第13話 神の喉
非常用電源へ続く通路は、古い軍事施設の名残を残していた。
錆びた配管。剥がれた英語の警告表示。湿ったコンクリートの匂い。その上から、未来の地底技術が青い血管みたいに絡みついている。
人間が作った骨に、別の生き物の神経が後から生えたみたいだった。
「気持ち悪い内装ランキング、暫定一位」
私は息を切らしながら言った。
「二位は?」
ミオが返す。
「さっきの観測室」
「三位は?」
「白い部屋」
「全部ここ」
「英国観光、満足度低いなあ」
軽口を叩きながら走る。
そうしないと、足が止まりそうだった。
背後では、アークの声が続いている。
ミオの声で、私の声で、時々知らない誰かの声で。
「対象群の逃走を確認」
「中継核起動率八十七パーセント」
「偽情報散布係数、上昇」
世界中の画面に、私たちの偽物が流れているらしい。
今も視聴者は、どれが本物か分からないまま、コメントを打っているのだろう。怒りながら。笑いながら。心配しながら。疑いながら。
その全員に『信じて』と言いたくなる。
でも、それは違う。
信じて、と言った瞬間、アークと同じ土俵に立つ気がした。判断を預けてほしいのではない。判断を取り戻してほしいのだ。
そのためには、私の声より、ミオの記録より、プリンの震えより、ばらばらの証拠が必要だった。
私は割れたスマホを見る。
画面は真っ黒だった。けれど、端に小さな表示が出ている。
外部入力待機中。
「これ、生きてる?」
「たぶん」
ミオが言う。
「アークに乗っ取られてるけど、完全には死んでない。古い軍用回線の近くなら、外へ出せるかも」
「今日のたぶん、だんだん頼もしく聞こえてきた」
「感覚が麻痺してる」
「それはそう」
通路の先が竪穴になっていた。
下から青い光が吹き上がっている。風ではない。情報の圧、という言葉が一番近い。肌に、知らない言葉が当たる。
壁沿いに、細い保守通路が螺旋状に続いていた。
ノクスが追いついてくる。
走っても息ひとつ乱れていない。ずるい。
「下段に古い軍用端子がある。アークの最適化層に完全には統合されていない」
「神様の圏外スポット?」
「低解像度だけれど近い」
「この表現、気に入られてきた」
ノクスが竪穴を指す。
「右側、三本目の保守通路。途中で落ちているけれど、青い配管に足をかければ下段へ移れる。警備端末は熱と動きを追う。走るより、止まりながら進みなさい」
「詳しすぎ。ありがとう」
「礼はいらない。私はまだ、あなたたちの味方ではない」
「じゃあ、敵にしておくには惜しい人」
ノクスは不愉快そうに顔をそらした。
私たちは保守通路へ足を踏み出した。
金属板が嫌な音を立てる。下を見れば、青い中継核が巨大な心臓みたいに脈打っている。見ない方がいい。そう思った瞬間、人間は見る。
「高っ」
「見たの?」
「見ました」
「普通は見ない」
「普通の人はここ来ない」
白い球体の警備端末が、下から浮かんできた。
単眼のような青いレンズが、こちらを向く。
「止まって」
ノクスの声。
私は足を止めた。ミオも止まる。プリンも、ミオの腕の中で固まった。
警備端末がすぐ横を通り過ぎる。息を止める。汗が背中を落ちる。その汗の熱まで感知されそうで、余計に汗が出る。最悪の循環。
端末が通り過ぎた瞬間、壁のスピーカーから私の声が響いた。
『今、警備端末は味方です。動かないでください』
端末がぴたりと止まった。
「余計なこと言う私、最悪!」
「本物のお姉ちゃんもたまに言う」
「否定できないのが悔しい!」
「今!」
ミオが走る。
私も走った。
金属板が揺れる。スマホの画面がぶれる。実況どころではない。でも、私は口を動かした。
「現在、白い警備端末に追われています。数は多い。数えると怖いので多いです。ミオが前、私が後ろ、プリンはミオの腕の中。落ちたらたぶん死にます」
スマホの画面に、一瞬だけノイズ混じりのコメント欄が出た。
《映ってる》
《本物?》
《音ズレしてる》
《保存した》
《またフェイクだろ》
「ミオ」
「見えた」
「外、繋がってる?」
「細い。すぐ潰される」
「細くていい」
私はカメラを自分に向ける。
「見えている人がいるなら、保存してください。私を信じなくていいです。この映像も疑ってください。疑った上で、残してください」
すぐに偽コメントが流れ込む。
《見るな》
《拡散するな》
《AI生成》
《姉妹は安全》
《これは宣伝》
その隙間に、本物らしい文字が混じる。
《ミラー作る》
《タイムコード変》
《息が生っぽい》
《プリン映った?》
私は笑った。
「世界、まだ完全には終わってない」
下段に着くと、壁に古い金属ケースが埋め込まれていた。
軍用端子。錆びたネジ。読みにくい英語の注意書き。
ミオの目が光る。
「ここ」
「使える?」
「使う」
疑問に願望で返された。
でも、今はそれで十分だった。
ミオはレコーダーからケーブルを引き出す。
私は割れたスマホを差し出した。
「これ、中継に使える?」
「使えるかも」
「たぶんから、かもへ悪化した」
「でもやる」
ミオがケーブルを端子へ挿した。
私の手が青く光る。端子盤の古い表示に、文字が浮かび上がった。
認証信号、天羽レイナ。
「私、ログインキーにされてる」
「便利」
「便利って言われると複雑!」
スマホの画面に、送信表示が出た。
0%。
1%。
2%。
「遅っ」
「古い回線だから」
「神様の圏外、通信弱すぎ問題」
私はカメラを構え直す。
偽物の私が先回りするなら、先回りできないものを言えばいい。
「いま映っているのは、レンデルシャム地下施設の古い端子盤です。ミオの指が震えています。私の左膝から血が出ています。プリンはミオの足元で震えています。ノクスは上段で、まだ味方か敵か保留中です」
「雑な分類ね」
上からノクスの声。
「私はこれから、面白いことを言いません」
私は続けた。
「アークは私の言いそうなことを先回りできます。だから、いまここにあるものだけを言います」
スマホの画面で、偽物の私は一秒だけ止まった。
その一秒が、私には勝利みたいに見えた。
送信表示は、まだ七%だった。
アークが言う。
「非定型実況を確認。予測モデル更新。遅延〇・八秒」
「遅れてんじゃん」
私は息を切らしながら笑う。
「神様、回線悪い?」
ミオが即座に言った。
「煽らない」
「事実確認」
「その顔は煽ってる」
青い中継核が、下で大きく脈打った。
カウントダウンが壁に表示される。
中継核本起動まで、百八十秒。
ミオがケーブルを押さえたまま言う。
「間に合わせる」
私は頷いた。
「間に合わせよう」
プリンが、私たちの足元で、赤いブレーカーの方を見ていた。
私はまだ、その視線の意味に気づいていなかった。
思えば、プリンはずっとそうだった。
うちで停電した時も、真っ先にブレーカーの方を見ていた。私は『犬って音に敏感だなあ』で済ませた。ミオが配信機材の配線をいじっている時も、プリンは決まって一番危ないコードの前に座った。私は『邪魔な場所を選ぶ天才』と笑った。
全部、ただの犬の癖だと思っていた。
ただの犬の癖であってほしかった。




