第38話:セレフィーナの農園
王都は、まだ混乱の中にあった。
夜の暗殺騒ぎから数日。
貴族の屋敷は焼け、兵士たちは街を巡回し、広場では不安げな声が飛び交っている。
「また戦いが始まるのか」
「魔族が来るらしい」
「聖女様が守ってくださる……はずだ」
人々は祈っていた。
だが、その祈りの中心にいる少女は、教会の裏庭に立っていた。
セレフィーナである。
彼女の目の前には、広い空き地があった。
石と雑草だらけの荒れた土地。
かつて庭だったのかもしれないが、今はただの空き地だ。
そこに難民たちが座り込んでいる。
怪我人。
疲れ果てた老人。
泣き続ける子供。
神官がセレフィーナに言った。
「食料が足りません」
声は重かった。
「巡礼者も増え、難民も増え……」
「このままでは数日で尽きます」
セレフィーナは空き地を見つめた。
そして、ぽつりと言う。
「ここを畑にしましょう」
神官は瞬きをした。
「……畑?」
「はい」
神官は困った顔をする。
「ですが聖女様、今はそんな余裕が……」
その言葉を、セレフィーナはやさしく遮った。
「祈るだけでは、人はお腹いっぱいになりません」
静かな声だった。
神官は言葉を失う。
セレフィーナはそのまま空き地へ歩いていった。
近くに立てかけてあった古いスコップを手に取る。
そして――
土を掘り始めた。
ざくっ。
乾いた土の音が響く。
聖女と呼ばれる少女が、泥だらけになりながら土を掘っている。
それを、難民たちが呆然と見ていた。
ざくっ。
ざくっ。
やがて、小さな声が聞こえる。
「……聖女様?」
振り向くと、子供が立っていた。
七歳くらいの男の子だ。
「何してるの?」
セレフィーナは笑った。
「畑を作ってるの」
「畑?」
「うん。野菜を育てるの」
子供は首を傾げる。
「野菜?」
セレフィーナは頷いた。
「お腹が空かないように」
子供はしばらく考えたあと、小さく言った。
「……手伝う」
セレフィーナは驚いた。
「本当?」
子供は雑草を引き抜き始める。
それを見ていた少女が、そっと近づく。
老人が立ち上がる。
一人。
また一人。
人が集まり始めた。
誰かが石をどける。
誰かが土をならす。
兵士が通りかかり、立ち止まる。
「……何をしている」
子供が答える。
「畑!」
兵士はしばらく見ていたが、やがて鎧を脱いだ。
「……少しだけだぞ」
スコップを手に取る。
いつの間にか。
教会の裏庭は、共同作業の場所になっていた。
土を掘る音。
笑い声。
久しぶりの、人の声だった。
その噂は、すぐに街へ広がった。
「聖女様が畑を作っている」
最初は笑われた。
「奇跡じゃないのか?」
「祈りじゃなくて畑?」
だが、話を聞いた人々は次第に表情を変えていく。
「……働いているのか」
「一緒に?」
信仰の形が、少しずつ変わっていく。
祈るだけではなく。
動くこと。
生きること。
夕方。
王子が教会を訪れた。
庭へ出る。
そこで足を止めた。
目の前の光景に、少し驚いたからだ。
荒れた空き地が、整えられている。
畝が作られ。
人々が種を植えている。
そしてその中心に――
泥だらけのセレフィーナがいた。
王子は呟く。
「……何をしている」
セレフィーナは振り向いた。
額に泥をつけたまま、普通に答える。
「畑です」
王子は眉を上げた。
「聖女が?」
セレフィーナは苦笑する。
「聖女じゃありませんから」
王子はしばらく黙っていた。
そして小さく笑った。
「確かに」
数日後。
畑に、小さな変化があった。
子供が叫ぶ。
「芽が出た!」
人々が集まる。
土の中から、小さな緑が顔を出していた。
本当に小さな芽だ。
奇跡ではない。
ただの植物。
それでも。
人々は笑った。
「生きてる」
「育ってる」
セレフィーナはその芽を見つめる。
そっと手を合わせた。
「大きくなりますように」
静かな祈りだった。
夜。
王都の灯りが遠くに見える。
戦いはまだ終わっていない。
暗殺者。
魔族。
反乱。
すべてが動いている。
だが教会の裏庭では。
小さな畑が風に揺れていた。
王子が隣に立つ。
「こんな小さな畑で」
「世界は変わるのか?」
セレフィーナはしばらく芽を見ていた。
そして答える。
「少しずつなら」
風が吹く。
芽が揺れる。
遠くの丘の上。
ミリアがその光景を見ていた。
彼女の目に映るのは、炎に包まれた王都。
そして、たった一つの静かな灯り。
畑。
人々の笑い声。
ミリアは小さく呟く。
「……無駄」
だが。
彼女の瞳は、ほんの少しだけ揺れていた。




