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日本史・異聞編纂録 大谷吉継はなぜ西軍に立ったのか 〜関ヶ原証言録〜  作者: 九条ケイ・ブラックウェル


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第十三篇 大谷吉継の手記

大谷吉継の肉筆とされるこの手記は、一般的な証言記録と異なり、明確な宛名を持たない。

書き出しにも日付はなく、関ヶ原前夜に記されたものと推定されるだけである。


紙は数枚にわたり、ところどころに墨の滲みと、書き損じを強く塗りつぶした跡がある。

筆録者はこう記している。


「これは遺書ではない。誰か一人に宛てた書状でもない。

むしろ吉継は最後の夜に、自らが見てきたものを、誰のものでもない言葉として置いていったのだと思われる」


以下に、その全文を現代語にて記す。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


誰に読まれるのか、わからぬままに書く。


三成に宛てて書こうと、最初は思った。

だが三成に向けて書けば、私は三成にだけ通じる言葉を選んでしまうだろう。

それでは足りぬ気がした。


為広に宛てて書こうとも思った。

だが為広に書けば、私は余計な情を混ぜる。

宗薫に宛てれば、言葉が整いすぎる。

恵瓊に宛てれば、理が立ちすぎる。

松の丸殿に宛てれば、夜の月のことばかり書いてしまうかもしれぬ。


ゆえに、誰にも宛てぬ。


この戦の後に残る者がいるなら、その者が読めばよい。

残らぬなら、それでもよい。

私は、書かずに終えることだけは避けたいと思った。

それだけのことである。


明日、私は関ヶ原へ行く。


負ける戦である。


これはもう、疑いようがない。


兵の数で決まるのではない。

地の利で決まるのでもない。

布陣の巧拙で決まるのでもない。

そのようなものは、戦の表に過ぎぬ。


勝敗はもっと前に決している。


人の心の中で。


同じ陣に並んでいても、見ているものが違う。

同じ旗の下に座していても、守ろうとするものが違う。

豊臣のためと口にしながら、己の家のことを考える者がいる。

三成に義ありと言いながら、家康の威を怖れる者がいる。

東軍につきながら、豊臣の恩を忘れきれぬ者もいる。

皆それぞれに本当であり、皆それぞれに嘘をついている。


その嘘を、私は責めぬ。


責めることは容易い。

だが人が嘘をつくのは、たいてい悪意からではない。

怖れからだ。

守りたいものがあるからだ。

失いたくないものがあるからだ。

人は、失いたくないものの前では、しばしば正しさより先に膝を折る。


それを知らぬ者は、清い。

それを知りすぎた者は、汚れる。

どちらがよいとも、私には言えぬ。


三成は清い。


清すぎる、と言ってもよい。


ああいう人間は、この世では生きづらい。

正しいと思うことを正しいと言い、曲がっていると思うことを曲がっていると言う。

利で口を曲げず、情で目を曇らせず、己の損得で理を捨てぬ。


多くの者が、あの男を「融通が利かぬ」と言った。

その通りであろう。

だが融通とは、たいていの場合、正しいものを少しずつ削って、人が生きやすい形に変える働きのことである。

三成はそれをしなかった。

できなかったと言ってもよい。


ゆえに嫌われた。

ゆえに孤立した。

ゆえに、負ける。


私はそれを知っている。


そして知っているがゆえに——悲しいと思う。


この世には、ああいう人間が一人くらいいてもよいはずだ。

曲がらず、濁らず、損をしてもなお正しい方へ行こうとする者が。

そのような者が必ず敗れる世であるなら、そのこと自体が、すでにひとつの悲しみである。


私は——三成を止めなかった。


止めれば、生き延びたかもしれぬ。

領地も家も、別の形で守れたやもしれぬ。

だがそのとき、石田三成という人間は死ぬ。


それを——私は見たくなかった。


あれを止めることは、三成から三成であることを奪うに等しかった。

人にはそれぞれ、譲れば生き延びる一線というものがある。

その一線を越えてなお生きても、生きたとは言えぬという場所がある。

三成にとって、それは豊臣を見捨てることだった。


私は三成に、生きながら死ねとは言えなかった。


これを友情と言うなら、そうかもしれぬ。

だが友情だけでは足りぬ。

私が明日、関ヶ原へ行く理由は、それだけではない。


私は三成を勝たせるために行くのではない。


勝たぬことを知っているからである。


では何のために行くのか。


書けば、安っぽくなる。

黙れば、卑怯になる。

ゆえに——できるだけ誤らぬよう、書く。


私は、この戦で起きることを、見届けるために行く。


誰が何を守ろうとして立ち、

誰が何を怖れて退き、

誰が何を捨てて寝返り、

誰が何を信じて死ぬのか。


それを、この目で見なければならぬと思った。


なぜそのようなことをせねばならぬのか。

勝敗に関わらぬではないかと言う者もあろう。


その通りだ。

勝敗には関わらぬ。


だが後の世には関わる。


勝った者が天下を取る。

それはよい。

天下とは本来、そういうものだ。

家康殿は勝つべくして勝つ。

あの方は長く耐え、多くを呑み込み、捨てるべきものを捨て、拾うべきものを拾ってきた。

一代の武将として、あれほど大きな器を私は知らぬ。


私は家康殿を憎んでおらぬ。


三成は家康殿を倒すべき敵として見る。

それは三成の正しさである。

だが私にはわかる。

家康殿はただ奪う者ではない。

背負う者だ。

他の者が背負いきれぬものを背負い、汚れることを引き受け、怖れを抱いたまま前へ進む者だ。


ゆえに——家康殿は勝つ。


だが、勝つことと、正しいことは、同じではない。


天下を取ることと、人がどう生きたかは、同じではない。


徳川の世になれば、記録は徳川の理に沿って整えられてゆくであろう。

それもまた自然である。

世は、勝者の側から形を得る。


ならば敗者の側には、せめて一人、見ていた者がいなければならぬ。


誰が本当に卑しかったかを記すためではない。

誰が本当に尊かったかを飾るためでもない。


もっと厄介なことのためだ。


人は弱いということ。

弱いまま、それでも守ろうとしたものがあるということ。

正しい者が敗れることがあるということ。

間違った者の中にも、守るべきものがあるということ。

勝った者にも、敗れた者にも、それぞれに言い分と痛みがあるということ。


それらを、勝敗ひとつで塗りつぶさせぬためだ。


私はそれを——世の帳面、と呼んでもよいと思っている。


武将は戦で決め、商人は帳簿で決める。

だが人の世は、戦の結果だけでは足りぬ。

何が売れ、何が残り、誰が勝ったかだけでは、人の値打ちは定まらぬ。

誰が何を見て、何を見ぬふりをし、何を失って、何を守ったか。

その記しがなければ、後の世は痩せる。


私はその帳面の、せめて片端くらいはつけておきたいと思った。


それが、明日あの場所に立つ理由である。


私は、小早川の正面に陣を置く。


多くの者が悪手と言うだろう。

為広も、口には出さぬがそう思っている。

宗薫なら、眉をひそめるだろう。

長政は何も言わずに黙るだろう。

恵瓊は意味を測ろうとするだろう。


皆、正しい。


軍略としては悪い。

寝返りの兆しある者の真正面に身を置くのは、愚かである。

退路も細く、援けも得にくい。

崩れれば、そのまま飲まれる。


それでも、私はあそこに置く。


見ていなければならぬからだ。


人が裏切る、その瞬間を。


いや、正しくは違う。

裏切りそのものを見たいのではない。

人が裏切らねばならぬところまで追い込まれる、その有様を見誤りたくないのだ。


人は、裏切るという一点で裁けるほど単純ではない。

明日の松尾山にも、西の諸将の陣にも、それぞれの家があり、子があり、死者があり、飢えがあり、先祖の名があり、まだ見ぬ孫の顔がある。

その重みの前で、人は筋を曲げる。

曲げたからといって、その人間の全部が偽になるわけではない。


私は、そのことを知った上で、三成の正しさが敗れるところを見届けねばならぬ。


残酷な役目だと思う。


だが誰かが見ていなければ、後の世は「裏切った」「負けた」「愚かだった」の三つで終わらせる。

それでは足りぬ。

足りぬのだ。


長政には、書かなかった。


書けば、長政は苦しむ。

来ることもできたかもしれぬし、来られなかったかもしれぬ。

どちらにせよ、長政に私の側を選ばせるのは酷であると思った。

長政には長政の立つべき場所がある。

東にいることでしか果たせぬことが、あの男にはある。

本人はまだ、そのことを知らぬだろう。

だがいずれ知る。


脇坂のことも、責めぬ。


あの男は家を守る。

それがあの男の真実である。

真実はときに、義よりも醜く見える。

だが醜いから偽とは限らぬ。

私はあの男の中に、卑小さだけでなく、必死さを見る。

必死さを笑う者に、私はなりたくない。


輝元殿も、動かなくてよい。


この戦において、総大将が戦場に立たぬことは、臆病と記されるだろう。

笑う者も多いだろう。

だが毛利が生き残ることには意味がある。

西の側が完全に消えれば、この戦はただの反逆として片付けられる。

守ろうとしたものがあったことすら、後に残らぬ。

ゆえに、輝元殿には生きていていただく必要がある。


恵瓊はそのことを、頭で知っている。

あの僧は賢い。

賢いがゆえに、いつも少し先を見すぎる。

私は恵瓊ほど賢くはない。

ただ、賢さだけでは救えぬものがあることを知っている。


宗薫は見たものを忘れぬだろう。

あの男は商人だが、帳面に載らぬものの値も知っている。

松の丸殿は、夜の静かなところを覚えていてくださるだろう。

あの方は、事実を事実として受け取る強さを持っておられる。

行長は、最後まで信仰を手放さぬだろう。

あの男の神は、私にはわからぬ。

だが、見届けてほしいと願う気持ちならば、少しわかる。


為広のことは——書きにくい。


あの男は、私のそばに長くいた。

長くいすぎた、とも言える。


人が長くそばにいると、見なくてもよいものまで見えてしまう。

病が重くなってからは、なおさらである。

人前では平気な顔をし、部屋に戻れば指先が震える日もあった。

布の下で顔が崩れてゆくことより、周囲がそれに慣れていくことの方が、私には辛かった。

怖がられるより、気を遣われる方が辛い日もあった。


為広は、そういうものを全部見た。


手の震えも。

声の弱る日も。

布の下で少しずつ人の顔でなくなってゆく、その有様も。


見て——それでも、何も減らさなかった。


あの男が私を見る目だけは、最後まで変わらなかった。

憐れみでもなく、意地でもなく、盲目な忠義でもなく。

ただ、そこにいる私を、そのまま見ていた。


それが——どれほど人を救うか。

私は病を得て、初めて知った。


私は昔、人に近づきすぎぬように生きてきた。

近づけば、相手の弱さが見える。

見えれば、情が移る。

情が移れば、裁けなくなる。

裁けなくなれば、勤めを誤る。

そう思っていた。


だが為広は、私のそばにいて、かえって人を大きく、小さく、どちらも本当として見るようになったと言った。


私はあの言葉を聞いたとき——少し救われた。


私が見てきたものは、ただ人を疑い、ただ世を暗くするだけのものではなかったのかもしれぬと思えたからだ。

見てきたことにも、誰か一人を少し変えるほどの意味はあったのかもしれぬと思えたからだ。


私はあのとき、あの男に救われた。


三成は、私を盟友と思っていたかもしれぬ。

私はどうであったか。


三成は私にとって、尊い人間である。

それで足りるか。

足りぬ気もする。


私はあの男のようには生きられぬ。

正しいと信じた道を、迷いなくまっすぐ進むことができぬ。

人の弱さが見えてしまう。

自分の弱さも見えてしまう。

見えてしまうゆえに、踏み切れぬことが多い。


だからこそ、三成のような人間がこの世にいることを、私は尊いと思う。


あれは人の完成ではない。

欠けている。

危うい。

周りを傷つける。

自分も傷つく。

だが、それでもなお、曲げぬ。


そういう人間が敗れたとき、世はしばしば「だから負けたのだ」と言う。

賢くなかったからだ、と。

世渡りを知らなかったからだ、と。

人心を知らなかったからだ、と。


その通りである。


だが、だからといって、その正しさまで負けたことにしてはならぬ。


私はそれを残したい。


三成は負ける。

だが三成が信じたものまで、負けたことにはさせぬ。


そのために私は、あの男のそばに立つ。


私が死ねば、何かが証明されるとは思わぬ。

死はしばしば、ただの終わりである。

美しくも何ともない。

臭く、痛く、呆気ない。

私はそれを知っている。


だが、誰がどのように死んだかは、ときに後の世の人間の目を変える。


勝てぬと知って、なお行った。

裏切られると知って、なおその正面に立った。

憎まず、呪わず、見届けた。

もしその形が後に残るなら——。


後の世の誰かが、勝った負けたとは別のところで、人の値打ちを量ろうとするとき、ひとつの物差しにはなろう。


それで十分である。


私は、赦されたいとはあまり思わぬ。

裁かれたいとも思わぬ。


ただ——見ていてほしいと思う。


誰に、と問われれば、答えに窮する。

神仏かもしれぬ。

死んでいった者たちかもしれぬ。

まだ生まれていない、後の世の誰かかもしれぬ。

あるいは、ただこの世そのものかもしれぬ。


見ていてほしいのだ。


私は何をしたか。

何をしなかったか。

誰を止めず、誰を責めず、何を見届けようとしたか。

それを、どこかで見ていてほしい。


勝者の記録に載らずともよい。

ただ完全に無かったことになるのは——耐え難い。


明日、私は死ぬだろう。


たぶん、為広も死ぬ。

五助も。

多くの兵も。

名も残らぬ者たちも、数えきれぬほど死ぬ。


私は兵の名を覚えている。


覚えているのは、むやみに死なせたくないからだ。

だが明日、私はその名を知る者たちを死なせる。

大将とは、つくづく惨い役目だ。


それでも名を忘れぬのは、せめて私の中だけでは、ただの数にしたくないからである。

私の中でだけでも、あれらを一人ひとりのままにしておきたいからである。


これが私の情であり、弱さであり、傲りかもしれぬ。

それでも——私はそうする。


恵瓊は形を読める。

宗薫は形の値を知っている。

三成は形より中身を信じる。

私は——中身が形を持たねば、後には何も残らぬことを知っている。


だから、形を作りに行く。


負けるために行くのではない。

正しく負けるために行くのでもない。


もっと厄介なことのために行く。


勝った者の世の中に、敗れた者の問いを残すために行く。


天下とは何か。

勝つことは、ほんとうに価値か。

人の値打ちは、何で決まるのか。

家を守ることと、筋を通すことのどちらが重いのか。

弱さは罪か。

正しさは報われねばならぬのか。

報われぬなら、なお正しくあろうとする意味はあるのか。


その問いを——消えぬように置いてくる。


家康殿の天下が長く続くなら、なおさらである。

続く世ほど、問いを忘れる。

安定した世ほど、負けた者の理を嗤う。

だからこそ、あの問いは必要だ。


私は、問いのために関ヶ原へ行く。


これを書いたところで、何も変わらぬかもしれぬ。

読まれぬかもしれぬ。

焼けるかもしれぬ。

泥にまみれて、誰の目にも触れぬかもしれぬ。


それでも書いておく。


三成、お前がもしこれを読むなら、お前は怒るかもしれぬ。

私が「勝つため」ではなく別のことを考えていたと知れば、不快であろう。

だが私は、お前の正しさを軽んじたことは一度もない。

むしろ、正しさが勝ち負けとは別であることを、お前のために残したかった。


長政、もし読むことがあれば、お前はまた黙るだろう。

お前が東にいることにも意味がある。

自分ではまだわからぬかもしれぬが。


脇坂、お前を責めぬ。

お前が背負うものを、私は見ている。


輝元殿、どうか生きていただきたい。

生き残ることもまた、敗者の側の務めである。


家康殿。

あなたは勝つ。

あなたが勝たねば、この国はさらに長く乱れる。

それもまた事実である。

だが、勝った後でしか見えぬものがあることを——いずれ、あなたも知るだろう。


そして為広。


お前には——何も言うことがない。


言わずとも、お前はわかっている。

わかっていて、なおここにいる。

それ以上、何を言えばよいのか。


私はこの人生で、多くのものを見た。

見すぎたのかもしれぬ。

人の裏も、世の移ろいも、病によって剥がれてゆく己の顔も。


見て、よかったのかどうか、今でもわからぬ。


ただ一つだけ確かなのは、見たものを見なかったことにはできぬということだ。


だから私は明日も、見る。


小早川の旗が動くところを。

脇坂の兵が向きを変えるところを。

西の陣が崩れてゆくところを。

三成の敗れゆく背を。

家康殿が勝つ、その先に開く世の入口を。

為広の顔を。

兵たちの顔を。


そのすべてを見たうえで——。


もしなお、私の中に何かが残っているなら、私は最後に言うだろう。


これでよい、と。


諦めではない。

満足でもない。

敗北の肯定でもない。


三成と出会ったこと。

為広がそばにいたこと。

兵たちの名を覚えていたこと。

人の弱さを見たこと。

その弱さを、ついに憎みきれなかったこと。

見たものから逃げずに、ここまで来たこと。


その全部を引き受けて——これでよい、である。


そう言えれば、よい。


夜が更けた。


虫の声がしている。

風がある。

痛みは今夜、やや軽い。


こういう夜には、昔の茶会のことを思い出す。

月のことを思い出す。

笑った者たちの顔を思い出す。

もう会えぬ者たちのことを思い出す。


秋の夜、一人で見る月も、誰かと見る月も、同じ月である。

されど、同じではない。


明日見る空も、きっと同じで、同じではない。


私は行く。


問いのために。

三成のために。

為広のために。

名も残らぬ兵たちのために。

そして——私自身が、見たことから逃げぬために。


私は行く。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


手記はここで終わっている。


最後の「私は行く」のあとには、何も記されていない。

書き足そうとした跡もない。迷いもない。


筆録者は、この手記を読み終えた後、末尾に短くこう記している。


「これが答えであるのか、私はなお断言できない。

むしろ読み終えたとき、問いは以前より深くなった。

だが一つだけ、はっきりしたことがある。


大谷吉継は、未来を見通したのではない。

人間を、見通していたのである。


人が弱いことを知っていた。

正しい者が敗れることを知っていた。

勝った者にも届かぬものがあることを知っていた。


そのすべてを知った上で、なお人を見捨てず、なお問いを残す側に立った。


それゆえに—— 『刑部ぎょうぶはすべてを知っていた』のである。」

最後までお読みいただきありがとうございました!

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