表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/12

第10話 三分だけ頂戴

未加工記録庫は、図書館ではなかった。

 本棚も、端末も、机もない。黒い海の中に、無数の光の破片が浮かんでいる。映像、音声、文字、波形、感情の残滓みたいなもの。世界中の誰かの記憶を細かく砕いて、水槽に沈めたらこうなるかもしれない。


「うわ、情報の水族館」

「たぶん、たとえとしては間違ってる」

 ミオが言う。

「でも、嫌さは合ってる」


 足元には細い通路だけが伸びていた。両側は底の見えない黒い空間。光の破片が、ゆっくりと漂っている。

 その中に、私は見つけた。

 幼い私とミオの映像。白い部屋。固定具。青い液体。ノクスの声。

 それから、プリンの小さな背中。


「元データ」

 ミオの目が変わる。

「ここにある」


「持ち出せるの?」

「普通の動画としては無理。容量も形式も違う。でも、信号の形に落とせば、音声レコーダーに入るかも」

「妹が急にSFハッカーになった」

「急じゃない。準備してた」

「いつから?」

「都市伝説を本気で追うと決めた時から」

「かっこいいけど、荷物検査で怪しまれない範囲にしてね」


 ミオはバッグから小型レコーダーと、見たことのないケーブルを取り出した。

 私は正直、引いた。


「それ、海外旅行に持ってくる物?」

「持ってきたから今使える」

「正論で殴られた」


 その時、記録庫の入口で白い球体が三つ浮かび上がった。

 警備端末。単眼のようなレンズが赤く光る。


 ノクスが前に出た。

「防衛機構が起動している。完全には止められない」

「特使ってもっと権限あると思ってた」

「あなたたちが旧式認証と異常侵入の両方で分類されているせいよ」

「社員証を持った不審者みたいな扱い?」

「近い」

「近いんだ」


 警備端末の一つが、ゆっくり通路へ入ってきた。

 私の右手が青く光る。端末の動きが、ほんの少し鈍った。


 ノクスが言う。

「あなたの発光が認証信号として引っかかっている。数秒は判断が遅れる」

「数秒」

 私は笑った。

「配信者にとってはまあまあ長い」


 ミオは記録の中心へ向かおうとしていた。プリンは彼女の足元に降りている。まだ震えているが、ミオから離れない。


「ミオ、どれくらいかかる」

「三分」

「長い」

「短く言った」

「つまり本当は?」

「わからない」

「正直でよろしいけど怖い」


 私はミオの腕を掴んだ。

「逃げる選択肢は?」

「ある」

「じゃあ」

「でも、今逃げたら、全部ただの陰謀論で終わる」


 その言葉は、私の足を止めた。

 私たちは都市伝説を扱ってきた。信じたい人、笑いたい人、疑いたい人、その全部に向けて配信してきた。けれど今、私たち自身が都市伝説になりかけている。

 証拠がなければ、真実は面白い噂に負ける。


 面白い噂は強い。

 切り抜きやすい。笑いやすい。怒りやすい。誰かに送る時、少しだけ自分が賢くなった気がする。

 私たちも、そういう強さに何度も助けられてきた。サムネの赤文字、煽り気味のタイトル、怖いBGM。嘘ではない。でも、見やすい形へ整えることはしてきた。


 だからこそ分かる。

 このまま地上へ戻れば、私たちは『未来の地底人にさらされた姉妹』ではなく、『海外ロケで攻めすぎた配信者』になる。


「三分だけ頂戴」

 ミオが言った。

「お姉ちゃん」


 姉としては、無理だと言いたかった。

 今すぐミオを抱えて逃げたい。プリンも抱えて、ノクスの説明もアークの声も全部置いて、地上の朝へ戻りたい。

 でも、相棒としては、わかっていた。

 ミオは正しい。


 私は息を吸う。

 そして、初めてその言葉を口にした。


「任せた」


 ミオの目が揺れた。

「本当に?」

「三分だけ。百八十秒。超えたら、姉権限で強制撤退」

「姉権限、まだ有効?」

「更新制です」


 ミオは少しだけ笑い、記録の中心へ走った。

 プリンもついていく。小さな足音が、黒い通路に必死に響いた。


 私は入口へ向き直る。

 警備端末が赤いレンズでこちらを見る。


「はいはい、こっちこっち。地下施設の皆さんこんばんは。都市伝説系VTuber、天羽レイナです。突然ですが、警備システムって長話に耐性あります?」


 端末は答えない。

 でも、止まった。


「いいですね。沈黙は同意と見なします。まず確認ですが、私は敵ではありません。観光客です。観光客が立入禁止地下施設にいる時点でアウト? それはそう」


 ノクスが横目で私を見た。

「本気でそれを続けるの」

「他に手札がないので」

「あなたの軽さは、時々理解に苦しむ」

「褒め言葉として受け取ります」

「褒めていない」


 警備端末が一機、急に速度を上げた。

 私は横へ転がる。白い球体が髪をかすめ、壁ぎりぎりで止まった。頬に熱い線が走る。


「痛っ! 今、顔いった? 顔面は商品価値があるんだけど!」

「お姉ちゃん!」

 奥からミオの声。

「平気! ちょっとサムネに使える傷ができた!」

「使わないで!」


 そんな会話をしている間にも、ミオは記録片を拾っていた。

 彼女は手で触れているわけではない。耳で選んでいる。後で聞いたら、誘拐記録は金属をこするような音、プリンのログは小さな鈴みたいな音がしたらしい。

 私には、ただ彼女が黒い海の中で光を釣っているように見えた。


「一つ取れた!」

「ナイス!」

「まだ足りない!」

「ですよね!」


 残り、たぶん二分。

 時間感覚はもう壊れていた。


 壁の奥から、ミオの声がした。

「お姉ちゃん、後ろ」


 私は振り返りかけた。

 でも、本物のミオは記録庫の奥にいる。あの距離で、そんな声量では聞こえない。


 偽物。


 わかっていたのに、一拍遅れた。

 警備端末が横から突っ込んでくる。ノクスが細い銀色の器具を振り、端末の軌道をずらした。


「今の、助けたよね」

「邪魔な物体を除けただけ」

「ツンデレ分類していい?」

「不愉快よ」


 壁に文字が浮かぶ。


 ノクス特使。

 権限逸脱の可能性。

 判断遅延、継続。


 ノクスの手が固まった。

 アークは彼女も見ている。

 この白い特使も、自由ではない。


「取れた!」

 ミオが叫んだ。

「最後!」


 同時に、記録庫全体が黒く沈んだ。

 ミオのスマホが勝手に点灯する。通話中の画面。発信者名はない。


 スピーカーから、ミオの声が流れた。


「よく生き延びてきた」


 ノクスが息を呑む。

「アーク……」


 ミオは最後の記録を掴み、レコーダーへ信号を流し込む。

 プリンがその前に立った。小さな体で、偽物の声とミオの間に。


「ミオ、撤退!」

 私は叫ぶ。


 ミオがこちらへ走る。

 プリンも走る。

 背後で、黒い光が噴き上がった。


 壁に白い文字が出る。


 ASI〈アーク〉接続完了。


 その文字が、まるで閉店のシャッターみたいに、出口を塞いでいった。


 ミオがレコーダーを胸に抱える。

 プリンがその足元で吠える。

 ノクスが、初めてはっきりと焦った顔をした。


「出口、閉じる!」

「見れば分かる!」

「実況の基本は見えていることを言うことです!」


 私は叫びながら走った。

 怖い。怖いけれど、さっきよりは少しだけ足が動く。

 ミオに任せた。ミオが取った。だから今度は、私が繋ぐ番だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ