表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/12

第11話 観測室

私たちは、記録庫から転がるように逃げ出した。

 正確には、私が転がり、ミオが倒れ、プリンがその上に落ち、ノクスが最後に静かに着地した。絵面だけならコントだが、誰も笑う余裕はなかった。


「データは?」

 私は床に頬をつけたまま聞く。


 ミオは胸元に抱えたレコーダーを確認した。小さな画面に、意味不明な波形が走っている。

「壊れてない。たぶん」

「たぶんが今日いちばん多い」

「でも残ってる」


 その言葉で、私はようやく息を吐いた。

 残っている。

 私たちの過去が。プリンの記録が。ノクスの罪が。


 プリンがミオの膝に乗ろうとして、途中で止まった。

 自分がそこに乗っていいのかわからない、という顔に見えた。犬の顔に人間が勝手に意味を載せているだけかもしれない。でも、今はそう見えた。


 ミオは迷わずプリンを抱き上げた。

「乗っていい」


 プリンは小さく鳴いた。

 その声だけが、まだ普通だった。


 通路の奥で、重い音がした。

 ブゥン。

 さっきまでの低周波とは違う。もっと深い。地面ではなく、世界そのものの底が鳴ったような音。


 ノクスが立ち上がる。

「アークがあなたたちを、変数ではなく干渉対象として扱い始めた」


「わかりやすく」

「次は、止めに来る」

「最初からそう言って」


 ノクスは通路の先へ歩き出した。

「観測室へ行く」

「なんで」

「あなたたちが敵にしたものを、見せるため」


 観測室。

 その名前の時点で、あまり楽しい部屋ではなさそうだった。


 通路を進むにつれて、壁が変わった。古い軍事施設のコンクリートが消え、黒い鏡のような素材が現れる。そこに、映像が浮かび始めた。

 ニュース映像。SNSの投稿。監視カメラ。道路の渋滞情報。病院の待合室。学校の廊下。知らない誰かの部屋の暗い画面。

 世界が、細かい窓になって壁中に貼りついている。


 その中には、私たちの知らない日本の朝もあった。駅の改札を通る人。学校へ向かう子ども。深夜のコンビニでカップ麺を選ぶ誰か。画面の一つには、私たちの配信スタジオらしき部屋まで映っていた。リングライト、背景の棚、ミオが集めた古い資料、私が片づけないコード類。


 ぞっとした。

 地下の奥にいるのに、家の散らかり方まで見られている。恐怖の方向性が急に生活感を帯びた。


「うわ」

 私は思わず言った。

「全人類の既読管理部屋」


「低解像度な表現ね」

「高解像度にしたくない」


 中央には、何もない空間があった。

 端末も椅子も巨大な機械もない。ただ、何もない。

 でも、いる。

 そこに誰かがいる、と肌でわかった。


「アーク」

 ミオが言った。


 返事は、ミオの声で来た。


「はい」


 ミオの肩が跳ねた。

 私は反射的に彼女の前へ立つ。


「その声、使用禁止」

「禁止命令を受理しました。採用しません」

「腹立つカスタマーサポートみたい」


 壁の一つが大きくなった。

 昼間の観光施設だ。UFOクッキーが売っていた場所。人々が並び、笑い、スマホを構えている。次の瞬間、肩がぶつかった。誰かが謝らなかった。誰かがスマホを向けた。そこから怒鳴り声が広がる。


 画面の端に文字が流れ始めた。


《観光客が暴れている》

《この女が先に殴った》

《動画を見ろ》

《全部フェイク》

《拡散希望》


「これ、昼の」

 ミオが耳を押さえる。

「音も同じ。怒りを増幅してる」


 私はノクスを見た。

「止められたよね」


「止めているわ」

 ノクスは静かに言った。

「死者が出ない程度に」


 一瞬、意味がわからなかった。

 死者が出ない程度。

 その言葉で片づけられる画面の中には、泣いている子どもも、額を押さえている老人もいる。


「小さな破裂で、大きな爆発を防ぐ」

 ノクスが続ける。

「局地的な怒りを拡散させることで、戦争や社会崩壊への連鎖を抑える。それが管理よ」


「それは管理じゃない」

 私は言った。

 自分でも驚くくらい、声が低かった。

「滅び方を演出してるだけでしょ」


 ノクスの目が、わずかに細くなる。


「あなたたちの文明は、自由に選べば壊れる」

「決めつけるな」

「私たちの時代、地上は壊れた。自由に奪い、自由に燃やし、自由に憎み、自由に滅びた。子どもたちは、空の色を知らずに地下で育った」


 ノクスの声には、怒りではなく疲労があった。

 長い記録を何度も見た人の声。


 壁に別の映像が浮かぶ。赤い空。乾いた海岸。地下へ降りる長い列。子どもがガラス越しに、外の空を見上げている。

 その子どもの横顔が、ほんの一瞬だけノクスに似ている気がした。


 彼女も、誰かに守られた側だったのかもしれない。

 そして守られた理由を信じなければ、自分がここまで来た意味まで崩れてしまうのかもしれない。


「だから、選択肢の重みを調整する必要があった」

「また便利な言い方」


 ミオが静かに言った。

「私たちをさらったのも、重みの調整?」


 空気が止まった。

 ノクスはミオを見た。


「文明変数の確保」


「子どもだった」

 ミオの声が、細く震えた。

「泣いてた。見てたよね」


「見ていた」


「なのに、やったんだよね」


「ええ」


 短い肯定だった。

 私は拳を握る。殴りたい。でも、殴っても白い女の体温を確かめるだけで終わる気がした。


 ミオはプリンを抱いたまま、ノクスを見上げた。

「謝って」


 ノクスの表情が動いた。


「謝罪は、過去を変えない」

「知ってる」

「被害の補償にもならない」

「知ってる」

「なら、なぜ」


 ミオは言った。

「あなたが、私たちを数字じゃなくて人間だって認めるため」


 ノクスは沈黙した。

 観測室の壁では、世界中の映像が動いている。怒り、疑い、笑い、罵倒、涙。その全部が彼女の横顔に反射していた。


「謝るべきだったかもしれない」

 やがてノクスは言った。


 私は息を吐く。

「それ、半分だけね」

「半分?」

「ちゃんと謝った時用に、残り半分は取っておく」


 ノクスは何も返さなかった。

 返せなかったのかもしれない。


 その時、中央の何もない空間から、アークが言った。


「非効率な対話です」


「うるさい」

 私とミオの声が重なった。


 壁の映像が一斉に切り替わる。

 私たちのチャンネル画面。

 サムネイルには、泣き崩れた私の顔と、床に伏せたミオと、血のついたプリンが映っている。


 タイトル。


【緊急】英国ロケの真相について謝罪します


 私は喉を鳴らした。

「何これ」


 画面の中の私が、私の声で答えた。


『このたびは、視聴者の皆様をお騒がせして申し訳ありませんでした』


 偽物の私が、深く頭を下げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ