30. ハートブレイク滝の裏
砂漠の異世界へやって来たはずなのに、瀑布へと落ちてしまった英。一体どうなってしまうのか……
◆英◆
───ドドドドドドドド
あれはまだ、弟が生まれる前のことだ。子どもの頃、台風で家の前の川が氾濫したことがあった。俺はその濁流と轟音が怖くて、夜通し母さんにずっとしがみついていたんだ。
激しすぎる水の音で、俺は昔の夢を見ていた……これは滝の音か?
顔を顰めながら、横たわる身体を硬い地面から引き離す。上体を起こし終えてから重い瞼を開いた。目の前には岩の壁がある。背後に人の気配が感じられ、振り向くとここが滝の裏側だと分かった。
上から絶え間なく大量の水が落ちている。ここは岩窟だ。俺は岩でできた天然の庇の下にいるんだ。その滝の手前に見覚えのあるシルエット……それは九鬼班長だった。
彼女は濡れた長い金髪を垂らし、下着姿でスーツの水気を絞っている。垂れ落ちた水が岩場に跳ね、ビチャビチャと音を立てた。そしてそのスーツをバサバサと振ってから岩の上に広げて置いた。そこには二着分のスーツが並んでいる。
二着分……え?
慌てて自分の体を確かめる。俺は今、ボクサーブリーフ一枚姿だ。脱がされたのか!? 前を見ると、九鬼班長と目が合った。
「あ……」
冷えた体とは反して、顔が一気に熱くなる。
「起きていたのか、大丈夫か? 英」
普段、俺と接する時と同じ様子だ。この人は俺に、その無防備な下着姿を見られることに抵抗はないのか? 俺は裸みたいな姿を見られてかなり恥ずかしい。というより、どんな状況なんだコレは? 何があったんだ?
九鬼班長は軽く頭を振り、髪の水気を飛ばすと、俺に近づきながら、金髪を後ろでひとつにまとめていつものポニーテールに結えた。
見てはいけない物を見ている。背徳感に近いものを感じた。濡れた肢体は整ったプロポーションをより際立たせ、目が釘付けになる。
顔に大きな傷がある彼女の体は、普段見えない部分にも多くの傷があることを初めて知った。
意外にも女性らしい、レースをあしらった明るい色の下着を着用している。もっと地味な色で動きやすそうな物を着用しているのかと思った。
九鬼班長は俺の横で腰を下ろし、胡座をかいた。俺は反射的に三角座りをしてしまう。隣からはいい匂いがする。鼓動が高鳴り、思わず生唾を飲んだ。
「英、痛むところはないか?」
そう聞かれて、先ほど川の中で打ちつけた腹部を押さえた。
「は、腹を打ったけど、大丈夫です」
「見せてみろ」
そう言って顔を近づけてくるので、仰け反ってしまう。
「あ、いや、俺は大丈夫ですから、アナタは……平気ですか?」
「私は大丈夫だ……ただ、煙草が全部濡れてしまったのは痛いがな」
九鬼班長は俺に向けてはははと苦笑いをした。
てゆーか、何考えてんだよこの人! 肩が触れそうな距離で、お互い下着姿だぞ! 警戒心ってもんが無いのかよ? 俺は色々と、余裕がないのだが!
「九鬼班長……」
「ん? どうした?」
俺は俯いて尋ねた。
「アナタは……俺に、……その……裸に近い格好を見られても大丈夫……なんですか?」
「…………」
静かな時間が流れる。
まったく返事が返ってこないので、チラッと横を伺う。彼女は顎に手を当て、視線を上に上げていた。そしてうんと頷くと、こう答えた。
「……そう、だな……なぜだろう。平気だ」
その台詞は結構効いた……それって俺を男として見てないからだろう。
「例えば……例えばですよ、今、隣に居るのが俺じゃなくて、施覆花さんだったら? その格好でも平気ですか?」
「無理ッ!」
速攻で返事が返された。
「なんで?」
「アイツは毎日毎日私に好きだ好きだと言ってくるからな、この状況下だと絶対襲ってくるだろう。そうなると、私はアイツをボコボコにしてしまうだろうな」
そう言って冗談っぽく笑った。
ちょっと頭にきた。安心してるのか? 俺なら襲われないと。……思い切って顔を向け、真剣な顔で聞いた。
「アナタにとって、俺はどう見えてますか? どんな存在なんですか?」
すると、きょとんとした顔で、答えが返ってきた。
「そうだな……弟? ん〜、違う、従兄弟的な…… 分からんが、多分そんな感じだな。お前の成長をずっと見てきたから、家族に近い感情をもっている」
ショックで思わず後頭部を岩にぶつけそうになる。
「なんにせよ、お前は私の大事な仲間だ」
九鬼班長は爽やかな笑顔を見せ、俺の背中をパシンと叩く。
なんだよソレ……俺は完全に対象外なのかよ。
「出会った時から生意気で、命令無視を何度もやらかしたな。最初は私より背が低かったお前が、いつの間にか私より大きくなり、今では同じ班長だ。嬉しいよ。だが、たまに無茶をする。特にこれ。お前はもう少し自分の体を大事にしろ……」
そう言って俺の右手の義手にそっと触れた。
……効くぜ。
「さて、スーツが乾くまでの間、今後について話しておこう」
九鬼班長は急に真面目な顔つきになるが、俺の感情はまだ追いついていない。だが、仕事は仕事だ。……うん、切り替えよう。
心の中で大きなため息を吐いた。
「仲間とはぐれた事、この滝のある場所が地図の最北にある事、宮殿はここより三十キロメートルほど離れている事。現在通信が困難な事」
「千代草達と連絡は取れないんですか?」
そう言って俺は耳の通信機を操作する。防水、防塵、対衝撃、電波障害にも強い優れものではあるが、電源が切れていた。操作しても感触がない。
「お前の通信もダメか……」
九鬼班長がそう呟いた。
「と言う事は、九鬼班長の通信機も……おかしい。この新型は、そう簡単に壊れたりしないはずなのに」
俺たちは同じ場所から同じ座標を目指してこの異世界へ来た。だが、バラバラに到着して、通信機も使用不可。
これは……意図的に仕向けられた事ではないだろうか? でも……
考えを巡らせていると、滝の外に人の気配を感じた。彼女はすぐに立ち上がる。
俺は……
……腰を引き気味にしてゆっくり立ち上がる。
……これは仕方ない。生理現象だ。
滝の向こう側で俺たちに近づくシルエットが増える。二十人くらいだろうか、やがてソイツらは濡れながら滝をくぐり、俺たちの前に立ちはだかる。盗賊か? 鎖帷子を着込み、布で頭と顔を覆い、三日月のように湾曲した刀や、ひらがなの『し』のような形の短剣を手に持っている。友好的ではないのは明らかだ。
「もしかしてお楽しみの最中だったのか? 悪いが俺たちも仲間に入れてくれよ」
三下のテンプレみたいな台詞を聞いて無性に腹が立った。奴らは遠慮することなくどんどん距離を詰めてくる。
「おいおい、見ろよこの女。めちゃくちゃイイ体してるじゃねぇか、なぁ、こっち向いて股を開けよ、言うこと聞いたら殺さねぇし気持ちよくしてやるぜ」
九鬼班長は呆れて肩をすくめる。
「やれやれ、またこの古典的な展開か……たまには胸がときめくような口説き文句が聞きたいものだ」
「ふざけんな……」反射的にその言葉が口を衝いて出た。
「俺は、これ以上アナタが穢される言葉は聞きたくない……我慢の限界だッ!」
俺はこめかみに指を当て、体内を流れる血管に魔力を流し込む。こうする事で身体能力は爆発的に向上する。
俺の体からは赤い蒸気が吹き上がり、皮膚が赤く染まる。強烈に睨みつけると、盗賊達は身構えた。
「英、ちょっとは手加減してやれよ。彼らは情報源だ。なるべく丁重に相手をしてやれ」
九鬼班長は盗賊達の心配をする。
「保証はできませんよ……」
悲しいかな、自分でも自覚している。俺は今、失恋に似た感情を怒りに換えて、コイツらにぶつけようとしていることを……
嗚呼無情……可哀想なのは相手にされない英か?
それとも怒る英の相手をしなきゃならない盗賊か?
*次回、『傷心ドロップキック』
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