張りつく。
高校二年目の梅雨。
雨続きで外に出られないせいか、エネルギーを持て余した男子たちが、教室の真ん中で大声を上げていた。
本当に、騒がしい。
両手で頬杖をついたまま、私はその輪の中にいる『彼』を、じっと見つめる。
すると。
――気づいた。
ほんの一瞬だけ私を捉えた瞳は。
すぐに、逸らされる。
なんでもないふりを装っているけれど。
耳の縁が、ほんのりと赤い。
それが可愛くてたまらなくて、そのまま見続けた。
「ひな子。今日からソフトクリーム、半額だってえ」
隣の席でスマホを覗き込むあずさが、弾む声で続ける。
「今日、部活ないし。放課後、行こうよ〜」
「ごめーん。予定ある」
「じゃあ、明日は?」
「いいよ」
短く返すと、あずさは私の視線をたどり、目を細めた。
「……まーた見てるな?」
唯一、真実を知る彼女は、面白がるように、呆れるように言う。
「だってー。可愛いんだもん」
「変わったシュミだね」
彼は友達の話に相槌を打ちながらも、時折こちらを確認している。
ばれていないつもりなんだろうけど、ばればれだ。
「またあとで怒られるんじゃないの〜」
「その時間も好きなの」
あずさは吹き出して、「やれやれ」と笑っていた。
◇
放課後。
自分の最寄りより、ひとつ前の駅で降りる。
髪が濡れて広がったらイヤだから、傘を心もち前に傾けて。
雨の中をひとり、ゆっくりと歩いた。
見慣れた一軒家の門をくぐって、インターホンを押す。
奥のほうで、ワンちゃんの声がした。
『はあい』
「……藤沢です!」
『今、開けるね〜』
軽い足音のあとで顔を覗かせたのは、彼の四つ上のお姉さん。
柔らかく微笑みかけられると、何度お邪魔していても少し照れてしまう。
「慎之介、まだ帰ってないみたいだけど」
玄関にシューズがないことを確認し、言う。
「上がって待ってて?」
「ありがとうございます! お邪魔します……っ」
スカートの裾についた雨粒をはらって、玄関に踏み入れさせてもらう。
大学三年生のお姉さん。今日は授業がないという。
リビングで観ていたドラマの続きに戻っていった。
ご両親は今日も、お仕事でいない。
社会人のお兄さんもいるけれど、一人暮らしをしている。
足音がうるさくないように気をつけて、二階の一番奥へ。
扉を開けると、オレンジっぽい香りがした。
最近買ったばかりの芳香剤らしい。
可愛い。
本棚に手を伸ばし、彼のお気に入りの少年漫画を借りる。
前回は五巻まで読んだから、今日は六巻から。
ベッドの縁へ控えめに腰をおろし、読み始めた。
◇
半分くらいまで進んだところで、下の玄関からガチャガチャと音がした。
そして「ひな子ちゃん、上で待ってるよ〜」という、お姉さんの声。
少し、姿勢を正す。
急いでいるような、急いでいないような足音が階段をのぼってきて。
ガチャ、と扉が開いた。
そこに現れたのは――恋人の慎之介だ。
「慎っ。おそーい」
「……わり」
息を吐きながら、リュックを下ろす。
短い髪も、私のスカートと同じ色のスラックスも、しっとり濡れていた。
「帰り、部活の連中につかまった。『カラオケ行こうぜ』とかいって」
彼のいるサッカー部も、今日は休みだ。
この雨でグラウンドは使えず、室内の練習場所も確保できなかったらしい。
「『彼女と予定あるからムリ』って、言った?」
にっこりと問いかけたら、じろりと見られた。
「……言うわけねーだろ」
私たちは――周りに内緒で付き合っている。
知っているのは、私が一番仲のいいあずさと、彼の家族だけ。
立ち上がって、腰に手を回して、抱きついた。
「そろそろ、ばれてもよくない?」
「……よくない」
「もう、好きになったでしょ?」
「……なってない」
胸元に埋めていた顔を上げる。
彼はおそらく必死につくった冷静な表情で、私を見下ろしていた。
「ていうか。今日も教室で、ガン見してただろ」
「えへ。ばれた?」
開き直って、背伸びして、キスをする。
「仕方ないじゃん。大好きなんだもん」
「…………」
まだ、その強がりは解けていない。
角度を変え、軽い音を立てながら何度もする。
「……おい……」
制する声を、漏らされるけれど。
そのまま、流されるように応えてくれる。
そんな彼が、大好きでたまらない。
早く素直になってほしいけれど。
もう少し、このままでもいいかもしれない。
あずさからは『ヘンタイだね』と言われている。
否定はしない。
それに、なりふり構っていられない事情もあるのだ。
だって。
彼にも私のことを、好きにさせないといけないから。
他の誰かを――好きになってしまったりする前に。




