第6話:最初の暗殺
――冷めた紅茶
王立アストリア学園の中庭は、春の柔らかな陽光に包まれていた。
白い石のテラスに丸いテーブルが並び、銀のポットから立ちのぼる湯気がゆらゆらと揺れている。新入生歓迎のお茶会。貴族令嬢たちの社交の場だ。
「今年は天気に恵まれましたわね」
「ええ、本当に」
穏やかな会話が続く中、ミリアは静かに紅茶を見つめていた。
(今日は……平和すぎる)
最近、何もかもがおかしい。
入学イベントは崩れ、魔法イベントも崩れた。
何かが起きるはずなのに、何も起きない。
その原因。
テーブルの向かいに座る人物。
公爵令嬢――セレフィーナ。
彼女は紅茶をじっと見つめていた。
「……少し熱いですわね」
そう言ってカップを持ち上げる。
ふう。
ふう。
丁寧に息を吹きかけて冷ましている。
ミリアはちらりと視線を周囲へ向けた。
給仕が紅茶を配っている。
新しい顔のメイドが一人。
誰も気にしていない。
だがそのメイドは、静かにテーブルを観察していた。
コードネーム――カラス。
暗殺者ギルド所属。
今回の依頼は一つ。
公爵令嬢セレフィーナの暗殺。
方法は単純だ。
紅茶に毒を入れる。
それだけ。
厨房で小瓶を取り出し、透明な液体を一滴落とした。
ポトリ。
紅茶に溶ける。
無味無臭。
三分後に心臓が止まる毒。
(これで終わりだ)
カラスは静かに紅茶を運び、セレフィーナの前に置いた。
そして距離を取り、様子を見守る。
セレフィーナはカップを手に取った。
ふう。
ふう。
息を吹きかける。
まだ飲まない。
カラスは時計を見る。
(あと二分)
テーブルでは王子アルヴィンが口を開いた。
「セレフィーナ嬢」
「はい?」
「最近、花壇をいじっていると聞いた」
セレフィーナは微笑む。
「ええ」
「学園の土が少し痩せているのです」
王子は一瞬黙った。
「……土?」
ミリアは心の中で叫ぶ。
(今その話!?)
セレフィーナは真剣だった。
「日当たりは良いのですが、水はけが強すぎて」
「有機質が不足していますわ」
王子は紅茶を持ちながら首を傾げる。
「それを……令嬢が?」
「気になってしまって」
セレフィーナは紅茶をテーブルに置いた。
ふう、ともう一度息を吹く。
しかし。
その時。
彼女の視線が遠くへ向いた。
中庭の花壇。
パンジーが植えられている。
セレフィーナの目が細くなる。
(……あら)
立ち上がった。
「少し失礼いたします」
王子が驚く。
「今?」
「花壇を確認してきます」
そう言うと。
彼女は歩き出した。
紅茶をテーブルに置いたまま。
ミリアは瞬きをした。
(……え?)
カラスも固まっていた。
(飲まない?)
三分。
四分。
紅茶の湯気が消える。
完全に冷めた。
王子アルヴィンがカップを見た。
「……冷めているな」
持ち上げる。
香りを確認する。
そして給仕に渡した。
「新しいものを頼む」
「かしこまりました」
紅茶は回収された。
厨房へ運ばれる。
そして。
そのまま流しへ。
毒ごと。
カラスは遠くからその様子を見ていた。
固まっていた。
(……え?)
任務。
終了。
しかし。
ターゲットは。
飲んでいない。
数分後。
セレフィーナが戻ってきた。
「失礼しました」
何事もなかった顔で席に座る。
新しい紅茶が置かれる。
一口飲む。
「美味しいですわ」
王子が小さく笑う。
「花壇はどうだった?」
「少し乾燥しています」
「……そうか」
ミリアはその様子を呆然と見ていた。
(違う)
(こんなイベントじゃない)
本来なら。
毒を飲む。
倒れる。
王子が助ける。
恋愛フラグ。
なのに。
セレフィーナはただ言った。
「明日、土を入れ替えますわ」
遠くでカラスはメモを書いた。
震える手で。
任務報告。
そこにはこう書かれていた。
任務失敗。
理由:ターゲットが紅茶を忘れた。
中庭では春の風が吹いていた。




