第3話 階段イベント崩壊
王立アストリア学園の朝は早い。
女子寮の部屋で、ミリア・エヴァレットは机に向かっていた。
机の上には例のノート。
前世の記憶を頼りに作った乙女ゲーム攻略ノートだ。
ミリアは深く息を吐いた。
「……昨日は失敗した」
噴水広場イベント。
本来なら、悪役令嬢セレフィーナに水をかけられ、王子アルヴィンが助けに入る重要なイベント。
しかし現実は。
『この花壇の配置、どう思う?』
園芸相談だった。
ミリアは顔を覆う。
「なんで花壇なのよ……」
だが、まだ諦めるには早い。
ゲームにはイベントが山ほどある。
ミリアはノートのページをめくった。
そこに書かれているタイトル。
「階段イベント」
ミリアの目が光る。
内容はこうだ。
学園の中央階段。
ヒロインが本を抱えて降りていると、足を滑らせる。
その瞬間――
王子アルヴィンが抱き止める。
そして運命的な出会い。
好感度大幅上昇。
ミリアは拳を握った。
「今度こそ!」
昼休み。
王立アストリア学園の中央階段は、校舎の中心にある大きな階段だった。
高い天井。
赤い絨毯。
大理石の柱。
いかにもイベントが起きそうな場所である。
ミリアは階段の上で本を抱えていた。
(ゲーム通りなら……)
この時間に王子がここを通る。
そして自分は階段を降りる。
途中で足を滑らせる。
王子が助ける。
完璧。
ミリアは深呼吸した。
その時、近くの生徒たちの声が聞こえた。
「ルヴァリエ様、また階段にいるわよ」
「さっきから手すりを見ているらしい」
ミリアの目が輝いた。
(よし!)
悪役令嬢もいる。
イベントの条件が揃った。
ミリアはそっと階段を見下ろした。
そして――
首をかしげた。
階段の途中。
セレフィーナ・ルヴァリエが立っている。
銀髪の美しい令嬢。
だが彼女は優雅に歩いているわけではない。
手すりを触っていた。
指で木材を撫でている。
軽く叩いて音を聞く。
真剣な顔だ。
「……樫ね」
後ろには学園の管理人が立っていた。
「さすがセレフィーナ様、お分かりになりますか」
「ええ」
セレフィーナは木目をなぞる。
「でも乾燥が足りないわ」
管理人が驚く。
「その通りでございます」
「湿気を吸うと歪むわね」
完全に建材の話だった。
ミリアは一瞬だけ戸惑った。
(……まあいい)
イベントは自分と王子で成立する。
セレフィーナが何をしていようと関係ない。
ミリアは本を抱え、階段を降り始めた。
一段。
二段。
三段。
階段の下から、金色の髪が見えた。
王子アルヴィン。
ゲーム通りだ。
ミリアの心臓が跳ねる。
(来た……!)
王子が階段を上がってくる。
タイミングは完璧。
ミリアは決意した。
そして。
わざと足を滑らせる。
「きゃっ!」
本が落ちる。
体が前に倒れる。
階段から転び落ちる――
その瞬間。
王子が手を伸ばした。
「危ない!」
だが。
その瞬間だった。
「止まりなさい」
落ち着いた声。
セレフィーナだった。
全員の動きが止まる。
セレフィーナは階段の一段を指差した。
「その段」
王子が首をかしげる。
「え?」
「高さが違うわ」
ミリアは半分転びかけた姿勢のまま固まった。
セレフィーナは続ける。
「この段だけ、0.5センチ高い」
沈黙。
管理人が慌てて近づいた。
階段を測る。
そして驚いた。
「……本当だ!」
周囲の生徒がざわめく。
「えっ」
「そんなことある?」
セレフィーナは冷静だった。
「つまずく原因になるわ」
ミリアの頭の中で声が響く。
(今つまずいた)
管理人は青ざめた。
「すぐ修理します!」
セレフィーナは頷いた。
「学園は安全であるべきよ」
王子はしばらく沈黙していたが、ようやくミリアの腕を支えた。
「……大丈夫か?」
「は、はい……」
ミリアは立ち上がる。
だが胸は高鳴っていない。
運命の出会いでも。
ロマンでも。
何でもない。
ただの安全確認だった。
王子は少し困った顔をして去っていく。
イベント終了。
好感度変化。
なし。
ミリアは階段の途中で呆然と立っていた。
その横で。
セレフィーナはまだ手すりを撫でている。
「この木材、良いわね」
ミリアは空を見上げた。
(違う)
(こんなイベントじゃない)
階段の上から春の光が差し込む。
本来なら。
ここで運命が始まるはずだった。
だが。
この日。
王立アストリア学園で優先されたのは。
恋愛イベントではなく、建築点検だった。




