本編 1
「勝率九割?」
「ええ」
「ふ~ん。……」
「信じられないですか?」
「偶々(たまたま)かもな。……」
「27勝3敗でもですか?」
「……」
「取引履歴を見てもらえれば、歴然とした事実であることを分かってもらえるんですが。……」
「よし。見てやろうじゃないか」
「はい。ありがとうございます。では、……」
相沢はそこで、卓上に一枚のパンフレットを乗せた。「田所翔一朗の『実践、日経平均先物取引セミナー』」と銘打ってある。日時と場所が記載された部分を指し示しながら、
「当日、ここでお待ちしております」
「迎えには来んのか?」。佐藤は、不満そうな顔つきだ。
「当日は、会場のセッティングもありますし、私の担当のお客様だけでも、相当な人数になりそうですから。……」
「ふん。……」
「申し訳ございません」
「まぁいいだろう」
相沢弦太郎(ゲンタロウ=ゲンタ)は、佐藤の来場予約を取り付けると、佐藤の住む西麻布のマンションを、そそくさと後にした。外資系の証券会社に勤めるゲンタには、セミナーに呼びたい太い顧客がまだまだいた。油を売っている暇はなかった。
この辺りには、彼の担当の顧客が数人いる。歩いて回ったほうが早い。店舗を構えている客の応接室や、顧客の自宅マンションで商談することが多かった。日増しに陽射が強くなる五月の路上を、パンフレットの入った薄いブリーフケースを片手に下げ、額に薄っすらと汗を浮かべながら、次の顧客のもとへ急ぐのだった。
ゲンタが、丸ノ内線の新大塚駅近くの、大田黒孝蔵のオフィスに呼ばれたのは、今月の初めのことだった。
「声を掛けるのは、太い客だけにしてくれ。会場のキャパは、せいぜい50人だ」
コウゾウの参謀格である久保篤志の声に、集められた面々が頷く。
「覚えておいてほしいのは、客の損得に応じて、各自の稼ぎが決まるのではない、ということだ」
「……」。(一同、無言)
「客が幾ら買うか、あるいは売るかで、各々の稼ぎが決まる。信用での取引のみに限定するので、預かるのは証拠金だけでいい。必ず、取引の決済ごとに清算すること」
「……」
「勝った客には、証拠金に加えて、税引後の収益を渡す。負けた客には、損金の5%を補填した上で、証拠金から損金を差し引いて渡す。大丈夫か?」
「……」。一同、しっかりと頷く。
「我々にとって、客の勝ち負けは、その客が果たす役割でしかない。我々にとって重要なのは、客が幾らの取引をするかだ。建玉の金額の0.25%が、各自の稼ぎになる。1億の取引をさせれば、25万の稼ぎという訳だ」
「……」
「言わずもがなであるが、一人の客がさらに新しく1億の玉を建てれば、客一人につき、ひと月の稼ぎは50万だ」
「……」
「と言うのも、建玉の決済の目安は、1週間から10日。稼働日で5日から8日を目安にしているからだ」
「……」
「必ず、証拠金の範囲内の損益で決済する。その為には、急激な相場の変動が起きた場合は、即座に決済することもありうる。ここまでのところを、しっかりと頭に入れておくように」
「……」。一同、しっかりと頷いた。
「取引を続けて、収支がプラスの客は、当然のことながら、何も問題はない。収支がマイナスになってしまう客のフォローを、しっかりとやらなければならない」
「……」
「方策は、こちらで練っておく。各自、安心して、勧誘してくれ」
オフィスに集まった者たちに向けて、アツシは話を続けた。
「言わなくても分かるだろうが、投資金額の大きい客から、優先して勧誘することだ。『損を出した時、5%を補填してくれるなら、先物はこの会社に回そう』と、客に思わせることだ。説明は、サラっとした方がいいぞ。誰しも、そういう点には敏感なものだ。必ず喰い付いてくる。確かめたくなるのが、人情だ」
「……」
「『本当に補填してくれるのか?』と聞いてきたら、しっかり頷いて確約することだ。『試しに、最初は少額の玉を建ててみてください。そして、本当に損失額の5%が補填されるかを確認してください』と言え」
「……」。一同が、深く頷く。
「各々が歩合外務員として所属する証券会社には、現物の注文や、個別銘柄の信用取引を繋いでおけばいい。我々は、レバレッジの効いた先物だけを扱う。銘柄コード1570、日経レバレッジだけである」
「……」。頷く。
「この投資話に、客が乗り易くする為に、先物取引で9割の勝率を挙げた人間を、セミナーの講師として用意した。『売りで入るか、買いで入るか。タイミングも含めて、彼に一任してもらいたい』と、客の諒解を取っておけ」
「……」
「客が決めるのは、建玉をいくらにするかだけだ」
「……」
「建玉に見合う証拠金だけを、預かってくるように。決済したら、必ず清算金を、即座に届けろ。我々は詐欺師ではないのだ、とうことを肝に銘じておけ」
「……」。一同が、深く頷く。
以前、ゲンタが太田黒から聞いた仕事が、いよいよ始まるのだ。
アツシの声が終わらないうちに、オフィスを飛び出して行く者が、数人いた。
コウゾウは笑みを浮かべ、そういう者を見送っていた。
太客は、いくらでも居るだろうが、優先順位一位の客を、先取りしなければならない。「もしも、客が被っていたら、……」と、考えてもおかしくはないのだった。
ゲンタもそうだった。挨拶もそこそこに、太田黒のオフィスを辞して、客先に足を急いだ。
二か月後、ゲンタロウの客の佐藤は、かなりの損失を被っていた。
「何が勝率9割だ。4割にも届かないじゃないか」
怒気を含んだ佐藤の叱責を受けながら、ゲンタロウは軽く頭を下げた。
「少しばかり補填してもらったって、間尺に合わんぞ」
「はい。……」
「しおらくしておっても、何にもならんわ」
佐藤は、吐き捨てた。
「あのトレイダーは馘らしいです。今度は、間違いのないトレイダーを据えました、ということです」
「ふん」
佐藤は、聞く耳を持たない、という素振りだ。
「うちの会社の取引画面に、ログインしてもらえませんか?」
「ん?」
渋々という風に、佐藤は机上のPCを膝に置いた。
「『うちの会社』というのは、地場の○○証券の方か?」
「はい」
ゲンタロウは、外資系の証券会社の社員である一方で、地場証券の歩合給の外務員でもあった。久保の指示で、そういう風にしていた。
「○○○Aという証券コードの銘柄を、検索してください」
画面に呼び出したその会社のチャートや、経営指標を見つめる佐藤だった。
「この銘柄が、なんだというのだ」
「上場してすぐに高値をとった後は、じり安の状態ですが、……」
「見れば分かる」。憮然とした顔で、佐藤は返した。
「値が飛ばないように注意しながら、ひと月くらいかけて5千株ほど、買っていってください」
「今、千円ガラミくらいだから、都合5百万だな」
「はい」
「その程度、造作もないことだ」
「ザラ場に注文を出すと、値が上がり易いので、前日比で安くなっている日に、引け成で、200から300株ずつ買っていくといいと思います」
「うむ」
「売り時については連絡を入れますので、二割や三割、利が乗ったからといって、売らないでくださいね」
「ふん。テンバガー候補という訳じゃあるまいに」
「……」。ゲンタロウは、ニヤっと笑って返した。
テンバガーとは、株価が10倍に値上がりする銘柄のことである。
それからさらに二か月後、佐藤の目がやっと柔らかくなった。
「先物の方は、まぁボチボチというところだが、例の〇○○Aのお陰で、損した分を取り戻せたぞ」
その銘柄は、直近、じり高状態で推移していたが、長い陽線の丸坊主の翌日から、2営業日続けて、大引けまで取引が成立せず、ストップ高比例配分で終わった。3日目の値幅制限は通常の4倍だ。その日、その銘柄は、長い上ヒゲを付けた。佐藤がいくらで売ったのかは言わなかったが、相当の売却益を得たことは確かだ。
「なによりでした」。ゲンタロウは、胸をなで下ろす思いだった。
「もうしばらく、付き合ってやるとするか」
「ありがとうございます」。深々と、お辞儀をするゲンタだった。
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