第8話:王子の違和感
――シナリオ外の令嬢
王城の執務室。
夕方の光が窓から差し込み、机の上の書類を橙色に染めていた。
王子アルヴィンは椅子に背を預け、ひとつの報告書を見つめていた。
「……妙だな」
静かな独り言だった。
机の上には学園から届いた近況報告。
彼は一枚ずつ目を通していく。
『騎士レオン、校舎裏にて不良対応』
アルヴィンは小さく頷いた。
ここまでは普通だ。
だが、その続きの文章を見て眉をひそめた。
『不良は撤退。その後、公爵令嬢セレフィーナと共に雑草除去作業を実施』
アルヴィンは書類を見直した。
「……雑草除去?」
次の報告。
『魔法研究科、魔法暴走事故』
これも珍しくない。
だが。
『事故後、発生した灰を土壌肥料として研究開始。提案者:セレフィーナ公爵令嬢』
アルヴィンは書類を机に置いた。
「学園はいつから農業学校になった」
小さく息を吐く。
思い出す。
最近よく名前を聞く人物。
セレフィーナ・アストリア。
公爵家の令嬢。
学園では「悪役令嬢」と呼ばれている。
……らしい。
だが。
アルヴィンは窓の外を見た。
「悪役、ね」
記憶を辿る。
入学式。
彼女は地面を触っていた。
「この土、粘土質ですわね」
階段。
彼女は手すりを触っていた。
「この木材、良いものですわ」
中庭。
彼女は花壇を見ていた。
「土壌を改良したいですわ」
アルヴィンは腕を組んだ。
「……公爵令嬢とは思えない」
普通の令嬢なら。
社交。
派閥。
権力争い。
そういうものに関わる。
しかし彼女は。
「土」
アルヴィンはふと思い出した。
先日のこと。
中庭のお茶会。
セレフィーナは紅茶を持っていた。
ふう。
ふう。
息を吹きかけて冷ましていた。
そこまでは普通だ。
だが。
その後。
彼女は花壇を見て立ち上がった。
「少し失礼いたします」
紅茶を置いたまま。
戻ってこなかった。
アルヴィンは呟いた。
「紅茶を忘れる令嬢などいるか?」
翌日。
王立アストリア学園。
アルヴィンはゆっくりと校内を歩いていた。
側近が後ろをついてくる。
「殿下、本日はどのようなご用件で?」
「視察だ」
「突然ですね」
アルヴィンは小さく笑った。
「少し気になることがあってな」
中庭に入る。
そこには花壇が広がっていた。
そして。
しゃがんでいる人物。
白い手袋。
小さなスコップ。
完全に園芸作業。
セレフィーナだった。
アルヴィンは少し離れた場所から様子を見た。
庭師と話している。
「この土は少し乾きすぎています」
「そうですか?」
「灰を混ぜてみましょう」
「灰ですか?」
「魔法灰ですわ」
庭師は困った顔をしていた。
アルヴィンは思った。
(何の話だ)
しばらく見てから声をかける。
「セレフィーナ嬢」
彼女が振り向いた。
「あら、殿下」
立ち上がり、軽く礼をする。
その時。
アルヴィンは気づいた。
彼女の袖。
少し土がついている。
公爵令嬢の服に。
土。
アルヴィンは聞いた。
「なぜ花壇を?」
セレフィーナは少し首を傾げた。
「花が好きだからです」
あまりにも普通の答えだった。
アルヴィンは彼女の目を見る。
そこにあるもの。
派閥。
野心。
計算。
そういう光はない。
ただ。
花を見る目だった。
アルヴィンは試すように言った。
「最近、学園では色々な事件が起きている」
セレフィーナは驚いた。
「そうなのですか?」
本気の顔。
アルヴィンはさらに聞く。
「騎士レオンと草取りをしたそうだな」
「ええ」
彼女は微笑む。
「助かりました」
「助かった?」
「雑草が多かったのです」
アルヴィンは沈黙した。
次の質問。
「魔法事故の件は?」
セレフィーナは嬉しそうに言った。
「灰が手に入りました」
アルヴィンは空を見た。
(この令嬢)
(本当に事件を理解していない)
その時。
セレフィーナが突然言った。
「殿下」
「ん?」
「これを見てください」
彼女は花壇を指差した。
小さな芽。
「昨日植えたのです」
アルヴィンはしゃがんだ。
小さな芽。
柔らかい緑。
風が吹く。
芽が揺れる。
静かな時間。
アルヴィンは思った。
(妙だ)
彼女は悪役令嬢のはずだった。
人を陥れ。
権力を求める。
そういう存在。
だが。
目の前の少女は。
ただ。
花を育てている。
アルヴィンは立ち上がった。
「では、私はこれで」
去り際。
小さく呟く。
「……シナリオ外だな」
セレフィーナは首を傾げた。
「?」
アルヴィンは軽く笑った。
「いや、何でもない」
そう言って歩き出す。
後ろでは。
セレフィーナが静かに水をやっていた。
きらりと水滴が光る。
花壇の上で。




