第34話:魔王の影 魔族が動き始める
人間の王都から、はるか遠く。
黒い雲が絶えず渦巻く大地があった。
そこは魔界。
荒れた岩山と暗い城塞が連なる土地。
空は常に薄暗く、風は低い唸り声のように鳴っている。
その中心に、巨大な黒い城がそびえていた。
魔王城。
その玉座の間では、数人の魔族が跪いていた。
巨大な柱に囲まれた広間。
奥の玉座は暗闇に沈み、そこに座る存在の姿は見えない。
だが、そこにいるだけで空気が重くなる。
魔王。
その前で、魔族の諜報官が報告を続けていた。
「人間界で異常が発生しています」
魔族の将軍が腕を組む。
「異常?」
「はい」
諜報官は水晶を掲げた。
中に映るのは、人間の王都の光景。
「最近、人間界では」
彼は静かに言う。
「陰謀が成功しません」
将軍が眉をひそめる。
「どういう意味だ」
「暗殺未遂がすべて失敗」
「事故が起きない」
「反乱の準備も何度も崩れています」
将軍は鼻で笑った。
「人間が賢くなっただけだろう」
だが諜報官は首を振る。
「いいえ」
そして言った。
「原因は一人の人間です」
広間が静まり返る。
諜報官は水晶の映像を変える。
そこに映ったのは、庭園だった。
花壇の前にしゃがみ込んで、土を触っている少女。
白いドレス。
長い髪。
貴族の令嬢。
諜報官は名を告げた。
「セレフィーナ・アストリア」
魔族たちは眉をひそめる。
「人間の娘ではないか」
「公爵令嬢です」
水晶の映像が次々と変わる。
王宮晩餐会。
毒の入ったワイン。
だが王子は飲まない。
次の映像。
天井のシャンデリア。
落ちるはずだった。
だが落ちない。
次。
刺客。
標的を見失う。
すべてが——
失敗していた。
魔族の参謀が呟く。
「偶然……か?」
諜報官は静かに言った。
「偶然にしては回数が多すぎます」
広間が重い沈黙に包まれる。
将軍が低く言う。
「未来予知か?」
誰も答えない。
その時だった。
玉座の奥の暗闇から、声が響いた。
「面白い」
魔族たちは一斉に頭を下げる。
魔王。
その姿は闇に隠れて見えない。
だが声だけで、空気が震える。
魔王はゆっくり言った。
「世界の流れを変える者」
「そういう存在は、時々現れる」
水晶の中で、セレフィーナが土を触っている。
魔王はそれを見て、わずかに笑った。
「観察しろ」
短い命令だった。
「必要なら」
少し間が空く。
「排除しろ。」
魔族たちは深く頭を下げる。
「はっ」
その命令と共に、魔族たちは動き始めた。
その頃。
王立アストリア学園。
夜の屋根の上に、一人の青年が立っていた。
隣国のスパイ、エルド。
彼は王都の様子を観察していた。
だがその時。
風の中に、奇妙な気配を感じる。
冷たい魔力。
エルドは振り向いた。
屋根の端に、黒い影が立っている。
人の形。
だが、人ではない。
赤い瞳が闇の中で光った。
エルドは低く言う。
「……魔族か」
影も静かに言う。
「人間のスパイ」
二人の間に沈黙が落ちた。
互いに警戒する。
だが剣は抜かない。
魔族は空を見上げた。
「この学園に、例の令嬢がいる」
エルドは眉をひそめる。
「お前もそれを調べているのか」
魔族は答えない。
ただ小さく呟いた。
「未来が読めない」
「何?」
「予知魔法が曇る」
エルドは黙る。
それは彼も感じていた。
あの令嬢の周囲では——
すべての計画が崩れる。
魔族は言う。
「人間にしては異常だ」
エルドは小さく笑った。
「同感だ」
二人はしばらく黙って学園を見下ろした。
その庭園で。
ランタンの光が揺れている。
地下通路。
セレフィーナは楽しそうに歩いていた。
古い石壁。
長く続く通路。
ランタンの光がゆらめく。
後ろではメイドが不安そうだった。
「お嬢様……戻りませんか」
セレフィーナは首を振る。
「もう少し」
壁の紋章を指でなぞる。
「古い王家の紋章ね」
メイドが目を見開く。
「王家……?」
つまりこの通路は——
王宮へ繋がる古い避難路。
セレフィーナは気づいていない。
ただ楽しそうに言った。
「地下構造、面白いわ」
そして通路の奥へ進む。
その頃。
魔界では。
魔王が玉座に座っていた。
側近が報告する。
「例の令嬢、確認されました」
魔王は静かに頷く。
「そうか」
闇の中で目が光る。
「世界が動き始めたな」
そして小さく呟いた。
「勇者の動向も調べろ」
側近が驚く。
「勇者……ですか?」
魔王は笑った。
「舞台が整う」
人間。
魔族。
勇者。
そして。
世界の運命を変えるかもしれない一人の令嬢。
その頃、地下通路の奥で。
セレフィーナは新しい石扉を見つけていた。
彼女は嬉しそうに言う。
「また扉ね」
ランタンを掲げる。
「開けましょう」
その扉の向こうには——
王宮の地下が広がっていた。




