第十二話:伝わって、なかった
体育館のステージで、文化祭で踊る作品のフォーメーションを確認している。
「衣装着てここ立つと、いよいよだなーってワクワクする! ねっ、ひな子?」
「……ねー」
「暗っ!」
慎之介が合宿に行ってから、四日。
もう完全に、充電切れだ。
「まあまあ! 明日帰ってくるんだから、元気出しなって!」
他の子に聞こえないよう、控えめな声量ではあるものの。
満面の笑みを浮かべている、あずさ。
「……元気そうだねえ」
「でへへ」
さっき廊下で、彼女の『推し』、涌井に会ったのだ。
休暇をとって地元に帰っていたらしく、これからはずっと出勤だと言っていた。
それで、この浮かれようだ。
彼女に想いを寄せる蓮沼くんの顔がよぎり、ちょっと不憫になる。
◇
体育館での確認を終えた。
他のみんなは少し休憩してから行くと言うので、私は先に、元の練習場所へ向かう。
風の通り道になっている、校舎と校舎のあいだ。
サッカー部のいないグラウンドが見えて、足を止めた。
今日も暑いけれど、緑の香りが漂う日陰は、気持ちがいい。
ぼうっとしていた、そのとき。
「ひな子」
ふと、名前を呼ばれた。
この学校で、私をそう呼ぶ男の子は、ひとりだけ。
「……新山」
元彼、だ。
「おつかれ」
そう微笑んで去ろうとしたら、「あのさ」と呼び止められた。
「せっかく応援来てくれたのに、勝てなくてごめん」
振り返ると、神妙な顔をしていた。
「え? いや……」
チャンスで代打を送られたとき、彼は打てなかったけれど。
そのせいで負けたわけでは、ないと思う。
でも、何て言えばいいかわからなくて、少し考えた。
「応援、楽しかったよ。来年も、がんばって」
「……っ」
「それじゃあ……」
新山は、まだ何か言いたそうだったけれど。
私は、足早にその場を去った。
彼と恋人でいられないと気づいたのは、彼から初めてキスをされたとき。
すごく嬉しそうにしてくれたのを見て、同じ気持ちになれないことが苦しかったのだ。
私は――慎之介を、心苦しくさせていないだろうか。
時折、そう不安になる。
◇
次の日。
慎之介が、帰ってくる日。
部活は休みで、起きたときからずっとソワソワしていた。
正午を過ぎたとき、机の上でスマホが震えた。
(きたっ!)
はやる気持ちで手に取ると、愛しい名前からメッセージが届いていた。
『今、学校に帰ってきた。あと一時間後くらいに家に着く』
思わずスマホを胸元でぎゅっと抱きしめてから、すぐに返信を打った。
『おつかれさま! 行くね!』
そして、髪をブローし直しに洗面所へ走った。
◇
身なりを一通り整え、リビングに声をかける。
「お母さん。じゃあ、出かけるね」
今日は仕事が休みらしい母が、スマホから顔を上げた。
「どこ行くんだっけ?」
「……友達の家」
「そう」
私の格好を、上から下まで軽く見られる。
少し、緊張が走った。
「遅くならないうちに、帰ってきなさいよ?」
そう言いながら、手元に視線を戻していた。
「……はあい」
追加で何か言われる前に、外に出た。
◇
慎之介の家のチャイムを押す。
いつもどおり、中でワンちゃんが吠え出した。
『はいはーい?』
お姉さんではない、その声。
「あっ……藤沢です!」
『ひな子ちゃん! 開けるね〜』
扉から覗いたのは——。
「久しぶり〜」
「お兄さん! お久しぶりです!」
しっぽをフリフリしているワンちゃんを抱っこしながら出てきた、慎之介のお兄さんだった。
「お仕事は、お休みなんですか?」
玄関に上がらせてもらいながら、尋ねる。
「そう。大人の夏休み、取ってんの」
つい早めに来てしまったものの。
慎之介の大きなスニーカーは、すでにあった。
(帰ってきてるーっ!)
「元気だった?」
そう言って、リビングに案内してくれる。
お会いするのは、ゴールデンウィークに初対面して以来だ。
「はい! 元気いっぱいです」
わざとらしく眩しそうにしながら「若いなーっ」と笑ってくれる。
キャラは全然違うけれど、顔は慎之介と瓜ふたつで、なんだか照れてしまう。
ワンちゃんを床に放すと、冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎ、手渡してくれた。
「慎之介、さっき帰ってきて、今シャワー浴びてるよ」
「へっ!? あっ、なるほど……!」
思わず、動揺してしまう。
「そんで。俺はこのあと、地元の友達と昼飲みするから出かけるんだよね」
「あ、そうなんですね」
「つまり。慎之介とひな子ちゃん、二人きりになっちゃうわけなんだけど……」
悪戯っぽい視線を向けられた。
「弟に、優しくしてあげてね?」
「……えっ!? な、なにおっしゃってるんですか!?」
狼狽える私を見て、「冗談、冗談」とお腹を抱えていた。
◇
「上で待ってなよ〜」
その言葉に甘え、慎之介の部屋に入らせてもらった。
いつものオレンジの香りに、ほっとする。
玄関のほうで音がした。
お兄さんは、本当に出かけてしまったらしい。
家にお邪魔するときは、いつも誰かしらいたから。
二人きりということに、少し緊張してしまう。
『優しくしてあげてね?』
さらに、さっきのお兄さんの言葉が蘇り、ドキッとした。
やがて、階段をゆっくり上ってくる足音が聞こえて。
部屋のドアが、開いた。
「……うわっ!? えっ!?」
慎之介が、目を丸くする。
「いつの間に来てたの!?」
気づいていなかったらしい。
髪はまだ濡れていて、肩にバスタオルを掛けている。
六日ぶりに会う、恋人。
私は、勢いよく抱きついた。
「慎……っ!」
「…………」
彼もそっと、抱きしめ返してくれた。
その感触が、嬉しくて。
顔を上げて、キスをした。
何度も、何度も。
なんだか今日は、慎之介のほうからも、してくれている気がして――。
胸の奥が、熱くなる。
「会いたかったあ……」
「……うん」
「慎は……?」
「……会いたかったよ」
「……!」
その返事で、想いがあふれてしまう。
壁際に向かって、ぐいぐい押していく。
「ちょっ……」
制されても、絶え間なく続けた。
「おい、待てって……」
「イヤ」
(引かれるかな)
(引かないで)
壁伝いにずるずると下がっていき、慎之介の上に覆い被さるかたちになる。
そのまま、キスし続けた。
すると。
慎之介は、私の身体をそっと支えながら——上下を入れ替えた。
(え……)
私を見下ろす、慎之介は。
髪が濡れていて、大人っぽい。
知らないひと、みたい。
ドキドキする。
私は、彼の困り顔や、恥ずかしがる姿にきゅんきゅんしてしまう自分を『Sなのかもしれない』と思っていた。
でも、今、気づいた。
慎之介のことが、あまりにも大好きなだけだったんだ。
じっと見つめていたら、その口がゆっくりと開かれる。
「……いつもこんなふうにくっついてきて、俺がこれ以上を求めてきたらどうすんの?」
その瞳は、男の子のもので。
どんどん、鼓動が速まっていく。
「……いいよ」
「…………」
「だってそうしたら……好きになってくれるかもしれないし」
流されてほしい。
私と同じくらい、大好きになってほしい。
でも。
私の言葉を聞いた慎之介は息を吐き、身体を起こした。
「…………」
「…………」
沈黙が、流れる。
「だって……そのくらい好きなんだよ」
横顔に向かって、思わずそう言ったけれど。
しばらく黙っていた、慎之介は。
目を合わさないまま、尋ねてきた。
「新山とも、そういうことしてたの?」
「……え?」
(新山……?)
「…………」
「してないし、慎と新山は、全然違うよ……」
「…………」
(伝わって、なかったんだ)
「……帰るね」
力なく起き上がって、そのまま家を出た。




