第26話 ヒロイン精神崩壊 ――「これ乙女ゲームじゃない」
夜。
ミリアの部屋の机の上には、紙が山のように積み上がっていた。
手帳。
メモ。
イベント一覧。
人物相関図。
そしてそのすべてに、赤い線が引かれている。
ミリアは机に突っ伏し、ぼそりと呟いた。
「……おかしい」
手帳をめくる。
そこには丁寧な文字で書かれた“イベント予定表”。
しかし今は、ほとんどが横線で消されていた。
王子庭園イベント
→ 花壇作り
騎士救出イベント
→ 草むしり
魔法研究イベント
→ 肥料研究
舞踏会イベント
→ 床材観察
ミリアは紙を握りつぶした。
「なんでよ……」
さらにページをめくる。
暗殺イベント
→ 未遂
誘拐イベント
→ 未遂
爆破イベント
→ 未遂
魔法暴走
→ 肥料化
理由欄。
そこには、信じられない言葉が並んでいた。
ターゲットが来ない
花壇作り
キノコ採取
土壌調査
ミリアは静かに机に額を押し付けた。
「意味が分からない」
しばらく沈黙。
やがて彼女は本棚から一冊の本を取り出した。
前世で覚えているゲームの攻略資料。
ページをめくる。
「ここで王子と初めての庭園イベント」
現実。
花壇作り。
「ここで騎士が助ける」
現実。
草むしり。
「ここで恋に落ちる」
現実。
土壌分析。
ミリアはゆっくり本を閉じた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……これ」
静かな声だった。
「乙女ゲームじゃない」
次の日。
ミリアは直接確認することにした。
まずは王子。
庭園へ向かう。
そこには確かに王子アルヴィンがいた。
だが。
彼は優雅に座っていなかった。
スコップを持っていた。
「この位置なら日照が安定しますね」
隣でセレフィーナが苗を並べている。
「ええ。この花は日光が必要ですもの」
ミリアは立ち尽くした。
(なんで園芸してるの)
次。
騎士ルート。
訓練場。
レオンは部下に指示を出していた。
「学園警備を強化しろ」
「暗殺者の動きがある」
ミリアは聞いた。
「恋愛イベントは?」
レオンは真顔だった。
「今はそれどころではない」
ミリアは静かに後退した。
次。
魔法研究棟。
研究室は騒然としていた。
魔法天才の青年が頭を抱えている。
「誰だこの魔力反応を書き換えたのは!」
助手が叫ぶ。
「原因は花壇の土壌改良です!」
「意味がわからない!」
ミリアは聞いた。
「恋愛研究は?」
青年は即答した。
「しない」
貴族サロン。
策士が円卓で真剣に話している。
「隣国が動いている」
「国内派閥も不穏だ」
ミリア
「恋愛は?」
策士
「優先順位が低い」
外交棟。
隣国王子が疲れた顔で書類を見ている。
ミリア
「恋愛イベントは?」
王子
「戦争の可能性がある」
ミリア
「……」
夕方。
学園の廊下。
学生たちの噂話が聞こえてきた。
「聞いたか?」
「セレフィーナ様」
「未来予知者らしい」
「陰謀全部潰してるって」
ミリアは思わず振り向いた。
「違う」
小さく呟く。
「潰してない」
「何もしてない」
その夜。
ミリアは庭園へ向かった。
そこにいたのは、セレフィーナだった。
彼女はしゃがみ込み、花を植えている。
王子が水をやる。
「この花、香りがいいわね」
「そうですね」
ただの会話。
ただの園芸。
ミリアは遠くからそれを見ていた。
そして理解する。
この世界は。
ゲームのように動いていない。
イベントも。
恋愛も。
運命も。
すべて。
成立していない。
理由は一つ。
あの令嬢が動かないから。
ミリアは震えた。
夜。
自室。
壁には大量の紙が貼られていた。
人物相関図。
イベント表。
赤い糸。
しかしそれは、どこにも繋がっていない。
ミリアは紙を一枚破った。
「ありえない」
もう一枚破る。
「こんなの」
机を叩く。
「こんな乙女ゲームある!?」
叫び声が部屋に響いた。
「恋愛イベントが!」
「一つも!」
「起きない!!」
沈黙。
ミリアはゆっくり床に座り込む。
紙が散らばる。
そして彼女は、空虚な目で呟いた。
「……これ」
静かな声だった。
「乙女ゲームじゃない」
同じ頃。
庭園。
セレフィーナは空を見上げていた。
「星が綺麗ね」
王子が微笑む。
「そうですね」
夜風が花を揺らす。
学園は静かだった。
驚くほど平和に。
そしてその平和は。
誰にも知られないまま。
すべてのイベントを壊していた。




