05. 紅茶と夕暮れ
◆千代草◆
異世界から現実世界へ戻る時は目を瞑った方がいい。なぜなら……移動中に目に映る次元の情報量はあまりに膨大で、人間の脳では処理できず、過度のストレスになって体に悪い影響を及ぼすからだ。
実は昔、私はこれで吐いたことがある。誰かさんが教えてくれなかったせいで。
閉じている瞼の裏がわずかに明るくなったのを感じた。ゆっくりと瞳を開ける。私はオレンジ色に染まったビルの屋上に立っていた。目の前の大きな夕日は秋の入り口を感じさせる。
周りには、さっきまでの中世の世界と違った現代的なビル群があり、それらはまるで地上から無数に生えているかのように見えた。
「お疲れ様です。千代草さん」
同じ班の男性メンバー、花冠さんが優しい笑顔と口調で私に声を掛けてくれた。
年齢は三十代半ば、ほどほどに背が高く、ほどほどに筋肉質、長めの髪を真ん中で分けた大人の落ち着きと少しの色気が漂う癒しのイケオジ枠である。
七年前に一度救済課を辞めたが、去年の暮れ、英班発足と同時に復職されたのだ。
「ただいまです! 花冠さん!」
「無事でなによりです……さ、温かい紅茶を用意してますから、あちらでみんなと一緒に休みましょう」
花冠さんが差し示した方には、芙蓉と毛布に包まったリョーコさんが壁際に腰を下ろしていた。リョーコさんの姿は転生前に戻っている。少しふくよかな四十代の女性だ。裸なのは、戻る前の姿がぬいぐるみだったからなのだろう。
「異世界から追ってきそうな人はいませんか?」
「ええ、みんなぐっすり寝ちゃいましたから大丈夫です。それよりあの毛布、用意してたんですか?」
「こんな事もあろうかと思って持ってきておいたんです。万が一、君たちが異世界で寒い思いをするかも知れませんでしたから」
完璧イケオジ!
女性への配慮満点ッ!
誰かさんとは大違いッ!
……私はその誰かさんこと、英班長の姿を探した。
「班長ならアチラに……」
花冠さんが塔屋の上で一人立つ班長を指差した。
夕陽に照らされ、険しい顔つきで空中に浮かんだ次元の歪みを睨んでいる。あそこから出現してくるかもしれない敵に備えているんだ。
英班長は、異世界転生救済課発足以来、史上最年少の二十一歳で班長になった人だ。彼は元異世界転生者、異世界で手にした魔王の能力を駆使する実動員。実は私も元異世界転生者。彼に助けられた救出対象者一人だった。
そして……
ひっそり想いを寄せている人。
ただ立ってるだけなのにカッコいいんだよなぁ……でもなんかめっちゃ悔しい。ああいった真剣な顔を見せられると、彼のことが好きな自分に何故か腹が立つ。
てゆーかさ、『おかえり』くらい言ってくれてもいいじゃん……私、がんばったんだよ?
夕焼けの景色をゆがめていた次元の歪みはすぐに消えた。英班長は、目に見える形で肩の力を抜くと、塔屋から私たちがいる屋上へと降りた。
異世界から追っ手が来る可能性は無くなった。今までなら、救出対象者を連れて帰った場合、暴走した異世界の住人が追跡者になって次元の歪みから現れ、私たちを殺しに来ていたのだけれど、英班長が考えた『異世界住人を眠らせる』方法で、追跡者の発生を阻止している。これで……
「これで50件連続でゼロ追跡者だね! ハナブー班長!」
芙蓉が班長に飛びつき、彼の左腕にしがみつく。
「やめろ、ひっつくな……」
班長は棒状の義手の右手で芙蓉の頭をコツンと叩いた。
「いいじゃん、頑張ったご褒美におかえりのチューとかしてよ〜」
「アホか、しねぇよ」
班長は芙蓉を迷惑そうにあしらう。
人目を気にせず、好き好きアピールができる芙蓉が少しだけ羨ましい。ふと、私を見つめる視線に気がついた。リョーコさんだ。私は彼女の元へと歩み寄り、頭を下げた。
「上原リョーコさん。ご協力に感謝します」
私がそう告げると、リョーコさんは頬を緩めた。
「感謝するのは私のほうだわ……さっきのあなた達の会話から察するに、アチラの世界で不具合が起こらないように何かしらの配慮をしてくれたのでしょ? ありがとう」
今のリョーコさんは、あの優雅なアメリアと比べると地味に見えるかもしれない。でも、中身はとても礼儀正しい素敵な女性だ。
「これから私はどうなるの?」
リョーコさんは纏った毛布を掴んで不安げな表情を浮かべる。
「まずはメディカルチェックを行います。異世界でのウィルスや病原菌などが付着していないか調べます。それが問題なく終わると、しばらくの間、施設で生活の基盤を整えるプログラムを受けてもらう予定です」
「なんだか……思っていたより大変そうだわ……私にできるかしら」
これからの一連の流れを伝えると、リョーコさんは力無く笑った。私には、彼女の不安を払拭できる言葉が見つからなかった。
「大丈夫ですよ、上原さん」
花冠さんが片膝をついてステンレスボトルから紅茶を注ぎ、カップをリョーコさんへ手渡した。
「この世界に戻って、人生の続きをやり直す決意をした貴女は強い。それもそのはず。貴女はあの誇り高きアメリア・ベルガモット・サウスだったのですから。もはや恐れるものなど無いはずですよ」
花冠さんがそう言うと、リョーコさんの目に、力強い光が宿った気がした。
「そっか……そうだよね。これしきの事でビビってたらアメリアに笑われちゃうわ」
もうすぐ日が沈む。東の空からは青黒い夜が押し寄せている。リョーコさんは温かい紅茶を一口飲むと、どこか懐かしむような柔らかな顔を見せた。
*次回、『英、呼び出しをくらう』




