16. 枯れた舞台の上で……
◇九鬼班・閉鎖された劇場◇
◯◯区内のとある場所には、老朽化により現在は使用されていない五百人ほどが収容できる劇場があった。そこはかつてコンサートや演劇が数多く行われ、人々を魅了した場所だったが、今ではもう、人を寄せ付けることはない。
だが、今夜だけは特別な演劇が行われようとしている。ステージへ向け、幾つかのライトが向けられている。そこにあったであろう緞帳などの幕は全て取り払われており、木目を基調とした剥き出しの舞台だけがひっそりと残っている。最前列真ん中の客席に、一人の女が腰掛けていた。
黒のスーツに身を包んだ容姿端麗な女。両の頬に大きな傷を持ち、毛先の痛んだ金髪はポニーテールで結わえている。
頬杖をつき、何もないステージをただ見つめているが、女は目を細めて微笑んでいた。
やがて無人のステージ上に現れた光球が舞台を眩しく照らすと、その中から三つの人影が現れ、明かりは消えた。
二メートル近い体の大きな黒いスーツの強面の男。
べースボールキャップを被り、日本刀を持つ黒いスーツの男。
そして、その場にしゃがみ込み、両手を顔で覆った高校生くらいの少女……
「もう、目ぇ開けても大丈夫やで」
ベースボールキャップの男が、少女の肩に手を置き、優しく声を掛けた。
少女はゆっくりと顔から左手だけを離し、辺りを見渡すと、寂しそうな表情で呟く。
「本当に……本当に帰ってきたんですね?」
客席に座っていた金髪の女は立ち上がり、ステージに上がると、しゃがんでいる少女の前で両膝をついて視線の高さを合わせた。
「戸川セイナさん……おかえりなさい。よく帰る決心をしてくれましたね」
女は戸川を真っ直ぐに見つめ、そう言った。
戸川は右手で顔を押さえたまま涙を浮かべた。
「貴女にとって、この現実の世界は生きづらい場所であることは知っています。失礼ながら調べさせてもらいました。二年前に負った顔の火傷で、不自由を強いられることもあったでしょう……でも、貴女のご両親は…….」
「わかっています……」
戸川は女の言葉を遮り、俯いた。
「パパとママは悪くないんです。悪いのは、この顔を受け入れられない私です……事故だったのに、顔の火傷のことをいつまでも二人のせいにして、不貞腐れて、八つ当たりして……」
女はハンカチを取り出すと、戸川の左手を握り、それを持たせた。そのハンカチは戸川がよく知る物だった。
「これは……私が二人の結婚記念日にプレゼントしたハンカチ……」
「ご両親は、貴女が異世界へ行ってた事は知りません。家出したのだと思っています。警察の方へコレを渡したそうですよ……『娘はよく泣く子だから、今もどこかで泣いてるかもしれない。見つけたら涙を拭いてあげてください』……と」
女の言葉を聞き、戸川は顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を溢した。
スーツの男二人は黙って背を向ける。
「異世界は……よく出来た世界でした。私の顔は元に戻っていて、魔法学園で沢山の友達と出会いました。楽しかったんです……でも、何不自由なく出来すぎた世界は、優しすぎました……」
女は慈しむような目で戸川の話に頷き、相槌を打つ。
「失敗しても誰も私を怒らない、叱ってくれない。国で争いや事件が起きても、徹底して私には関わらせないようにしていた世界でした……会う人みんなが笑顔の仮面を被っているようで……皆、本性をずっと隠していました。こんな日が死ぬまで続くのかと思うと、怖くて、怖くて……」
女は言葉につまった戸川をそっと抱き寄せた。
「迎えが遅くなって申し訳ありません。セイナさん、もう大丈夫です。この世界には、突然居なくなってしまった貴女を、厳しく叱ってくれるご両親がおられますよ」
耳元で優しく呟く女の言葉は、戸川の琴線に触れた。戸川はそれ以上何も言わず、女の体温に身を預け、静かに泣いた。
────やがて劇場に救済課の職員と医療班の数名が現れると、戸川セイナを連れて行き、三人はステージの上に残された。
女はポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
ふぅーー……
女の口から、安堵するように吐き出された白い煙は、仄かな劇場のライトに照らされると、溶けるようにふわっと消えた。
……
「…………て、アカンアカンッ! 九鬼班長!? ここ、絶対煙草吸ったらアカン場所やで!」
ベースボールキャップの男が慌てて女にそう言った。
「え゛? ダメなのか!? 本当か? 南天?」
九鬼と呼ばれた女は、大柄な男にそう訊ねる。
「まぁ、今は使っていないとはいえ、公共の施設内での喫煙は基本的に駄目でしょうね」
南天と呼ばれた男は少し呆れた顔をした。
「あぁ、こ、コーキョーの施設だからな……まぁ、し、知ってたし……ついクセでな、はは……」
九鬼は顔を引き攣らせ、携帯灰皿に、まだ一口しか吸ってない煙草を納めた。
「ホンマ、どこでツッコミ入れよか悩みましたわ……それより班長!」
ベースボールキャップの男がジャケットの襟元を正し、九鬼に向かって背筋をのばした。
「施覆花と南天、無事に救出対象者戸川セイナを異世界より排除しました!」
「あぁ、ご苦労だったな、二人とも」
九鬼は二人を労う言葉をかけた。
「コチラに帰る前に、戸川の異世界の住人をほとんどガスで眠らせておきました。追跡者は現れないでしょう」
「英が考えたこの方法は、戦闘がないから楽ちんやけど、体がなまってまうな〜」
施覆花は両手を上げて伸びをする。
「では、今からオフィスに戻って、お前に稽古をつけやろう」
九鬼が肩をぐるぐると回してそう言うと、施覆花はブンブンと横に振った。
「九鬼班長? なにやら機嫌が良いように見えますが、何かありましたか?」
南天が訊ねる。
「ふふ、分かるか? 南天。実はな、さっき蒲公英課長から緊急で連絡が届いた。明日の正午、異世界転生救済課の全員を集めて会合を行うそうだ」
嬉しそうに九鬼が笑った。
「ホンマでっか!? 全員集合なんて救済課はじまって以来、なかったことですやん!」
「おお! 前々から英のヤツが考えていた事が実現するのか!?」
施覆花と南天も喜ぶ。
「久しぶりに英と千代草に会えるぞ。楽しみだな」
*次回、『異世界転生救済課だよ! 全員集合!』




