13 . 最狂の女、麝香《じゃこう》現る!
◇紫雲英班・異世界の海◇
──夕陽に照らされたドクロの帆は、海風を受けてはためいている。巨大な木造船は煌めく海上を進んでいた。
波のうねりで小さく上下に揺れ、ギシギシと軋む船の船首には人の姿があった。咆哮する獅子を模した石の船首に座っているのは、この異世界を創造した男性、救出対象者の細川だ。
彼は乗組員百人ほどの海賊船の船長に転生し、暴虐を繰り返す日々を送っていた。
今日は大型商船を襲い、水、食糧、珍しい酒、黒魔術で使う大蛇、北海の民族が作った工芸品、美しい娘、奴隷までも手に入れた。最高の一日だった。
自分が創り出した異世界……
何もかもが上手く行く異世界……
ここは細川にとっての楽園だ。細川は夕陽を眺めて目を細める。目指すアジトの島はもう見えている。
アジトへ戻り、仲間達と宴を開いた後、攫った娘を穢して、今日という一日を終える……はずだった。
「おいお前ッ! 降りてきやがれぇ!」
船員の怒鳴り声が聞こえ、細川は振り返る。この船には三本のマストがあり、その真ん中、一番高いマストには見張り台がある。そこから帆を張るために、横に伸びた帆桁に座る人の姿が見えた。
はじめ、細川は船員の誰かが酔ってそこに座っているだけだと思っていたが、見張り台から怒声をあげる手下の激昂ぶりが異常である事に気づく。
マストの下に近づき、見上げるとそこには、足をプラプラさせて、はしゃぐ女の姿があった。この船に女は何人か居るが、見覚えのない女だ。
「ヨーソローーーー!! ひゃっひゃっひやー!!」
女の姿を見て、細川は違和感を覚えた。中世をベースにしたこの世界に、あまりに不釣り合いな服装をしている。白シャツにネクタイ、丈の短いジャケット、長いスカート……それはまるで、一九八〇年代に、極東の国で流行った女番長のような出立ちだった。
「気持ちいいなぁ〜! アタイ様は海は大好きだぜぇ! 」
「女ぁ! テメーどこから現れたのか知らねぇが、そこを降りろ! ぶっ殺すぞ!」
見張り台に居る手下が女に銃を向けた。女は海風に靡く長い黒髪をかき上げ、見張り台の水夫に首を向けてニヤリと笑うとギザギザの歯を覗かせた。
やがて騒ぎを聞きつけた他の海賊衆も、ゾロゾロと甲板に集まりはじめる。
「おいおい、騒ぐなよ水夫様。一秒でも長く人生を楽しみなよ。それとも何か? とっとと母なる海へ還りてぇのかよ?」
逃げ場のない帆桁に座り、銃を突きつけられても尚、余裕の態度を見せる異様な女に、細川は言い表せない焦燥に駆られた。
「船長! 何事だよ!?」
細川の海賊団の中で一番の豪腕、ウェイクが二本の手持ち斧を手に駆け寄ってきた。
「誰だ? あの女、さっき襲った船にいたのか?」
「わかんねぇ……けどよ、アイツからはヤバい空気を感じる」
そう言った直後だった……
ゾンッ!
見張り台の手下の頭に、何かが物凄い速さで刺さり、手下はそこから力無く転落したのだ。
ドーーン!
二十メートルほどの高さから転落し、容赦なく甲板に身を打ちつけられた手下のこめかみには、細川がよく知る物が突き刺さっていた。
それは子どもの頃によく作っていた“紙ヒコーキ”だ。細川の脳裏に現実の世界にいた頃の思い出が飛来した。
細川は再び女を見上げる。女はまるでオーケストラの指揮者のように腕を振り、無邪気な笑顔で鼻歌をうたっている。その姿に細川は戦慄し、身を縮こまらせた。
「敵襲だぁぁーーーー! 全員出てこぉおい!!」
船長である細川の代わりに、ウェイクが号令を掛ける。やがて船上を百人あまりの海賊達が埋め尽くした。その手には銃や刀が握られている。
「誰だありゃ?」
「アイツがやったのか!?」
「クソ! ぶっ殺して魚の餌にしてやる!」
雄々しい叫びを上げる海賊達の元へ、突如、無数の紙ヒコーキが現れた。集団で獲物を襲う鳥のように、その群れは船を取り囲む。海賊達は銃を撃ち、刀で払って交戦するが、不規則に飛来する紙ヒコーキは捕らえられない。やがて、鋭い先端と両翼が海賊達に牙を向く。
「ぎゃあぁぁぁ!!」
「助けてぇ!」
「に、逃げろぉ!」
旋回、急降下する無数の紙ヒコーキは無尽蔵に湧き続け、海賊達を容赦なく切り裂いた。
「船長! 一度中へ逃げるぞ!」
ウェイクは細川を紙ヒコーキから庇いながら船内へと消えた。
────やがて船上から音が失われ、聞こえるのは船の軋む音と女の鼻歌だけになった頃、ウェイクと細川はゆっくり扉を開け、甲板の様子を覗き見る。
甲板はおびただしい量の血で満たされており、海賊達は全身に、無数の紙ヒコーキが突き刺さったまま絶命していた。
細川は絶句し、震えた。この異世界では自分も他者を襲い、命を奪ったこともあった。集団戦で敵を撃ち倒した事も何度も経験した。だが、今目の前には自分の海賊団の屈強な仲間達が惨たらしく息絶えている。酸鼻な光景と、海風が混じる血の匂いに、抗えない吐き気に襲われ、嘔吐した。
「うううおおおおぉぉーーーー!」
怒りで全身を震わせたウェイクが咆哮する。
「うるせぇよ、黙れ。お前は馬鹿か?」
二人は同時に声が聞こえた方を見やる。黒いスーツに黒いトレンチコートを着た痩せた男。艶のある黒髪で、若そうに見えるが目の周りは黒く、ひどく不健康な印象だった。
男は血の海の甲板を、ゴツリゴツリとブーツを鳴らしながら二人へと近づく。ウェイクが手持ち斧を強く握り、叫んだ。
「お前えら、よくも仲間を殺ったな!? 切り刻んでやる!」
「黙れって言ったよな?」
ウェイクはスーツの男へ斬りかかった。男は懐から折り鶴を取り出す。それを見て細川は気づいた。あの紙ヒコーキの大群はコイツが操っていたのだと。
ウェイクは両腕を男へと振り落とした。だが、その一撃は簡単にかわされる。
男はウェイクの腹に膝蹴りを入れ、折り鶴を持った手でウェイクの顔面に掌打を叩き込み、吹っ飛ばした。
「なんだ、雑魚かよ?」
男の手から折り鶴は消えている。
「なんだと〜……うお!」
立ちあがろうとしたウェイクは、突然両手で顔を押さえる。
「う、あ、ああ!? 痛い! か、顔がッ!」
跪き、顔を抑えるウェイクに細川は恐怖した。海賊達の中で一番強く、体の大きなウェイクが、血の涙を流して苦しむ姿を初めて見たからだ。
「うおこごぎぎぎぃぃ〜ああかあ!! だずげでぇ、ぇ……ぇぇ……」
バチュンッ!!
炸裂音と共にウェイクの顔面が崩壊し、中から大きな折り鶴が現れた。ウェイクの首から上を支配した血塗れの折り鶴は、誇らしげに翼を広げ、夕陽を浴びて鈍く輝いてた。
返り血を浴び、細川は歯を鳴らす。瞬く間に自分の海賊団が全滅させられ、死を覚悟した。
「お〜い! 麝香せんぱ〜い! コッチ終わったけどぉ〜?」
男はマストを見上げ、女にそう言った。
「お、もう終わったんかよ、緋衣様」
麝香と呼ばれた女は、帆桁から、まるでブランコから飛び降りるかのように尻を離した。片手でスカートを抑え、風を切りながら真っ直ぐ落ちる。甲板に着く手前で麝香はマストに、ドスンと何かを叩き込み、ガリガリと音を立てながら落下速度を殺して、ゆっくり甲板に足を付ける。その手にはナイフが握られていた。
「ご苦労、緋衣様」
何事もなかったかの様に麝香は細川の前に立ちはだかる。
「先輩、今日、めっちゃ機嫌いいっすね? なんで?」
緋衣は表情を変えずに聞いた。
「ちょっとな、昔を思い出しちまってよぉ、ガキの頃だ。夏によぉ、親父様に海に連れて行ってもらって、遊んだ事を思い出したんだよ……」
「へぇ〜、先輩にもそんな過去があったとは」
「アタイ様は一人で波打ち際で遊んでよぉ、親父様は頭の悪そうな女をナンパして、岩場で隠れてヤッてたわ」
「あはは! 駄目親父じゃないっすか!」
「そんな親父様は死んだけどな……アタイ様が殺したから」
突然現れた謎の二人組に海賊団を殺され、不気味な会話を聞かされた細川の思考は止まっていた。ただ震え、涙している。
「さてさて、細川ミツル様ァ〜、お前様をこの異世界から排除するぜぇ……」
麝香は片手で細川の首を掴むと「帰還」と呟いた。
三人はまばゆい光に包まれると、煙の様に船上から姿を消した。島を目指していた木造船は主を失い、死者だけを乗せた殺戮現場と成り果てた。
*次回、『帰還だよ! 麝香さん!』




