第30話:ゲーム崩壊 恋愛ルートが完全停止
春の陽射しが、王立学園の庭園に静かに降り注いでいた。
風は穏やかで、花壇の花々は揺れ、遠くでは生徒たちの笑い声が聞こえる。
——平和だった。
だがそれは、本来の意味での平和ではない。
**“イベントが起きない平和”**だった。
ミリアは庭園のベンチに座っていた。
白い手袋をぎゅっと握りしめる。
(今日は……王子イベントの日)
このゲームでは、この時期——
ここで王子と偶然出会い、会話が始まり、好感度が上がる。
そういうイベントのはずだった。
ミリアは時計を見る。
もう三十分。
王子は来ない。
「……おかしい」
そこへ侍従が足早に通り過ぎる。
ミリアは思わず声をかけた。
「王子殿下は……?」
侍従は軽く会釈する。
「殿下は外交会議に出席されています」
「……え?」
「隣国との交渉問題でして」
侍従はそのまま去っていった。
庭園には、ミリア一人が残る。
風が花びらを運んだ。
ミリアは呟く。
「……そんなイベント、なかった」
その日の午後。
ミリアは訓練場へ向かった。
(騎士ルートなら……)
ここで騎士が怪我をして、看病イベントが起きる。
それが王道の展開だ。
だが訓練場では、騎士たちが真剣な顔で訓練していた。
攻略対象の騎士が剣を振るう。
汗が飛び、金属音が響く。
ミリアは近づく。
「お、お疲れ様です」
騎士は振り向いた。
「ああ、令嬢」
しかしすぐ表情を引き締める。
「すみません、今は警備強化中で」
「警備?」
「最近、暗殺未遂が多いんです」
彼は軽く頭を下げる。
「訓練に戻ります」
ミリアは立ち尽くす。
看病イベントは起きない。
怪我もない。
事故もない。
ただ、普通の訓練があるだけだった。
夕方。
ミリアは図書館へ行った。
(魔導師ルート……)
ここでは本棚から本が落ちて、助けるイベントが起きる。
だが魔導師は机に向かい、山のような本に囲まれていた。
「……何を?」
ミリアが声をかける。
魔導師は顔を上げる。
「ああ、令嬢」
そして淡々と言った。
「闇魔法事件の解析です」
「今忙しいので」
また本に視線を戻す。
それだけだった。
本棚は落ちない。
事故も起きない。
イベントもない。
市場。
最後の希望。
商会跡継ぎルート。
ここでは荷物事故が起きる。
だが市場では商人たちが忙しく働いていた。
商会跡継ぎの青年は帳簿を見ている。
「令嬢?」
「今、時間あります?」
彼は首を振る。
「すみません」
「隣国の経済封鎖の調査中で」
彼は真剣な顔だった。
「恋愛どころじゃないんです」
ミリアは何も言えなかった。
夜。
寮の部屋。
ミリアは机に座っていた。
ゆっくりとノートを開く。
そこにはびっしり書かれている。
攻略メモ。
王子ルート
・庭園イベント
・花祭りイベント
・雨宿りイベント
騎士ルート
・怪我イベント
・訓練場イベント
魔導師ルート
・図書館イベント
全部。
ミリアは赤いペンを取る。
そして一つずつ書く。
×
×
×
×
ページは赤いバツで埋まる。
ミリアの手が震える。
「……嘘」
ページをめくる。
全部、起きていない。
全部、存在しない。
ミリアは呟く。
「……なんで?」
その頃。
庭園の花壇。
セレフィーナは土に触れていた。
指先で土を崩し、香りを確かめる。
メイドが不思議そうに聞く。
「お嬢様」
「先ほどからミリア様が学園中を走り回っていますが……」
セレフィーナは静かに答えた。
「そう」
メイドは首を傾げる。
「何をしているのでしょう?」
セレフィーナは空を見上げた。
青空。
雲がゆっくり流れている。
「世界の修復よ」
「修復……?」
セレフィーナは少しだけ笑う。
「もう無理だけど」
メイドは理解できない。
セレフィーナは花壇の土を整える。
そして静かに呟いた。
「恋愛ルートは、もう止まった」
風が吹く。
花びらが舞う。
「この世界は」
セレフィーナは目を細めた。
「やっと現実になった」
夜。
ミリアの部屋。
ノートが床に落ちていた。
ページが開く。
そこには書かれている。
攻略対象:王子
ミリアは震える手でペンを取る。
そして、その横に書いた。
攻略不可
涙が一滴落ちる。
ミリアは呟いた。
「……おかしい」
声が震える。
「これ」
そして、ようやく気づいた。
「……乙女ゲームじゃない」
窓の外で、夜風が吹いた。




