本編 2
昼時の、隅田川沿いの遊歩道。ベンチに座る若い男がいる。
ぶらぶら歩いてきた白髪交じりの中年男が、ベンチの前で立ち止まり、隣に座った。
「俺には、無理でした。すみません」
気弱そうな、せいぜい二十歳と見える瘦せ型の男が、中年男に謝っている。
「気にするなよ。初めに言ったように、嫌になったら、いつでも辞めて構わないんだ」
「いや、嫌になったという訳じゃ、……」
「兎に角、何も気にしなくていいから」
中年男の名は、久保という。
「色々お世話になったのに、自分の無能が情けないです。……」
「深刻に考えるなって。また、やる気になったら、連絡してくれ」
「はい」
「困った時でもいい。連絡しろよ」
「はい。ありがとうございます」
「あっ、ところで」
「はい。……」
「あんた、畑仕事なんか、興味ある?」
「いえ、……」
「そっか。あのさ、気が向いた時に、トマトとか大根なんかの世話したりしてくれたら、狭くて不便な所だけど、安心して寝るくらいのことはできる部屋、あるから」
「はい。……」
「何かあったら、そんなこと言ってたオヤジがいたこと、思い出してくれ」
「……」。若者は、黙って頷いた。
久保は立ち上がり、若者に「じゃあ」というように手を振り、去って行った。
次に久保が姿を見せたのは、 河川敷の野球場だった。
外野の芝生に座り、子供たちの練習を眺めている風の二人の男。一人は久保だった。彼らに注意を払う者はいなかった。
「この一年近くで、いくら稼いだ?」。ボソっと、短く久保が言う。
「はぁ、……」
「会社からの給料以外で、ン千万の副収入があったんじゃないのか?」
「ええ、……」
「気を付けることだ。大きな買い物をしたり、派手な身なりをしたり、……」
二人の、はるか後方を、人が通り過ぎた。久保は話をやめる。
「まぁ、そういう馬鹿はやらないだろうが、知らず知らず、立ち居振る舞いに出てしまうものだ」
「はい。……」
「端した金の揉め事で、命を落とす奴もいる」
「……」
「ましてや、千万単位なら、危険はすぐ近くに潜んでいる」
「はぁ。……」。若い男が、しょげた風に項垂れた。
「公権の目もあれば、闇の目もある、ということを肝に銘じておけ」
「はい」。二十代半ばに見える男が、頷いた。
彼の名は、真田幸太郎。注意を与えている久保は、下の名を篤志という。
「アツシさんの、言う通りにします」
「『アツシさん』なんて呼ぶな。俺は、お前のケツを拭かんぞ」
「はい。……」
「いつも注意するように、『アッチャン』と呼べ」
「はい、すいません」
「目上のように接するな、と言っているんだ。ダチか、それ以下のように接するように注意しろ。いつも言ってるのに。……」
真田は、黙って頷くだけにした。
「今やっている仕事は、一時のものだと思え。お天とう様の下を、堂々と歩ける生活を、生涯したいと思うなら、ものには潮時ってものがあるってことも、覚えておけ」
「……」
「今は上手くいってるようでも、どこかで綻びの元が蓄積していると、想定しておくことだ」
それは、かつてアツシが、太田黒から受けた戒めの言葉だった。
「ことを始める時には、事態の収束の方法と時期も、考えておくことだ」
「はい。……」
「稼いだ額を考えれば、まともな仕事の報酬じゃないことも、分かるはずだ」
「……」
「潮時は近いと、想定していろ」
「はい」
アツシの観察では、真田は、育ちと環境に恵まれていた。社会人になって、多少は苦労をしているだろう。しかし、言葉は悪いが、所詮はアツシたちの駒にすぎない。駒として使い続けるには、素養に欠ける点がいくつかあった。そうであるならば、彼を真っ当な社会に戻す、段取りを考えておかねばならない。太田黒の指示であり、アツシもそう思っていた。
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